【ゆかし】ってどこに行きたいの?

   [566] 【ゆかし】ってどこに行きたいの?
「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.806【ゆかし】
 現代日本語の「おくゆかしい」は「遠慮がち」の意味であり、その語感は「出来れば表舞台に立たずに、奥の方に引っ込んで行きたい」という引っ込み思案なものであるが、古語の「ゆかし」の方向性は全く逆である。
 「ゆかし」は文字通り「行きたい」であるが、どこへ行きたいかと言えば、「対象の奥深くまでぐぐっと分け入って行きたい」のであり、それは「対象があまりに素晴らしく、このまま素通りするには惜しいほどに強い興味を引かれたから」であるから、「積極的に前方に乗り出して行く」表現であって、「消極的に後ずさりする」ものではない。
 この種の「・・・したい」の末尾を持つ語には、「現時点では・・・していない」の意味が必然的に伴うものである。例えば「あたらし(惜し)」の場合、「素晴らしいものであるのに、その価値に相応の高い評価の光を当てられていない・・・だから、そうした高い評価に’当たる’ようにしたい」というところから「おしい、残念だ、もったいない」の意味が生じる。「もとむ(求む)」を根に持ち、「足りない・・・から、’求め’たい」の気持ちが「窮乏している」の意味になるのが「ともし(乏し・・・現代語なら’とぼしい’)」である。このあたり、英語の次の表現にも似ていて、その原理を弁えないと、「窮乏」という現象面を表わす言い回しを、「欲求」という心理面を指すものと取り違えての誤訳に陥ることになる:
英文例)He sheerly wants experience.
和訳)彼は全くの経験不足である。
誤訳)彼は経験を切実に求めている。
 ・・・この「want」は、「be wanting in / be lacking in / be destitute of / be devoid of」の「欠乏状態」を表わすものであって、「・・・が欲しい」という「心理的渇望」を表わすと解釈するのは間違いである。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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