せさす【為さす】〔連接語〕

   [840] せさす【為さす】〔連接語〕

〈A〉 せさす【為さす】
《サ変動詞「為」に、使役または尊敬の助動詞「さす」を付けたもの。「さす」が使役なら「・・・させる」の意、尊敬の「さす」と解釈すれば天皇・皇后などに対する最高敬語「・・・あそばす」の意(必ず「せさせたまふ/せさせおはします/せさせらる」などの複合形で用いる)。》
〔連接語〕 《す〔他サ変〕+さす〔助動サ下二型〕使役・尊敬》
  (1) 〈(「さす」が使役の助動詞の場合)他者に何かを行なわせる。〉 ・・・させる。   (2) 〈(「さす」が尊敬の助動詞の場合)(「たまふ」・「おはします」・「らる」などを伴って)天皇・皇后に対する最高の敬意を表わす。〉 ・・・あそばす。・・・なさる。
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「させる」ことなき古文の使役は【せさす】
 使役の言い回しとしては、現代日本語では「・・・す/・・・させる」と相場が決まっている。
例)子供たちを遊ば<せ>ておくのもいいけど、少しは勉強<させる>ようにしてください。
 この同じ文章を古文にすると、どうなるか:
古文例)子らを遊ば<す>はよろしけれど、いささかなりとも学問<せさす>べくこしらへてむや。
 最初の「遊ば<す>」は問題ない。動詞「遊ぶ」に付けるのだから、助動詞「す」の1語だけで事足りるのである。問題は2つめの「学問<せさす>」である。現代語の「勉強<させる>」と比べて、どこかが違う:どこがどう違うか、説明できますか?
答え)現代語の場合「させる」が1語の(サ行変格活用)動詞扱いだが、古語の場合は、サ変動詞「す(為)」+助動詞「さす」の二段構えを取っている。
 この様式を弁えずに、現代語感覚で2つめを次のように書いてしまえば、古文ではなくなる:
(×)いささかなりとも学問<さす>べくこしらへてむや。
 文法的に説明すれば、「学問」は名詞でしかないので、これを「勉強する」の意味にするには、直後に「する」の意味の動詞を付けねばならず、「・・・させる」の意の助動詞「す/さす」だけでは役者が足りないのだ(この点、最初から動詞がそこにあった「遊ば+す」とは異なるのだ)。古語の場合「する」の意を表わすのは「す(為)」であり、その動詞を付けた上で、更にその直後に使役助動詞「さす」を付けねばならないわけである。助動詞「さす」一語だけでは文中で独り立ちはできない:直前に本動詞あってこそ初めて意味を成すのが助動詞なのだ。かくて、「せさす」という(現代人の言語感覚からは)冗長な感じの表現が、古語に於ける「~させる」の定型句となるわけである。
 ちなみに、現代日本語「させる」と全く同じ語形の古語がある:「然せる」がそれである・・・が、漢字表記すればわかる通り、その意味は「使役」とはまるで違う。実際にはほぼ常に「然せる事もなし」のような形で用いて「たいしたこともない」の意味を表わす定型表現であるから、こちらも「す/さす」に絡めて覚えておいたほうがよいだろう。
 何ということもないようだが、「せさす」/「させる」を巡る誤謬(fallacy=錯覚・思い違い)は、現代日本人には要注意事項なのである。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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