▲ | ▼ [510] きんだち【公達・君達】〔名〕
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きんだち【公達・君達】
《人への敬称としての「君」に、敬意を込めた複数語尾の「達」を付けた「きみたち」の撥音便形で「きむだち」とも書く。元来は複数形だが、単数で用いられる場合もある。平家一門の子息=「公達」/源氏一門の子息=「御曹司」という使い分けも覚えておきたい。》
〔名〕
(1) 〈(単複両用で)上流貴族の男子(稀に女子)を指す。特に、平氏の男子。(源氏の「御曹司」に対する呼称)〉 上流階層の御子息(稀に娘)。貴公子。御曹司。良家の娘さん。深窓の御令嬢。 (2) 〈(天皇以外の)皇族の高貴な方々。〉 皇孫。皇子。親王。諸王。 (3) 〈(代名詞的に用いて)(単複両用で)眼前の相手を敬って呼ぶ語。〉 あなたがた。貴方様。諸君。みなさん。
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〔名〕
(1) 〈(単複両用で)上流貴族の男子(稀に女子)を指す。特に、平氏の男子。(源氏の「御曹司」に対する呼称)〉 上流階層の御子息(稀に娘)。貴公子。御曹司。良家の娘さん。深窓の御令嬢。 (2) 〈(天皇以外の)皇族の高貴な方々。〉 皇孫。皇子。親王。諸王。 (3) 〈(代名詞的に用いて)(単複両用で)眼前の相手を敬って呼ぶ語。〉 あなたがた。貴方様。諸君。みなさん。
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複数化接尾語の階層分化
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-立派な「人達」-
古語の「きんだち」は「君達」あるいは「公達」と表記し、「貴公子」(特に、平清盛の子息の平氏一門)を指す。
「きんだち」がこの種の「高い位の人々」を指すことからもわかるように、接尾語「達」には「複数」の意味と同時に「尊敬」の念が含まれることに注意したい。
-そこいらの「者共」-
一方、似たような複数の接尾語でも「ども(共)」ともなると「敬意」より「軽蔑」の響きが宿る場合さえある。このあたりの使い分けは古文では結構シビアで、紫式部も『源氏物語』の中で次のように書き分けている:
「行ひ人<ども>に、錦、絹、袈裟、衣など、すべて一領のほどづつ、あるかぎりの大徳<たち>に賜ふ。」(橋姫)
(仏教の修行者<の連中>には、にしき、きぬ、けさ、ころも等を寄進し、その場に居合わせた徳の高い僧侶<の皆様>には全員、一揃いずつを寄進した)
この一段低い「ども」の語感は「身ども(=この私め)」なる謙譲表現(複数表現ではない)にも表われているし、現代日本語でも「私<ども>といたしましては、今回の事態を深刻に受け止めておりまして・・・」などと恐縮する場面には「私たち」は相応しくないあたりからしても、時代を超えて脈々と日本語の中に受け継がれていることがわかる。
-親しき「我ら」-
また、肉親やそれに類する近しい間柄で親しみを込めて使われるのが「ら(等)」であって、これは「私達の母校」より「我等が母校」の方が何となく親近感を演出できるあたりからも感じ取れるであろう。「僕らの仲間」・「ウチらの掟」・「君らのレベル」、いずれも「軽侮」すれすれの親密度を持った「飾らぬ複数形」である。
次の歌では、「ら」が、複数語尾ではなく、軽い謙譲記号として働いている:
「憶良<ら>は今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ」『万葉集』三・三三七・山上憶良
(さぁ、私め憶良としましては、そろそろ退散いたしましょう。子供も父の私がなかなか帰って来ないので泣いていることでしょうし、母親も夫である私を待っていることでしょうし、ね)
-十把一絡で「これなど」いかが?-
複数化接尾語としての「など」は、幾多の類例が想定できる中からポンと適当に一つ摘み出す感じで添えられる語だけに、そこには常にぞんざいな感じの軽さが付きまとう。「ダイエット<など>なに試してもみな同じ。一月たったらリバウンド!」みたいな感じの投げやり感が「など」の隠し味であって、その軽蔑調を更に強めたければ「なんぞ」や「なんざ」・「なぞ」を使って書けば、もっと捨て鉢な感じを演出できる:「ダイエット<なんぞ>なに試してもみな同じ。数倍たっぷりリバウンド!」。
-「君こそ」ともだち?「こなくそ」挑発?-
古語にはまた、自分と対等かそれ以下の相手に向かっての「名詞+こそ」なる親密演出表現がある。相手への呼びかけに用いられる語であり、この種の語(例:「あなた」・「そなた」・「こなた」)の例に漏れず、その語源は「此(こ=here)」+「そ(係助詞ぞ古形)」であって、話者に近い場所に存在している相手に向かっての語であるから、「あ+なた=やや遠い<あっち>にいる人」や「そ+なた=目の前の<そっち>にいる人」に対するよりも親密度は高くなる、という仕組みである。
ところがこの「こそ」、今なお係助詞としては生き残っているものの、上記の間投助詞としては現代日本語には引き継がれず死語と化してしまった。恐らくは、その「こそ」が化けた変化形があまりにもバッチぃ響きでありすぎたせいでどっかに流されてそれっきりになってしまったものと思われる・・・その変化形は(!なんと!)「くそ」なのである・・・例えば「此花(このはな)」さんとかいう愛称の女性に向かって親しげに「さぁ、お食べ」と呼びかける場合など:
「此花こそ、召し上がれ」
・・・となるわけであるが、「こそ」こそ受け入れられる形ながら、この「こそ」が「くそ」に化けたら・・・
「このはなくそ、召し上がれ」
・・・何とも食えない表現になってしまうわけだ。これでは下水に流してどっかに消しちゃいたくなるのも当然だろう。
ところが、このこきたない感じの表現、実は形を変えて、現代日本語の中にも残っているのである。その宿便的な言い回しは、これだ ― 「こなくそ!」・・・別に、古典時代の「くそ」を粉末状に砕いて数百年ものあいだ保存していたわけではない。ここでの「こな」は、「粉」ではなくて「其処な(そこな)」の化けたものである。その原型を分析的に解釈すれば「其処(・・・眼前の場所)+な(・・・に存在する)+くそ=こそ(・・・此そ=自分と同等かそれ以下の社会的階層に位置すると感じられる他者)」である。畏敬する相手との間には距離を置くのが古典時代の意識であるから、「自分と同じ所にいるオマエ」は、敬意も遠慮も何もなく、ただひたすら挑発的な吐き捨て表現であることがわかるだろう。
それが「こなくそ!=この野郎!」の履歴書である・・・が、正統なる言語学的来歴よりも、恣意的な見た目(or聞いた耳)の感覚で事を処理する日本人の手にかかれば、この表現は当然、次のように化けるのくこそくふさわしい ― 「このクソ野郎!」
古語の「きんだち」は「君達」あるいは「公達」と表記し、「貴公子」(特に、平清盛の子息の平氏一門)を指す。
「きんだち」がこの種の「高い位の人々」を指すことからもわかるように、接尾語「達」には「複数」の意味と同時に「尊敬」の念が含まれることに注意したい。
-そこいらの「者共」-
一方、似たような複数の接尾語でも「ども(共)」ともなると「敬意」より「軽蔑」の響きが宿る場合さえある。このあたりの使い分けは古文では結構シビアで、紫式部も『源氏物語』の中で次のように書き分けている:
「行ひ人<ども>に、錦、絹、袈裟、衣など、すべて一領のほどづつ、あるかぎりの大徳<たち>に賜ふ。」(橋姫)
(仏教の修行者<の連中>には、にしき、きぬ、けさ、ころも等を寄進し、その場に居合わせた徳の高い僧侶<の皆様>には全員、一揃いずつを寄進した)
この一段低い「ども」の語感は「身ども(=この私め)」なる謙譲表現(複数表現ではない)にも表われているし、現代日本語でも「私<ども>といたしましては、今回の事態を深刻に受け止めておりまして・・・」などと恐縮する場面には「私たち」は相応しくないあたりからしても、時代を超えて脈々と日本語の中に受け継がれていることがわかる。
-親しき「我ら」-
また、肉親やそれに類する近しい間柄で親しみを込めて使われるのが「ら(等)」であって、これは「私達の母校」より「我等が母校」の方が何となく親近感を演出できるあたりからも感じ取れるであろう。「僕らの仲間」・「ウチらの掟」・「君らのレベル」、いずれも「軽侮」すれすれの親密度を持った「飾らぬ複数形」である。
次の歌では、「ら」が、複数語尾ではなく、軽い謙譲記号として働いている:
「憶良<ら>は今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ」『万葉集』三・三三七・山上憶良
(さぁ、私め憶良としましては、そろそろ退散いたしましょう。子供も父の私がなかなか帰って来ないので泣いていることでしょうし、母親も夫である私を待っていることでしょうし、ね)
-十把一絡で「これなど」いかが?-
複数化接尾語としての「など」は、幾多の類例が想定できる中からポンと適当に一つ摘み出す感じで添えられる語だけに、そこには常にぞんざいな感じの軽さが付きまとう。「ダイエット<など>なに試してもみな同じ。一月たったらリバウンド!」みたいな感じの投げやり感が「など」の隠し味であって、その軽蔑調を更に強めたければ「なんぞ」や「なんざ」・「なぞ」を使って書けば、もっと捨て鉢な感じを演出できる:「ダイエット<なんぞ>なに試してもみな同じ。数倍たっぷりリバウンド!」。
-「君こそ」ともだち?「こなくそ」挑発?-
古語にはまた、自分と対等かそれ以下の相手に向かっての「名詞+こそ」なる親密演出表現がある。相手への呼びかけに用いられる語であり、この種の語(例:「あなた」・「そなた」・「こなた」)の例に漏れず、その語源は「此(こ=here)」+「そ(係助詞ぞ古形)」であって、話者に近い場所に存在している相手に向かっての語であるから、「あ+なた=やや遠い<あっち>にいる人」や「そ+なた=目の前の<そっち>にいる人」に対するよりも親密度は高くなる、という仕組みである。
ところがこの「こそ」、今なお係助詞としては生き残っているものの、上記の間投助詞としては現代日本語には引き継がれず死語と化してしまった。恐らくは、その「こそ」が化けた変化形があまりにもバッチぃ響きでありすぎたせいでどっかに流されてそれっきりになってしまったものと思われる・・・その変化形は(!なんと!)「くそ」なのである・・・例えば「此花(このはな)」さんとかいう愛称の女性に向かって親しげに「さぁ、お食べ」と呼びかける場合など:
「此花こそ、召し上がれ」
・・・となるわけであるが、「こそ」こそ受け入れられる形ながら、この「こそ」が「くそ」に化けたら・・・
「このはなくそ、召し上がれ」
・・・何とも食えない表現になってしまうわけだ。これでは下水に流してどっかに消しちゃいたくなるのも当然だろう。
ところが、このこきたない感じの表現、実は形を変えて、現代日本語の中にも残っているのである。その宿便的な言い回しは、これだ ― 「こなくそ!」・・・別に、古典時代の「くそ」を粉末状に砕いて数百年ものあいだ保存していたわけではない。ここでの「こな」は、「粉」ではなくて「其処な(そこな)」の化けたものである。その原型を分析的に解釈すれば「其処(・・・眼前の場所)+な(・・・に存在する)+くそ=こそ(・・・此そ=自分と同等かそれ以下の社会的階層に位置すると感じられる他者)」である。畏敬する相手との間には距離を置くのが古典時代の意識であるから、「自分と同じ所にいるオマエ」は、敬意も遠慮も何もなく、ただひたすら挑発的な吐き捨て表現であることがわかるだろう。
それが「こなくそ!=この野郎!」の履歴書である・・・が、正統なる言語学的来歴よりも、恣意的な見た目(or聞いた耳)の感覚で事を処理する日本人の手にかかれば、この表現は当然、次のように化けるのくこそくふさわしい ― 「このクソ野郎!」
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