▲ | ▼ [1420] よばふ【呼ばふ・婚ふ】〔他ハ四〕
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〈B〉
よばふ【呼ばふ・婚ふ】
《「呼ぶ」の未然形に反復性の「ふ」を付け、文字通りには「(注意を引くため)繰り返し呼ぶ」の意だが、男が愛する女の名を繰り返し呼ぶことから「求婚する」の意で用いる場合が(「妻問婚」の時代には)多い(後代には禁断の色彩を帯び、「夜這ふ」なる艶っぽい宛字も生まれた)。》
〔他ハ四〕 {は・ひ・ふ・ふ・へ・へ}
(1) 〈(相手の注意をこちらに引き付けるために)繰り返し呼ぶ。〉 何度も呼ぶ。連呼する。 (2) 〈(男が女に)繰り返し恋人または妻になってくれるよう求める。〉 言い寄る。求婚する。口説く。
presented by http://fusau.com/
〔他ハ四〕 {は・ひ・ふ・ふ・へ・へ}
(1) 〈(相手の注意をこちらに引き付けるために)繰り返し呼ぶ。〉 何度も呼ぶ。連呼する。 (2) 〈(男が女に)繰り返し恋人または妻になってくれるよう求める。〉 言い寄る。求婚する。口説く。
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【呼ばふ】と【夜這ふ】の時代背景
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-「言霊思想」と「名」の関係-
既に「言ふ」の箇所で書いたことだが、古典時代の女性は自分の「本名」を滅多なことでは(肉親以外には)知らせたりしない。「名」を呼ぶことは、その名に宿る「霊」に呼び掛けることであり、そうした言葉に宿る霊威(=言霊:ことだま)への畏怖の念が残っていた中古の女性が、自らの「名」を呼ぶことを許す相手とは、即ち自らの「心」(&身体)をも許す相手、ということになる・・・古語の「言ふ」に「求愛・求婚」という濃密なる意味が宿った所以である。
-「呼ばふ」の反復性の意味するもの-
同様の事情から、「呼ばふ」=「相手の名を幾度も呼ぶ」もまた、女性への男性からの求愛行動を意味するのが古典時代の特性である。こちらの語には、その「反復性=ふ」によって「求婚」の色彩が更に濃密になる、という特性がある。
平安時代までの日本は、現代のような「一夫一婦制」ではなく、「一夫多妻制」であった。男性は、結婚相手の女性を一人だけに限定せず、複数の女性を妻とした。そして、妻となった女性と、夫は同居することもなかった。夜だけ、愛の営みを交わすためにのみ、男は女のもとへと通ったのである。それが「妻問婚(つまどいこん)」と呼ばれる古典時代の結婚生活の形態であった。女はただひたすら、男の訪問を待つだけの受動的立場であり、授かった子種をこの世に産み落とすまでは自分の仕事だが、我が子を育てる役割は「乳母(めのと)」に委ねることが多かったし、最初の頃に通ってきてくれたきりで、以後すっかり御無沙汰になってしまう夫も、世の中には多かった・・・なにせ、「妻」は、彼女一人だけとは限らないのだから・・・古典的文物に「待つ身の女の辛さ」を嘆くものが多いのも、むべなるかな、である。
実に何とも一方的に男性側にとってのみ都合のよい社会制度に思われるであろう;が、この種の制度が一方の当事者(夫)側にとってのみ一方的に有利に機能するものでしかないなら、永続する道理もない。妻となる女性側(否、正確に言えば、妻の実家の側)にとってもそれなりの効用はあったからこそ、平安時代全般を通じてこの制度は続いたのである。整理すれば、次のような損得勘定の上に成立していた互恵的関係が、平安時代の「妻問婚」だったのである:
A)女性の家・・・「夫」との間に「男子」が生まれたら、その子の社会的地位(官位等)は、夫の社会的勢力の七光りの形で引き継ぎ、家門の繁栄を図る。
B)男性個人・・・「妻」の実家の経済力を、自分達夫婦の結婚生活の財務基盤とするとともに、自らの社会的活動の支持基盤としても使わせてもらう。
こうした「give & take:取ったり与えたり」のバランスの上に初めて成り立つ「妻問婚」であるから、「財務基盤の弱い家の女」や、「社会的地位の低い男」は、当然、アブれることになる。まぁ、それでも「恋愛」を禁じられるというわけではないし、愛し合った結果として「子供」ができることも当然あったろう・・・が、なにせ「一夫多妻制」であるから、一人の女性と結ばれたからといって男が彼女のみに誠意を尽くすとは限らなかったし、逆に女性側もまた、一人の男性に操を立てる義理などなく、より社会的地位の高い男との縁が望めれば当然これに乗り換えてしまった「競争的恋愛」の時代だったのである・・・恋愛自由度の高さは、悲恋発生率の高さと、当然の相関関係を成していたわけだ。
-男と女はいつ夫婦になるの?-
そうした時代にあって、男性と女性との婚儀は、「子供の誕生」というようなわかりやすい形で明らかになる場合もあったが、形式的には「妊娠・出産」まで悠長に待っているわけにも行かなかったから、便宜上、次のような形を満たせば「婚儀成立」となったらしい:
◆同じ女性のもとに、続けて三晩、男が通えば、結婚の意思あり、とみなして目出度く夫婦関係成立。
必ずしも「三日連続」というわけではなく、散発的でない連続的訪問が一定の律儀さで続けば、という感じだったらしい。また、社会的階層が下になると、逢瀬の定期性などという統計学的証拠に拠らずとも「私達はもう夫婦」ということになった、とも言われている。
そんな訳で、男が女の名を「呼ぶ」ならぬ反復性の「呼ばふ」は、その逢瀬の頻度を物語る性質が「求婚」へと結び付くわけである。
-「名」なんて知られて当たり前、の時代には-
こうした平安時代までの事情とはまるで異なるのが、近世(江戸時代あたり)の「よばひ」である。整理すれば:
1)「言霊思想」の霊威は失われた。
・・・ので、女性の「名」はもはや秘密でも何でもなくなり、誰もに知られ、平然と口に出されることとなった。つまり、女の名を「言ふ」だの「呼ぶ」だのは、特別な立場にある男性だけの特権でも何でもなくなり、その艶っぽい意味合いも色褪せたわけである。
2)「一夫多妻制」も「妻問婚」も消え失せて、「一夫一婦制」で「夫婦同居」の時代となった。
・・・妻に向かって何度も何度もその名を「呼ばふ」など、新婚当初以外はまずあり得ない、というのが21世紀の現代に至るまでの夫婦同居生活の現実というもの。大方の夫婦は、「おーぃ」と「なにょ」ぐらいの「阿吽の呼吸」で「名を呼ぶ」こともなしに生活できてしまったりするのだから、「呼ばふ」も何もあったものではない。
3)徳川幕藩体制下では、確立された社会秩序を安定的に維持するため、「儒教道徳」が下々に至るまで徹底され、「浮気」は厳しく戒められた。
・・・夫婦間の不実であれ、家臣から主君への忠義の欠落であれ、とにかく「約束を交わした相手への裏切り」は絶対悪、という時代である。こんな時代に「愛しい相手の名を何度も呼ぶ」とか「ちょくちょくその相手のいる場所を訪問する」とかの場面は、当然、「妻ならぬ女性」との道ならぬ恋愛場面に傾くわけである。こうした不倫は、白昼堂々と行なわれる筋合いのものではなかったから、人目を盗んで男が女のもとに密かに通って愛の営みを交わす(近世的には)禁断の訪問の様態を表わすのに、江戸時代の人々は「呼ばふ」ならぬ「夜這ふ」の宛字を用いたわけである。例によって横滑り語ではあるが、これはこれでなかなかに洒脱な言葉遊びとして評価してもよい語であろう(・・・社会学的にはともかく、言語学的には、である)。
儒教道徳もへったくれもない21世紀の現代に至るまで、「よばい」と言えばこのお江戸言葉の「夜這い」であり、そこには妙な後ろ暗さに満ちた淫猥な印象が付きまとうが、古典時代の「呼ばひ」にはその種の気配はないことを、古文読みとしては銘記しておく必要がある。
既に「言ふ」の箇所で書いたことだが、古典時代の女性は自分の「本名」を滅多なことでは(肉親以外には)知らせたりしない。「名」を呼ぶことは、その名に宿る「霊」に呼び掛けることであり、そうした言葉に宿る霊威(=言霊:ことだま)への畏怖の念が残っていた中古の女性が、自らの「名」を呼ぶことを許す相手とは、即ち自らの「心」(&身体)をも許す相手、ということになる・・・古語の「言ふ」に「求愛・求婚」という濃密なる意味が宿った所以である。
-「呼ばふ」の反復性の意味するもの-
同様の事情から、「呼ばふ」=「相手の名を幾度も呼ぶ」もまた、女性への男性からの求愛行動を意味するのが古典時代の特性である。こちらの語には、その「反復性=ふ」によって「求婚」の色彩が更に濃密になる、という特性がある。
平安時代までの日本は、現代のような「一夫一婦制」ではなく、「一夫多妻制」であった。男性は、結婚相手の女性を一人だけに限定せず、複数の女性を妻とした。そして、妻となった女性と、夫は同居することもなかった。夜だけ、愛の営みを交わすためにのみ、男は女のもとへと通ったのである。それが「妻問婚(つまどいこん)」と呼ばれる古典時代の結婚生活の形態であった。女はただひたすら、男の訪問を待つだけの受動的立場であり、授かった子種をこの世に産み落とすまでは自分の仕事だが、我が子を育てる役割は「乳母(めのと)」に委ねることが多かったし、最初の頃に通ってきてくれたきりで、以後すっかり御無沙汰になってしまう夫も、世の中には多かった・・・なにせ、「妻」は、彼女一人だけとは限らないのだから・・・古典的文物に「待つ身の女の辛さ」を嘆くものが多いのも、むべなるかな、である。
実に何とも一方的に男性側にとってのみ都合のよい社会制度に思われるであろう;が、この種の制度が一方の当事者(夫)側にとってのみ一方的に有利に機能するものでしかないなら、永続する道理もない。妻となる女性側(否、正確に言えば、妻の実家の側)にとってもそれなりの効用はあったからこそ、平安時代全般を通じてこの制度は続いたのである。整理すれば、次のような損得勘定の上に成立していた互恵的関係が、平安時代の「妻問婚」だったのである:
A)女性の家・・・「夫」との間に「男子」が生まれたら、その子の社会的地位(官位等)は、夫の社会的勢力の七光りの形で引き継ぎ、家門の繁栄を図る。
B)男性個人・・・「妻」の実家の経済力を、自分達夫婦の結婚生活の財務基盤とするとともに、自らの社会的活動の支持基盤としても使わせてもらう。
こうした「give & take:取ったり与えたり」のバランスの上に初めて成り立つ「妻問婚」であるから、「財務基盤の弱い家の女」や、「社会的地位の低い男」は、当然、アブれることになる。まぁ、それでも「恋愛」を禁じられるというわけではないし、愛し合った結果として「子供」ができることも当然あったろう・・・が、なにせ「一夫多妻制」であるから、一人の女性と結ばれたからといって男が彼女のみに誠意を尽くすとは限らなかったし、逆に女性側もまた、一人の男性に操を立てる義理などなく、より社会的地位の高い男との縁が望めれば当然これに乗り換えてしまった「競争的恋愛」の時代だったのである・・・恋愛自由度の高さは、悲恋発生率の高さと、当然の相関関係を成していたわけだ。
-男と女はいつ夫婦になるの?-
そうした時代にあって、男性と女性との婚儀は、「子供の誕生」というようなわかりやすい形で明らかになる場合もあったが、形式的には「妊娠・出産」まで悠長に待っているわけにも行かなかったから、便宜上、次のような形を満たせば「婚儀成立」となったらしい:
◆同じ女性のもとに、続けて三晩、男が通えば、結婚の意思あり、とみなして目出度く夫婦関係成立。
必ずしも「三日連続」というわけではなく、散発的でない連続的訪問が一定の律儀さで続けば、という感じだったらしい。また、社会的階層が下になると、逢瀬の定期性などという統計学的証拠に拠らずとも「私達はもう夫婦」ということになった、とも言われている。
そんな訳で、男が女の名を「呼ぶ」ならぬ反復性の「呼ばふ」は、その逢瀬の頻度を物語る性質が「求婚」へと結び付くわけである。
-「名」なんて知られて当たり前、の時代には-
こうした平安時代までの事情とはまるで異なるのが、近世(江戸時代あたり)の「よばひ」である。整理すれば:
1)「言霊思想」の霊威は失われた。
・・・ので、女性の「名」はもはや秘密でも何でもなくなり、誰もに知られ、平然と口に出されることとなった。つまり、女の名を「言ふ」だの「呼ぶ」だのは、特別な立場にある男性だけの特権でも何でもなくなり、その艶っぽい意味合いも色褪せたわけである。
2)「一夫多妻制」も「妻問婚」も消え失せて、「一夫一婦制」で「夫婦同居」の時代となった。
・・・妻に向かって何度も何度もその名を「呼ばふ」など、新婚当初以外はまずあり得ない、というのが21世紀の現代に至るまでの夫婦同居生活の現実というもの。大方の夫婦は、「おーぃ」と「なにょ」ぐらいの「阿吽の呼吸」で「名を呼ぶ」こともなしに生活できてしまったりするのだから、「呼ばふ」も何もあったものではない。
3)徳川幕藩体制下では、確立された社会秩序を安定的に維持するため、「儒教道徳」が下々に至るまで徹底され、「浮気」は厳しく戒められた。
・・・夫婦間の不実であれ、家臣から主君への忠義の欠落であれ、とにかく「約束を交わした相手への裏切り」は絶対悪、という時代である。こんな時代に「愛しい相手の名を何度も呼ぶ」とか「ちょくちょくその相手のいる場所を訪問する」とかの場面は、当然、「妻ならぬ女性」との道ならぬ恋愛場面に傾くわけである。こうした不倫は、白昼堂々と行なわれる筋合いのものではなかったから、人目を盗んで男が女のもとに密かに通って愛の営みを交わす(近世的には)禁断の訪問の様態を表わすのに、江戸時代の人々は「呼ばふ」ならぬ「夜這ふ」の宛字を用いたわけである。例によって横滑り語ではあるが、これはこれでなかなかに洒脱な言葉遊びとして評価してもよい語であろう(・・・社会学的にはともかく、言語学的には、である)。
儒教道徳もへったくれもない21世紀の現代に至るまで、「よばい」と言えばこのお江戸言葉の「夜這い」であり、そこには妙な後ろ暗さに満ちた淫猥な印象が付きまとうが、古典時代の「呼ばひ」にはその種の気配はないことを、古文読みとしては銘記しておく必要がある。
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