▲ | ▼ [207] いみじ【いみじ】〔形シク〕
■
〈A〉
いみじ【いみじ】
《名詞「忌み」の形容詞化だが、原義たる「聖なるもの・不浄のものを忌避する」感覚は薄く、「極端に悪い」または「極端に良い」という両極端の程度の甚だしさを力説する語なので、脈絡を読んで肯定的/否定的の方向性に応じて訳語を考える必要がある。》
〔形シク〕 {じから・じく/じかり・じ・じき/じかる・じけれ・じかれ}
(1) 〈(しばしば連用形「いみじく」またはウ音便「いみじう」を副詞的に用いて)程度が甚だしいことを示す。〉 並々ならず。たいそう。甚だしく。著しく。激しく。非常に。すごく。とても。 (2) 〈(肯定的に強調する形で)賞賛や喜びの気持ちを表わす。〉 素晴らしい。嬉しい。見事だ。優秀だ。喜ばしい。めでたい。 (3) 〈(否定的に強調する形で)困惑・非難・悲嘆・恐怖などの気持ちを表わす。〉 大変だ。ひどい。悲しい。恐ろしい。どうしようもない。とんでもない。けしからぬ。情けない。むごい。辛い。あわれだ。可哀想だ。惨めだ。
presented by http://fusau.com/
〔形シク〕 {じから・じく/じかり・じ・じき/じかる・じけれ・じかれ}
(1) 〈(しばしば連用形「いみじく」またはウ音便「いみじう」を副詞的に用いて)程度が甚だしいことを示す。〉 並々ならず。たいそう。甚だしく。著しく。激しく。非常に。すごく。とても。 (2) 〈(肯定的に強調する形で)賞賛や喜びの気持ちを表わす。〉 素晴らしい。嬉しい。見事だ。優秀だ。喜ばしい。めでたい。 (3) 〈(否定的に強調する形で)困惑・非難・悲嘆・恐怖などの気持ちを表わす。〉 大変だ。ひどい。悲しい。恐ろしい。どうしようもない。とんでもない。けしからぬ。情けない。むごい。辛い。あわれだ。可哀想だ。惨めだ。
presented by http://fusau.com/
■
「神聖」と「不浄」の両極端のimageで突き抜けちゃった【いみじ】
———-
論理よりも感覚に走ることの多い日本語の中でも、極めて日本語らしい展開を経て「超~~**!」の突き抜け言辞として古文で乱発されたのが「いみじ」(形容詞)&「いみじう」(副詞)である。
語源的には「いみじ」はまず「忌み(いみ)」に発する。「忌引き(きびき (×)いびき)」の形でその宗教的色彩は現代にもなお残る語であるが、それは亡くなった誰かの「死の穢れを忌避」するのが目的で当面の社交活動を自粛する行為であって、「死者の霊を慰める」ことが目的ではない。
この「忌み」とは正反対に、「神聖にして超絶的なるもの」を前にして「恐れ多くて触れられない」という敬遠の心情を意味する「斎み(いみ)」もまた、「いみじ」の中には含まれている。
こうした「不浄/清浄」双方の「忌み/斎み」を意味する「いみじ」は、それゆえに、「ひどく悪い」&「大変素晴らしい」の両極端を行き来する語となったわけである。受験生としては、脈絡を頼りに「ケナシ」か「ホメ」かを見極めねばならぬ厄介な(できれば「忌避」したい)古語というわけだ。
そうして、この「最低!」と「最高!」が、一切の論理的判断を度外視した感情的叫びとして用いられる性質は、昔も今も同じである・・・そこから、「いみじ」の連用形「いみじく」やそのウ音便「いみじう」が、「そりゃあもう***ったらないのさ!」(Absolutely, Totally, Simply, etc, etc.)なる副詞として用いられることにもなったわけである。
ちなみに、現代日本語に於いて辛うじて残る「いみじ」の末裔は、副詞形の「いみじくも」のみであり、その意味は「実に見事な表現で描写したことには」である。誉め言葉であるから「斎み」系とは言えるが、原初の宗教的畏怖はどこかに消し飛んだ感じのこの表現、筆者なら、その絵画的描写力のもにゃもにゃした巧みさに敬意を表して「image(イミッジ)雲」あたりのイメージ当て字で表現したいところである・・・え?それって横文字じゃん/仮名漢字変換入ってるじゃん、って?・・・いいじゃん、意味は通じるし、どうせ感覚語なんだし、日本語なんて所詮えぇ加減な横滑り言語なんだからさー。
語源的には「いみじ」はまず「忌み(いみ)」に発する。「忌引き(きびき (×)いびき)」の形でその宗教的色彩は現代にもなお残る語であるが、それは亡くなった誰かの「死の穢れを忌避」するのが目的で当面の社交活動を自粛する行為であって、「死者の霊を慰める」ことが目的ではない。
この「忌み」とは正反対に、「神聖にして超絶的なるもの」を前にして「恐れ多くて触れられない」という敬遠の心情を意味する「斎み(いみ)」もまた、「いみじ」の中には含まれている。
こうした「不浄/清浄」双方の「忌み/斎み」を意味する「いみじ」は、それゆえに、「ひどく悪い」&「大変素晴らしい」の両極端を行き来する語となったわけである。受験生としては、脈絡を頼りに「ケナシ」か「ホメ」かを見極めねばならぬ厄介な(できれば「忌避」したい)古語というわけだ。
そうして、この「最低!」と「最高!」が、一切の論理的判断を度外視した感情的叫びとして用いられる性質は、昔も今も同じである・・・そこから、「いみじ」の連用形「いみじく」やそのウ音便「いみじう」が、「そりゃあもう***ったらないのさ!」(Absolutely, Totally, Simply, etc, etc.)なる副詞として用いられることにもなったわけである。
ちなみに、現代日本語に於いて辛うじて残る「いみじ」の末裔は、副詞形の「いみじくも」のみであり、その意味は「実に見事な表現で描写したことには」である。誉め言葉であるから「斎み」系とは言えるが、原初の宗教的畏怖はどこかに消し飛んだ感じのこの表現、筆者なら、その絵画的描写力のもにゃもにゃした巧みさに敬意を表して「image(イミッジ)雲」あたりのイメージ当て字で表現したいところである・・・え?それって横文字じゃん/仮名漢字変換入ってるじゃん、って?・・・いいじゃん、意味は通じるし、どうせ感覚語なんだし、日本語なんて所詮えぇ加減な横滑り言語なんだからさー。
———-
コメント (1件)