はづかし【恥づかし】〔形シク〕

   [1141] はづかし【恥づかし】〔形シク〕

〈A〉 はづかし【恥づかし】
《現代語と同様、他者と比較した場合の自身の劣位性を自覚する「恥」の感情が基本であるが、古語の場合、自分を恥じ入らせるほどに立派な相手への「賞賛」の念に転じる場合が多い点に要注意。》
〔形シク〕 {しから・しく/しかり・し・しき/しかる・しけれ・しかれ}
  (1) 〈(誰かが)周囲を圧倒するほどに卓越している。また、(自分が)他人の凄さに劣等感を抱く。〉 素晴らしい。気後れがする。参った。脱帽である。圧倒的に凄い。   (2) 〈(自身の欠点や失態を思って)恥ずかしい。また、(他人の欠点や失態が)直視にえぬ。〉 恥ずかしい。無様だ。面目ない。嫌になる。見ちゃいられない。   (3) 〈とりたてて理由もないのに恥ずかしい。〉 照れ臭い。気恥ずかしい。気が引ける。もじもじする。こっぱずかしい。
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知らねば【恥づかし】その真意
 視点・観点の違い一つで、人はずいぶん色々こっ恥ずかしい失態を演じるものであるが、古語の「恥づかし」はその名に恥じず、幾多の「恥ずかしき受験生たち」をすっ転ばせ続けてきたバナナの皮みたいなやつである。
 現代日本語の「恥ずかしい」は、「自分が恥ずかしい」/「相手が恥ずかしい」双方の意味を含むが、その「恥ずかしい<主語>」に「恥ずべき何かがある=ポイント低くて、とほほのほ」が特徴である。
 この種の「恥づかし」は古語にもあるが、古語特有のもう一つの語義として要注意なのが「恥づかしき<主語>」には「恥ずべき何もない」場合である:「恥」どころか「誉れ高き何か」が相手側にあって、それを目の当たりにしたこっち側が「相手はあれほど素晴らしい・・・それに引き替え、この自分ときたら、何とまぁ"恥ずかしい"ことよ」という図式を見事取り違えて、大方の不勉強な受験生はスッテンコロりん、恥かいて失点してヘタすりゃ落第のオマケつき、という次第・・・この種の恥は、受験勉強段階で卒業しておかねば、受験生段階そのものをなかなか卒業できなくなる(=浪人生としてのキャリアを無意味に積み重ねることになる)・・・から、ここでしっかりと注意を促しておくことにしたい。
 ついでに言えば、「相手に恥の意識を与えるほどの、圧倒的な素晴らしさ」というのは、悪くはないが、その種の威圧感を伴うまでの長所というものは往々にして他者を遠ざけるものである。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言うであろう?古典時代の人々にもこの種のバランス意識はあったようで、古語にはもう一つ面白いやつがあるので「はづかし」ついでに紹介しておこう:「あなづらはし」がそれである。字義通りに言えば「侮ってかまわない/思わず軽く見ちゃう感じだ」となって、これだけでは相手をナメるばかりのおちょくり語でしかないが、先の「恥づかし」との対照の図式に於いて捉えれば、「こちらが気後れするほど凄い相手でもない・・・から、気楽に構えて付き合い易い」というわけだ。
 コンピュータのごとく機械的な成績判定だけを相手にすればよいのなら、人間は優秀であればあるほど素晴らしい、ということになるであろう;が、絶対値としての成績のみを客観的に評価することなどむしろ稀で、「自分vs.外界」という相対的優劣の構図の中でばかり物事を判定する主観的特性と縁の切れない人間たち(純粋な論理性から見ればこれは恥ずべき様態だが、良かれ悪しかれそれこそが「人間的」なのだ)を相手にする時には、「過ぎたるは及ばざるが如し」の理に鑑みて「能あるは爪を隠す」のもまた「"人間的"に賢い」やり方というもの。
 自分自身の本源的優秀性に自信があるからこそ、「はづかし」を捨てて自ら積極的に「あなづらはし」の水準にまで降りて行くタカだって、世の中にはいたりするのである。ハトやスズメがタカを気取っても(悪い意味で)「はづかし/あなづらはし」いばかりだが、鋭い爪を隠したタカが平和なハト群れに埋もれても「ホントの自分はこんなもんじゃない!」などと抗議の声を上げるでもなく泰然自若を貫ける。漫画の中でも、超絶的なスーパーヒーローの多くは、変身前には冴えない仮の姿を粛々と演じているであろう?本物は、自分の真価を他者にひけらかさない:自分がそれを知っておればそれだけで十分なのだし、自分の真価を知るほどの素晴らしい仲間は、世の中にそうそう多くはないことを知ってもいるのである。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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