【馴る】うちに【萎る】のが衣類・・・&人類?

   [453] 【馴る】うちに【萎る】のが衣類・・・&人類?
「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.14【慣る・馴る】【萎る・褻る】
 「慣る・馴る」は「習熟」の意を表わすものと見れば誉め言葉ながら、「馴れ合い」と捉えれば貶し文句となる。勝手知ったる学問の道も、極める過程で「熟達」するのはよいけれど、自分の物知り度に自信を増すにつれて、知的向上心がその鮮度を失い、「熟成」の末に「爛熟」に至って惰性的な思い上がりが退廃的悪臭を放つようになると、その人は「知識人」としては(&「人間」としても)もうおしまいである。
 事を「教師」に置き換えても同じことが言える。不慣れな新米教師は指導者としては頼りないが、老練な教師の教え方にも「手練れの業」ならぬ「馴れ合い芸」の淀んだ空気が漂うようになれば、学習者の倦怠を誘うばかりである。知的尖鋭感(intellectual edge)を失わぬためには、「その道の達人」としてのゴールに行き着くことばかり見据えずに、「未知なる道」を旅するプロセス&新発見に接しての子供っぽい喜びと興奮を、常に追い求める永遠の旅人でなければならぬ・・・「馴れたらおしまい」、それが「学習」であり、広義には「人生」もまた然り、であろう。
 「なる」はまた「萎る・褻る」とも書き、これは「(衣類や道具類が)長期間の使用によって使う者の身体の一部のごとく馴染む」の肯定的意味と同時に、「経年変化で摩滅・劣化する」の残念な様態をも表わす。「ごわごわ」感が薄らぎ、「しっくり」くる頃合いを過ぎれば、やがて「よれよれ」になるのが衣類の宿命である;が、「知的道具」としての「頭脳」や「感性」は、使用者が意志的に磨きをかけることで、永遠の鋭角を保つことが出来るのだ。常に新たな知的地平に挑み、「こわごわ」とした探索をやめぬ挑戦意欲を失うことなく「習いつつ、馴れぬ」生き様を貫きたいものである。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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