たまふ【賜ふ・給ふ】〔他ハ四〕〔補動ハ四〕〔他ハ下二〕〔補動ハ下二〕

   [912] たまふ【賜ふ・給ふ】〔他ハ四〕〔補動ハ四〕〔他ハ下二〕〔補動ハ下二〕

〈A〉 たまふ【賜ふ・給ふ】
「魂」「合ふ」(目下の「欲しい」の思いと目上の「やろう」の思いがうまく合致する)に由来するとされる。本動詞/補助動詞双方の用法を持ち、相手を敬う尊敬語(四段活用)の感覚が極めて強い語だが、下二段活用では逆に自分自身を卑下する謙譲語となる。》
〔他ハ下二〕 {へ・へ・ふ・ふる・ふれ・へよ}
  (1) 〈(上代語)「受く」・「もらふ」・「食ふ」・「飲む」の謙譲語。〉 頂戴する。く。わる。   
〔他ハ四〕 {は・ひ・ふ・ふ・へ・へ}
  (1) 〈「与ふ」・「授く」の尊敬語。〉 下さる。お与えになる。 わる。   (2) 〈「す」の尊敬語。〉 お寄越しになる。派遣なさる。おわしになる。   (3) 〈(命令形「たまへ」を代用動詞的に用い、「いざたまへ」・「あなかまたまへ」などの形で)軽い敬意を込めた命令の意を表す。〉 お・・・なさい。・・・してくださいな。お・・・ください。・・・願います。   
〔補動ハ下二〕 {へ・へ・ふ・ふる・ふれ・へよ}
  (1) 〈(会話文・手紙文の中で、「見る」・「聞く」・「思ふ」・「知る」の連用形に続けて)謙譲、または丁寧の意を表わす。(地の文の中では用いない)〉 ・・・でございます。・・・ております。・・・させてきます。・・・なのであります。   
〔補動ハ四〕 {は・ひ・ふ・ふ・へ・へ}
  (1) 〈尊敬の意を表す。〉 ・・・なさる。・・・くださる。お・・・になる。お・・・であられる。
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【たまふ】?【たまふる】?
 「尊敬」が「謙譲」に化けたり、「使役」を「尊敬」のつもりで使ったり、といった古語の敬語のややこしさはここまでにも幾度か指摘してきたが、そうした事例の中で最も有名なものは、次の例であろう:
1)四段活用「たまふ」は「尊敬」の意味の補助動詞である。
2)下二段活用「たまふ」を動詞連用形に続けると「謙譲」の意味になる。
-下二段「たまふ」は「謙譲の補助動詞」?-
 より正確に言えば、「たまふ」を下二段活用して動詞連用形にくっつければそれで「謙譲」の意味になる、というわけではない。「見たまふ」・「聞きたまふ」・「思ひたまふ」・「知りたまふ」あたりの形でのみ使う定型句なのであって、「下二段たまふ=謙譲の補助動詞」というわけではないのだ。
 更に語源学的事情について言えば、「謙譲」の「下二段動詞」としての「たまふ」は、上代に於いて「受く」・「もらふ」・「食ふ」・「飲む」の謙譲語として用いられていた、という事情があり、その根底には「魂(たま)+合ふ=たまあふ・・・’ほしい’という目下の思惑と’やろう’という目上の思惑がうまく’合致’する」の語感があった。
 このように、最初から「下二段で謙譲語(となる例が一部見られる)」という来歴を持っていた「たまふ」であるから、他の幾多の類例に見られるような「尊敬・使役・謙譲等々のごちゃ混ぜ現象」とは一線を画す必要はあるが、日本語の敬語の根源的曖昧さを示すものであることは間違いあるまい。
-下二段「たまふ」の「謙譲」演出作法-
 上で指摘した通り、下二段で謙譲を表わす「たまふ」が付くのは<話者の「見聞」及び「思考」内容を他者に伝える場合>のみに限定される。この種の「ワタシ的にゎー、・・・なワケよ」の自己主張を、日本人は(21世紀の現代に至るまで)あまりあけすけには行ないたがらぬものである。このことは、英語を学べば(かなりの初学者でも)痛感することである:「I think / I believe / I have no doubt / I’m of the opinion that / etc, etc.」といった英語表現を訳すのに、「私は思う/私は信じる/私には何の疑念もない/私としては次の意見である」といった直訳がいかに日本語にしっくり来ない「アクの強さ」を持っていることか、感じぬ日本人がいるとしたら、その人はよほど鈍感な人(or日本語をロクに知らぬうちに英語学習させられてしまった可哀想な言語学的identity喪失者)であろう。これらの表現は、「自分としてはこう思うのであり、自分はこの発言を行なうに際し、それなりの覚悟を込めている」という不退転の心的態度を伴う:英語では「commitment」という適語のある概念だが、日本語には(当然、というべきか)適当な訳語はない:説明的に訳出すれば「入れ込み」あたりになろうが、それもそぐわぬ感じなので、この語を使う日本人は大方「コミットする」などとわかったようなわからぬような例の調子の無国籍語の煙に巻いて無意味な使い散らし方に終始しているが、この種の「コミットメント=自分の発言・行動として、逃げも隠れもせず、はっきり言わせて・やらせてもらってる」という態度を、多少のてらいを込めて和らげる表現として、古典時代の日本人が考えついたのが「下二段としての’たまふ’」ということであろう。
 「こんなこと、はっきり言わせてもらっちゃったりなんかして・・・ゴメンね」的な照れ隠しとして、「下二段たまふ」にはまた、係助詞と絡んだ「係り結び」(「ぞ」・「なむ」と対応すれば「連体形」/「こそ」と呼応すれば「已然形」)で用いる例が多い、という特性もあったことを付け加えておくべきであろう。
のままの「下二段たまふ」例)我、かく<見・聞き・思ひ・知り>たまふ。
◆連体形係り結び「下二段たまふ」例)我、かくぞ/なむ<見・聞き・思ひ・知り>たまふる
◆已然形係り結び「下二段たまふ」例)我、かくこそ<見・聞き・思ひ・知り>たまふれ
 ・・・四段(=尊敬)も下二段(=謙譲)も、「たまふ」の終止形は「たまふ」であってまるで区別が付かぬのだから、活用形の区別が付けられるようにする、という効用も、「連体形(たまふる)」で結ぶための「ぞ」・「なむ」や、「已然形(たまふれ)」で結ぶための「こそ」との呼応には、あったわけである。
-会話&手紙限定の「謙譲たまふ」-
 いずれにせよ、「謙譲の下二段動詞」としての「たまふ」が用いられるのは、あくまでも「会話文」や「手紙文」の中だけであったから、「相手に対して、へりくだっている」という事実は、「会話&手紙の相手」にとっては最初から自明のこと。それを殊更試験場で取り上げて「この’たまふ’って、尊敬じゃなくって謙譲なのだけれど、キミ、わかるかな?」的な意地悪クイズに仕立てたりする古文のセンセって、なんぼのもん?みたいな尊敬のかけらもない事なむ(orぞ)思う給ふる我なるよ。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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