いふ【言ふ】〔自ハ四〕〔他ハ四〕

   [184] いふ【言ふ】〔自ハ四〕〔他ハ四〕

〈A〉 いふ【言ふ】
《現代語同様の「口に出して言う」のみならず、「求愛行動としての言い寄り」・「詩歌吟詠」・「流布」・「動物の鳴き声」など多様な語義を持つ古語。》 〔自ハ四〕 {は・ひ・ふ・ふ・へ・へ} 〔他ハ四〕 {は・ひ・ふ・ふ・へ・へ}
  (1) 〈思うことを口に出して表現する。〉 言う。話す。口にする。言葉に出す。発言する。   (2) 〈(多く「・・・と言ふ」の形で)名称が・・・である。〉 ・・・という名の。・・・と称する。・・・と名乗る。・・・と呼ぶ。・・・という。名は・・・である。   (3) 〈広く世間でそのように言われている。〉 する。風評が立つ。・・・との評判である。世に・・・と言われている。   (4) 〈(恋愛目的で)異性に優しい言葉をかける。(結婚を)異性に申し込む、または、約束する。〉 言い寄る。求婚(婚約)する。口説く。求愛する。甘い言葉をかける。言い交わす。   (5) 詩歌を高らかに声に出して読み上げる。〉 吟詠する。朗読する。口ずさむ。うそぶく。   (6) 〈動物が鳴き声を出す。〉 鳴く。声を上げる。
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古典時代に「名」を【言ふ】ということは・・・
 大方は現代語と同じ意味であるが、古語の「言ふ」には決定的に「古典時代らしい」語義がもう一つある ― 「男が、女に、言い寄る」求愛(求婚)系の語義である。
 古典時代の「言ふ」が、そうした重みを持つに至った背景は以下の通りである:
1)「言ふ」の名詞「言(こと)」は、上代までは「事」と不可分の関係にあり、中古以降もなお「もの言ふ」とは即ちその「こと(言)」に宿った「こと(事)」の魂に呼び掛け、事の実現を招くことになるという「言霊(ことだま)思想」が生きていた。
2)愛する相手に「言ふ=言い寄る」ためには「相手の名」を知らねばならない。古典時代の女性は基本的に肉親以外に自らの名を知られたりしない。「言霊思想」が力を持っていた時代には、「自分の名を呼ばせること」=「その名に宿る魂を相手にまれること」であるから、よほど心を許した相手以外には自らの「名」を通して「魂」を掴ませるような真似はしなかったのである。この意味で、女性の「名」を「言ふ」及び「呼ばふ(繰り返し呼ぶ)」ことができる男性は、彼女の心を掴むことを当人から許された存在、ということになる。
-「名前未詳」の’有名’女流作家-
 実際、古典時代の女性は、その「通り名」が知られているのみであって「本名」は不明、という例がほとんどである。古典時代の女性としては最も’著名’であるはずの『源氏物語』著者「紫式部」もその一人であって、彼女の本名は謎のままである(「藤原香子(ふぢはらのかをるこ/かうし)」説などがあるが、単なる類推に基づく仮説であって実証されてはいない)。彼女の通り名の「式部」(宮中出仕当初の名は「藤式部」)とは父(または兄)の官名であり、「藤」は「藤原」、「紫」に至っては彼女自身の筆になる物語の中で「光源氏」に愛された正妻「紫の上」の名のベタな流用である。平安期の女性のほとんどはこのように「身内(多くは父か夫)の官位+実家の名の一部」を通り名としているのみであって、実名は(その近親者以外は)誰も知らないのである。
-「名のある女性」は官位付き-
 が、面白いことに、「紫式部」の一人娘の「大弐三位(だいにのさんみ:999-1082)」は、その本名まで「藤原堅子(ふぢはらのかたいこ/けんし)」と知られている。何故かと言えば、彼女は、藤原道長の娘の嬉子(きし)が産んだ親仁親王(ちかひとしんのう=後の後冷泉天皇)の「乳母(めのと)」として、朝廷から正式の官位(三位)を賜わっているからである。朝廷の公式記録にその名が記載される場合は、当然「本名」が明らかになるわけで、皇室に「妻女」として嫁いだ女性たちの本名が「藤原*子」といった形で後代まで一般に知られているのはそのためである。
-今なお残る「名ぞ謎ゲーム」-
 何ともおかしな話に聞こえるであろうか?しかし、この種の「相手に容易に魂をつかませぬための名伏せ」は、現代に至るまで、日本人には連綿と引き継がれているのである。
 「名字:last name or family name」こそ明治維新直後に続々生まれて以降は(外国人が日本に帰化する場合などの少数の例外を除いては)もはや新たに生まれることもなくなったが、親が思い思いに付ける「名前:first name」の方は日々新たに生まれ続けている・・・その名付けには(例によって!)西欧圏に於けるような「法則性」はほとんど全く存在しない。西欧人の名前(first name)は「聖書」にある「人名列伝」のいずれかに必ず属するものであるから、そこに「どう読むかわからぬ謎の名前」など成立する道理がないのである(last nameの方は必ずしもそうではないが)。しかし日本人の名前の命名に関しては、如何様に付けようとも名付け親の自由自在・・・そして、その自由度の高さを行使する際に、「他人には、読み方を教えてやらない限り、そう簡単には読まれぬナゾナゾ・ネーミング」をする親たちが、21世紀に入った今もなお、かなりの数に上るのだ・・・「言霊思想」は不滅なり、ということであろう。
 論理性が怪しい分、何とも怪しげなオカルト(呪術・魔術)的謎かけ遊びが横行し易い言語学的体質は、日本語/日本人とは切っても切れない間柄、というわけである。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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