▲ | ▼ [289] 素のままでは使わず、必ず他の敬語にブッ刺す形で使う「尊敬」の【す】・【さす】
「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.394【させ給ふ】
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「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.394【させ給ふ】
-「尊敬表現」に添えて二重に敬意を高める「す」・「さす」-
元来「使役」の助動詞「す」・「さす」は、「自らは事を為さず、他者を使役して事を為さしむる」という貴人の行動様態を表わすのに相応しいという原理から、「尊敬」の意味をも表わした。
が、この作為性の強い「尊敬」の「す」・「さす」は、全ての動詞に(「る」・「らる」のように)自然にくっついて「尊敬」の意を表わす助動詞ではない;引っ付く先は「尊敬語」と決まっていて、以下のような定型句の構成成分に過ぎぬものなのだから、その意味で「尊敬の助動詞」と呼ぶのには少々難があるとさえ言えるものである:
◆「・・・せ給ふ」・「・・・させ給ふ」
◆「・・・せおはします」・「・・・させおはします」
◆「・・・せまします」・「・・・させまします」
-「す」・「さす」が本来の「使役」の意味にとどまる場合-
上のような「二重敬語」の形で相手への敬意を強める言い回しとしては、「す」・「さす」を独立して解釈せずに「定型句として棒暗記」して乗り切ってしまえばよい、ということになる・・・これだけなら実に楽な展開である;が、困ったことに、これらの表現に於ける「す・さす」が「尊敬」ではなく「使役=・・・させる」の原義を相変わらず保ち続けている場合もあって、そうした場合は当然「・・・であらせられる」ではなく「・・・させなさる」と訳さねばならない。外形からの区分は付けられないから、脈絡上「誰かを使って何かをさせる」意味に取り得る場面か否かをじっくり見極める必要があるわけで、これまた出題者による受験生イジメには格好のネタ、ということになる。
ちなみに、「二重敬語」と言うといかにも「とてつもなくエラい誰かさん(天皇とか皇后とか)」だけが尊敬対象になりそうな感じだが、会話や書簡文の中では、さほど敬うべきとも思われぬ相手に対して「せたまふ」などと平然と用いられていた・・・「敬語なんて言っても、所詮はリップサービス」というわけで、このあたりの偽善的事情は、千年たっても何一つ変わらぬ「敬語という名の美辞麗句にまつわる醜悪なる真実」というわけである。
元来「使役」の助動詞「す」・「さす」は、「自らは事を為さず、他者を使役して事を為さしむる」という貴人の行動様態を表わすのに相応しいという原理から、「尊敬」の意味をも表わした。
が、この作為性の強い「尊敬」の「す」・「さす」は、全ての動詞に(「る」・「らる」のように)自然にくっついて「尊敬」の意を表わす助動詞ではない;引っ付く先は「尊敬語」と決まっていて、以下のような定型句の構成成分に過ぎぬものなのだから、その意味で「尊敬の助動詞」と呼ぶのには少々難があるとさえ言えるものである:
◆「・・・せ給ふ」・「・・・させ給ふ」
◆「・・・せおはします」・「・・・させおはします」
◆「・・・せまします」・「・・・させまします」
-「す」・「さす」が本来の「使役」の意味にとどまる場合-
上のような「二重敬語」の形で相手への敬意を強める言い回しとしては、「す」・「さす」を独立して解釈せずに「定型句として棒暗記」して乗り切ってしまえばよい、ということになる・・・これだけなら実に楽な展開である;が、困ったことに、これらの表現に於ける「す・さす」が「尊敬」ではなく「使役=・・・させる」の原義を相変わらず保ち続けている場合もあって、そうした場合は当然「・・・であらせられる」ではなく「・・・させなさる」と訳さねばならない。外形からの区分は付けられないから、脈絡上「誰かを使って何かをさせる」意味に取り得る場面か否かをじっくり見極める必要があるわけで、これまた出題者による受験生イジメには格好のネタ、ということになる。
ちなみに、「二重敬語」と言うといかにも「とてつもなくエラい誰かさん(天皇とか皇后とか)」だけが尊敬対象になりそうな感じだが、会話や書簡文の中では、さほど敬うべきとも思われぬ相手に対して「せたまふ」などと平然と用いられていた・・・「敬語なんて言っても、所詮はリップサービス」というわけで、このあたりの偽善的事情は、千年たっても何一つ変わらぬ「敬語という名の美辞麗句にまつわる醜悪なる真実」というわけである。
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