【さむらひ】は、ただ待つものとや見つけたる?

   [381]  【さむらひ】は、ただ待つものとや見つけたる?
「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.【候ふ・侍ふ】

 およそ日本人ほど言葉を「感じ」だけで使い散らす民族は、世界中どこを探しても見つからないであろう。「漢字表記」は出鱈目な「感じ表記」でしかないし、字面や音に依拠した勝手な類推から語義がどんどんあられもない方向へと流れて行くその構造的特性(or悪弊)は、古文を学べばいやというほど実感できる:なにせ、現代日本語と同じ語義の古語は少なく、多くの語義が時代に合わせて(というよりも使い手の勝手な錯覚に引っ張られて)変わってしまった結果、理知的に把握するのにひどく苦労させられるのだから・・・この国の言葉の「漂流度」の高さは、世界に冠たるものがある、と胸を張ってこの筆者は断言する。
 そんな日本人が、20世紀末~21世紀初頭にかけて、妙に気に入って乱用している古語の代表格が「サムライ」であろう。もっとも、この語の場合、人気に火を点けたのは外国人である。
 西欧列強の場合、戦国時代はあっても、その時代の支配者として君臨したのは常に「王侯貴族」であって「騎士」ではなかった。トランプ(これも和風我流語だからplaying cardsと換言しておくか)の格から見ても、軍人たる「ジャック(Jack)」の数値は11であって、王様の「キング(King)」の13や女王の「クイーン(Queen)」の12よりも下位に位置するあたりに、西欧の武人の社会学的位置付けが見える。彼らは、自らの戦闘能力を技芸として磨き、それを高い誇りと報酬とで貴族階層に売り込んだけれども、国そのものを支配することはついぞなかったのである。
 軍人が国を牛耳る時というものは、西欧の歴史に於いては世も末の最低・最悪の時代であって、帝政ローマ衰亡期の傭兵達が結局あの大帝国を滅ぼしたように、「武力による支配」への西欧人の感覚はおしなべて否定的なものでしかないのである。
 ところが、この日本に於いては、1500年代から1800年代の半ばに至るまで、実に3世紀半もの長きにわたって「武人による政治」が行なわれ、しかも武家の頂点に立った将軍徳川家康が開いた江戸幕府は、日本史上希有なる安定期をも現出しているのである!これは、西欧の歴史から見れば実に異様なことである。
 西欧では、武人上がりの支配者も、社会の頂点に立てば「王侯貴族」と化す。それなのに、日本の「サムライ」は、社会の支配者になってもなお「公家」とはならず、剣を捨てなかった。多少は形骸化したとはいえ、江戸時代を通じて武家階層は常に懐には刀を帯び、剣術を磨くことを怠りはしなかった。300年間も斬り合いをせずにいながら、斬り合う技能と道具だけは決して手放さなかったのである・・・この非合理的な武術への執着は、西欧人の合理精神には何とも理解し難いものがある。それだけに、彼らは日本の「サムライ」の武道へのこだわりに、ある種の宗教・呪術的献身を感じ取ったのである。
 刀剣を振り回す武士が、必ずしも人殺しの技術錬磨のためにそうするのではなくなった(その必然性も失せている)江戸時代にあって、なお剣術を磨き続ける姿はもはや、実社会の利害とは別次元で成立する世界、いわばスポーツに打ち込むアスリート(競技者)の求道精神の具現化であって、それがまた全社会を通して積極的に奨励され賛美されて3世紀にも渡って行なわれ続けた江戸時代の摩訶不思議な徹底ぶりが、スポーツの世界ぐらいにしかヒーロー(英雄)を見出し難い現代社会の西欧人の感性のツボに、見事にはまった、ということであろう。
 そういうわけで、西欧人の「サムライ」礼賛には、彼らが背負ってきた文化・歴史的風土との対照上、それなりの必然性があると言える・・・が、翻って、この「サムライ」なる言葉を乱用する時の日本人の心理を見ると、またしても溜息が出るような醜悪さがそこには露呈されているのである。
 日本人がいかにも誇らしげに「サムライ」と口にする時、彼らの意識の中の「サムライ」は、「世界の人々から賞賛を受ける有名な日本の何か」でしかない。上で述べたような西欧人的パースペクティブ(視野・展望の広がり)の上に立ってこの「世界的に稀な求道者的武人支配階層」を賞賛しているわけでも何でもない。その意味で、日本人にとっての「サムライ」は、「世界のクロサワ」・「世界のホンダ」・「フジヤマ・ゲイシャ・東洋のトビウオ・日の丸飛行隊」あたりと全く同列の「外人にも知られていて、ホメてもらえて、日本人として鼻が高い有名な何か」でしかないのである。
 ここに於いてもやはり、「事を為す具体的な過程」など一切見ずにただ「既に成ってそこにある出来事」だけを「自分(たち)の手柄」として得々と受け入れてはしたり顔した「千年前の御公家さん」の姿が見え隠れする・・・実際には、そうした「自分じゃ何もせぬくせに、偉そうにのさばって、我々の意志と努力と行動の成果を、さも当たり前のことのように受け取ってるばかりの、腐った非主体性の意識で社会にはびこる寄生虫のごとき、何の役にも立たない京都の貴族ども」への意志的反発から、武士が世に出ることとなったのである。まずは平清盛に率いられた平家が、疲弊した京都とその住人達を尻目に福原(現在の神戸)遷都を敢行し、次いでその平家のもたらしたあまりに急激な社会構造の変革に反発した諸勢力を結集した源頼朝らの源氏勢力が、平家を滅ぼし、京都の朝廷勢力をも背後に追いやって、「意志性と主体的行動」を前面に押し出した鎌倉主導型の武家の世の到来をもたらしたのである(もっとも、頼朝の源氏はわずか三代で滅び、その後は平家の流れを引く伊豆半島の豪族の北条氏が「新たなる公家衆」と化して、足利尊氏に滅ぼされるまで、「新平安時代」ともいうべき既得権益享受生活をむさぼる世の中がまた続くことになるのであるが)。
 主体性も意志性も薄く、一事に賭ける求道者的情熱も希薄な、「21世紀のなよなよ公家衆」のごとき受動的悪臭をぷんぷんと放つばかりの昨今の日本人が、「サムライ、サムライ」と口走るのは皮肉以外の何物でもないが、そうした主体的質量に乏しい日本人に限ってまた「世界に冠たる日本の***」というやつの中にしか、自分自身で主体的に生み出すことの不可能な「代理自我(alter ego)」を見出せないのだから、「御公家型日本人のサムライ礼賛」はしばらくは鳴りやむこともないであろう。
 一応、古文学習の脈絡で付言しておくならば、「サムライ」の古語表記は「さむらひ」・「さぶらひ」であり、これは元来「さむらふ」・「さもらふ」・「さぶらふ」・「さふらふ」の動詞連用形が名詞化したものであって、その原義は「上位者から命令があったなら即座に行動できるよう、ただひたすらじっとそばに待機している番犬的存在の人間」 ― ジャーマンシェパードやドーベルマンが、衣服を着、帯刀して、二足歩行で貴人の近辺に控えている図、である。
 実際、中古~中世の古文には、そうした「番犬そのもの」のごとく貴人からは「人非人」扱いされながらも、文句一つ言わずじっと彼らの警護役としての己の本分を一族総ぐるみで貫き通す、ある種不気味なまでの意志と辛抱強さとで主体的に事に当たる「候ひ(さもらひ)」の、平安の世とは明らかに異質な「時代の鬼っ子」的姿を見ることができる。
 もっとも、平安時代の文物の中で彼ら「侍」のことが話題に上ること自体、極めてまれなことであったことは確かである;が、あの時代の御公家連中が、この不気味な二足歩行の番犬たちをどう見ていたかは、今の時代の大方の日本人が、独立独歩の強意志型積極行動を取る日本人をどういう目で見るか、を通して、間接的に(&かなり正確に)推測することができるように思われる。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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