▲ | ▼ [178] 「かほかたち」と「すがたかたち」【形・容・貌】
「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.1074【形・容・貌】
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「古文単語千五百Mastering Weapon」 No.1074【形・容・貌】
似たようでいて微妙に違う古語は、異質の表現・概念どうし並べて立体的に把握するのが得策である。
「かたち」と「すがた」はどう違う?と聞かれたら、前者は「顔」/後者は「体形」(の美しさ)、と答えるのが正しいが、両者をそのまま単語として覚えておいたのでは、いずれごっちゃまぜになってどっちがどっちかわからなくなる可能性が高い・・・ので、次のような形で覚えておくとよいだろう:
1)「かほかたち:容貌」と「すがたかたち:体形+容貌」を対照的表現として記憶する。
2)「かたちびと」の表わす「美形(ハンサム・美人じゃん)」は「顔の美しさ」を表わし、「ナイスボディ(いぃカラダしてるじゃん)」を意味しないことを覚えておく。
そもそも、古典時代は人前で身体を露出しないのだから、「姿=体形」とは言っても、現代的な「ボディラインの美しさ」は問題にならず、外見的印象の主要素は「衣類」であって「肉体」ではない。
一方、世俗を捨てて仏門に入る「出家」を表わす幾多の表現の一つである「形を変ふ/形変はる」に関しては、「形」が「顔立ち」ではなく「美麗な衣装→地味な僧衣」/「光沢ある毛髪→剃髪して坊主姿」という「全身的外観」に言及している・・・それは何故であろう?・・・答えは、<「姿変ふ/姿変はる」とは言えないから>。
「姿」とは「身に付けた衣服を含めた全身的印象」であるから、「衣類」さえ着替えれば簡単に「姿変はる」わけである;が、それは単なる「衣装替え」や「変装」に過ぎない・・・から、「俗世から仏界への転身」という生活態度そのものの変更を意味するためには「姿変ふ/姿変はる」は不向き・・・となれば、残るは「形変ふ/形変はる」しかなかったわけである。要するに、「すがた」のピンチヒッターとして駆り出された「かたち」であって、日本語が「言葉の原義」に敬意を表さず、場当たり的に横滑りを繰り返す言語であることを示す一例である。
「かたち=顔」ということで言えば、多くの日本人が信じ込んでいる古典時代の迷信に次のようなものがある:「平安時代には、ほっそりとした瓜実顔よりも、ぽっちゃりとした肉付きのよいタイプの女性が美人とされた」・・・本当にそうであろうか?この迷信にはまた、次のようなまことしやかな"根拠"のオマケが付くことが多い:「当時は食糧事情が貧弱だったため、栄養が行き渡っていることを示すタヌキ顔は羨ましがられ、ロクなものが食えてなさそうなキツネ顔は疎まれた」・・・こうなると完全にインチキである。人間の「顔面」は、その人物の栄養学的状況を反映する部位ではない。ボクサーが致死的なまでの減量を重ねでもしない限り(フェザー級の力石徹がバンタム級の矢吹丈と戦うために命を削って2階級分体重を落とした時のような)「顔痩せ」など起こらない。「面長」/「丸顔」は専ら骨格の決するものであって、栄養学的事情とは縁遠いのである。
種明かしをすれば、要は「平安時代の描画手法は、近代美術の観点から見れば実に幼稚で、女性の顔面の豊かな表情を"大雑把な丸顔"以外の"絵になる描き方"で表わす能力を持ち合わせなかった・・・ので、女性は大抵タヌキ顔(=優しさを表わす)で表わされ、柔和な印象を与えるのが困難な細面は"男性の顔(=多少無表情でも意地悪そうでもかまわない)"の専用記号の趣があって、滅多に女性には用いられなかった・・・ので、大方の日本人は、平安時代の美女=丸顔、と思いこむようになった」・・・言語学的表現の緩さと同様、造形美術の稚拙さもまた、多くの日本人の「日本観」に少なからず影響を及ぼしていることは、覚えておいたほうがよい。
「かたち」と「すがた」はどう違う?と聞かれたら、前者は「顔」/後者は「体形」(の美しさ)、と答えるのが正しいが、両者をそのまま単語として覚えておいたのでは、いずれごっちゃまぜになってどっちがどっちかわからなくなる可能性が高い・・・ので、次のような形で覚えておくとよいだろう:
1)「かほかたち:容貌」と「すがたかたち:体形+容貌」を対照的表現として記憶する。
2)「かたちびと」の表わす「美形(ハンサム・美人じゃん)」は「顔の美しさ」を表わし、「ナイスボディ(いぃカラダしてるじゃん)」を意味しないことを覚えておく。
そもそも、古典時代は人前で身体を露出しないのだから、「姿=体形」とは言っても、現代的な「ボディラインの美しさ」は問題にならず、外見的印象の主要素は「衣類」であって「肉体」ではない。
一方、世俗を捨てて仏門に入る「出家」を表わす幾多の表現の一つである「形を変ふ/形変はる」に関しては、「形」が「顔立ち」ではなく「美麗な衣装→地味な僧衣」/「光沢ある毛髪→剃髪して坊主姿」という「全身的外観」に言及している・・・それは何故であろう?・・・答えは、<「姿変ふ/姿変はる」とは言えないから>。
「姿」とは「身に付けた衣服を含めた全身的印象」であるから、「衣類」さえ着替えれば簡単に「姿変はる」わけである;が、それは単なる「衣装替え」や「変装」に過ぎない・・・から、「俗世から仏界への転身」という生活態度そのものの変更を意味するためには「姿変ふ/姿変はる」は不向き・・・となれば、残るは「形変ふ/形変はる」しかなかったわけである。要するに、「すがた」のピンチヒッターとして駆り出された「かたち」であって、日本語が「言葉の原義」に敬意を表さず、場当たり的に横滑りを繰り返す言語であることを示す一例である。
「かたち=顔」ということで言えば、多くの日本人が信じ込んでいる古典時代の迷信に次のようなものがある:「平安時代には、ほっそりとした瓜実顔よりも、ぽっちゃりとした肉付きのよいタイプの女性が美人とされた」・・・本当にそうであろうか?この迷信にはまた、次のようなまことしやかな"根拠"のオマケが付くことが多い:「当時は食糧事情が貧弱だったため、栄養が行き渡っていることを示すタヌキ顔は羨ましがられ、ロクなものが食えてなさそうなキツネ顔は疎まれた」・・・こうなると完全にインチキである。人間の「顔面」は、その人物の栄養学的状況を反映する部位ではない。ボクサーが致死的なまでの減量を重ねでもしない限り(フェザー級の力石徹がバンタム級の矢吹丈と戦うために命を削って2階級分体重を落とした時のような)「顔痩せ」など起こらない。「面長」/「丸顔」は専ら骨格の決するものであって、栄養学的事情とは縁遠いのである。
種明かしをすれば、要は「平安時代の描画手法は、近代美術の観点から見れば実に幼稚で、女性の顔面の豊かな表情を"大雑把な丸顔"以外の"絵になる描き方"で表わす能力を持ち合わせなかった・・・ので、女性は大抵タヌキ顔(=優しさを表わす)で表わされ、柔和な印象を与えるのが困難な細面は"男性の顔(=多少無表情でも意地悪そうでもかまわない)"の専用記号の趣があって、滅多に女性には用いられなかった・・・ので、大方の日本人は、平安時代の美女=丸顔、と思いこむようになった」・・・言語学的表現の緩さと同様、造形美術の稚拙さもまた、多くの日本人の「日本観」に少なからず影響を及ぼしていることは、覚えておいたほうがよい。
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