03)(006)―「歌合せ」―

03)(006)―「歌合せ」―
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♪音読モード(19:06)♪
poetic duel

♪和歌の興隆とほぼ時を同じくして、同じ歌題で詠まれた二つの和歌どうしを並べてその優劣を競う「歌合せ(うたあはせ)」も行なわれるようになった。
♪資料に残る日本最古の「歌合せ」は『在民部卿家歌合(ざいみんぶきゃうけうたあはせ)』(885年頃)。『古今和歌集』(905年)が世に出る20年前のことであり、その主宰者は在原行平(ありはらのゆきひら)、あの『伊勢物語』(927年頃)の主人公「むかし男」&「六歌仙」の一人として有名な天下のプレイボーイ在原業平(ありはらのなりひら)の実の兄である。
●「左方vs.右方」・「方人」・「念人」
♪「歌合せ」では、個々の歌の優劣を論じ合い、その勝敗を集計して、それぞれの歌の属する二組の集団の勝負をも最終的に競うことになる(・・・このあたり、現代日本の大晦日恒例NHK「紅白歌合戦」と似た趣向である)。
♪各歌は「左方(=先手)」と「右方(=後手)」に分かれ、それぞれの「方」には、歌を出す詠み手以外にも、その詠み手の側に味方する人々が参加して、自歌は出さずとも、歌の優劣の議論には加わった。
♪一方の側に味方する人のことを「方人(かたうど)」(左の方人/右の方人)と呼んだ(古語で「方引く:かたひく」と言えば「一方の側に肩入れする」ことを意味する)。
♪後代になると「方人」は「左方・右方として歌を出した作者本人」の意に転じ、「歌は出さずに応援に回る者」の意味では「念人(おもひびと)」という新たな用語が生まれる。しかし、「方人」の原義は(歌学的にも古語全般に於いても)「一方に味方する者」であるから、「左・右いずれかの側に味方する人」の意味での「方人」の妥当性は後代になっても揺るがない。
●「講師」・「被講」
♪出された歌を詠み上げる係は「講師(かうじ)」である。歌が読み上げられることを「披講(ひかう)」という。後代にはいずれの方にも属さぬ中立の立場の「講師」も置かれるようになったが、平安時代には左・右それぞれに別々の「講師」が付いたというから、双方ともに、さぞや美しい声(or顔)の読み手を引っ張り出しては自分方の勝利に貢献させようとしたものと想像される。
●「判者」・「判詞」・「衆議判」
♪左右の歌を吟味してその優劣を論じる係は「判者(はんじゃ)」であり、判定理由を述べた言葉は「判詞(はんし)」と呼ばれる。
♪決着の付け方には三通りあって、「勝(かち)」・「負(まけ)」の他に「持(もち・ぢ)」(引き分け)の場合もあった。
♪基本的には勝敗の決着は「判者」が付けるが、参加者の合議により決着を付ける場合もあって、それは「衆議判(しゅぎはん)」と呼ばれた。鎌倉期以降の歌合せは「衆議判」が殆どだという。それは当然、そうであろう:歌壇に於ける流派ごとの争いが鮮明化した平安末期以降、「歌合せ」は各流の名誉と意地を賭けた歌学論争の場と化したのだから、その優劣を決するのがたった一人の「判者」であっては困るのだ。「判者」がいずれか一方の流派を支持する「念人」であることは構造的必然であるから、その独裁制にしたのでは、勝敗の帰趨は最初から明白、不平等を通り越して勝負不成立である。歌壇論争としての「歌合せ」は、合議制の「衆議判」でなければ成立しないのだ。
●一ヶ月にも及ぶ「兼題」の準備期間
♪「歌合せ」の歌題は、その場で出されたものに即興で歌を詠み添える「当座(たうざ)」は稀で、予め出される「兼題(けんだい)」が殆どであった。和歌の黎明期には御座敷芸的な雰囲気で演じられていたであろう「歌合せ」も、後代になればなるほど歌人・歌流の面目躍如の舞台となり、真剣勝負の度を加えていったので、事前準備も周到でなければならなくなったわけである。
●「歌合せ」の中から生まれた伝説のライバル
♪和歌の世界で最も有名な「歌合せ」の一つである村上天皇(62代)の治世の『天徳四年内裏歌合(てんとくよねんだいりうたあはせ)』(960年4月28日)は、その後の「歌合せ」の範となったものであるが、その「兼題(全20題)」提示から本番までには、一ヶ月もの準備期間が用意されていた。勅撰和歌集では『古今和歌集』(905年)に続く『後撰和歌集』(951年)が世に出、歌物語としては『伊勢物語』(927年頃)に続く『大和物語』(951年頃)が世に出て、和歌がいよいよ宮廷文芸の中心としての座を確固たるものとし始めた頃の、天皇主宰による宮中での「歌合せ」であるから、この『天徳四年内裏歌合』の重要性は特筆すべきものがある。
♪この一大イベントの中で、「忍ぶる恋」の「兼題」での対抗歌として競い合った次の二首は、前者に敗れた後者の詠み手が、失望のあまり「不食の病(ふじきのやまひ)」でやつれて死んだとの逸話とともに後代にまで語り継がれている。どこまで実話かわからぬものの、それほどまでに歌の優劣が社会的に重要になり始めた頃の伝説としてみれば、それなりの重みをもって受け止めるべき話と言えるだろう。
《忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人のとふまで》『拾遺和歌集』恋一・六二二・平兼盛(たひらのかねもり)
(現代語訳)素振りには出すまいとして、これまで忍んできたけれど、とうとう顔色にはっきりと表われてしまったのだなあ、私の恋心は。「物思い、ですか?」と人に聞かれてしまうほどに。
 ・・・詠み手は、道長中心の藤原氏歴史物語『栄花物語(えいぐゎものがたり)』(正編)作者の赤染衛門(あかぞめゑもん)の実父(戸籍上は別の父がいる)である。
♪これへの対抗歌は:
《恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか》『拾遺和歌集』恋一・六二一・壬生忠見(みぶのただみ)
(現代語訳)「あの人、恋してるんだって」と、私の噂がもう立ってしまったよ・・・誰にも知られず、ひっそりと、あの人を想い始めたばかりだというのに。
 ・・・こちらの詠み手は、『古今和歌集』編者の一人にして「錯綜歌」の達人だった壬生忠岑(みぶのただみね)の息子である。
♪『拾遺和歌集』(622番, 621番)でも『小倉百人一首』(40番, 41番)でも、これら両歌は並んで配置されており、両首が「因縁の勝負歌どうし」だったことを感じさせる趣向を演じている。
●平安の世の終わりを締めくくった空前絶後の『千五百番歌合』
♪こうして数々の物語を生んだ「歌合せ」の中でも、史上空前のものが、平安の世が崩壊した鎌倉初期に、あの後鳥羽上皇が主宰した『千五百番歌合』である。上記の『天徳四年内裏歌合』もかなりの長丁場に及び、全ての決着が付いたのは翌朝のことだったとされているが、こちらに至っては「夜通し」だの「一週間」だのといった生易しい代物ではない・・・1202年に始まった「歌合せ」が決着を見たのは、何と翌1203年のこと、実に「足かけ二年」に渡る前代未聞の「歌合せ」なのだ!その具体的な趣向は、次のようなものである:
1)当代随一とされる歌人30名のそれぞれに「百首歌」を献上させる・・・これで、30×100=3,000首の歌が集まるわけである。
2)3,000首の歌を、同じ題意ごとに対抗歌どうしとして二分して競合(=「結番:けちばん」)させる・・・これで1,500番のバトルが展開されるわけである。
3)勝敗は、「方人」たちの議論を最終的に「判者」が判定して決着するが、それは明晰なる歌学理論に基づいて行なうこととし、1,500番の勝負の全てに於いて展開された議論とその「判詞」は、歌学的に意味のある「歌論書」の形でまとめ上げ、その出版時点を以て「歌合せ」の終了とする。
♪二十巻(多く十冊本として流布)の形でこの空前絶後の(歌合わせの形を借りた)歌学論争の記録がまとめあげられたのは1203年。1201年11月に既に後鳥羽院は『新古今和歌集』撰進の勅命を出しているから、勅撰集作成の下準備とも言えるが、その熱意の尋常ならざること・・・「平安の世のさま、忘るまじ!」の執念の為せる業と言うべきだろう。
♪こうして、300年前の『古今和歌集』(905年)と並んで、西暦1200年台の初頭は、「和歌」の世界にとって忘れ得ぬ飛躍の時となったのである・・・もっとも、前者はその後三世紀に渡る繁栄と栄光に向けての華々しい飛躍の幕開けであったのに対し、後者はその飛躍の頂点を極めた末の没落への入り口でもあったわけだが・・・。
♪そうした「滅び」の前の狂おしいまでの輝きの記録として、『千五百番歌合』と『新古今和歌集』を残した後鳥羽院とその周辺歌人達の功績は、日本文学史上、こよなくまぶしい「平安という名の老いたる巨星の超新星爆発」とも言うべき光と情念に充ち満ちている・・・それが「新古今調」の生命力であり、あまりに濃密すぎるが故の「外連味(ケレンみ=本筋のものとは異なる奇抜な趣向で人をあっと言わせようとする風味のある、不思議な味)」でもある。「とてもついて行けない」としてこれを敬遠する人は、まずは和歌の「醍醐味(だいごみ=正統派の味)」を教えてくれる『古今和歌集』を通して舌馴らしをした上で、後日改めて『新古今』を味わってみるといい。
♪「滅び行く世の人々の心の叫び」や「終わり行く時代が辿り着いた最後の高み」が2000首近くも詰まった『新古今』は、ある意味で一つの終わりを迎えつつある2000年代初頭の現代日本に生きる者として、無視すべからざる何かを含むこと、確実である・・・それを実感する恐ろしさに耐え得る感性があれば、読むとよい・・・

その前に、平安時代の文法・語句・短歌作法に関する理論武装がなければ読もうにも読めないが、その方面での武器供与は(この「古文・和歌」+「古文単語千五百」のMastering Weaponシリーズを通して)十分してさしあげたつもりのこの筆者である。



♪音読モード♪
・・・和歌の世界のお話は、これにて お し ま い ・・・



「後はただ歌に聞くべし泡沫の憂き世に消ぬる空蝉の声」
(あとはただうたにきくべしうたかたのうきよにけぬるうつせみのこゑ)
(後はただもう、歌、読んで、耳澄まして、聞いてもらうよりほかないですね、水面に浮かぶ泡のごとく、結んではすぐまた消える悲しい世界に消えていった短命な蝉たちのごとき人々の声)


《うたかたの うきよにうける うつせみの いくよいくばく うたはかはらじ》
(水面に漂う泡の如く浮かんで弾けて束の間燃えて儚いこの世に浮かれ騒ぐ享楽の夜が幾晩あることか、人生行路の長さはいかほどか・・・何とも頼りないこの世の中で、変わらず残るものは、歌)

a message from Noto Jaugo(著者 之人冗悟、記す)

See you again (if you will) at: http://fusau.com
(よろしかったらまたネットの上で 逢いましょう)
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♪音読モード♪
… but before that, you should strengthen your grammatical muscles in the following floods of merciless drills
でもその前に、以下、容赦なく続く洪水の如き反復練習問題にて、文法筋力増強を図るべし


03)(006)―「歌合せ」―
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コメント (1件)

  1. the teacher
    <質疑応答コーナー>
    ・・・各ページ下には、質疑応答用の「コメントを残す」ボックスが用意されています(見本版では無効になっています)。
    ・・・教材をよく読めばわかるような無意味な質問や、当該テーマに無関係な内容の投稿でなければ、誠実&正確な回答が返ってくるはずです。

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