▲ | ▼ [1084] なる【慣る・馴る】【萎る・褻る】〔自ラ下二〕
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〈A〉
なる【慣る・馴る】【萎る・褻る】
《「平す・均す・馴らす」や「習ふ」と同根語で、反復的接触により凸凹状態を取り違和感なく(時に、緊張感なく)すんなり入り込む状態となる意。「習熟する」・「慣れ親しむ/馴れ馴れしくなる」は「ならふ」の類義語。「萎る・褻る」だと「経年変化」(よれよれ・使い古し)の意になる。》
〔自ラ下二〕 {れ・れ・る・るる・るれ・れよ}
【慣る・馴る】 (1) 〈(物事に関し)経験を重ねることで、違和感が消失して行く。また、完成度が高まったり、余裕ができたりする。〉 慣れる。熟成する。習慣となる。習い性になる。習熟する。地に足が付く。 (2) 〈(人・物事に対し)幾度も接するうちに、敵対感情や疎遠な感じが消えて行く。また、親近感が増しすぎて、緊張感や遠慮がなくなる。〉 慣れ親しむ。馴れ馴れしくなる。打ち解ける。馴染む。懐く。素直に従う。恭順の意を示す。図々しくなる。
【萎る・褻る】 (3) 〈(着物や道具について)長く使ううちに、使用者にぴったり適合するようになる。また、経年変化で摩滅・劣化する。〉 馴染む。使い古す。よれよれになる。古びる。フィットする。
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〔自ラ下二〕 {れ・れ・る・るる・るれ・れよ}
【慣る・馴る】 (1) 〈(物事に関し)経験を重ねることで、違和感が消失して行く。また、完成度が高まったり、余裕ができたりする。〉 慣れる。熟成する。習慣となる。習い性になる。習熟する。地に足が付く。 (2) 〈(人・物事に対し)幾度も接するうちに、敵対感情や疎遠な感じが消えて行く。また、親近感が増しすぎて、緊張感や遠慮がなくなる。〉 慣れ親しむ。馴れ馴れしくなる。打ち解ける。馴染む。懐く。素直に従う。恭順の意を示す。図々しくなる。
【萎る・褻る】 (3) 〈(着物や道具について)長く使ううちに、使用者にぴったり適合するようになる。また、経年変化で摩滅・劣化する。〉 馴染む。使い古す。よれよれになる。古びる。フィットする。
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【馴る】うちに【萎る】のが衣類・・・&人類?
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「慣る・馴る」は「習熟」の意を表わすものと見れば誉め言葉ながら、「馴れ合い」と捉えれば貶し文句となる。勝手知ったる学問の道も、極める過程で「熟達」するのはよいけれど、自分の物知り度に自信を増すにつれて、知的向上心がその鮮度を失い、「熟成」の末に「爛熟」に至って惰性的な思い上がりが退廃的悪臭を放つようになると、その人は「知識人」としては(&「人間」としても)もうおしまいである。
事を「教師」に置き換えても同じことが言える。不慣れな新米教師は指導者としては頼りないが、老練な教師の教え方にも「手練れの業」ならぬ「馴れ合い芸」の淀んだ空気が漂うようになれば、学習者の倦怠を誘うばかりである。知的尖鋭感(intellectual edge)を失わぬためには、「その道の達人」としてのゴールに行き着くことばかり見据えずに、「未知なる道」を旅するプロセス&新発見に接しての子供っぽい喜びと興奮を、常に追い求める永遠の旅人でなければならぬ・・・「馴れたらおしまい」、それが「学習」であり、広義には「人生」もまた然り、であろう。
「なる」はまた「萎る・褻る」とも書き、これは「(衣類や道具類が)長期間の使用によって使う者の身体の一部のごとく馴染む」の肯定的意味と同時に、「経年変化で摩滅・劣化する」の残念な様態をも表わす。「ごわごわ」感が薄らぎ、「しっくり」くる頃合いを過ぎれば、やがて「よれよれ」になるのが衣類の宿命である;が、「知的道具」としての「頭脳」や「感性」は、使用者が意志的に磨きをかけることで、永遠の鋭角を保つことが出来るのだ。常に新たな知的地平に挑み、「こわごわ」とした探索をやめぬ挑戦意欲を失うことなく「習いつつ、馴れぬ」生き様を貫きたいものである。
事を「教師」に置き換えても同じことが言える。不慣れな新米教師は指導者としては頼りないが、老練な教師の教え方にも「手練れの業」ならぬ「馴れ合い芸」の淀んだ空気が漂うようになれば、学習者の倦怠を誘うばかりである。知的尖鋭感(intellectual edge)を失わぬためには、「その道の達人」としてのゴールに行き着くことばかり見据えずに、「未知なる道」を旅するプロセス&新発見に接しての子供っぽい喜びと興奮を、常に追い求める永遠の旅人でなければならぬ・・・「馴れたらおしまい」、それが「学習」であり、広義には「人生」もまた然り、であろう。
「なる」はまた「萎る・褻る」とも書き、これは「(衣類や道具類が)長期間の使用によって使う者の身体の一部のごとく馴染む」の肯定的意味と同時に、「経年変化で摩滅・劣化する」の残念な様態をも表わす。「ごわごわ」感が薄らぎ、「しっくり」くる頃合いを過ぎれば、やがて「よれよれ」になるのが衣類の宿命である;が、「知的道具」としての「頭脳」や「感性」は、使用者が意志的に磨きをかけることで、永遠の鋭角を保つことが出来るのだ。常に新たな知的地平に挑み、「こわごわ」とした探索をやめぬ挑戦意欲を失うことなく「習いつつ、馴れぬ」生き様を貫きたいものである。
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