03)(003)―「勅撰和歌集」―

03)(003)―「勅撰和歌集」―
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the Imperial anthologies

♪天皇・上皇・法皇の勅命により、朝廷の文化的事業として編集された名詩選集を「勅撰集(ちょくせんしふ)」と呼ぶ。古くは漢詩名作選から始まり、和歌のみから成る勅撰集第一作は平安前期の『古今和歌集』(905年)である。これに先立つ奈良時代の『万葉集』(759年頃)は、短歌以外の形態の和歌も多く、表記文字もまた「万葉仮名」という「漢字から仮名文字への過渡的形態」だったため、「ひらがながき」を基本とする「和歌集」の系譜からは外れる先駆的存在として、別物扱いである。
♪現代(21世紀)に至るまで、皇室の命を受けて編集され公式に認められた「勅撰和歌集」は、全部で21集存在する。うち、『古今和歌集』から『新古今和歌集』までを、一般に「八代集」と呼んでいる:実質的に、この時期が、和歌文芸が真に生きていた時代と言ってよいだろう。
♪「八代集」以降も、和歌は詠まれたし、「勅撰集」も編まれ続けたが、時代を下るごとに派閥争いが目立つ各歌流の「同人誌」的内容へと堕落し、平安期までの「生きた文芸の集大成」と同一視するわけにも行かぬものとなって行く(編纂周期の異様な短さも、その惨めな傍証である)。文学史上の位置付けも、「八代集」以降の勅撰和歌集は「十三代集」として別物扱いである。以下、それら勅撰和歌集の集名と成立年代、収録歌数、選者、特色(のある集のみ軽く説明)、そして前作からの経過年数を列記する。
<八代集>

●1)『古今和歌集(こきんわかしふ)』(905年1111首:撰者=紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑)
 ・・・日本初の全編和歌の勅撰集。漢詩文から和歌への文芸の主役交代の立役者。
 ・・・『万葉集』から約150年後の成立
●2)『後撰和歌集(ごせんわかしふ)』(953~958年1425首:撰者=源順・大中臣能宣・清原元輔・坂上望城・紀時文)
 ・・・貴族文芸としての和歌の定着を感じさせる日常的な贈答歌が多い。「梨壺の五人」と呼ばれた撰者たち自作の歌を一首も含まぬ点で、他の勅撰集とは異色。
 ・・・前作から約50年
●3)『拾遺和歌集(しふゐわかしふ)』(1006年1350首:撰者=藤原長能・源道済)
 ・・・当時の和歌の大御所藤原公任(ふぢはらのきんたふ)の私撰集『拾遺抄』(しふゐせう)を元に成立したため、「八代集」中では唯一宮中に「和歌所(わかどころ)」(=勅撰集編集のための臨時専管部署)を置かずに成立。その名の通り、直前の二代勅撰集の選外作と『万葉集』の秀作を拾い集めて成立。「恋歌」の秀歌を多く含むのが特色。
 ・・・前作から約50年
=====ここまでを特に「三代集」と呼ぶ=====

●4)『後拾遺和歌集(ごしふゐわかしふ)』(1086年1218首:撰者=藤原通俊)
 ・・・選者が歌学界では若輩者の扱いだったため、大御所たちの意見を聞いては改編を繰り返した。「詞書」に説明調の長文が多い生硬感も、その成立事情による。一条帝時代という女流文学最盛期を対象とし、歌集全体の三割が女流歌人という華やかな(&情感豊かな)内容だが、逆に、歌の格調はやや低きに流れた感がある。
 ・・・前作から80年
●5)『金葉和歌集(きんえふわかしふ)』(1126年650首:撰者=源俊頼)
 ・・・初版は「伝統」二版は「当世」に偏りすぎ、撰進の命を出した白川院が許可を出すまで実に三訂を経たいわくつきの勅撰集。新旧の均衡の取れた三訂版(下書き稿)は宮中に秘蔵されて一般に出回らず、世間には二訂版が流布したので、田園趣味や奇抜な技法の織り込みを好んだ当代歌風が色濃く、「連歌」を初めて「雑下」の扱いで「部立」の中に正式に織り込むなど、平安中期~後期に於ける和歌界の潮流の変化を伝える「前衛的」な勅撰集。他の勅撰和歌集の半分程しかない収録歌数の少なさから、25年後に編まれた『詞花和歌集』をその加筆修正版と見ることも出来なくはない。
 ・・・前作から40年
●6)『詞花和歌集(しかわかしふ)』(1151年415首:撰者=藤原顕輔)
 ・・・完成稿が世間に流布しなかった前作『金葉和歌集』の当世風偏重の“失敗”に鑑みて、その25年後(通常の勅撰集が編まれる半分の経過時間で)、前作と重複する歌を相当数含みつつ、当代歌人を避けて古い時代の歌人の名作のみを無難に拾い集めて成立。前作+この作品で、ようやく一般の勅撰集と同等収録数(約千首)となる。
 ・・・前作から25年
●7)『千載和歌集(せんざいわかしふ)』(1188年1288首:撰者=藤原俊成)
 ・・・選者俊成の私撰集『三五代集』を元に成立。奇抜・俳諧に傾いた『金葉和歌集』の流れに反して、格調高く叙情的な作品を丹念に吟味した名勅撰集である。が、その『金葉和歌集』の選者として俊成の批判の対象となった源俊頼が最多入集者(52首)であり、先代『詞花和歌集』の当たり障りのない懐古趣味的名作選的傾向を排して、当代歌人重視(収録歌の半数を占める)の姿勢で編まれている。現世で出世の望みを絶たれた者たちの多くが出家して和歌文芸で身を立てようとした平安末期の世相を反映して、いわゆる「歌僧」の比率が全体の二割を占める。
 ・・・前作から34年(『金葉集+詞花和歌集』を変則的な一作とみなせば、62年
●8)『新古今和歌集(しんこきんわかしふ)』(1210~1216年1979首:撰者=藤原定家・藤原家隆・飛鳥井(藤原)雅経・六条(藤原)有家・源通具・寂蓮)
 ・・・久しく単独選者態勢で作られていた勅撰集を、元祖『古今集』の例に倣って複数(6人)選者態勢で編んだのがこの『新古今集』。平安和歌の集大成と新発展を目指す気概に燃えて、撰進の勅命を出した後鳥羽上皇自身も実質的に第7の選者として加わり、1201年の院宣から1205年の奏覧を経て、1210~1216年頃にようやく一応の完成を見た空前絶後の念入りな編集作業は、後鳥羽院自身が倒幕運動に失敗(1221年)して隠岐島に流された後もなお続き、1239年に院がこの世を去るまでの18年間の全てを費やして、最終的に約400首を除いた1500首ほどを『正統新古今和歌集』とする詔勅を出すまで延々と続いた・・・まさに平安の世の最後を飾る執念の文芸の華である。この歌集を以て和歌はその頂点を極め、以後、緩やかな退潮の途につくことになる。
 ・・・前作から28年
=====ここまでがいわゆる「八代集」=====


<十三代集>

●9)『新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしふ)』(1235年1370首:撰者=藤原定家)
 ・・・『小倉百人一首』と同時期に定家が編み、史上初の複数勅撰集撰者となる。
 ・・・前作『新古今集』から20年
●10)『続後撰和歌集(しょくごせんわかしふ)』(1251年1400首:撰者=冷泉(藤原)為家)
 ・・・前作から16年
●11)『続古今和歌集(しょくこきんわかしふ)』(1265年1915首:撰者=当初は冷泉(藤原)為家)
 ・・・為家は定家の息子だが、撰者追加措置にふてくされ、途中から編纂作業は息子の為氏に一任。追加撰者は、反冷泉勢力の九条基家・衣笠家良・六条行家・葉室光俊(真観)の四人。
 ・・・前作から11年
●12)『続拾遺和歌集(しょくしふゐわかしふ)』(1278年1500首:撰者=二条為氏)
 ・・・前作から13年
●13)『新後撰和歌集(しんごせんわかしふ)』(1303年1600首:撰者=二条為世)
 ・・・『津守集(つもりしふ)』と皮肉られるほど津守氏の歌が多く入集しているが、これは、この間(1274年/1281年の二度に亘る)モンゴルからの侵略「元寇(げんこう)」があったことと無縁ではない:「津守=海洋防衛」祈願和歌集というわけである。
 ・・・前作から25年
●14)『玉葉和歌集(ぎょくえふわかしふ)』(1313年2801首:撰者=京極為兼)
 ・・・当初は京極為兼の他にも二条為世・飛鳥井雅有・九条隆博らの撰者がいたが、京極/二条両派の対立や撰者の死去・左遷等の事情で約20年もかけて成立。この集以降、歌壇は二条派に牛耳られ、京極派は『風雅和歌集(ふうがわかしふ)』まで日の目を見ずにホサれることになる
 ・・・前作から10年
●15)『続千載和歌集(しょくせんざいわかしふ)』(1320年2100首:撰者=二条為世)
 ・・・前作から7年
●16)『続後拾遺和歌集(しょくごしふゐわかしふ)』(1326年1347首:撰者=二条為藤・・・死後は息子の二条為定が引き継ぐ)
 ・・・前作から6年
●17)『風雅和歌集(ふうがわかしふ)』(1349年2211首:撰者=正親町公蔭(京極為兼養子)・藤原為基・冷泉為秀)
 ・・・最後の「京極派」勅撰集
 ・・・前作から23年・・・この間、1333年の鎌倉幕府滅亡など、社会が不安定期にあったため、前作との時間間隔が比較的長い。
●18)『新千載和歌集(しんせんざいわかしふ)』(1359年2360首:撰者=藤原為定)
 ・・・前作から10年
●19)『新拾遺和歌集(しんしふゐわかしふ)』(1364年1920首:撰者=二条為明・・・死後は息子の頓阿(二階堂貞宗)が引き継ぐ)
 ・・・前作から15年
▲准勅撰『新葉和歌集(しんえふわかしふ)』(1381年1420首:撰者=宗良親王=後醍醐天皇の皇子)
 ・・・「南朝」方の作品であったため、正規の勅撰集としては日の目を見ずに終わった。
 ・・・前作から17年
●20)『新後拾遺和歌集(しんごしふゐわかしふ)』(1384年1554首:撰者=二条為遠・・・死後は息子の二条為重が引き継ぐ)
 ・・・前作から20年
●21)『新続古今和歌集(しんしょくこきんわかしふ)』(1439年2140首:撰者=飛鳥井雅世)
 ・・・ただひたすら「二条派」のための歌集。京極・冷泉派歌人の入集はほぼ絶無。女流歌人も少ないなど、極めて偏った内容。室町中期のこの和歌集を以て、勅撰集の系譜は断絶し、日本は群雄割拠の戦国時代へとなだれ込んで行く。
 ・・・前作から55年
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(2010~11年、『古文・和歌Mastering Weapon』執筆時点で)
~~~最後の『新続古今和歌集(しんしょくこきんわかしふ)』から約五七〇年~~~
・・・この間、日本で「勅撰和歌集」が編まれたことは、ない・・・

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コメント (1件)

  1. the teacher
    <質疑応答コーナー>
    ・・・各ページ下には、質疑応答用の「コメントを残す」ボックスが用意されています(見本版では無効になっています)。
    ・・・教材をよく読めばわかるような無意味な質問や、当該テーマに無関係な内容の投稿でなければ、誠実&正確な回答が返ってくるはずです。

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