▲ | ▼ [361] 【背く】は「背+向く」
「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.444【背く】
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「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.444【背く】
日本語というやつは、その構成要素を漢字に換言して捉えてみればその感じが分かることが多い便利な言語であり、「そむく」のままではピンと来ないこの語も、「背+向く」とすれば「対象に背を向ける」語感がきっちりわかって便利である。
ついでに言えば、「背中」を向けるのとは逆に「顔」を向ければ、「面(おも)+向く」=「おもむく(赴く)」となる。「赴く」の漢字の感じに縛られている限りは「A地点におもむく(=出向く)」の意味しか浮かんで来ないが、「面向く」へと視点を切り替えれば、「元来乗り気でなかった人物の顔(=面)を、ある方向へと向かせる=うまいこと説得する・服従させる」という(現代では死語と化した)古語の語義を把握するのに役立つ。
漢字は、日本語の横滑りを演出する困った滑脱記号としての負の側面をも持つが、意味の円滑な把握を助ける潤滑油としてもしばしば大活躍するのだから、学習者としてはこれを存分に活用するのが当然であろう・・・その意味でも、昨今の日本の白ち的なる漢字隠ぺい工作の愚まい性ははなはだ遺かんなことであり、こんなことを続けていたらただでさえだ弱な現代日本人の言語能力はいよいよち命的にたい廃してしまうのではと危ぐされるところである。
とまぁ、かんじのないじがどんなかんじかであそんでしまったあとで、気を取り直して最後にもう一つだけ古語のお勉強:「背く」の対象として「世」に背を向ける「世をそむく」は、「世間に逆らう反社会的人物」を想定させる響きがあるが、実際にはこの「世」は「世俗・俗世」の意味であって、「寺・仏界・宗教界」の対義語として用いられており、「よをそむく」=「世俗を捨てて、仏道修行の生活に入る」、即ち「出家する」の意味となる。現代日本人の生活感覚からは全く縁遠い語だが、古典時代にはやたらめったら出てくる行為が「出家」なので、しっかり向き合って覚えておくように。
ついでに言えば、「背中」を向けるのとは逆に「顔」を向ければ、「面(おも)+向く」=「おもむく(赴く)」となる。「赴く」の漢字の感じに縛られている限りは「A地点におもむく(=出向く)」の意味しか浮かんで来ないが、「面向く」へと視点を切り替えれば、「元来乗り気でなかった人物の顔(=面)を、ある方向へと向かせる=うまいこと説得する・服従させる」という(現代では死語と化した)古語の語義を把握するのに役立つ。
漢字は、日本語の横滑りを演出する困った滑脱記号としての負の側面をも持つが、意味の円滑な把握を助ける潤滑油としてもしばしば大活躍するのだから、学習者としてはこれを存分に活用するのが当然であろう・・・その意味でも、昨今の日本の白ち的なる漢字隠ぺい工作の愚まい性ははなはだ遺かんなことであり、こんなことを続けていたらただでさえだ弱な現代日本人の言語能力はいよいよち命的にたい廃してしまうのではと危ぐされるところである。
とまぁ、かんじのないじがどんなかんじかであそんでしまったあとで、気を取り直して最後にもう一つだけ古語のお勉強:「背く」の対象として「世」に背を向ける「世をそむく」は、「世間に逆らう反社会的人物」を想定させる響きがあるが、実際にはこの「世」は「世俗・俗世」の意味であって、「寺・仏界・宗教界」の対義語として用いられており、「よをそむく」=「世俗を捨てて、仏道修行の生活に入る」、即ち「出家する」の意味となる。現代日本人の生活感覚からは全く縁遠い語だが、古典時代にはやたらめったら出てくる行為が「出家」なので、しっかり向き合って覚えておくように。
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