『古文単語1500Mastering Weapon』関連
「古語随想」(非受験的教養読物)
▼ | ▲[1]【情けおくる】は「情愛を送る」ならず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.4【情け後る】 現代語では「おくれる」と下一段活用なのに、古語だと「おくる」と下二段なので、どうしても五段活用動詞「送る」と錯覚してしまう古語が「後る・遅る」である。この語は「あいぎゃうおくる(愛嬌おくる)=外観上の魅力に欠ける」に見られる通り、「他者との相対比較上、劣っている」というあまり嬉しくない意味となる。
「なさけおくる」も、字面の上からは「誰かに自分の愛情を送る(♪all my loving, I will send to you♪)」的な錯覚に陥るが、実際には「人間的情愛や情趣を解する感性に欠けている」という否定的語義である。この種の錯覚に囚われているようでは必然的に「点数おくる」こととなり「敵に塩をおくる」こととなるので、不勉強による錯覚チョンボにはくれぐれも御用心。
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▼ | ▲[2]ぐずぐずしてたい【なつかし】さ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.11【懐かし】 現代人の感覚では、「なつかしい」は「昔あって、今はなくなったもの」として「ノスタルジー:nostalgia=郷愁」の響きを帯びている。
だが、古語の「なつかし」は動詞「懐く(なつく)」の形容詞化であり、「なつく」は「なづむ(泥む)=動きが取れずに行き悩む」や「なづさふ=水面上を漂ったり、人に親しげにまつわりついたりする」と同根語で、「一箇所への停留感」を根に持つ語である。そこに親族や恋人・夫婦間の愛着の色彩が加わると、「愛情ゆえに離れ難く、いつまでも一緒にいたい」となる。近親者以外に対しては「好感を催し、しばし近くにいたい」という心引かれる魅力を表わす語となる。
現代的な「昔懐かしい」の語義が生まれたのは、中世以降のことである(・・・その意味では、過ぎ去りし平安の昔を「懐かしむ」鎌倉時代のノスタルジーから生まれたものか的な感慨も沸いてくる来歴である)が、引っ越しの荷物整理の際などにふと出て来た昔の写真アルバムを見て、はたと手が止まり、しばし座り込んで「あぁ、懐かしい・・・あの頃に帰りたいなぁ」となるあの「時が止まったかのような停留(=なづみ)感覚」は、時代を問わぬ普遍的なものであろう。
遠い昔を思う時も、愛しい誰かと過ごす時も、「なつかしく思う」人の心の中は一種のstasis(ステイシス=停止状態)にあるもの。時の流れも思念の動きも、「愛着」の粘着力の前では全てが止まってしまう・・・だから「恋愛」や「懐旧」は居心地が良い・・・時の流れの中をほんの束の間漂ってはやがて流れ去って行くばかりの無常の人間にとって、数少ない「永劫」の疑似体験だからこそ、流れず止まる時の中に、いつまでも身を置いていたいのだ・・・が、現実の流れの中で、いつまでもそこに浸っておれば身を滅ぼしかねぬ「非日常」体験が「love:ラブ・恋愛」&「nostalgia:ノスタルジー・郷愁」でもある・・・愛しすぎて、恋しすぎて、幸せすぎて、もぅどこへも行きたくない・ずっとここでこのままぼーっとしていたい・なぁ~~んにもしたくない・・・なぁーんてことにならぬよう、(受験生諸君の場合は特に)相手が人であれそれ以外であれ、「今」に張り付き「未来」への道にフタするような「懐き」への安住は、ほどほどに。
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▼ | ▲[3]【馴る】うちに【萎る】のが衣類・・・&人類? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.14【慣る・馴る】【萎る・褻る】 「慣る・馴る」は「習熟」の意を表わすものと見れば誉め言葉ながら、「馴れ合い」と捉えれば貶し文句となる。勝手知ったる学問の道も、極める過程で「熟達」するのはよいけれど、自分の物知り度に自信を増すにつれて、知的向上心がその鮮度を失い、「熟成」の末に「爛熟」に至って惰性的な思い上がりが退廃的悪臭を放つようになると、その人は「知識人」としては(&「人間」としても)もうおしまいである。
事を「教師」に置き換えても同じことが言える。不慣れな新米教師は指導者としては頼りないが、老練な教師の教え方にも「手練れの業」ならぬ「馴れ合い芸」の淀んだ空気が漂うようになれば、学習者の倦怠を誘うばかりである。知的尖鋭感(intellectual edge)を失わぬためには、「その道の達人」としてのゴールに行き着くことばかり見据えずに、「未知なる道」を旅するプロセス&新発見に接しての子供っぽい喜びと興奮を、常に追い求める永遠の旅人でなければならぬ・・・「馴れたらおしまい」、それが「学習」であり、広義には「人生」もまた然り、であろう。
「なる」はまた「萎る・褻る」とも書き、これは「(衣類や道具類が)長期間の使用によって使う者の身体の一部のごとく馴染む」の肯定的意味と同時に、「経年変化で摩滅・劣化する」の残念な様態をも表わす。「ごわごわ」感が薄らぎ、「しっくり」くる頃合いを過ぎれば、やがて「よれよれ」になるのが衣類の宿命である;が、「知的道具」としての「頭脳」や「感性」は、使用者が意志的に磨きをかけることで、永遠の鋭角を保つことが出来るのだ。常に新たな知的地平に挑み、「こわごわ」とした探索をやめぬ挑戦意欲を失うことなく「習いつつ、馴れぬ」生き様を貫きたいものである。
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▼ | ▲[4]「習うより慣れよ」って何かヘン [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.15【慣らふ・馴らふ】【習ふ】 語学が出来ぬ連中に限って、「習うより慣れよ」だの「読書百遍意自ずから通ず」などと、論理を無視した無手勝流をうそぶいては語学音痴の惨めな自らの現状を肯定しようと必死になっているものであるが、ここでの話題は「何で日本人は英語が(最近では日本語も)ろくに使えないか?」ではない:「習う」と「慣れる」って、どう違うの?のお話である。
古語(慣らふ・馴らふ・習ふ)として見た場合にも英語(learn)として見た場合にも、「ならう」とは微妙な語であって、そこには常に「反復・習練」の辛抱強いdrill(ドリル・・・水滴が長年落下し続けて地面に穴を開けるがごとく、一点集中の頑張りで局面打開をはかる)の含みがある。英語の「learn」とて、「learn to...」の形を取れば、「・・・することを学ぶ」という知性系の表現と同時に、「時間がたつうちに自然と・・・になってくる」という(come to / get toと同列に連なる)習熟系表現にもなるのである。
古語の「ならふ」は、語源的には「ならす(平す・均す・馴らす)」と同根であり、末尾の「ふ」は反復を表わす。習い立ての頃に存在した違和感の凸凹を、執拗な反復学習によって平板に踏みならすわけである。「ドリルで穴を開ける」感じの鋭さはないが、反復性を重んじるしつこさに於いては、やはり「習ふ」は「慣る」に通じるわけである。
結局、こうして考えてみれば、和語の「ならう」と「なれる」とは、本源的に一緒なのである。頭を使って考えるよりも、体力と時間を使って習慣と化すことで身体に覚え込ませるやり口・・・惰性と慣性の法則に依存した「習う」は、「慣れる」と一緒なのだから、「習うより慣れよ」もないものである。
もし両者の区分を出したいのならば、「思ふより慣れよ」か「学ぶより慣れよ」あたりに変更したほうがよさそう・・・と、ここまで考えればもうわかるであろう、この格言めいた言い回しをそれなりの音調的調和の上に成立させたければ、「naraう」と「nareよ」の「なれなれコンビ」を並べることが是非とも必要なわけである・・・だからこそ「習う」と「慣れる」とを並べ立てたわけであるが、どっこい、これら両者の音がほとんど一緒の調和的響きを有しているのは、何のことはない、両者の意味が根源的に一緒だからこそ、なのである・・・結果、「習うより慣れよ」は、「慣れ親しんで我がものにするよりは、慣れ親しむほうがよい」という論理的に意味を成さぬ同じことの繰り返しの言い回しへと堕するわけである・・・が、それでもなおかつこの国の場合、前者の「習う」には「頭を使った学習」/後者の「慣れる」には「頭より身体を使ったなぁーんも考えぬ頑張り」をきちんと読み取って、それなりに区分してやるのが倭人の才芸、みたいに振る舞う優しさ(というか、しょーもない非論理言辞振りかざしてきた馬鹿な相手に対する寛大なる甘やかし体質)があるからこそ、「習うより慣れよ」なる無意味冗長表現も成立する、という仕掛け・・・こういう和語・倭人・倭国の仕組みに関してだけは、「慣れずに学び、脱却せよ」が正しい心得であること、言うまでもあるまい・・・ね?
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▼ | ▲[5]古文では、【見付く】でだんだん好きになる [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.19【見付く】 「見付く」が「発見する=discover」の意味になる語義は現代語「見付ける」と変わらぬのでノーマークでよいが、古語では「見慣れる(につれて、だんだんじわじわ親愛度が増してくる)」の語義に要注意である。
古典時代は、現代のような女性の積極的社会進出が見られる時代ではなかったので、男女は滅多に直接「見る」ことをしなかった(・・・平安文物の書き手たる宮中の女房族と貴人たちとの日常的顔合わせなどは、例外中の例外的事例である)から、「見る」までの間には、気の利いた和歌を詠みこんでの手紙のやりとりを幾度も経ねばならず、そうした出来事まで含めての「恋愛体験」だったので、その中で相手の顔を初めて「見る」経験は、現代では考えられぬほどの特別な重みを持っていたのである。
また、相手(女性)の名前も最初はわからぬまま「君」なり「人」なりの代名詞で通してしまう文通を経て、初めて生身の彼女を「見る」体験をした場での打ち明け話としてその本当の名を教えてもらい、それを口にするのを許される体験もまた、彼女の名を知らぬ世間の人々とは異なる「あなただけに、特別に教えてあげる」という特権を授けられた男にとっては、格別な重みを持っていたわけだ。そうして知った相手の名を親しげに何度も呼ぶ行為である「呼ばふ」が、「婚ふ」とも書かれるのは、「事実上の夫婦関係」と言えるほどに深い関係にならないと、相手の女性の「名」は教えてもらえない、という当時の社会事情を反映してのことである。
「見付く」や「言ひ慣る」が、現代的感覚からは意外なほどの濃密な色情性を帯びるのは、そうした事情によるものだ。こうした事情をこそ、古文の教科書や先生たちからはしっかり教えてもらいたいところなのだが・・・どうもこの種の根源的に重要な(しかし妙に色っぽい)部分を、割り切って教えてくれるだけの論理性は、見せかけの倫理性を盾に取る日本のガッコやゴホンには、乏しいようなのが残念至極というべきか、おかげでこちら『扶桑語り』のヒミツの打ち明け話の特別な重みがますます増すのが嬉しいかぎり、というべきか・・・。
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▼ | ▲[6]【心付く】のか付けるのか [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.21【心付く】 古語の「こころづく」は、特定の対象へと心が自然になびく感じ(=相手が気に入る)の意のほかに、男女の恋愛の機微を理解する「心」が胸中に根付く(=お年頃になり、色気付く)の意もあって要注意だが、現代語にはその連用形を名詞化した「心付け」だけが残るばかり(・・・その語義は「御祝儀」、英語で言えば「tip:チップ」、産業界に転ずれば「袖の下・賄賂・リベート」)。
「こころづき」ではなく「こころづけ」であるから、その祖形は他動詞形(下二段動詞)としての「特定の対象に心を寄せる/注意が向く」の語義であることは歴然としているが、ではその「こころづけ」は、「相手に心を寄せる」がゆえの(多く、好色な思惑をこめての)営みであろうか、はたまた「注意を向ける」がゆえの相手本意の善意の営みなのであろうか?
このあたりは何とも言えぬところで、「心付け」を受け取る側は常に、その贈り物に一体どちら側の色が濃いのかを敏感に察知すべく神経のアンテナを張り巡らすわけであるが、往々にして「受領者側」と「贈与側」の感覚はズレていたりするし、理由を問い詰められた場合の後者の弁は常に「単なる(下心なき)善意」へと形式的に流れて行くばかり・・・なのだから、こんな表現の特性など一々気にしても始まらないのだが、そういう語句に「心付く」サガ甚大なればこそ、この筆者(之人冗悟:Jaugo Noto)は『扶桑語り』など書いてしまったりするわけだ(=読んでくれる者がいるか否かもわからぬ「うたへ:訴へ」を連綿と続けて、それだけでそれなりに良い気分なわけだ)。
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▼ | ▲[7]【心づきなし】は「心尽きない」ほど素晴らしい? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.22【心付き無し】 「心づきなし」という古語もまた、単純な音調的錯覚で誤解に陥りやすい語と言えるだろう。「心が尽きない=名残がつきない=素晴らしいのでもっと味わっていたい」などと肯定的に解釈すればとんでもない誤解となる。実際の語義は「気に入らない・まるで心引かれない」であり、対象に好意的な感じで興味関心を引かれる「心付く」の連用形「こころづき」を名詞化した上で「無し」を付けて、「まるで心が動かぬ」の意味を表わしたものである。
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▼ | ▲[8]【呼ばふ】と【夜這ふ】の時代背景 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.26【呼ばふ・婚ふ】-「言霊思想」と「名」の関係-
既に「言ふ」の箇所で書いたことだが、古典時代の女性は自分の「本名」を滅多なことでは(肉親以外には)知らせたりしない。「名」を呼ぶことは、その名に宿る「霊」に呼び掛けることであり、そうした言葉に宿る霊威(=言霊:ことだま)への畏怖の念が残っていた中古の女性が、自らの「名」を呼ぶことを許す相手とは、即ち自らの「心」(&身体)をも許す相手、ということになる・・・古語の「言ふ」に「求愛・求婚」という濃密なる意味が宿った所以である。
-「呼ばふ」の反復性の意味するもの-
同様の事情から、「呼ばふ」=「相手の名を幾度も呼ぶ」もまた、女性への男性からの求愛行動を意味するのが古典時代の特性である。こちらの語には、その「反復性=ふ」によって「求婚」の色彩が更に濃密になる、という特性がある。
平安時代までの日本は、現代のような「一夫一婦制」ではなく、「一夫多妻制」であった。男性は、結婚相手の女性を一人だけに限定せず、複数の女性を妻とした。そして、妻となった女性と、夫は同居することもなかった。夜だけ、愛の営みを交わすためにのみ、男は女のもとへと通ったのである。それが「妻問婚(つまどいこん)」と呼ばれる古典時代の結婚生活の形態であった。女はただひたすら、男の訪問を待つだけの受動的立場であり、授かった子種をこの世に産み落とすまでは自分の仕事だが、我が子を育てる役割は「乳母(めのと)」に委ねることが多かったし、最初の頃に通ってきてくれたきりで、以後すっかり御無沙汰になってしまう夫も、世の中には多かった・・・なにせ、「妻」は、彼女一人だけとは限らないのだから・・・古典的文物に「待つ身の女の辛さ」を嘆くものが多いのも、むべなるかな、である。
実に何とも一方的に男性側にとってのみ都合のよい社会制度に思われるであろう;が、この種の制度が一方の当事者(夫)側にとってのみ一方的に有利に機能するものでしかないなら、永続する道理もない。妻となる女性側(否、正確に言えば、妻の実家の側)にとってもそれなりの効用はあったからこそ、平安時代全般を通じてこの制度は続いたのである。整理すれば、次のような損得勘定の上に成立していた互恵的関係が、平安時代の「妻問婚」だったのである:
A)女性の家・・・「夫」との間に「男子」が生まれたら、その子の社会的地位(官位等)は、夫の社会的勢力の七光りの形で引き継ぎ、家門の繁栄を図る。
B)男性個人・・・「妻」の実家の経済力を、自分達夫婦の結婚生活の財務基盤とするとともに、自らの社会的活動の支持基盤としても使わせてもらう。
こうした「give & take:取ったり与えたり」のバランスの上に初めて成り立つ「妻問婚」であるから、「財務基盤の弱い家の女」や、「社会的地位の低い男」は、当然、アブれることになる。まぁ、それでも「恋愛」を禁じられるというわけではないし、愛し合った結果として「子供」ができることも当然あったろう・・・が、なにせ「一夫多妻制」であるから、一人の女性と結ばれたからといって男が彼女のみに誠意を尽くすとは限らなかったし、逆に女性側もまた、一人の男性に操を立てる義理などなく、より社会的地位の高い男との縁が望めれば当然これに乗り換えてしまった「競争的恋愛」の時代だったのである・・・恋愛自由度の高さは、悲恋発生率の高さと、当然の相関関係を成していたわけだ。
-男と女はいつ夫婦になるの?-
そうした時代にあって、男性と女性との婚儀は、「子供の誕生」というようなわかりやすい形で明らかになる場合もあったが、形式的には「妊娠・出産」まで悠長に待っているわけにも行かなかったから、便宜上、次のような形を満たせば「婚儀成立」となったらしい:
◆同じ女性のもとに、続けて三晩、男が通えば、結婚の意思あり、とみなして目出度く夫婦関係成立。
必ずしも「三日連続」というわけではなく、散発的でない連続的訪問が一定の律儀さで続けば、という感じだったらしい。また、社会的階層が下になると、逢瀬の定期性などという統計学的証拠に拠らずとも「私達はもう夫婦」ということになった、とも言われている。
そんな訳で、男が女の名を「呼ぶ」ならぬ反復性の「呼ばふ」は、その逢瀬の頻度を物語る性質が「求婚」へと結び付くわけである。
-「名」なんて知られて当たり前、の時代には-
こうした平安時代までの事情とはまるで異なるのが、近世(江戸時代あたり)の「よばひ」である。整理すれば:
1)「言霊思想」の霊威は失われた。
・・・ので、女性の「名」はもはや秘密でも何でもなくなり、誰もに知られ、平然と口に出されることとなった。つまり、女の名を「言ふ」だの「呼ぶ」だのは、特別な立場にある男性だけの特権でも何でもなくなり、その艶っぽい意味合いも色褪せたわけである。
2)「一夫多妻制」も「妻問婚」も消え失せて、「一夫一婦制」で「夫婦同居」の時代となった。
・・・妻に向かって何度も何度もその名を「呼ばふ」など、新婚当初以外はまずあり得ない、というのが21世紀の現代に至るまでの夫婦同居生活の現実というもの。大方の夫婦は、「おーぃ」と「なにょ」ぐらいの「阿吽の呼吸」で「名を呼ぶ」こともなしに生活できてしまったりするのだから、「呼ばふ」も何もあったものではない。
3)徳川幕藩体制下では、確立された社会秩序を安定的に維持するため、「儒教道徳」が下々に至るまで徹底され、「浮気」は厳しく戒められた。
・・・夫婦間の不実であれ、家臣から主君への忠義の欠落であれ、とにかく「約束を交わした相手への裏切り」は絶対悪、という時代である。こんな時代に「愛しい相手の名を何度も呼ぶ」とか「ちょくちょくその相手のいる場所を訪問する」とかの場面は、当然、「妻ならぬ女性」との道ならぬ恋愛場面に傾くわけである。こうした不倫は、白昼堂々と行なわれる筋合いのものではなかったから、人目を盗んで男が女のもとに密かに通って愛の営みを交わす(近世的には)禁断の訪問の様態を表わすのに、江戸時代の人々は「呼ばふ」ならぬ「夜這ふ」の宛字を用いたわけである。例によって横滑り語ではあるが、これはこれでなかなかに洒脱な言葉遊びとして評価してもよい語であろう(・・・社会学的にはともかく、言語学的には、である)。
儒教道徳もへったくれもない21世紀の現代に至るまで、「よばい」と言えばこのお江戸言葉の「夜這い」であり、そこには妙な後ろ暗さに満ちた淫猥な印象が付きまとうが、古典時代の「呼ばひ」にはその種の気配はないことを、古文読みとしては銘記しておく必要がある。
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▼ | ▲[9]【住む】のに住まわぬ妻問婚 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.27【住む】 古語の「住む」は、現代語と同じ「ある場所に定住して暮らす」の意味と同時に、「愛する女のもとを>訪ねる」という古典時代ならではの色っぽい語義をも持っている。「なるほど、女と一緒の家に住む、ってことか」と思う人もいるだろうが、それはいささか事実誤認であるから、少し説明を加えておこう。
「住む=女を恋人・夫として訪ねる」の語義が成立したのは、「妻問婚(つまどいこん)」の時代のことである。この時代の「結婚生活」は、現代のような「夫婦同居形態」の中で営まれるものではなく、男が、女を、恋人・夫婦としての愛の営みを交わす時だけその家(=褄屋:つまや)に訪ねては、翌朝にはまた自分の家へと帰ってしまうという、「男性主導型」・「女性はただ待つだけ」の一方的婚姻形態であった。
しかもこの時代は「一夫多妻制」、つまり、男は何人でも別の「妻」を持ってよいことになっていたのだから、ますます「特定の妻との同居生活」なんて、しないわけである。
そういうわけで、「住む」と言うのは厳密に言えばハズレであって、「よばふ(呼ばふ=幾度も繰り返し女の名を呼ぶ・訪れる)」の方が、あの時代の夫婦生活を表わす表現としては実情に合っている。
ちなみに、そうした妻問婚時代でも、夫婦共々都を離れて任地に赴任する「受領(ずらう・じゅりょう)」等の地方官夫妻や、宮中に同居する「天皇・皇后」といったカップルだけは、仲睦まじく同居していたことを付記しておこう。
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▼ | ▲[10]「なからひ」の相手 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.31【仲らひ】 日本語というものは感覚的な言語であるから、本来の語源学的事情などそっちのけで、話者・筆者の主観がどんどんその語の意味を変えて行く性質を持っている。ここでは、そうした事情を、「仲らひ」なる語の適用対象に関して解き明かしてみることにしよう。
この語の組成はなかなか面白くて、「仲=人と人との関係」と「中ら・半ら=中間・半々・真ん中」と「合ひ=出会い・遭遇により初めて成立する(即ち、生まれつき一緒にいる血縁関係者以外との間で生じる)対人関係」の三つを合体(なからあひ→なからひ)させたような感じである。「仲」にせよ「合ひ」にせよ、元来は別々の場所に存在していてお互いどうし知り合うこともなかった人間たちが、何らかの「出会い」を契機に結び付き合う感じの語であるから、「仲らひ」の表わす人間関係は、「(血縁関係以外での)人と人との付き合い」特に「男女の仲」に限定されるのが当然の作法ということになる。
ところが、この「仲らひ」を、社交による出会いなどなくとも最初から宿命的関係性の中に身を置いている「血族」の意味で用いた作家がいる・・・あの有名な紫式部が『源氏物語』の中で行なった使い方である。別に、彼女が完璧な学識と語学力を有した神仏の如き著述家だったという訳でもない(&いかなる小説家もそのような完璧性を要求されるわけでもない)ので、日本人が日本語で言語活動を行なう以上、日本の作家の中でも最も理知的で高い文学性を有した人の一人と目される紫式部でさえも、こうした「誤用」はごく自然に行ない得るのだ、という一例として指摘したまでの話である。語源学的正統性なんてものに、この国の言語も人間も、おおよそ何の敬意も表さないのであり、それはそれでよいのである;が、「あの紫式部がこういう使い方をした・・・のだから、それは正用法なのだ!」的な敬意の表し方をする者がいた場合だけは、それは全く、よくないのである、ということ、それだけはきっちり指摘しておきたい・・・ただそれだけの話である。
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▼ | ▲[11]【衣衣・後朝】の別れ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.35【衣衣・後朝】 古文は、平安時代の女流文学を文芸的評価の頂点とする文物なので、当然のごとく、待つ身の女の悲哀を巡る艶っぽい表現がたくさん出て来る。「きぬぎぬ」などはその最右翼であろう。
妻問婚時代、夜の私室を愛する男が訪ねて来てくれる至福の時を過ごした女は、しかし、朝が来ればまた男は自分の家なり仕事場なりへと去ってしまう。また来てくれるのは、夜の男女の楽しい営みを交わしたい(と男がそう思った)時だけであって、それまではただひたすら待ちに待つだけなのが平安女性の辛いところなのだ。
そんなMiss(Mrs.) Waitの女性たちにとって、夜明けが来て、夜通し肌身で愛し合った男性が床を出て自分の衣服を身にまとい、自分も自分でそそくさと着衣をして、相手の去るのを見送らねばならない別れ際の辛さはまたひとしおのもの。夕べはお互い脱がし合った衣類を、今朝はそれぞれ別々に着込んでは去るので、この別れを「衣衣」あるいは「後朝」と書いて「きぬぎぬ」と読む・・・衣擦れの音が「蛍の光」のサヨナラBGMに聞こえて、やるせない情景である。
その別れの辛さを煽る舞台装置として、「人の気も知らずにやたらコケコッコーとやるせっかちな鳥の声」や「まだ飽き足りない思いなのにもう夜明けが来てしまって、一人ぽつねんと残される間の悪い感じの有り明けの月」などがよく登場するわけである。
視覚的にも聴覚的にも文字の上からもやたら露骨で動物的な性描写だらけの見せ物ショーに馴らされた現代人、特にその手のものへの興味が急激に過激に高まりつつある(&それを充足するための各種メディアに夜ごとお世話になっている)年代の男子高校生にとっては、この種の古文の婉曲な性的描写にはあまりピンと来るものもないのは当然で、耳年増だったり経験豊富だったりしても根源的なところではやはり言葉主導のやんわりとした性的雰囲気を好む女子高生(コトバが主役の彼女たちの生態は妙齢になっても変わらない)の方にこそ、やはり古文は好まれるものらしい。。。だけに、逆に男子は、そのあたりの女性心理をさりげなくくすぐってやれる程度の嗜みとして、この(文学的にはさしたる面白味もない)千年前の和文たちとの付き合いをつつがなくこなすのが、現代の女性とのお付き合いを円滑に進める上でも、よいだろう。
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▼ | ▲[12]人は【つどひ】、鳥獣は【すだく】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.37【集く】 「集合」を意味する古語には「あつまる」・「つどふ」・「すだく」がある。「あつまる」は人も動物も物も対象を選ばぬ語だが、「つどふ」は人間のみに用い、「すだく」になると人以外にも動物や虫たちが一箇所に集まる意にも用いられる。
これは、「すだく=巣+抱く」の語源によるものである。この原義に忠実に用いるならば、高校生や暴走族や近所のオバちゃん連などが「馴染みの場所・店」に結集するの図などは「すだく」こそがふさわしかろう。彼らの多くには、あたかも、自宅よりもその溜まり場こそを心の拠り所としているかのごとき「帰巣本能(きそうほんのう)」が感じられたりして、ゴジラ・ラドン・モスラ果ては金星怪獣のキングギドラに至るまで何故か何度退治されても懲りずにまたニッポン列島を故郷(=巣)のごとく懐かしがって来襲したがる怪獣たちにも似て、「巣抱く」感が実に濃密だから。
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▼ | ▲[13]「方便」は、「たづき」と読むのが古典風 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.38【方便】 「手付き」・・・古語読みは「たづき」/現代ならば「てつき」・・・この語はどうも現代では何ともイヤラシイ。「あの手付き、なんだかとってもイヤラシイ」、「上役のお手付きの女を妻にして出世を図る魂胆ってイヤラシイ」・・・なんぞと、どうも、よからぬ方面への想像が自然に浮かんできて(誰が?)、良くてせいぜい攻撃的歌留多遊び風百人一首での「お手付き=間違った札に思わず手を伸ばしちゃう失態」ぐらいしか出てこない感じの「手付き」であるが、古文の世界ではこれがなかなか、悪い意味ではない語なのである。
この「手付き(たづき)」の古典時代に於ける最も普通の使われ方は、目的遂行に役立つ「手段」あるいは人脈・コネ等の「手蔓・手掛かり」である。この意味相応に作られた当て字は「方便」であるが、「手+付き」の字面ほどにはその語義を感じさせてくれないので、受験生的には「たづき」は「方便」よりも「手付き」の文字と絡めて覚えておくのが得策だろう。
しかしながら、「たづき」にはまた「物事の有様・状態・様子」の語義もある。こちらの語義の「たづき」には、万葉の昔には「跡状」という当て字も見られたという。これに対し、「手」を「た」と読ませる表記例は、万葉の時代には存在しないので、「たづき」の原義は「様子」であって、「手段」の語義は後発ではないかともされている・・・が、古語としての重要度は「手段」としての「手付き」の方が上である。この語に「無し」が付いた「手付き無し=たづきなし」の略形「つきなし」が「取り付く手段もなく、どうにも途方に暮れてしまう」であることを語源学的に把握する意味でも、「たづき」には「手+付き」という手掛かりをしっかり与えておくのが、教育者&学習者としての見識というものであろう・・・とか自画自賛しつつこの話題はおしまい。
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▼ | ▲[14]手に取り拠るのが【たより】です [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.39【便り・頼り】 古語の「たより」の語義は、現代語のそれとほとんど同じ。ということで、ここではその語源についてのみ触れておく:
◆「手(た)+寄り(より)」・・・手を伸ばして寄り付き、何らかの行動の拠り所とするもの、それが「たより」。
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▼ | ▲[15]【寄せて上げる】は縁故の力? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.40【寄せ】 「よせ」は現代では「寄席(・・・落語の席)」だの「寄せて上げる(女性のブラジャー)」だのを思い浮かべさせる語であるが、古語の「寄せ」にもやはり動詞「寄せる」の原義が生きており、「信望(を寄せる)」/「後援者(寄らば大樹の陰)」/「縁故(たよるべきものは身内)」/「理由(・・・に拠る)」といった語義はいずれも「よる」に絡めて覚えておけばよい。
もう一つ、文芸用語として変わったものがあるので紹介しておこう:
「縁語」・・・和歌の中で、異なる複数の語句どうしが、直接にはつながらないものの、意味上の関連性を持っているために、相互に響き合ってイメージの膨らみを演出する修辞法に於ける、意味上関連性のある複数の語句どうしのこと。
当該脈絡では直接に意味がつながらない語句どうしを、第三の意味を介してイメージ的に「近寄せる」から「縁語」、というのも、つながるようなつながらないような微妙な語義で、それなりに面白い。
などと、ただ面白がっているばかりでは文芸に縁のない凡百の先生っぽいので、「縁語」含みの自作歌をもってこの話題を締めくくろう:
「驚けば 一人片敷く 袖の端に 今日も来ぬらし 我が涙かな」(おどろけばひとりかたしくそでのはにけふもきぬらしわがなみだかな)COPYRIGHT (C)2010 fusau.com by Noto Jaugo:之人冗悟
現代語訳)不意に寝覚めてふと見れば、独り寝の片袖の袂をしっとり濡らしているのは、私の涙・・・今日もまたやって来たらしいわね、この湿っぽい来訪者は・・・あの人はもう来てはくれないのに。
◆「(き)ぬらし」は、「(来)ぬらし」&「(衣)濡らし」の掛詞。
◆「袖」は、「来ぬ(きぬ)」を介して、この脈絡では登場しない「衣(きぬ)」へと「寄せ」る縁語。
◆「涙」は、「(来)ぬらし」を介して、この脈絡では登場しない「濡らし」へと「寄せ」る縁語。
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▼ | ▲[16]違うからこそ【寄そふ】のだ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.41【寄そふ・比ふ】 「よそふ」の字面は「装ふ(よそおう)」を思い浮かべさせるので、「作為的に・・・っぽくする」の意味一本しかないように錯覚し易いが、「よそふ(寄そふ・比ふ)」と書けばその語義は「関連づける」及び「並べてみる・比較する」となるのがわかるであろう。
語源学的に言えば、「よそふ」は、「装ふ」であれ「寄そふ・比ふ」であれ、「寄す」に由来する語であるから、何らかの対象・目標を想定した上で、それに「寄せる=近づける」意味を表わす点で類似性があることは確かである。そこに作為的装飾性が強ければ「装ふ(よそほふ)」となり、思念・検討対象を引っ張り出す感じが強ければ「寄そふ・比ふ(よそふ)」となるわけだ。
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▼ | ▲[17]「よそいき」は【装ひ気】? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.42【装ふ】-古語の「よそふ」は現代の「よそおう」-
「よそふ」は現代語「よそおう(装う)」の古形である。綺麗に飾り付ける語義こそ同じだが、音の感じがだいぶ違う。連用形「よそひ」はそのまま名詞になるが、これとて現代語では「よそおい(装い)」である。古語そのままの形では、何となく音が足りず、場が持たない感覚が(どの時代かは知らないが)生じた結果としての音化けであろう。
-現代語「よそる」は「よそふ+もる」(装ふ+盛る)-
同様の感覚で、元来「よそふ(装ふ)」で表わされていた「御飯を食器に盛り付ける」の語義も、音調上の欠落感を補うために、「もる(盛る)」の末尾を借りて来て盛り立てた「よそふ→よそる」の語形に化けてしまった。いつの時代のものかは知らないが、こうして元来この語が持っていた「(幾多の土いじりや殺生といった'不浄'の過程を含む食事という行為を、外見上は綺麗に)装う」の性質はどこかに消え失せて、単なる分量的描写に過ぎぬ「(御飯茶碗に飯を山のように)盛る」と化したわけである。いかに正統な語義を装おおうとも隠しきれない「横滑り」来歴ではあるが、これによって「本源的に穢れたものとしての食事」の血生臭さや土臭さが粉飾できたわけだから、よしとすべきであろうか。
-現代語「よそいき」は「よそひき」(装ひ気)-
「よそいき」だの「よそゆき」だのの語は、「特別な外出のためのおめかし」の意味で現代では捉えられているが、夫の実家という立派な「身内の家」に行く時だって、女性はちゃんと「よそいき顔」して義父・義母らの厳しいチェックの目に備えているわけであるから、「<余所>行き」としては片付けられない語であることぐらい気付くべきであろう・・・別に気付かずとも「よそいき顔」は出来るものの、その程度の感性の主の「よそいき」は、見る者の目にはたちまち「装ひ気=それらしく見せかけようという作為性」と見抜かれて、惨めなハリボテの観を呈するものである。
・・・かくて、装いも新たに生まれ変わったヘンテ古語たちの成れの果ての現代語「よそおい」・「よそる」・「よそいき顔」 ― あなたの目には、果たして綺麗に映ったであろうか、はたまたそのわざとらしい粉飾が鼻につく語に変わったであろうか・・・
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▼ | ▲[18]身を寄せて頼る相手ぞ【よすが】なる [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.43【縁・因・便】 「よすが」は現代日本語でも文語として残る表現で、「血縁」・「頼り」・「手段」など語義は様々だが、その原義である「拠り所」の意味は、「寄す+処(よすが)」の字面で把握すればすんなり納得できるであろう。
同種の発想をよりストレートに表わした語として、「縁故・頼り・後見人」の意味で「寄せ」を用いる場合もある:「身寄り」の現代語に寄せて理解すれば失念する危険性も薄らぐであろう。意味上の連想から異なる語句どうしを結びつけるという意味で、「寄せ」は「縁語」なる短歌技巧の別名でもある。
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▼ | ▲[19]絵に描いたような【えにし】の古典的錯誤 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.44【縁】-「えにし」なる古語はなし-
「えにし」は「縁」の意の文語としていまだに現役だが、実はこんな語は日本語には本来存在しない。元来の古語は「えに」であり、これは漢語「縁」に由来する語なのであるが、「えん」とは読んでも「ん」の撥音文字が中古末期まで存在しなかった都合上、「えに」と表記して「えん」と読む、という例の撥音代用表記語だったのである。
-「えにしあらば」が機縁で生まれた「えにし」-
ところが、この「えに」、古歌の中ではしばしば強調の副助詞「し」を伴った「えにしあらば(もし御縁があれば)」の形で用いられたのである・・・ここから後の展開は言うまでもなかろう:「<えに>+(し+)あらば」であるものが、「<えにし>+あらば」と錯覚された結果の横滑り語として「えにし=縁」なる「本来あり得ない日本語」の誕生を見たわけである。
まぁ、本来何もないところから生じるのが「縁(えに・・・えん・・・えにし)」というものであるし、無から有が生まれるのはビッグ・バンから生まれたこの宇宙の根本原理かもしれないし、いかにも絵に描いたようなこの「えにし」の物語は、「無法言語」とも言うべき日本語の特性と極めて深い縁のある話だから、これを機縁に覚え込むのもえぇんとちゃう?
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▼ | ▲[20]「つら」なるやつら [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.48【列・連】 「つら」の字面はどうしても「面」を思い浮かべさせるが、古語としては「Aのつら」などとして「同類・仲間」の意味で用いられる場合が多い。
語源的には「釣り」・「弦」・「連れ」と同根語で、「途切れることなく連なるもの」の意味である。「仲間」の語義は「連れ立つ人々」の意味から生じている。同じ場所に居合わせる「つら(列・連)」のことを、現代ではよく「面々」と呼ぶが、つらつら思うに、あの「面(めん)」ももしかしたら「つら」が化けたものかもしれない。
ちなみに、連なるものとしての「つら」を畳語(=二枚重ね)した副詞の「つらつら」は、思考を重ねる意味で(例:「つらつら思うに」)現代日本語にも引き継がれている。この執拗な連続性を肯定的に捉える「つらつら」に対し、いつまでもだらだらぐずぐず同じこと繰り返して「まったくしょーもない」の慨嘆調が加わると「つれづれ(徒然)」となる。「緻密」と「偏執」とは紙一重、というわけである。
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▼ | ▲[21]【ともがら】【はらから】【やから】はどこ「から」?
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▼ | ▲[22]【皆人】と【人皆】
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▼ | ▲[23]中古の女性の【世】って何よ? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.54【世・代】-女の世界は「愛こそはすべて」?-
「世」や「世の中」、さらには「世界」・・・なんとも広大な響きの語だが、中古女流文学にかかるとこれらは大方「彼との間の恋模様」なる純私的な語義に化ける、ということは、古典読みなら確実に押さえておかねばならぬ必須知識である。
意地悪な想像を巡らせば、「中古は妻問婚だから、女はひたすら男の慈悲にすがるしかなかったので、男から自分への愛情がそれほどの重大事だったのさ」とか、「所詮、女にとっては自分を取り巻く個人的な枠組みだけが全世界。身の幅一杯でしか生きられぬ小さな生き物でしかないのさ」ということになりそうだが、そうした論調で事を片付ける前に、「世」を巡る古語事情として、次の事実をも踏まえてからものを言うべきであろう(・・・特に、女性の前で言う時には)。
-「よ」=「世」&「節」の節目感覚-
「よ」の音を持つ古語は実に多いが、「世」と最も密接に結び付くのは「節」である。これは現代では「せつ」や「ふし」であるが、古語では「よ」の音が優勢であり、「竹」や「芦・葦・蘆(あし)」のような「節目」を持つ植物の、「節目ごとに刻まれた空間的分け目」が「節」ならば、「幾つかの出来事ごとに刻まれた時間的分け目」が「世」なのであった。ある特定の「天皇が統治する時代」として捉えれば、この「世」は「代」(御代)となる。音も同じなら、その区分感覚もまるで同じ古語が「よ=節&世・代」なのである。
そのような「画期的な何か」によって節目ごとに分けられた時間の集合体として人生を捉えた場合、「ある特定の男性との出会い~別れ」というtime-span(タイム・スパン:計時単位)で、「Aくん時代」・「Bさん時代」・「C殿時代」・・・という風に人生を区切る人生観は、中古の女性のみの態度ではあるまい。現代女性だってこうした意識で物事を捉える体質は確実に引き継いでいるし、この感覚は男にとっても決して無縁なものではない。「プロジェクトA時代」・「キャンペーンB時代」・・・などと「出来事」系のタグ(tag:表札)付けで人生を区切る体質が濃密な男といえども、その出来事の折々に関わった人々との個人的思い出が彩ってくれぬ限りは、男の人生もやはり味気ないもの。「A子ちゃん時代」や「B子さん時代」といった区切りで「'節'という名の'世'」と向き合う体質は「自分にはない!俺は男だ!」などと言い張る御仁は、「御立派」というよりは「オメデタイ」というか「おかわいそうに」といった感じでしかあるまい(・・・まぁ、人生の思い出が異性ばかりに偏るような男は少々薄っぺらであることは確かだが)。
そういう次第であるから、一夫多妻制&妻問婚で、女性も男性も特定の異性とだけ一生添い遂げるわけでもなかった平安時代に於いては、人生の画期的出来事としての「ある特定の男性(or女性)との関係を中心に回っていたあの頃」という形での「世」が、今より遥かに自然な妥当性を有していた、という事実だけは踏まえた上で、古典的「世・世界・世の中」の回り方に対しては、小馬鹿にするなり、納得して我が身を振り返るなりの態度を、各人各様に定めていただきたいと思う。
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▼ | ▲[24]世を「捨つ」・「背く」・「離る」・「遁る」
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▼ | ▲[25]【世付く】【世馴る】は「夜ツキ」なり
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▼ | ▲[26]「夜さり」・「夕さり」は去るものにあらず
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▼ | ▲[27]明けてほのぼの【曙】の空、ほろほろ明ける【朝朗け】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.66【曙・明ぼの】 「ほのか」・「ほのぼの」・「ほのめかす」等、くっきり明瞭でない感じを表わす「仄」が付いた「明け方」が「あけ(明け)ぼの(仄)」・・・という実にベタな来歴を持つのが「曙・明ぼの」である。
この語は、明け方=夜が明けて空が赤く染まる時=あかとき→「あかつき(暁)」の時間帯を二分した場合の前半部を表わす用語で、和歌用語では「しののめ(東雲)」とも呼ばれる。
ちなみに、後半の時間帯(=暁 PART-II)のほうは「あさぼらけ(朝朗け)」・・・「朝が<ほろほろ>明けてくる頃=あさほろぁけ・・・あさぼらけ」という、これまた擬態語(onomatopea:オノマトペ)由来のまったりとした古語である。
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▼ | ▲[28]心残りな夜明けの【有り明け】
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▼ | ▲[29]「あれ誰?」=【黄昏】
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▼ | ▲[30]この【な】はなーに? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.72【朝な夕な】 古典時代の格助詞には、定型句の中でしか用いられなくなってしまった上代語が結構多くある。「朝な夕な」に於ける「な」もその一つで、その語義は「時間帯」・・・現代にまで残る格助詞「に」に相当する語である。
この「時間帯の'な'」を含む語には、「朝な夕な」の他に「夜な夜な(よなよな)」があり、これは現代語にもそのまま残っている。逆に「毎朝」の意味なら「朝な朝な」となるが、その読み方は「あさなあさな」ではなく「あさなぁさな→あさなさな」である(カマずにきっちり30回連続して言えたらアメ玉あげる)。
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▼ | ▲[31]【くる】は【黒】
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▼ | ▲[32]【かきくらす】のは作家?青年?悩み人?
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▼ | ▲[33]「月影」は、暗いものとは限らない
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▼ | ▲[34]【かげ】は暗いの明るいの?
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▼ | ▲[35]「くまなき」はずが、足りない「おもひぐまなし」
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▼ | ▲[36]【さやか】さんは【冴子】さん
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▼ | ▲[37]【ひそみにならふ】と美人に見える?
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▼ | ▲[38]「かすめとる」には人知れず
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▼ | ▲[39]「おぼつかなし」=【覚束】+「無し」or「甚し」?
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▼ | ▲[40]【おぼめく】と【おほほ】
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▼ | ▲[41]「溺ほる」と「惚ほる」のおぼろな関係 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.94【溺ほる】【惚ほる】 「恋に溺れる」とはよく言ったもので、日本の古語では「溺ほる」も「惚ほる」も共に「おぼほる」、ぼんやりと霞んだ精神状態を表わす「朧(おぼ)」に、意識が焦点を失ってふわふわと漂う「惚る(ほる)」を付けた語である。
物理的に水没して身体機能がまともに働かない状態が「溺ほる」なら、精神的に動揺して呼吸や表情が常ならぬ状態に陥るのも「溺ほる」である。
感覚器官が麻痺して対象を正常に認識できぬ状態に陥るのは「惚ほる」であり、それが強い精神的ショックや老化により恒常化したのも「惚ほる」だが、この状態は「惚く(ほく)」でも表わされる。他事を忘れて何かに一身に没頭するさまも「惚ほる」だが、これは現代日本語では「(遊び)ほうける」の形で残る(古語の「惚く」にはこの種の熱中・没頭の意はなく、注意散漫なだけである)。本当は知っているくせにわざと無知・無学・阿呆なふりをする意味の「惚ほる」は「ボケをかます」だの「とぼける」の言い回しとなって、その響きの中に「惚く(ほく・・・ボケ)」を感じさせるが、「惚く」が「ボケたような態度を取る」という意識的演技の意味を身にまとうようになるのは遥かに時代を下ってからの話であり、中古の「惚tじょいく」は精神錯乱による「うすぼんやり」の自然派のボケ方のみである。
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▼ | ▲[42]「下る・降る」にまつわる価値判断 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.99【下る・降る】 「下る・降る(くだる)」の語義は現代語も古語も幅広いが、ここでは雑学的に意味あるものだけを見つくろって述べておく。
まず、時系列的に「後代」を意味する「下れる世(くだれるよ)」、これは「上代=奈良時代以前」を意味する「上がれる世/上がりたる世」と対義語になるわけだが、江戸時代の国学者(賀茂真淵あたり)の文章を見ると、「時代が下れば人も文芸の質も下劣になるのが世の習い」的な考え方(というか、記述)が幅を利かせていたりする。この種のセンセイの言う「時代が下る=人品も世の品質も下る」なる時系列デフレ理論には、倭人固有の言語学的思い込み「上がりたる世=上質な上代 vs. 下れる世=下劣な後代」的感覚がかなりの毒性を以て作用していたのかもしれない。
マブチ先生などは、自分の専門が『万葉集』だっただけに、『古今集』以降の日本の和歌、即ち真の意味での文芸的価値をあの短歌形式に与えた(日本の文芸界で唯一世界に誇れるもの、とこの筆者=之人冗悟は評価している)文学的所産を「たをやめぶり=なよなよと女っぽい技巧的和歌」と呼んでケナしまくり、自分の専門領域である万葉の和歌を手放しで礼賛してこれを「ますらをぶり=素直で飾らない男らしい詠みぶり」と呼ぶ、という何ともガキっぽい手前味噌ぶりを発揮して、日本の学者の品位の低さを古文学習者に強く印象付ける役割を果たした御仁である。そんな「ますらをぶり大好き男」の書く文章に、「下れる世=クダラない低品質な世界」の響きが無様にこだましているのは、彼の我田引水の知性・品性相応のバックグラウンド・ノイズというべきであろうか・・・とにかく、見苦しく聞き苦しいことおびただしいのがあの種の「国学者」連中の雑文なのである(・・・が、これがまた上智大学の古文あたりには ― その道の専門家のセンセイが学内にいっぱいいるせいで? ― やたらよく出まくるんだわ・・・南無阿弥陀仏)。
・・・などと、古文の世界ではエラいことになっている倭人センセ(新旧織り交ぜ)をまたケナしてしまったが、この種の「貶す」行動を古語では「くだす」と言う。現代的にはこれ、「下す」であるが、古語の場合はまた類音の「くたす(腐す・朽たす)」もあれば、そのものズバリの「落とす」(あるいは、「下ろす」)でも同じ意味を表わせる。
そうして、取るに足りぬ存在として一段低いところに落とすべき代物のことを、現代では「くだらない」と称するが、「下る」や「腐(朽)たす」との兼ね合いから見た場合、むしろ「くだるべき=下劣とするのが妥当な」の方が正しいのではないか、などと素朴な論理的疑問を抱く向きもあるかもしれないので、これについても付言しておこう。
「低評価を与えるべきもの」としての「くだらない」に於ける「くだる」の意味は、「品質的な低劣さ」ではなく、「京都を基点に見立てて、地方(主に、東国)へと下る」の意味、現代の時刻表で言う「上り列車/下り列車」のあれなのである。明治維新以降は「東京」が日本の中心となり、東京へ向かうことを「上り」/東京からそれ以外の地方へ向かうことを「下り」と呼ぶようになったが、「くだらない」なる語が生まれたのは江戸時代のことであって、徳川将軍のお膝元は江戸(=東京)でも、当時は相変わらず「京都→江戸」は「下る」、「江戸→京都」が「上る」であった。時代劇でも、関西のことは「上方(かみがた)」と呼んでいるので、「西=上/東=下」の位置関係は実感できるであろう。この時代、物流の中心は大阪であり、関東はその最大のお得意先ではあったが、一流の物品は何といっても「上方」にあり、評判の高い物資のみが特に選ばれて「東下り」して行くことになるわけだ。逆に言えば、あまり評判の良い品でなければ江戸までの運送料上乗せして運んで行っても売れずに損するばかりだから、東への分水嶺たる逢坂の関を越えて「下る」ことはなかったわけである。これが「上方よりお江戸へと下らない=物流ルートに乗らない→一級品でないからどうせ売れっこない」の語源というわけだ(・・・古文の講座としては、少々くだらぬ話、ではあったかな)。
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▼ | ▲[43]【くだんの】=「下りの」
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▼ | ▲[44]【件の】と【事程左様】の方向性の違いは・・・【然様】か【左様】か
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▼ | ▲[45]「そのかみ」の時間幅
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▼ | ▲[46]【このかみ】ってどんな神?髪?上?
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▼ | ▲[47]【てんじょうびと】は「天井人」でも「天上人」にもあらず
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▼ | ▲[48]「じゃうず」の対義語は「へた」でげす?
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▼ | ▲[49]複数化接尾語の階層分化 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.118【公達・君達】-立派な「人達」-
古語の「きんだち」は「君達」あるいは「公達」と表記し、「貴公子」(特に、平清盛の子息の平氏一門)を指す。
「きんだち」がこの種の「高い位の人々」を指すことからもわかるように、接尾語「達」には「複数」の意味と同時に「尊敬」の念が含まれることに注意したい。
-そこいらの「者共」-
一方、似たような複数の接尾語でも「ども(共)」ともなると「敬意」より「軽蔑」の響きが宿る場合さえある。このあたりの使い分けは古文では結構シビアで、紫式部も『源氏物語』の中で次のように書き分けている:
「行ひ人<ども>に、錦、絹、袈裟、衣など、すべて一領のほどづつ、あるかぎりの大徳<たち>に賜ふ。」(橋姫)
(仏教の修行者<の連中>には、にしき、きぬ、けさ、ころも等を寄進し、その場に居合わせた徳の高い僧侶<の皆様>には全員、一揃いずつを寄進した)
この一段低い「ども」の語感は「身ども(=この私め)」なる謙譲表現(複数表現ではない)にも表われているし、現代日本語でも「私<ども>といたしましては、今回の事態を深刻に受け止めておりまして・・・」などと恐縮する場面には「私たち」は相応しくないあたりからしても、時代を超えて脈々と日本語の中に受け継がれていることがわかる。
-親しき「我ら」-
また、肉親やそれに類する近しい間柄で親しみを込めて使われるのが「ら(等)」であって、これは「私達の母校」より「我等が母校」の方が何となく親近感を演出できるあたりからも感じ取れるであろう。「僕らの仲間」・「ウチらの掟」・「君らのレベル」、いずれも「軽侮」すれすれの親密度を持った「飾らぬ複数形」である。
次の歌では、「ら」が、複数語尾ではなく、軽い謙譲記号として働いている:
「憶良<ら>は今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ」『万葉集』三・三三七・山上憶良
(さぁ、私め憶良としましては、そろそろ退散いたしましょう。子供も父の私がなかなか帰って来ないので泣いていることでしょうし、母親も夫である私を待っていることでしょうし、ね)
-十把一絡で「これなど」いかが?-
複数化接尾語としての「など」は、幾多の類例が想定できる中からポンと適当に一つ摘み出す感じで添えられる語だけに、そこには常にぞんざいな感じの軽さが付きまとう。「ダイエット<など>なに試してもみな同じ。一月たったらリバウンド!」みたいな感じの投げやり感が「など」の隠し味であって、その軽蔑調を更に強めたければ「なんぞ」や「なんざ」・「なぞ」を使って書けば、もっと捨て鉢な感じを演出できる:「ダイエット<なんぞ>なに試してもみな同じ。数倍たっぷりリバウンド!」。
-「君こそ」ともだち?「こなくそ」挑発?-
古語にはまた、自分と対等かそれ以下の相手に向かっての「名詞+こそ」なる親密演出表現がある。相手への呼びかけに用いられる語であり、この種の語(例:「あなた」・「そなた」・「こなた」)の例に漏れず、その語源は「此(こ=here)」+「そ(係助詞ぞ古形)」であって、話者に近い場所に存在している相手に向かっての語であるから、「あ+なた=やや遠い<あっち>にいる人」や「そ+なた=目の前の<そっち>にいる人」に対するよりも親密度は高くなる、という仕組みである。
ところがこの「こそ」、今なお係助詞としては生き残っているものの、上記の間投助詞としては現代日本語には引き継がれず死語と化してしまった。恐らくは、その「こそ」が化けた変化形があまりにもバッチぃ響きでありすぎたせいでどっかに流されてそれっきりになってしまったものと思われる・・・その変化形は(!なんと!)「くそ」なのである・・・例えば「此花(このはな)」さんとかいう愛称の女性に向かって親しげに「さぁ、お食べ」と呼びかける場合など:
「此花こそ、召し上がれ」
・・・となるわけであるが、「こそ」こそ受け入れられる形ながら、この「こそ」が「くそ」に化けたら・・・
「このはなくそ、召し上がれ」
・・・何とも食えない表現になってしまうわけだ。これでは下水に流してどっかに消しちゃいたくなるのも当然だろう。
ところが、このこきたない感じの表現、実は形を変えて、現代日本語の中にも残っているのである。その宿便的な言い回しは、これだ ― 「こなくそ!」・・・別に、古典時代の「くそ」を粉末状に砕いて数百年ものあいだ保存していたわけではない。ここでの「こな」は、「粉」ではなくて「其処な(そこな)」の化けたものである。その原型を分析的に解釈すれば「其処(・・・眼前の場所)+な(・・・に存在する)+くそ=こそ(・・・此そ=自分と同等かそれ以下の社会的階層に位置すると感じられる他者)」である。畏敬する相手との間には距離を置くのが古典時代の意識であるから、「自分と同じ所にいるオマエ」は、敬意も遠慮も何もなく、ただひたすら挑発的な吐き捨て表現であることがわかるだろう。
それが「こなくそ!=この野郎!」の履歴書である・・・が、正統なる言語学的来歴よりも、恣意的な見た目(or聞いた耳)の感覚で事を処理する日本人の手にかかれば、この表現は当然、次のように化けるのくこそくふさわしい ― 「このクソ野郎!」
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▼ | ▲[50]【御達】は「ロス」に近し
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▼ | ▲[51]【おっほん】!はいかにもエラそう
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▼ | ▲[52]「おんぞ」・「おほんぞ」、元は「麻」
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▼ | ▲[53]【蔵人】の特異性
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▼ | ▲[54]【朝臣】は朝廷の家臣? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.125【朝臣】 「朝臣」と書いて「あそん」あるいは「あっそん」と読み、朝廷から五位以上の官位を賜わった者に付ける敬称(「姓:かばね」の一つ)であるから、「(朝)あさ+(臣)おみ」の転かと思われるが、実際には「吾兄(あせ)+臣(おみ)」が「あそみ」を経て「あっそん→あそん」と化したものである。「吾兄(あせ)」は親しい男子に向けての敬愛を込めた呼称なので、堅苦しい貴人の官位の付属品としての用例以外にも、貴人男子同士が親しんで呼ぶ場合の「君」みたいな愛称にもなる。第二次世界大戦敗戦以前の日本では、同輩に対する男性の呼びかけ語として「兄(けい)」を用いていたが、今ではこの呼称は廃れてしまい、殊更時代がかった(ある種、慇懃無礼なまでの響きを帯びた)「貴兄(きけい)」が辛うじて形式的文書の行間などに垣間見られる程度である。
ちなみに、官位を表わす敬称としての「朝臣」の使い方は官位に応じてその読み方が微妙に異なる。
(Ⅰ)六位以下は「藤原某」のように氏・名のみを言い、姓は付けない。
(Ⅱ)五位は「藤原朝臣某」のように氏・姓・名で呼ぶ。
(Ⅲ)四位は「業平朝臣」のように名・姓で呼ぶ。
(Ⅳ)三位以上は「藤原朝臣」のように氏・姓のみで呼び、敬意を表して名は言わない。
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▼ | ▲[55]「宮」は神社のみならず
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▼ | ▲[56]「みこ」と「おほんこ」
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▼ | ▲[57]「東宮・春宮」は「次代の天皇(Emperor-to-be)」
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▼ | ▲[58]「行幸」と「御幸」の二つの「みゆき」
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▼ | ▲[59]「節会(せちゑ)」は宮中季節行事
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▼ | ▲[60]「院」に住まうは上皇・法皇・女院
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▼ | ▲[61]【北の方】はエライ人の奥方
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▼ | ▲[62]「御息所」は偉い誰かの休憩所?
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▼ | ▲[63]【皇后】>【中宮】>【女御】>【更衣】
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▼ | ▲[64]【女房】の現代用法の創始者は藤原道長
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▼ | ▲[65]「お局さま」の本当の意味
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▼ | ▲[66]「おほやけ」・「わたくし」
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▼ | ▲[67]「公家」の意味するもの
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▼ | ▲[68]平安の【うち】はとっても高貴 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.143【内】 「うち」は随分な多義語だが、『枕草子』や『源氏物語』・『栄花物語』など、皇室が頻繁に登場する古典作品の中での意外性ある語義としては、「大内(おほうち)」・「内裏(だいり)」の短縮語としての「天皇・帝」の語義を第一にマークするのが受験生の心得である。
「内」は本来、「宮中」とそれ以外の世界(出仕者の実家や俗人の住まいとしての「里」)とを区分する語であるが、貴人に対する直接的言及を回避してその「存在する場所」を代用呼称とするものとして使われることもあるわけである。この意味では「帝・・・本来は'御+門'で'みかど'」や「上・御上・主上・・・宮中の清涼殿の殿上の間という高い場所にいらっしゃる我等が御主人様=天皇」と同じ発想である。
後代には「我が家」や「身内」といった卑近な呼称になって現代に至っている「うち」なので、中古の古文読みの際には妙な「下克上(げこくじょう)=身分が下の者が、上の者に取って代わること」を起こさぬよう特に注意が必要である。
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▼ | ▲[69]「入内」と「内住み」は大違い
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▼ | ▲[70]「おとど」は【大殿・大臣】なれど男性専用語にはあらず
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▼ | ▲[71]「大殿籠る」に場所を選ばず
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▼ | ▲[72]「とのゐ」って、決まった殿方(=旦那様)のいる人妻のこと・・・じゃないよね
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▼ | ▲[73]「つかさ」が嫌味なわけ
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▼ | ▲[74]古語の【数】は「官位」あたりのバイアス尺度と心得よ
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▼ | ▲[75]【たのもし】が「富裕」になるのは中世以降
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▼ | ▲[76]「いやし」の素性
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▼ | ▲[77]「ともし」がゆゑに「もとむ」の理論
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▼ | ▲[78]【地下】は「ちか」ならぬ「ぢげ」にてその意味は「地べた」で「殿上」の対義語
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▼ | ▲[79]「天皇=いちじん(一人)」・「摂関=いちのひと(一の人)」より劣る者は「直人・徒人=ただひと・ただうど」
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▼ | ▲[80]中古の【げろう】は階級語/近世以降の【げろう】は罵倒語
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▼ | ▲[81]【盗人】は必ずしも窃盗犯ならず
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▼ | ▲[82]「似非」の罵倒性
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▼ | ▲[83]下に行くほど【しづ】むもの
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▼ | ▲[84]【海人・海士・蜑・海女】・・・は女性だけ? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.178【海人・海士・蜑・海女】 「あま」には宗教的な「尼」と女性潜水漁獲者としての「海女」の二種類が、現代日本語でもなお浮かんでくるが、古語の場合は更に「海士・海人」の文字を宛てる「漁師」の語義も多用される。無論、この場合は「海行く男の船人」のイメージである。
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▼ | ▲[85]「鄙(ひな)」は東の日の出づる方
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▼ | ▲[86]【みやび】とは宮人・都人
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▼ | ▲[87]【貴】>【貴やか】>【貴はか】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.186【貴はか】 類似の古語どうしには、末尾の語形により序列が定まる場合が多くある。「あて」と「あてやか」・「あてはか」もその一例で、「高貴だ」の基本義は共通するが、「貴(あて)」はその本義に最も忠実な高貴さを表わすのに対し、「やか」が付いた「貴やか(あてやか)」は「上品な雰囲気」という微妙な語へと格下げになり、「端(は)」付きの「あてはか」に至っては「見た目の端々に品の良さが見てとれる」という「外見上の上品さ」のみを表わす語である。
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▼ | ▲[88]【止む事無し】って、何が止まらないの?
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▼ | ▲[89]【た+太し】と【羊+大き】
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▼ | ▲[90]【清ら】・【清げ】、そして【けうら】
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▼ | ▲[91]「際は際」・「あふなあふな」の考え方
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▼ | ▲[92]【階・品・級・科】=「しな」に思うこと
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▼ | ▲[93]【はした】「無し」では御見事すぎ
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▼ | ▲[94]「空頼み」と「空頼め」
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▼ | ▲[95]「あだしごころ」のあやしきこころ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.210【徒し心】 「まめ=誠実・忠実・実直」の対義語として意識される「あだ(徒)」は、「中身がなく、浮ついている」の意味であり、特に、恋人に対する誠実を欠き、他の異性に心奪われるような「浮気っぽさ」の意味で多用された。
そうした「あだなる心=浮気心」を表わす古語として用いられたものに、「あだごころ(徒心)」というのがある。対義語は当然「まめごころ(実心・忠実心)」であるが、この「あだごころ」の同義語バリエーションとして生じたものに「あだしごころ」というのがある。
この「あだし」は本来「他し」(古くは清音の「あたし」)であって、その語義は「別の」である。つまり「徒」と「他し」とはまるで別語なので、「あだしごころ」=「他し心」なのであるが、「本来あるべき場所以外にある心」の意味は「浮気心」にも通じるということで、「他し心」と同時に(古くからあった「徒心」の真ん中にまるで副助詞的な「し」を付けた)「徒し心」なるインチキ表記も生じるようになり、そこから逆生成の形で「徒し=浮気っぽい」なる形容詞までもが(中世以降になって)生じることとなった。。。とまぁ、何とも「まめ」ならぬ大和言葉の「あだ」なる浮気心が生み落とした鬼っ子の数々のお話であった。
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▼ | ▲[96]【あだな】とは別の名 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.211【徒名・仇名】 現代日本語の「あだな」は英語の「nickname:ニックネーム=愛称・別称・又の名」に等しく、本名を呼ぶよりも親しげな雰囲気を演出するための二つ名であるが、古語ではこの意味は「他し名(あだしな)」という別語で表わし、「あだな(徒名・仇名)」の領分ではない。
古語の「あだな」は、その「あだ」が「多情」を意味する場合は「多くの異性と関係がある、との噂」、現代語で言う「浮き名」となる。
「あだ」が「根拠なし」の意味であれば「根も葉もない噂」となる。
いずれにせよ、現代の「あだな」とは「別の名」であることを、紛れのないよう覚えておくことだ。
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▼ | ▲[97]「まめ」は直視に始まるもの
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▼ | ▲[98]【まめやか】の本気性
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▼ | ▲[99]【遊ぶ】はplay・・・仕事の対義語 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.216【遊ぶ】 「遊ぶ」は英語なら「play(プレイ)」であり、これは人類始まって以来常に「生産的な仕事とは対極に位置する、人間の生きるための営為には直接結び付かぬことを、特段の目的もなしに、する」の意味であり続けた。勉強・宿題にシビレをきらした子供達が、弾かれたようにお外へ飛び出して無意味に飛び回るのも「遊び」なら、現実的な課題とは掛け離れた「神は存在するか?」的命題に頭をあれこれ使う行為もまた「play of the mind:観念遊び」であって、仕事の枠組みからは外れる営みであった。
もっとも、昨今の世界の多くでは、「生きるための営み」はもうクリアしてしまった贅沢な人間達が、「遊びという名の仕事」に従事している例が多いので、上記の「遊び」の定義もやや怪しくなってきた感がある。ゲームソフトウェア開発業者は、なるほど「あそび」に従事してはいるが、そのプログラム開発のために日夜ヘトヘトになるまで試作品の「プレイ」を続けても、もはやそれを「遊び」とは呼び難いだろう。そこに「日常の仕事への束縛から逃れた、心と身体の余裕」が感じられぬ営みの場合、これを「遊び:play」とは呼ばぬこと、昔も今も将来も、何ら変わるものではない。
「遊び」について論じ出すと、一つの大きな研究書が出来上がるし、それをするのはここでの本意でもないので、その種の仕事はホイジンガ(Johan Huizinga:1872-1945・・・アソビについてマジメに論じた学者さん)にでも任せておいて、ここでは、古典時代の「遊び」の多くは、「詩歌」・「音楽」・「舞踏」・「狩猟」・「行楽」等々、日々せっせと汗水垂らして生産活動に従事する下々の者には手の届かぬ、「遊びが仕事の(=ホイジンガ風に言えば、ホモ・ルーデンスの権化の)貴人たち」の贅沢な余暇の過ごし方を包括的に含むものであったことを指摘するだけにとどめておこう。
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▼ | ▲[100]【すきもの】はモノ好きな好事家って構図か?
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▼ | ▲[101]「すかす」は相手本意、「だます」は自分本位
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▼ | ▲[102]「あるじまうけ」って、女が御主人様を持つこと?
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▼ | ▲[103]お客人、頻繁すぎれば「まらうと」ならず
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▼ | ▲[104]【狂る・戯る】【鯘る】の意味の多様性 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.228【狂る・戯る】【鯘る】 「戯る(ざる)」との音調上の類似性からも、「あざる」の語義に「ふざける」や「打ち解ける」があることは納得し易いだろう。だが、語源的にはこの「あざる」は「あざ=痣」や「あざやか=鮮やか」につながり、敵のパンチを山ほど浴びたボクサーの顔面に見られるように、「(健全状態とは異なる)劣化」を示唆する語だったのである。
獲ったばかりの時は新鮮だった魚が、時間と共に劣化し、色が悪くなるのも「あざる」である。
通常ならばぴしっと整えられているべき着物の一部がだらしなく乱れて、素肌の一部が見えるようになっていたりするのもまた「あざる」である。
他者を誘惑したり策略にハメようとする魂胆が見え見えのどギツいやり口を示す形容詞「あざとい」もまた、この「あざる」と「痣・鮮兄弟」と言える語である。
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▼ | ▲[105]【あざる】→【ざる】→【おサレ】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.229【戯る】 きっちりした秩序・規律から少々外れて立ち回る「あざる=ふざける、たわむれる」は、語頭の「あ」が取れると「ざる」となる。
動詞はすべからく「連用形にすれば名詞化する」ので、「ざれ(戯れ)」は「おフザけ」の名詞となる。この語は「ざれこと=戯れ言(軽口・冗談)/戯れ事(お遊び・いい加減な振る舞い)」のような語句に用いられて古文には頻出するので、真面目な受験生にはお馴染みの語であるが、その響きに「不真面目を責める」のか「軽妙さを誉める」のかわからぬ微妙なところがあるのは、現代冗談事情にも通じるものがある。
話を文芸世界に転じると、和歌の世界では、「真面目な短歌」とは一線を画す「面白味(=俳諧趣味)を狙ったお遊び芸としての連歌」に初めて独立した部立を割いた第五代勅撰和歌集『金葉集』(1126年・源俊頼撰)に対し、第七代勅撰集『千載集』(1188年)編者の藤原俊成がその「戯れの様(ざれのさま)」の甚だしさを非難する、といった事例があった。この場合の「戯る=(あ)ざる」は、和歌を真剣な文芸として大まじめに追求しようとした俊成にとっては、「あらザルべきこと」&「文芸的なヒトならやるわけのないサル芸」だったわけである。
事程左様に、「ざれ」は「ダジャレ(駄洒落)」にも「オシャレ(お洒落)」にも通じるものの、安易に走ればたちまち「クサレ(腐れ)」に直結するものである。きっちりとした秩序・権威の存在を前提としつつ、そうした正道から一歩(否、半歩)外れたところで踏み外す微妙な味がその生命線だけに、「何が正しいか」を見据えもせずにただ踏み外すばかりの「あざれ」は、どう転んでもただの「腐れ」にしかならない・・・「ざれ」だの「シャレ」だの「ナンセンス」だのを見事に決めようと思う者は、他の誰よりもまず「常識人」でなければならぬのであり、「オシャレ」のつもりで「オサレ」などと口走る者は、乙にすました「お洒落」なるお上品コトバの存在を、誰よりも強く必要としているわけである。そうした自覚があるかないかはともかくとして、既定上品路線との微妙な対比の濃淡に応じて、その者のジョークの質の程度は確実に変わってくるのだ。
現代日本のような「秩序もルールもへったくれもありゃしない」世界では、「正道不在」という構造ゆえに、「踏み外す」という行為自体が(往々にして)論理的に不成立・・・そんなところで「オサレ」気取る連中が乱痴気騒ぎを演じれば、「クサレ」社会に堕するのは当然・・・今の日本には「マジメからのふとした息抜きの笑い」はほとんど存在せず、「他者を殊更下劣な立場へと叩き落として笑い飛ばすばかりの下卑たイジメ笑い」ばかりが醜く横行しているが、これは「戯れの本質」を知る者から見れば必然的な堕落現象。「誰もが誰かを小馬鹿にしてばっかでみんなが不機嫌・不愉快になるしかない」今のダメ日本に於いて、「ざれ」が「精神の清涼剤」として復活するためには、「まめ(実・忠実・誠実)」の復活こそが社会構造上の前提条件となるのである。
・・・とまぁ、こうした「まめまめしき(=あまりにも実直な正論すぎて面白味も何もない)話」を理解できる程度の心理学的素養が「現代ニホン戯れザル人種」にあるとも思われぬので、「ゲビザレ笑いは、1990年代初頭のバブル崩壊期から数十年間の、秩序が崩壊した日本国を象徴する社会病理現象であった」との記述が後の世の回想録に記載されるのは間違いないことであろう・・・・・・・・・なぁーんちゃって、ね・・・ぇ?本気にした?・・・ぁはは、ばァーか、冗談よ、じょーだん。「ざ・れ・ご・と」、そーゆーこと!(けけけ、そーいって笑い飛ばしちまえば誰も何も文句は言えないもんねー・・・あぁー、「笑い」って、楽だわ・・・ま、楽しくはないけどな・・・)
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▼ | ▲[106]【あかぬわかれ】と【さらぬわかれ】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.233【飽かぬ別れ】 「別れ」にも色々あるもので、「さらぬ別れ」となれば「避けることの出来ぬ別れ=誰にも必ずやってくる死別」である。「去らぬ別れ」などと考えれば「お別れしなきゃいけないのになかなか立ち去れない=惜別・名残惜しい別れ際」とでもなりそうだが、実際にはその語義を表わす古語は「あかぬ別れ」である。これまた「明かぬ別れ」などと読んでしまえば「人目を憚って夜明け前にお別れ」的な誤解を生みかねないが、実際には「有明の月」が夜明けを告げて、もうお別れしなきゃいけないのだけれど、まだまだ一緒にいたくて飽き足りぬ感覚の「飽かぬ別れ」である。漢字の当て字なしでは和語は理解し難&誤解し易い、という一例であろう。
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▼ | ▲[107]「ぅ・・・」からはじまるイヤなこと
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▼ | ▲[108]【うず】でも【うんず】の中古カナ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.238【倦ず・鬱ず】-「ん」を巡る古語事情-
日本語の表記記号として「ん」の仮名文字が登場するのは平安の世も終わりの頃である。
しかしながら、紙面上に「ん」の字が登場する以前の時代にも、発音としての「ん」は古くから日本では行なわれてきたのである・・・ともなれば、そういう<「ん」読み>を、どう表記していたのか、という問題が当然浮かぶわけである・・・どうしていたか、わかりますか?答えは以下の2通りである:
1)表記上は「ん」の字は書かない(撥音無表記)が、書かれていなくても「ん」と読む。
・・・「うず(倦ず)」と書いて「う<ん>ず(倦<ん>ず)」と読むやり方であり、これが中古中期までの一般的作法なのであった。
2)「ん」の代替文字を宛てて「ん」と読ませる。
・・・最も自然なのは「む」であるが、その他にも「う」/「に」/「い」などの文字を「ん」代わりに用いていた。つまり、「う<む>ず」/「う<う>ず」/「う<に>ず」/「う<い>ず」がすべて「う<ん>ず」になるわけである・・・何ともややこしい話であって、これならいっそやらぬほうがまし(=「なかなか」なり)な話と言えそうだ。「撥音無表記」で「<ん>の音は適宜補って読むべし」が妥当な作法だったことがわかるであろう。
-「うず」を取り巻く現代語あれこれ-
「うず(倦ず)」は元々「うむ(倦む)」から生まれた語で、連用形「うみ(倦み)」が名詞化したところに形式動詞「す(為)」が付いて「倦み+す」(現代語風に言えば「退屈してる」)となったもの。そのように最初から「M」音を含む語だけに、「ん」文字不在の時代には「うず」と並んで「うむず」の表記が「うんず」の代用品となるのが自然な語だったようである。
その「うんず」は、現代語の「うんざり」にストレートにつながる語であるが、これ以外に「うず/うんず」につながる現代語はないであろうか?
「うずうず」などはどうであろう?撥音無表記古語なら「うず」となるだけに、その畳語(二枚重ね)表現としては自然に結び付きそうであるが・・・これは意味の上で無理がありそうだ。「うず/うんず」は「同じことの繰り返しで、うんざり・げんなり・がっかり」なのに、「・・・したくて<うずうず>している」は積極的行動を求める表現だから、方向性はまるで逆。種明かしすれば、「うずうず」はまた「むずむず」であって、「むず」は「・・・む+と+す」であり「・・・為むと欲す/・・・せんとほっす」であるから、「・・・したくてしたくて仕方がない」の意味となる「うずうず」の語源は「むず・むず」であって「うず・うんず」ではない、ということになる。
一方、「またそれかよ・・・いい加減やめてくれないかなぁ・・・付き合わされるこっちの身にもなってくれよ、まったく・・・ブツブツ」という倦怠感の表現として、その音感的カッタるさがウケて20世紀の終わり頃から(特に若者言葉として)多用されるようになった言葉がある ― 「ウザい」だ。「うざったい」の形で細々と使われていた「うず・うんず」の末裔が、略語化(「うざい」・「ウザっ」)によって生み出される唐突な滑稽味という新たなる風味を加えて息を吹き返した感じの語である。
ちなみに、古語には「うざいがき」なるへんてこ語もある。「有財餓鬼」と書き、「残飯や汚ない物を食らう地獄の餓鬼」という仏教語であって、生前に強欲な守銭奴だった連中が、あの世でその報いを受けて「うざいがき」になるのだそうだ・・・から、懸案の「うざい」とは関係ない表現である・・・が、「ウザいガキ!」と書けば何となく「ったく、カッタるいガキだぜ、消えな!地獄でもおうちでもどこでもいいからとっととオレの前から失せやがれ!去ね、シッ、シッ!」みたいな響きがあって、面白い。
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▼ | ▲[109]「憂き世」と「浮き世」
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▼ | ▲[110]【憂き名】【浮き名】はどちらが古い?
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▼ | ▲[111]【をこがまし】は【尾籠】の業
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▼ | ▲[112]【をかし】は「浮かし」
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▼ | ▲[113]【あさまし】の「あさ」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.245【あさまし】 現代では「見苦しい」の意味に偏る「あさまし」には、古語の場合、実に様々な語義がある。それぞれの語義は、「あさ」の性質に応じて理知的に把握しておきたい:
1)「びっくりだ」
・・・最もよく出てくる語義である。これは、自分自身の事前の読みが「浅かった」から、予想を裏切る意外な現実に触れて「びっくり」するわけである。
2)「がっかりだ」
・・・こうした落胆系の使われ方も「あさまし」には結構多い。自分自身の期待や予想に対する現実の結果が「浅い=高くない」の意味で、「この程度とは、なんとも残念」となる。
3)「嘆かわしい」
・・・「がっかり」に似ているが、これは予想を裏切られたことへの落胆ではなく、自分が考える妥当水準を逸脱した何かに対し、「考えが浅い」というような非難の響きを込めて使う語義である。
4)「みっともない」
5)「取るに足らない」
・・・これらの後発性語義になると、その「浅さ」は「社会的身分の低さ=浅し」に直接的に結び付く感じとなる。下賤の者は「服装からしてみすぼらしい」となり、社会的地位が低いと「注目・敬意を払うまでもない」ということになるのが、平安期の人々の根本的体質なのである。
6)「あさましう」
・・・こうして連用形を副詞として用いるようになると、そこにはもはや原義の陰も宿らない;ただ単に「いゃー、もぉ、とにかくひどく・・・なのさ」というだけの使われ方である。
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▼ | ▲[114]【由ばむ】・【汗ばむ】・【気色ばむ】
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▼ | ▲[115]「よし」と言いつつよくない「よしんば」
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▼ | ▲[116]【悪し】と「あし」・「わろし」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.263【悪し】 同じ「悪し」の漢字表記でも、古語の場合、「わろし」と読めば「悪い」ものを積極的に否定する感じになり、「あし」と読めば「良くはない」という程度の否定となるからややこしい。字面だけではどちらかわからないだけに、この「悪し」が長年使われるうちに「わろし/あし」の意味の境界線そのものまで時代とともに消滅して現代に至っていること、言うまでもあるまい。
ちなみに、「わろし(悪い)/あし(良くない)」の裏返しが「よし(良い)/よろし(悪くない)」である。
こういうミクロの違いにやたらこだわるのはそれこそ悪しであって、言語学的厳密性とは極めて縁遠いチャランポラン言語の日本語に関してはよしあしもよろしわろしも実はどうでもよろしいのである。むしろ、「葦・蘆」という「湿原に生える草」の名を、本来の「あし」と読むと「悪し」につながるからという理由で「よし(良し)」と読み替えるような非論理的すり替え芸を、さも自然&高尚な言語学的才芸であるかのごとく嬉々として行なうのが、日本語&日本人のしょーもない本質なのだ、という事実の方をこそ肝に銘じておくのがよろしかろう。
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▼ | ▲[117]「愛し」と「惜し」
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▼ | ▲[118]【口惜し】と【朽ち惜し】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.268【口惜し】 古語を学んで実感できる日本語の特性の一つに、「漢字表記のいい加減さ」がある。それはもう「漢字表記」というより「感じ表記」と呼びたい感じである。
「くちをし」もまたそんな語の一つである。この語の原義は「朽ち+惜し」であり、自分の目の前で「だんだん悪い状態になって行く=朽ち果てる」状況を知りながら、それを食い止める力が自分にはないことを感じて抱く否定的感情が「くちをし=くやしい、残念だ、がっかりだ」である。
ところが、この「朽ち惜し」の表記は、いつの間にやら「口惜し」に化けてしまった。まさか画数の多い「朽ち」を嫌って単純そのものの「口」を宛てた、というわけでもあるまいが、本源的には全く意味を見出せない表記変更であるだけに、どんな理由であろうとも想定自由なのであるから、まったく困ってしまう・・・このあたりの行動に関し、日本語には「正当なルール(規則)」もなければ「不当行為に対するペナルティ(罰則)」もなく、ただ「やったもの勝ち」(正確には「広がっちゃったもの勝ち」)なのである。英語を初めとする西欧言語の厳格なる規則性に慣らされた人間にとっては、信じ難いことというか、この言語を母国語とする者としては信じたくないことというか・・・何とも「くちをしき」話である。
さて、そんな「朽ち惜し→口惜し」の宛字変更の後から生じたものか、それともこの語義が加わったからこそ「口」化けしたものかはわからない(し、別にわかろうとも望まない)が、古語の「くちをし」としては明らかに後発の語義として、「身分が低すぎて話にならない」なる社会学的差別表現がある。「あやし」や「いやし」や「かずなし」と同義語、ということになるが、この意味の「くちをし」には、実に、「口惜し」がぴったりなのである:「口に乗せて語るのが惜しまれる=話題にすべき価値すらもない」・・・それが社会的階層の低さのみに言及するものとすれば(近代以降の人権意識を持ち合わせた人類の自然的感覚としては)何とも嫌味極まる差別語であるが、「こんな代物、口にするだけで自分の品性が落ちる⇒口が腐る」と感じさせるほどに下卑た人や物がたくさんあるのは世の常、とりわけ現代ネット社会は「語っただけで、たちまち自分の口が腐る」と感じさせる物事の密度が異様に高いのだから、この「口惜し(口にするのもおしい) / 朽ち惜し(語って腐る自分の品性が惜しい)」なる古語の復権可能性も、それなりに高いかもしれない。
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▼ | ▲[119]別に「あたらし」くもない「あらたし」きこと [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.271【惜】 古語の「あたらし」は、現代人を混乱させる語の一つである。その語源は「本来、高い価値を持つものなのに、不当に低評価を受けており、応分の価値に当たるものとしては扱われていない」ことを「残念だ・・・本来の価値に当たるようにしたい」と嘆くもの。この「・・・したい」の意味を表わす形容詞語尾「・・・し」は、「ゆかし=素晴らしいものなので、その内容をもっと深く探求すべく奥底まで'行きたい'」と同種のものである。
そんな「あたらし【惜し】=惜しいなぁ、残念だなぁ、本当はもっと高く評価されて当然なのになぁ」が、いつの間にやら「あらたし【新し】=目新しい、今までにないものだ」との音調的錯誤から、「新しい」の語義一色へと塗りつぶされて、もはや「惜しい」の意味を表わさなくなってしまった現象は、古来幾度となく繰り返され続けてきた日本語の音化け・意味化け現象の∞分の1の事例・・・「新しい」ことでも何でもない、古くて残念な、和語の伝統芸、である。
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▼ | ▲[120]「あらた」と「あたら」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.272【あらた】 現代的感覚からみて紛らわしい古語の代表格と言えるのが、「あらた」と「あたら」である。現代日本語で言う「新しい」は、古語の世界では「あらたし(新し)」であり、「あたらし」だと「惜し」となって「勿体ない・残念だ」という遺憾系の語となる(もっとも、「新鮮」の意味での「あらたし→あたらし」の取り違え語法は、平安初期、『古今集』の頃から既にもう見られるので、さほど「あらたし(新しい!)」とは言えないのだが)。
上は形容詞の話だが、形容動詞「あらたなり」となるとこれに「霊験あらたか=神秘的な威力がはっきりと確認できる」の意味が加わるのだから更にややこしい。語源的にはこの「あら」は「あらはる(現る)」や「あらひとがみ(現人神=神が人間の姿を借りて地上に君臨したもの=天皇)」や「あらは(露は=本来隠しておくべきものが、モロ見え!)」などと同根語である。
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▼ | ▲[121]【あらは】れるのは無遠慮なり [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.273【顕】 「透明人間あらわる」(←うそコケ、現われないのが透明人間じゃん)とか、「太股もあらわな超ミニスカート」とかの表現に残る通り、古語の「あらは」の根っこにあるのは「現る(あらはる)」であり、英語で言えば「appear:出現する・見える」である。
その「あらは」が形容詞として用いられると、物理的な「丸見え」、抽象的な「明白」や「露骨」といった様態表現となるとともに、そうした「他者の目にどギツく映るのも気にしないあけすけな振る舞い」を非難する響きを込めた「不躾・無礼・無遠慮」の語義にもなる。
女性のスカートも、恋情の表出も、見えそうで見えないあたりが「奥ゆかし=もう少し奥底まで見てみたい」の気分をソソるわけで、その微妙な一線を越えてしまえば、あらはれいでたるその中身にはただもう「あらはなり=どギツすぎて、感心しない」の食傷感が待つばかり、という例は数多いのだ。
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▼ | ▲[122]ずんずん進む【すさまじ】さ
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▼ | ▲[123]【うつつ】から【ゆめ】に転べば【身】は【疎し】
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▼ | ▲[124]平安人は【働く】ことなし、ただ【動く】のみ
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▼ | ▲[125]【生業】は、「なりはひ」か「せいぎょう」か
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▼ | ▲[126]貴族の世果てて、【料(れう)】が幅利かす中世
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▼ | ▲[127]「食む」は「ハム」より「歯む」と見るべし
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▼ | ▲[128]【徳】の時代性
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▼ | ▲[129]【所得】は「せうとく」にて「しょとく」とは読まず
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▼ | ▲[130]「所得」やつは得意顔
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▼ | ▲[131]【能はぬ】者には【与ふる】に【値】せず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.296【能ふ】 現代語感覚ではまるで別物に思われる語の間に意外なつながりを発見するのは古語学習の愉悦であるが、ここで紹介するやつも雑学ネタとしてウンチクたれるには格好のものだろう:
◆「能ふ」=あたふ(can, be able to, be capable of)
・・・その能力が、ある事態に相応のものである=直面する事態「あた(仇・敵)」にうまく「あふ(合ふ)」=「あたあふ→あたふ」。
◆「価・値」=あたひ(worth, be worthy of, deserve)
・・・「能ふ」の連用形が名詞化して、「その能力に対する評価・価値・値打ち」を意味する語となったもの。
◆「与ふ」=あたふ(give, grant, bestow)
・・・眼前にいる相手「あた(仇・敵)」に対し、その「あたひ(価・値)」にぴったり「あふ(合ふ)」ような報償を「あたあふ→あたふ」。
「価値なき無能者には何も与えず、能ある者にはその価値に応じて与える」という理屈である。もっとも、実際の古典時代の(と限ったものではないが)日本がそのような「能力相応社会」だなどとは、間違っても言えないのであるが・・・。
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▼ | ▲[132]【与ふ】と【得さす】・【取らす】
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▼ | ▲[133]【たまふ】?【たまふる】? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.298【賜ふ・給ふ】 「尊敬」が「謙譲」に化けたり、「使役」を「尊敬」のつもりで使ったり、といった古語の敬語のややこしさはここまでにも幾度か指摘してきたが、そうした事例の中で最も有名なものは、次の例であろう:
1)四段活用「たまふ」は「尊敬」の意味の補助動詞である。
2)下二段活用「たまふ」を動詞連用形に続けると「謙譲」の意味になる。
-下二段「たまふ」は「謙譲の補助動詞」?-
より正確に言えば、「たまふ」を下二段活用して動詞連用形にくっつければそれで「謙譲」の意味になる、というわけではない。「見たまふ」・「聞きたまふ」・「思ひたまふ」・「知りたまふ」あたりの形でのみ使う定型句なのであって、「下二段たまふ=謙譲の補助動詞」というわけではないのだ。
更に語源学的事情について言えば、「謙譲」の「下二段動詞」としての「たまふ」は、上代に於いて「受く」・「もらふ」・「食ふ」・「飲む」の謙譲語として用いられていた、という事情があり、その根底には「魂(たま)+合ふ=たまあふ・・・'ほしい'という目下の思惑と'やろう'という目上の思惑がうまく'合致'する」の語感があった。
このように、最初から「下二段で謙譲語(となる例が一部見られる)」という来歴を持っていた「たまふ」であるから、他の幾多の類例に見られるような「尊敬・使役・謙譲等々のごちゃ混ぜ現象」とは一線を画す必要はあるが、日本語の敬語の根源的曖昧さを示すものであることは間違いあるまい。
-下二段「たまふ」の「謙譲」演出作法-
上で指摘した通り、下二段で謙譲を表わす「たまふ」が付くのは<話者の「見聞」及び「思考」内容を他者に伝える場合>のみに限定される。この種の「ワタシ的にゎー、・・・なワケよ」の自己主張を、日本人は(21世紀の現代に至るまで)あまりあけすけには行ないたがらぬものである。このことは、英語を学べば(かなりの初学者でも)痛感することである:「I think / I believe / I have no doubt / I'm of the opinion that / etc, etc.」といった英語表現を訳すのに、「私は思う/私は信じる/私には何の疑念もない/私としては次の意見である」といった直訳がいかに日本語にしっくり来ない「アクの強さ」を持っていることか、感じぬ日本人がいるとしたら、その人はよほど鈍感な人(or日本語をロクに知らぬうちに英語学習させられてしまった可哀想な言語学的identity喪失者)であろう。これらの表現は、「自分としてはこう思うのであり、自分はこの発言を行なうに際し、それなりの覚悟を込めている」という不退転の心的態度を伴う:英語では「commitment」という適語のある概念だが、日本語には(当然、というべきか)適当な訳語はない:説明的に訳出すれば「入れ込み」あたりになろうが、それもそぐわぬ感じなので、この語を使う日本人は大方「コミットする」などとわかったようなわからぬような例の調子の無国籍語の煙に巻いて無意味な使い散らし方に終始しているが、この種の「コミットメント=自分の発言・行動として、逃げも隠れもせず、はっきり言わせて・やらせてもらってる」という態度を、多少のてらいを込めて和らげる表現として、古典時代の日本人が考えついたのが「下二段としての'たまふ'」ということであろう。
「こんなこと、はっきり言わせてもらっちゃったりなんかして・・・ゴメンね」的な照れ隠しとして、「下二段たまふ」にはまた、係助詞と絡んだ「係り結び」(「ぞ」・「なむ」と対応すれば「連体形」/「こそ」と呼応すれば「已然形」)で用いる例が多い、という特性もあったことを付け加えておくべきであろう。
◆素のままの「下二段たまふ」例)我、かく<見・聞き・思ひ・知り>たまふ。
◆連体形係り結び「下二段たまふ」例)我、かくぞ/なむ<見・聞き・思ひ・知り>たまふる。
◆已然形係り結び「下二段たまふ」例)我、かくこそ<見・聞き・思ひ・知り>たまふれ。
・・・四段(=尊敬)も下二段(=謙譲)も、「たまふ」の終止形は「たまふ」であってまるで区別が付かぬのだから、活用形の区別が付けられるようにする、という効用も、「連体形(たまふる)」で結ぶための「ぞ」・「なむ」や、「已然形(たまふれ)」で結ぶための「こそ」との呼応には、あったわけである。
-会話&手紙限定の「謙譲たまふ」-
いずれにせよ、「謙譲の下二段動詞」としての「たまふ」が用いられるのは、あくまでも「会話文」や「手紙文」の中だけであったから、「相手に対して、へりくだっている」という事実は、「会話&手紙の相手」にとっては最初から自明のこと。それを殊更試験場で取り上げて「この'たまふ'って、尊敬じゃなくって謙譲なのだけれど、キミ、わかるかな?」的な意地悪クイズに仕立てたりする古文のセンセって、なんぼのもん?みたいな尊敬のかけらもない事なむ(orぞ)思う給ふる我なるよ。
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▼ | ▲[134]【たまはる】人は目下?目上?
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▼ | ▲[135]「被く」と「潜く」はどっちもダイブ、下へ下へとドッブーン!
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▼ | ▲[136]12枚重ねて着ても【ひとへぎぬ】?
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▼ | ▲[137]【あこめ】姿を見られる人は・・・ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.307【衵・袙】 受験に出て来る古文の多くは、平安時代の女房族の書いたものなので、勢い、衣類に関する記述が多くなる。衣類のセンス一つでその人物の全てを語り尽くしてしまおうとする女性的感覚は、昔も今も変わらぬものらしく、「これは、ショボい社会的地位を象徴する服装の記述だな」とか、「この色の服はポイント高いんだな」とか、「光源氏なのにこんな服装してる、ってことで、不遇の色彩を濃密に描写しようとしてるんだね、紫さん」だのと、女の目で物事を眺めねばならない・・・ので、古文はおしなべて男子高校生の間では不人気、という側面も確かにある。
そんな中にあって、「あこめ」は、多感&多汗(・・・その他の液体の対外放出もかなり過剰気味・・・)な男子高校生のお友だちにも是非教えてあげたい衣類なので、ここにちょっと書き記しておこうかな。これは元来「間籠(あひだ+こめ=あひこめ)」の略形とされるもので、その名が示す通り「衣類と衣類の間に挟み込んで着る」もの、現代的感覚で言えば、パンツ・スカート類のゴムの下に潜り込ませて着用する薄いTシャツである。
Tシャツ姿は、男の場合はさして絵にもならないが、女性がこの薄い肌着一枚を涼しげに風に靡かせている(あるいは、日の光の下で透かしている)姿には、基本的に衣類に関心の薄い男子諸君とて、大いに魅かれるものがあるだろう。現代女性のTシャツ姿は、白い肌着の下に透けて見えるブラジャーの紐(背中の話)だの、場合によってはもっとドキドキの小さな起伏だのを(相手に勘付かれずに)探す愉悦も伴うもの。
古典時代の日本女性はブラジャーも(パンティーさえも!)着けなかったし、全体的にかなり厚着だったので、現代ほどの肉感的アピールはなかったことは確かだけれど、それでもやはり女性の「衵姿」は、極めて近しい男性の前でしか見られない絶景であったことは間違いない。
もっとも、男性の場合は比較的多く、くつろいだ折りなどには「衵姿」でいたりしたらしい。また、童女が「衵姿」でいるのは極めて自然なことで、成熟した女性の肉体が薄い肌着一枚に包まれているのとは自ずと状況が異なることは言うまでもない。
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▼ | ▲[138]内に着る【内着】?ちょいと着る【打ち着】?
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▼ | ▲[139]「指貫」は中古のズボン
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▼ | ▲[140]晴れじゃなく色色あるのが貴人の【直衣】
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▼ | ▲[141]【かぶり】・【かうぶり】・【おかんむり】みんな知ってた?「しったかぶり」?
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▼ | ▲[142]【はか】ははかどる、さもなきゃはかなし
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▼ | ▲[143]【そこはかとなし】の曖昧さ
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▼ | ▲[144]ホイホイ行かずに「ほいなし」
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▼ | ▲[145]【ほい】が「ほんい」ならざるわけ
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▼ | ▲[146]「いたづら」の心理
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▼ | ▲[147]【力及ばず】は負け犬語?
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▼ | ▲[148]【人頼み】と【人頼め】
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▼ | ▲[149]<人間「はおろか」、犬からも馬鹿にされてる>って、「人間=愚か」ってことかい?!
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▼ | ▲[150]「何度も愚かなり?」など言ふもおろかなり
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▼ | ▲[151]「疎か」と「愚か」
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▼ | ▲[152]【愚る】はオロオロ、【惚る】はホレボレ
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▼ | ▲[153]「ほく」の表わす「ボーッ」あれこれ
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▼ | ▲[154]【痴る】と【知る】と【領る・治る】の関係
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▼ | ▲[155]「しれじれし」と「しらじらし」
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▼ | ▲[156]【しれたる】バカの二つのレベル
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▼ | ▲[157]「治る・領る」と「知る」
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▼ | ▲[158]種まいて、しでかして、調達する【しいづ】
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▼ | ▲[159]【われはがほ】ってどんな顔?
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▼ | ▲[160]【為す・成す】を蔑み、【成る】を喜ぶ御公家さん [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.353【為す・成す】 「作為」・「人為」と書けばその「自然ならざる強引さ」が際立ち、「成す・做す」とすればその「本来違うものへと作り替える身勝手さ」が目立つ・・・という具合に、平安時代の古代人にとって好ましからざる意志性の強さを感じさせる古語が「なす」であり、その対極に位置するのが「なる(成る・生る)」なのであった。
「なす」と「なる」に共通する「な」の字は「生」であり、その意味は「発生」である。英語で言えば「happen」であって、事態の成立を巡る語である点では「なす」も「なる」も変わらない。唯一変わるのは「す」と「る」の違いである・・・こう書けばもうわかるであろう:使役の助動詞「す」と自発助動詞「る」の相違が、意志に裏打ちされた行為である「なす=someone makes things happen」と、自然的出来事としての「なる=things just happen」の違いなのである。
が、「原因なくして現象なし」の自然界の法則に照らして、事がただ「なる」道理もない。それが「成る」ためには、それを「為す」べく意志的に動いた何者かの営為があったはずなのだ・・・が、平安時代の貴人たちは、そうした「陰ながらの営為」を評価しない:評価せぬどころか「直視しようとしない」のだ。
「もののふ」なる言葉がある。「サムライ」なる語を「古き良き日本の素晴らしき男の生き様」などと錯覚して振り回す皮相的言語感覚の現代日本人の貧弱な語彙からは外れる可能性の高い語なので補足説明しておけば、これは「武士」の同義語(表記上も「武士」と書いて「もののふ」と読むことがある)。本来は「もののふ=物部」であって、「もののべ」とは読めても「ぶし・さむらい」とは読めないのだから、「武士」と書いての「もののふ」読みなどは完全なる当て字である;が、「物部・侍・武士」のいずれも、その表わすところは一緒、ということで、日本語の場合、こうした横滑り語も十分、あり、なのである。
さて、その「もののふ=物部」は、古代律令国家時代の日本にあって、「軍事・警察・司法」に携わった部民(べみん)の階級名である:中古末期以降、これが「侍」の職務となることは言うまでもない。「軍隊」は、武力をもって敵と戦い、これを殺す(&しばしば殺される)のが仕事であるから、お高くとまった貴人が自らこれに加わることはない。「司法」と言えば昨今の弁護士あたりの高給取りを思い浮かべて聞こえが良いが、「罪人の懲罰」もまたその管轄であり、血塗られた「死罪」を執行する仕事をも含むのだから、貴人にはこれまた縁遠い(というか、遠ざけたい)世界の話である。「警察」が罪人との日常的関わりの中で汚れ仕事を一手に引き受けるものであるのは古今変わらぬ事実であって、そんな「Dirty Harry:ダーティー・ハリー」的仕事を貴人が喜ぶ道理もない・・・いずれ劣らぬ「血の穢れ」にまつわるこうした仕事を、古代の貴人は、自ら引き受けることはおろか、まともに口に乗せることさえも「汚らわしい!」としてはばかったのである:その結果生まれた呼び名が「もののべ」であった。
「部」の付く部民は職能に応じてその名が決まり、「服飾関係」の「服部(はとりべ)」、「土器製作関係」の「土師部(はじべ)」などがある中で、「血塗られた部民」たる「軍事・警察・懲罰部門担当一族」は「いくさべ」だの「とらへべ」だの「くびきりべ」だのの具体的な呼び名で呼ばれることはなかった:その「穢れた仕事」への直接的言及を回避して「例の...系担当の連中」という持って回った言い回しで呼ばれたのだ ― 「モノの部」なる呼び名の誕生である。
「穢らわしい」と感じたが最後、自らが直接関与するのはおろか、その行為に言及することすらも徹底的に拒否する、古い時代の(と必ずしも限ったことではないが)日本人の黙殺態度を、この「もののべ」なる語は如実に示している・・・が、そうして貴人が目を背けようとも、現実に「軍事・警察・刑罰」の必要性はあるのであって、それを「なす」人々の陰ながらの努力あってこそ、事は「なる」のである。が、貴人連中にとっては「なる」だけがあって、「なす」は、ないのである・・・この意識、果たして平安時代の貴族連中だけに固有のものであろうか?
「もの」として曖昧にぼかされた例には、「おもの=貴人の食べ物」なる古語もある。加工過程で生き物を殺して切り刻んだりのやいのやいのの"汚らわしい"行為が入る以上、「食事」は「なるもの」であって「なすもの」であってはならない、というのが貴人意識であって、自ら料理の腕をふるったりするなどもってのほか、おひつからおわんに自らの手でごはんを盛ること自体が「あらら・・・」の斜め目線で蔑視されたのが古典時代の日本なのである・・・この「手盛り」や「手酌」を嫌い、「おや、これは失礼。言ってくれればこちらで盛り/注ぎましたのに」などと言って「相手に直接行動を取らせない=なす、を嫌って、なる、ようにする」行動は、現代日本の宴席の座にもなおしぶとく(「正しき作法」の名のもとに)居座っている・・・が、その「正しき来歴」を踏まえている日本人は、ほとんど存在せぬようである:知っておれば、この「汚らわしき主体性忌避体質」なる「汚らわしき偉ぶり意識」を、いかな鉄面皮の日本人とて、尊重できる道理がないのだから。
もっとも、こうした古典的事情を、「宴席のマナー」とやらをしたり顔して強要する日本人相手に教え諭すように教示するのは、やめておいたほうがよい...連中にとって「そう"なって"いる事」は (その来歴がどうであれ)絶対なのである ― 舞台裏の事情など決して見ようとせぬ平安調日本人の正統なる末裔だけに、「なる > なす」の図式は彼らの心理に於いても揺るぎないのであって、悪しき来歴や現在の事情に鑑みて「古きならわしを無となす事」など、彼らにとっては「ならぬ事」なのだから。
現状、誰がどう見ても「なってない」この日本を変えるためには、「古き日本」を ― 古来行なわれてきた「過去礼賛一辺倒」ならぬ客観的観察態度で ― 見据える目を持つ日本人の絶対数を増やすことが最低限の必要条件であろう(無論、十分条件ではないが)。
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▼ | ▲[161]【為す】にならない【なす】は【做す】
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▼ | ▲[162]【取り成す・執り成す】ことのうそっぽさ
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▼ | ▲[163]【ありし】・【ありける】・【ありつる】事ども
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▼ | ▲[164]【あらぬ】姿の意外性
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▼ | ▲[165]「あらまし」の概略 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.365【あらまし】 現代日本語に残る「あらまし」は、「概略」の意味である。古語でもこの語義は確かにあるが、多くの場合「予定・願望」や「理想像・・・を通り越して時には絵空事」の意で用いられる点に注意しておきたい。
どうしてこういうことになるかと言えば、語源が違うからである。「概略」の意味の「あらまし」は「荒まし」・「粗まし」に由来するものの、「予定・願望・理想・架空」系では、動詞「あり」に推量(というより願望)助動詞「まし」を付けた「あらまし」、もっと言えば「あらまほし=望ましい」に近い意味を持つのである。
そういうわけで、「あらまし」を覚えるには、現代語と同じ「概略」などは放っておいて、「あらましごと=予測・期待」や、動詞型「あらます=将来のことに思いを巡らす」に絡める形でその「あらまほしげ=理想的」ぶりをおさえておくべきであろう。
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▼ | ▲[166]せっせこ確認古語の【消息】
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▼ | ▲[167]あり「も」せずと「も」平気だ「も」ん [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.372【在りも付かず】 古典係助詞「も」には、無意味な使われ方が多い。「ありもつかず」の「も」もまたその一例であって、これは「ありつく」の否定形「ありつかず」と何一つ意味は変わらぬ語で、「も」が単なる整調語としてのみ機能している例である。
同様の例は、「うらなし【心無し】→うらもなし」、「ことなし【事無し】→こともなし」、「なにとなし【何と無し】→なにともなし」等にも見られる。
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▼ | ▲[168]「ともある」日々は友情の日々?
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▼ | ▲[169]「アリの遊び」って、どんなアソび?
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▼ | ▲[170]【率る】は【率ゐる】にも【用ゐる】
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▼ | ▲[171]動詞【用ゐる】のややこしさ
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▼ | ▲[172]【はべらす】ことのいやらしさ
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▼ | ▲[173]地べたに【さぶらふ】番犬が「侍」なりけり
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▼ | ▲[174]「つかまつる」は「塚祀る」・「使まつる」にあらず
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▼ | ▲[175]素のままでは使わず、必ず他の敬語にブッ刺す形で使う「尊敬」の【す】・【さす】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.394【させ給ふ】-「尊敬表現」に添えて二重に敬意を高める「す」・「さす」-
元来「使役」の助動詞「す」・「さす」は、「自らは事を為さず、他者を使役して事を為さしむる」という貴人の行動様態を表わすのに相応しいという原理から、「尊敬」の意味をも表わした。
が、この作為性の強い「尊敬」の「す」・「さす」は、全ての動詞に(「る」・「らる」のように)自然にくっついて「尊敬」の意を表わす助動詞ではない;引っ付く先は「尊敬語」と決まっていて、以下のような定型句の構成成分に過ぎぬものなのだから、その意味で「尊敬の助動詞」と呼ぶのには少々難があるとさえ言えるものである:
◆「・・・せ給ふ」・「・・・させ給ふ」
◆「・・・せおはします」・「・・・させおはします」
◆「・・・せまします」・「・・・させまします」
-「す」・「さす」が本来の「使役」の意味にとどまる場合-
上のような「二重敬語」の形で相手への敬意を強める言い回しとしては、「す」・「さす」を独立して解釈せずに「定型句として棒暗記」して乗り切ってしまえばよい、ということになる・・・これだけなら実に楽な展開である;が、困ったことに、これらの表現に於ける「す・さす」が「尊敬」ではなく「使役=・・・させる」の原義を相変わらず保ち続けている場合もあって、そうした場合は当然「・・・であらせられる」ではなく「・・・させなさる」と訳さねばならない。外形からの区分は付けられないから、脈絡上「誰かを使って何かをさせる」意味に取り得る場面か否かをじっくり見極める必要があるわけで、これまた出題者による受験生イジメには格好のネタ、ということになる。
ちなみに、「二重敬語」と言うといかにも「とてつもなくエラい誰かさん(天皇とか皇后とか)」だけが尊敬対象になりそうな感じだが、会話や書簡文の中では、さほど敬うべきとも思われぬ相手に対して「せたまふ」などと平然と用いられていた・・・「敬語なんて言っても、所詮はリップサービス」というわけで、このあたりの偽善的事情は、千年たっても何一つ変わらぬ「敬語という名の美辞麗句にまつわる醜悪なる真実」というわけである。
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▼ | ▲[176]「させる」ことなき古文の使役は【せさす】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.396【為さす】 使役の言い回しとしては、現代日本語では「・・・す/・・・させる」と相場が決まっている。
例)子供たちを遊ば<せ>ておくのもいいけど、少しは勉強<させる>ようにしてください。
この同じ文章を古文にすると、どうなるか:
古文例)子らを遊ば<す>はよろしけれど、いささかなりとも学問<せさす>べくこしらへてむや。
最初の「遊ば<す>」は問題ない。動詞「遊ぶ」に付けるのだから、助動詞「す」の1語だけで事足りるのである。問題は2つめの「学問<せさす>」である。現代語の「勉強<させる>」と比べて、どこかが違う:どこがどう違うか、説明できますか?
答え)現代語の場合「させる」が1語の(サ行変格活用)動詞扱いだが、古語の場合は、サ変動詞「す(為)」+助動詞「さす」の二段構えを取っている。
この様式を弁えずに、現代語感覚で2つめを次のように書いてしまえば、古文ではなくなる:
(×)いささかなりとも学問<さす>べくこしらへてむや。
文法的に説明すれば、「学問」は名詞でしかないので、これを「勉強する」の意味にするには、直後に「する」の意味の動詞を付けねばならず、「・・・させる」の意の助動詞「す/さす」だけでは役者が足りないのだ(この点、最初から動詞がそこにあった「遊ば+す」とは異なるのだ)。古語の場合「する」の意を表わすのは「す(為)」であり、その動詞を付けた上で、更にその直後に使役助動詞「さす」を付けねばならないわけである。助動詞「さす」一語だけでは文中で独り立ちはできない:直前に本動詞あってこそ初めて意味を成すのが助動詞なのだ。かくて、「せさす」という(現代人の言語感覚からは)冗長な感じの表現が、古語に於ける「~させる」の定型句となるわけである。
ちなみに、現代日本語「させる」と全く同じ語形の古語がある:「然せる」がそれである・・・が、漢字表記すればわかる通り、その意味は「使役」とはまるで違う。実際にはほぼ常に「然せる事もなし」のような形で用いて「たいしたこともない」の意味を表わす定型表現であるから、こちらも「す/さす」に絡めて覚えておいたほうがよいだろう。
何ということもないようだが、「せさす」/「させる」を巡る誤謬(fallacy=錯覚・思い違い)は、現代日本人には要注意事項なのである。
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▼ | ▲[177]【おはします】は丁寧語以前に「在り・居り・行く・来」で【御座います】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.405【御座します】 「御座」の当て字をすればわかるであろうが、「おはします【御座します】」の原初的意味は「ある場所に動かずじっとしている」であり、「在り」・「居り」の尊敬語である(ある場所に存在するための移動動作としての「行く」・「来(く)」の尊敬語にも転用された)。
やがてこの「おはします」は、「動詞連用形+おはします」あるいは「動詞連用形+て+おはします」の形で「尊敬の補助動詞」にも転じることとなり、巡り巡って現代標準語の「・・・(で・に)ございます」なる丁寧語(というにはやや慇懃無礼に近い大袈裟な表現)や、関西ローカルの「・・・でおます」にその名残を留めている。
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▼ | ▲[178]「おひ」と「grow」と「おい」と「おや」
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▼ | ▲[179]【おひさき見ゆ】で見えてるものは? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.408【生ひ先見ゆ】 「もう先は見えてる」+「老い先短き我が身かな」÷2=「おひさきみゆ・・・老後の人生真っ暗け」と誤解する人が多そうな古語だが、「生ひ先見ゆ」の実際の意味は「成長した先の人生に於いて、輝くばかりに立派になっている人物の姿が、今からもう見えるようだ」である。
古文での使い方の多くは、「まだ幼い女の子」の姿に「美人に成長した女性」の姿が二重写しになって見えるというもの(光源氏の将来の妻となる「紫の上」の、「若紫」時代の描写など)だから、前途有望な未来の美女を、若い身空で惜らしなびさせたりせぬように。
似たような古語に「生ひ先籠る」がある。「前途有望」の意味であって、「成人後、部屋に引き籠もる」のような脱線解釈はせぬように。
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▼ | ▲[180]「おひさきこもる」は老人性引き籠もり症?
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▼ | ▲[181]【勝る】相手は一体だれ? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.411【ねび勝る】-相手が見えなきゃ、勝てっこない-
昨今の日本人は「勝ち」だの「負け」だのを軽々しく口走るようになった(例:「勝ち組」・「負け組」)が、「敵を真正面から見据えてかかる」体質がない国民性は千年前からまるで変わっていない。その言語学的証明としては、「比較構文に弱い」という一事を例に引けばそれだけでもう十分であろう。特に、相対比較にうるさい英語を学ぶに際して、日本人は「比較対象がマトモに見えてすらいない=優勝劣敗の理がわかる道理もない」という形でその勝負弱い馬脚を顕わすものである・・・カチンと来ちゃった日本人も大勢いるだろうから、彼らの心情を代弁する英文も添えておこうか:
What you say couldn't be further from the case!
・・・「further」は「father(お父ちゃん)がツムジ曲げちゃった姿」じゃなく「far=遠い」の比較級である;が、何と比較しているか、おわかりだろうか?・・・と、聞かずもがなのことを聞くのも意地悪だ(どうせわかりっこない)から、正解はこちら→「than you are far from the case now」
・・・ついでに言えば「couldn't」が「can't」でない以上、これは「仮定法過去:subjunctive past」であるから、そこに「見えない条件節」を読み取るべく「even if you tried to be further from the case than you now are」を補足する読み方も(英語人種なら)反射的に行なうべき芸当であるが・・・日本人にそれを求めるほどのヒドい「言語学的事実誤認」とは無縁の筆者なれば、ここらで本題に移ろう。
-「マセ」てる?それとも「マシ」てくる?-
「ねび+まさる」=「成長する+より素晴らしい状態である」なるこの古語が「勝る=優れる」を含むものである以上、そこには相対的に「劣る(おとる)・後る(おくる)」対象が想定されるところである;が、実は、「ねびまさる」ではこの対象が一定せず、何を対象と捉えるかに応じてその意味も次のように二つに分かれるのである:
1)比較対象=<現時点の年齢相応の水準>
・・・これだと「その年頃の普通の男の子/女の子」<よりも勝っている>となるので、訳語は当然「マセている」とか「大人びて見える」とかの早熟な感じを表わすものとなる。人間という生き物は、向上心を失わぬ限りは死ぬまでずっと知的成長を続けるものだが、身体的成長は18歳ぐらいで停止して以後は横這い~緩やかな下降線を辿る生物学的宿命であるので、「当該年齢の平均的水準」を「(早々と)越えている」と呼べる対象は必然的に「まだ大人になりきっていない子供」だけである。12~14歳(古典時代の女子が「裳着(もぎ)」・「髪上げ」をして「形式上の大人」の仲間入りをした年齢)の少女をつかまえて「大人っぽい」と言うことは可能でも、18歳や20歳の女性に「君って大人っぽいね」と言う男は(ばっかみたい・・・よほど女と無縁の男なのね)と鼻であしらわれておしまいであろう?そういうわけで、こちらの「ねびまさる=マセちび」の対象はもっぱら「子供」(それも大抵、"将来の美少女候補")というのが通り相場なのである。
2)比較対象=<以前の自分自身の水準>
・・・これだと「小さい頃は大したことなかったけど、大きくなるにつれて見違えるように立派になってきた」という「みにくいアヒルの子(The Ugly Duckling)」パターンとなる。こちらの場合、何も「小さい子供」のみが対象となるわけではなく、「年齢を重ねるにつれて渋みが増す」というような「華麗なる加齢」にも言及し得る古語である。
-後発的多義性-
このように、比較対象の捉え方次第で全く異なる二つの語義に分かれる「ねびまさる」であるが、この多義性は最初から意図されていたものではない;「そもそも、比較対象が明確に見据えられていなかった→当初の使われ方とは異なる比較対象が後から見つかって、それに応じて意味も変わってしまった」という偶発性の産物である。比較対象を何と捉えるかは「使い手の恣意」が決するものであって、「当初の使い手が何を想定していたか」などは問題にもならぬのが日本語なのである。
「確信犯」なる語に関しては、「それが'悪いこと'だと知っていながら、いけしゃあしゃあとそれをするやつ」の使い方が(実際、そういう人間が圧倒的多数を占める世の中なのだから)日本語の中で支配的になるのは理の当然であって、この語を最初に用いた人間が「狂った社会の約束事によれば'有罪'とされるものの、それでもなおかつ'正義'と信じた事は貫き通す・・・その結果、'良心の犯罪者'として断罪される人物」という立派な使い方を意図していた、という事実など、多数決へと自然に靡く言語学的実用原理の前には、何の重みも持たぬのである(・・・特に、原理・正義に対する敬意が恐ろしく低い日本人の手にかかれば、ね)。
この種の横滑りを数限りなく繰り返すうちに、「本来の正用法」などというものを想定する営み自体が全く空しくなるほどの「可変的多様性」を有するのが日本語という言語の特性なのである。西欧言語、少なくとも英語には、言語学的来歴をこれほどなおざりにする身勝手な無秩序性は、ない。「原典・原理・正義・正論」への忠義立ては、西欧人にとっては「生理」であり「宗教」ですらあるのだ(この点に於いてもやはり、大方の日本人は「無宗教」なのである)。
-「ねびまさる」の対義語やいかに?-
なお、「年齢上昇と共によくなる」表現がある以上、逆に「年齢が上がるにつれて、残念な感じになる」やつもありそうである・・・が・・・古語辞典にはそういう語は載っていない。語学的には「まさる」の対義語は「おとる」や「おくる」なので、さしづめ「ねび劣る/後る」とでもなるのであろう・・・が、よくよく考えてみれば、「老化に伴い、水準が落ちる=経年劣化」は無常の世の理である。「ねび勝る」はあっても「ねび劣る/後る」がないのは、「人はいつかは必ず死ぬ」という命題同様、当たり前すぎて「言ふべきにもあらず」ということであろう。
もっとも英単語には、「いつかは死ぬべき運命(の生き物)」なる自明の理を表わす「mortal」なる形容詞/名詞が存在する・・・その対極に「immortal:死ぬことのない」比較対象として「gods:(ギリシア・ローマ神話の)神々(Zeus, Hera, Poseidon, Hades, Athena, Ares, Aphrodite, etc, etc.)」があればこそ、の芸当である。
であるから、いずれ人類が「cloning:クローニング=細胞レベルでの生物再生技術」に加えて「memory-transplant:メモリー・トランスプラント=記憶レベルでの人生移植技術」をも手にした暁には、2010年現在の日本語には(自明のこととして)存在しない(「immortal:不死身」の対義語たるべき)'死身'を表わす和語が、当然、生まれることになるのであろう・・・もっとも、筆者も読者も、それまでには確実に死んでいることであろうが。
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▼ | ▲[182]世に延ふ年数=【齢】
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▼ | ▲[183]【おいらか】は「おおらか」?
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▼ | ▲[184]【しにい】ったくせによみがえっちゃう古代人
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▼ | ▲[185]【往生】良いこと一度はお遂げ、♪ぁナンマィダァー♪
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▼ | ▲[186]【往ぬ・去ぬ】と【死ぬ】とのナ変兄弟
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▼ | ▲[187]意味を見失いがちな【うしなふ】の語義
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▼ | ▲[188]【うしなふ】ものはずいぶんたくさん [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.422【失ふ】 古語の「失ふ」は現代語の「失う」よりも遥かに多彩な語義を持つ:
(1)〈(気付かぬうちに、また、不注意により)なくす。(方法や道程が)わからなくなる。〉喪失する。不明になる。
・・・現代語に通じるのは実にこの語義のみであって、以下の語義は古典時代特有のものとして、受験生の盲点になり、得点を失うもとにもなるので、要注意である:
(2)〈(不本意にも)他人に先に死なれてしまう。〉死別する。
(3)〈(意志的に)他者の生命を奪い取る。〉抹殺する。
(4)〈(「罪を失ふ」の形で)(犯した罪を)なかったことにする。〉赦免する。
(5)〈(意図的に)自分の遠くへ追いやる。(去ろうとする者を)そのまま行かせる。〉捨て去る。見逃す。
(6)〈(強制的に)ある場所から去らせる。〉追放する。
・・・こうした多義性は、「うしなふ(失ふ)」がその語源に「薄し(うすし)」を含むことに由来する、と知っておけば、理解の助けになるであろう。
また、これらの語義は、人の「死」や「断罪」、「追放・逃亡・追跡」といった、平時の人間生活とは縁遠いものであるだけに、鎌倉時代以降の軍記物の武断的で血生臭い世界の中でこそ大活躍するものであることにも注目するとよいであろう。
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▼ | ▲[189]「みまかる」者は下賤のみ
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▼ | ▲[190]【黄泉】は「よみ」か「よも」かはたまた「やみ」か
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▼ | ▲[191]「あくがる」ものはさまよい出る [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.440【憧る】 「あくがる(憧る)」は、現代日本語では「恋い慕う」の意味で心情温度の高い語であるが、古語の原義は「遊離」である。語源的には「幄(あく)=小屋」から「離る(かる)」であり、「本来の居場所を離れて外に浮かれ出る」の原義から、空間的に「さまよう」、対人的に「心が離れる」、更には「精神が肉体を離脱する」・「何かに強く心を奪われ、注意散漫になる」の意味が生じる。現代語の「憧れる」は、最後の「強烈な思念でボーッとなる」のバリエーションとして生じたものである。
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▼ | ▲[192]昔の【あからさま】は「露骨」じゃなくって「ちょびっと」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.442【あからさま】 現代では「露骨、見え見え、おおっぴら」の意味で使う「あからさま」だが、これは「あから」の音を「明ら」に結び付けて「明ら様=明るいさま=明瞭」と捉えた近世以降の錯覚語義で、古語とは無縁の代物。
古語の「あからさま」の根底にある「あから」は「あかる=離る」であって、本来存在する定位置から「一時的に離れるさま」であるから、「ほんの少し」が古典時代の「あからさま」の語義である。実際には「あからさまにも・・・ず」として「ほんのかりそめにも・・・しない」という強調的否定表現(英語で言えば「not a bit ...」)を形成することが多い。
本来の場所から一時的に離れるというその語感から言えば、「あからさま」は「あくがる」にも近い。「あくがる」の「かる」は「離る」であるから「あかる」と同じであるし、「あく」は「幄=小屋・・・いつも身を置く居住区画」であるから、「おうちからふらふら外にさまよい出る」の意味で「ふらつき歩く」になったり、「いつものお相手(の男・女)以外へと気持ちがヨロメく」なる艶っぽい浮気語になったりする。
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▼ | ▲[193]「あからめ」って、赤目?涙目?血眼? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.443【傍目】 「あからめ」と聞くと、カメラのフラッシュに反応して妖怪チックに変わった「赤目」だの、失恋直後の「涙目」だの、徹夜続きやゲームのやりすぎでの「血眼」だの、色々な「アカ=red」っぽさを感じさせるが、古語の「あからめ」は「傍目」と書き、その「あかる」は「赤る」ならぬ「離る」である。つまり、「視線を外すこと」が原義であって、「(一時的に)よそ見する」とか、「(今まで存在したものが急に)見えなくなる」とかの物理的な意味に加えて、「(浮気心から)他の誰か・何かに心を移す」といった恋情絡みの精神的語義をも含む。
よそ見・浮気心の意味では、「あっかんべー!(=あからめ)」的連想もアリかもしれないが、真面目な受験生ならむしろ「あからさま(=一時的に離れること)」との語源学的類似性から把握しておくほうがよろしかろう。
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▼ | ▲[194]【背く】は「背+向く」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.444【背く】 日本語というやつは、その構成要素を漢字に換言して捉えてみればその感じが分かることが多い便利な言語であり、「そむく」のままではピンと来ないこの語も、「背+向く」とすれば「対象に背を向ける」語感がきっちりわかって便利である。
ついでに言えば、「背中」を向けるのとは逆に「顔」を向ければ、「面(おも)+向く」=「おもむく(赴く)」となる。「赴く」の漢字の感じに縛られている限りは「A地点におもむく(=出向く)」の意味しか浮かんで来ないが、「面向く」へと視点を切り替えれば、「元来乗り気でなかった人物の顔(=面)を、ある方向へと向かせる=うまいこと説得する・服従させる」という(現代では死語と化した)古語の語義を把握するのに役立つ。
漢字は、日本語の横滑りを演出する困った滑脱記号としての負の側面をも持つが、意味の円滑な把握を助ける潤滑油としてもしばしば大活躍するのだから、学習者としてはこれを存分に活用するのが当然であろう・・・その意味でも、昨今の日本の白ち的なる漢字隠ぺい工作の愚まい性ははなはだ遺かんなことであり、こんなことを続けていたらただでさえだ弱な現代日本人の言語能力はいよいよち命的にたい廃してしまうのではと危ぐされるところである。
とまぁ、かんじのないじがどんなかんじかであそんでしまったあとで、気を取り直して最後にもう一つだけ古語のお勉強:「背く」の対象として「世」に背を向ける「世をそむく」は、「世間に逆らう反社会的人物」を想定させる響きがあるが、実際にはこの「世」は「世俗・俗世」の意味であって、「寺・仏界・宗教界」の対義語として用いられており、「よをそむく」=「世俗を捨てて、仏道修行の生活に入る」、即ち「出家する」の意味となる。現代日本人の生活感覚からは全く縁遠い語だが、古典時代にはやたらめったら出てくる行為が「出家」なので、しっかり向き合って覚えておくように。
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▼ | ▲[195]ムリだから【しぞく】
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▼ | ▲[196]【・・・のお方】が妙にお堅い敬意を表わす理由 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.446【方】 「言霊思想」については幾つかの記事の中で既に触れているが、上代(から中古あたりまで)には、「全ての言葉(こと:言)には霊魂が宿っており、その言葉を口にするということは、その言葉の霊魂(=言霊)を通して、言(こと)が表わす事(こと)に呼び掛け、その事を現実世界に呼び出すことにつながる」という考え方があったので、滅多なことでは口に出してはいけない言葉(=忌み言葉)というものが(古典時代には)沢山あったのである。
「死」につながる言葉などはその最たるものであったが、「人の固有名称」もまた忌み詞であって、自分の名を相手に呼ばれるということは、相手が自分の魂魄をその手に掴み、自由自在に操ることにも通じる。それ故に、人の名に直接的に言及することは、禁忌に触れることであり、女性などは(家族以外には)その本名は決して明かさなかったので、「**さんのうちの娘さん」(菅原孝標女:すがわらのたかすえのむすめ)だの「**くんのお母さん」(藤原道綱母:ふじわらのみちつなのはは)だのといった通り名が世に知られるばかりなのであった。
古典時代の人間の本名が後代に知られている例というのは、その人物の名称が朝廷の公式記録に残っている場合などにほぼ限定されている。この場合はさすがに「紫式部女(むらさきしきぶのむすめ)」だの「越後弁(えちごのべん)」(祖父の任国+官名)だの「弁乳母(べんのめのと)」(後冷泉天皇の養育係)だのといった通り名を記載するわけにも行かぬから「藤原堅子(ふぢはらのかたいこ/けんし)」という実名が(女性としては極めて例外的に)知られることとなるわけだが、それでもこの(ミョーに硬質な)本名よりは「藤三位(とうのさんみ)」(糖の酸味、みたいな矛盾した響きだが、実際の意味はもちろん'藤原'姓で官位は'三位')だの「大弐三位(だいにのさんみ)」(第二の酸味・・・第三のビール的な響きだが、その意味は、夫の役職が'太宰大弐=太宰府の副長官'で自分の官位が'三位')の通り名の方で語られる場合の方が多い。
このように、日本語には古来「人物の名への直接的言及」を憚る傾向が極めて強い。この体質は現代日本語にもそのまま引き継がれており、西欧人種のように素直には「Hey, MAHO:やぁマホちゃん」だの「Come on, KATAHO:おぃおぃそりゃないぜ、カタホくん」だのの「first-name basis:ファースト・ネーム上で推移する」表現には馴染めない日本人が多いわけである。
そうした日本語の「固有名称は呼ばずに済ます」特性から生まれたものとして、「人物名称の代用呼称としての'場'への言及」がある。以下にその一例を紹介しよう:
◆「かけまくもかしこき=口に乗せて語るのも畏れ多い」'天皇'への直接言及を避けて、その住居(皇居)の「立派な御門」を引き合いに出して「御(み)+門(かど)=みかど(帝)」とした。
◆一族を束ねる頭目を呼び捨てには出来ぬから、その居住区画(館)を敬って「御+館」とし、「みたち」だの「おやかた(さま)」だのと読(呼)んだ・・・「親方(様)」は後代の横滑り語。
◆「藤原道長」などと実名入りで言及するのは朝廷の公式記録の中だけのことで、通例はその(源氏最大の権勢家からもらった姉さん女房=倫子(りんし)さんの実家から引き継いだ)広大なる御殿の名を取って「土御門殿(つちみかどどの)」とか、晩年に建立した法成寺(ほうしょうじ=通称<京極御堂:きょうごくみどう>)に因んで「御堂関白:みどうかんぱく」と呼称した(・・・実際の道長は「関白」位に就任したことはないけど)。
上はいずれも「固有名称」回避の方便としての「関連場所」への言及例だが、日本語ではまた「人称代名詞」の代用表現としての「地理的位置付け語」の使用例も実に多い。「そちらのおかた」なる表現などはその代表例であって、「そっちの方(in that direction)」という多少離れた場所を遠巻きに言うことで、相手と自分との間にそれ相応の距離を置き(古語で言えば「所(を)置き」)、その遠慮が「心理的敬遠感覚」を演出することになるから、「そこそこの敬意を込めた、貴人の呼称」という性格を有することになる。
「あなた」・「そなた」・「そち」・「そこもと」などの「座標系」人称代名詞代用語の「丁寧度」は、その指し示す場所が話者からどの程度の距離にあるかを手掛かりに推測すればよい。あまりに近すぎる座標を代用呼称とする相手は、「自分と同等か自分より格下」とみなされているわけである。「こやつ(此奴)」(こいつ)が現代に至るまで罵倒語である理由もこれでわかるであろう:「ここ」は自分の立ち位置と全く同一であり、足で踏み付けにされるような地点へと心理的に追いやられているからこそ、「かのひと(彼の人)」や「あのひと(彼の人)」よりも貶されている感じになるわけである。
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▼ | ▲[197]「しりへ」・・・もしや「尻屁」?
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▼ | ▲[198]「かへさ」と「いくさ」
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▼ | ▲[199]【がり】は「もの」抜き・「人」専語
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▼ | ▲[200]【角】と【才】
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▼ | ▲[201]【つま】ははじっこ
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▼ | ▲[202]行き場もないから「四方山話」?
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▼ | ▲[203]「をちこち」と「あちこち」
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▼ | ▲[204]【こち】吹かば【あゆ】も【ならい】も【はえ】【あなじ】・・・どこ吹く風と通ふ筋なし
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▼ | ▲[205]【かなた】と【こなた】と【あなた】と【どなた】
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▼ | ▲[206]「其処許(そこもと)」が「おめぇさん」の意味になるのは江戸時代
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▼ | ▲[207]【何処はあれど】の略式表現
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▼ | ▲[208]【岩】より始まる【庵・廬】・【家】
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▼ | ▲[209]古典時代の【垣間見】は罪にはあらず
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▼ | ▲[210]【きちょうめん】なのは【几帳柱】
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▼ | ▲[211]「唐・漢・韓」はどこの国?
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▼ | ▲[212]「から」と「もろこし」、ついでに「てんぢく」、宇宙の彼方の「イスカンダル」
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▼ | ▲[213]【今は昔】の二面性 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.483【今は昔】 作り物語の出だしの常套句で、鎌倉期の説話集『今昔物語』の名の由来ともなっているのがこの「今は昔」。
「今となっては昔の話」と見れば「懐旧・追想」モードの断わり書きだが、「読んでるあなたの今=昔」と読めば、過去と現在/夢と現実の境界線を易々と超越する想像世界の無時制性を言い当てた文学的真理の乙な言い回し。
「古い」の「虚構」のと心の垣根を作りたがる人達には遠い世界の住人達の夢のようなお話の数々・・・さて、あなたは「夢にねぶれる」人なるや否や・・・とまれ、しばし、いざ遊ばむ。
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▼ | ▲[214]「きしかた」?「こしかた」?
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▼ | ▲[215]【先・前】の古語的意味
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▼ | ▲[216]【初む】と【染む】はそもそも同じ
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▼ | ▲[217]注意したい【末】
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▼ | ▲[218]「つひ」には「つひゆ」露の世よ・・・
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▼ | ▲[219]【今は】これまで
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▼ | ▲[220]呉音の「期=ご」の持つ微妙な響き
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▼ | ▲[221]【返る年】は過去?未来?
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▼ | ▲[222]「晦・晦日」は「つきごもり」、「朔日」は「つきたち」
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▼ | ▲[223]あっちのしだが【あした】だじょー [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.514【朝】 古語の「あした」は、現代的な「翌日」の他に、「翌朝」の意味もあれば、単なる「朝」の意味も表わす。3つめのは「<朝:あした>に道を聞けば夕べに死すとも可なり(=人として生きるべき正しい道のありようを朝のうちに知ることができたなら、その日の夕刻に死んでしまったとしてもかまわない)」(『論語・里仁』)の「あした」であるが、『男はつらいよ』No.16「葛飾立志篇」の車寅次郎(くるまとらじろう、人呼んで'フーテンの寅')みたいに「あした道を聞こうと思ったら、 ゆうべに死んじゃった・・・明日行くから明日聞けばいいと思ってたところが、ゆうべのうちに死んじまった」・・・ぁらやだ、何で死んじゃったんだろう(byおばちゃん) ― 決まってんじゃねぇか:交通事故よ!(by自信満々の寅さん)・・・みたいな錯覚を生じ易い「あした」である。
この「あした」の語源学的成文は、「あ(彼=あっち)+しだ(時)」であり、まだ来ていない「彼方の時」であるから、「翌日」が原義であることは間違いない。現代語の「あした」がこの語義のみに一本化されて、「朝」の意味は「あさ」の専管事項となったのも、合理的な話(トラさんの錯覚も無理からぬ話)なのである。
ちなみにこの「しだ」は、現代語では「帰り<しな>」の中に残る「・・・の場面」の意味であり、古語では「<さだ>過ぐ=結婚適齢期を過ぎる」の形で用いられる場合に要チェックの語である。
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▼ | ▲[224]【ひねもす】がらからがらとれた
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▼ | ▲[225]【としごろ】【つきごろ】【ひごろ】【さきごろ】【なかごろ】
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▼ | ▲[226]「ひごろ」って、いつごろ? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.522【年頃・年比】-時間意識の今・昔-
「Time and tide wait for no man.:時間の流れと時代の風潮は、人間的思惑など無視してズンズン流れる無慈悲なるもの」という意識を根底に持ち、「running against time:時間との取っ組み合いの喧嘩を演じている」西欧人に比すれば、日本人の「時間」に対する感覚は、今も昔も実に悠長なものである。古典時代に遡れば、そのtimeless(時の概念が希薄)な感じはさらに増幅されることになる・・・と思われる、であろう・・・が、現実は必ずしも然ならずなのである。
「日頃(古語では、日比、とも書く)」という言葉は現代日本語にもなお残るが、古典時代に乱用された「月頃・月比=ここ数ヶ月来」はもはや死語、ましてや「年頃・年比」ともなれば現代では「お年頃=(主に女性が)恋愛適齢期」の意味でのみ用いられ、「数年来」とか「長年」とかの意味には用いない。
物事の展開を把握する時系列的計測単位(time-span)を、「yearly:年単位」や「monthly:月単位」で捉えるような長い目で物事を見る余裕が現代日本人にはもはやなくなったからこその「日頃:daily=その日暮らし」以外全滅現象・・・というような論調に持って行きたい話の流れ・・・だが、実はこの「日頃」、現代日本人の場合は「常日頃=特定の日にちに限定せず、漠然とした'毎度'」という時系列的流れの枠外語として用いており、その意味に於いては、「数日来」だの「けっこう多くの日数」だのといった具体性ある計時語として「日頃・日比」を用いていた古典時代人よりも更に「時間的感覚が希薄」になっているのが現代日本人、という論じ方も可能なのだから、面白い話であろう?
「頃・比」を用いるコロコロ古語には、次のようなものもある:
1)「さいつころ」
・・・サイコロふたつコロがして丁半バクチしてるみたいな響きだが、「先つ頃(さきつころ)」のイ音便で「つい先だって(recently, lately, of late)」の意である。
2)「なかごろ」
・・・現代では「五月の'中頃'は、春でもなく夏でもなく、暖房も冷房もいらない、いい季節」みたいに「ある特定の期間内の中間期」の意味でのみ用いる語だが、古語の「なかごろ」は「先頃」と「昔(むかし)or古(いにしへ=往にし方)」との中間あたりに位置する「そう遠くない昔」の意味である。
現代日本語でこれらに相当する語は「この頃」・「近頃」・「先頃」あたりであろうが、時系列的区分意識は決して明確化の道を辿ってはおらず、進化よりむしろ退行している感さえある(「中頃」相当語の消滅がそのいい例である)。
こうして見ると、time-spanそのものの悠長な長さはさて置き、時間的区切り語の品揃えに関しては、現代日本語よりむしろ古語の方が豊富であり、時間的意識も逆に明敏だったのではないかと思えるのが興味深いところである。それでも無論、西欧言語の時系列語の圧倒的豊富さ・緻密さには比すべくもないが、時間の区切りというものが「時計的単位(年・月・日・時・分・秒)」の顕微鏡的(micro)&機械的(mechanical)視点にのみ偏りがちで、「時系列単位(daily, weekly, monthly, bimonthly, quarterly, yearly, decade, century, millennium)」的な巨視的(macro)&感覚的(emotive)視座を持たぬかのような現代日本語&日本人の特性は、英語に照らしても古語と比較しても、やはり一考を要するところであろう。
時の流れの中で自分がどの位置にいるのかを俯瞰的に見定められぬ者は、無慈悲な時流に無自覚に流された末に溺死するのが必然の定め ― 極めて西欧的発想ながら、好むと好まざるとにかかわらず、21世紀初頭の世界はそうして流れて行くもの ― であるから、「自分を中心とした'現在'・'現状'」しか見えず、自らの姿を客観視する能力に欠ける日本人の言語学的&社会学的生存様態は、致命的危うさを宿したものと言わざるを得ないのである。「流行の最先端を行く」つもりで「時流の波頭で踊らされた末に泡のごとく消えて行く」ばかりの物事や人物たちを、もうこの国の人間たちは、過去数十年に渡って十分すぎるほど沢山見てきたであろうに・・・。目先しか見えぬ日本人には、十年前も千年前も「歴史の教科書に書いてあるみたいな古い(=今を生きる自分とは別世界の)事」であり、「歴史を教科書(=今を生きる指標)とする芸当」など、夢のまた夢、なのである。
-腐れ「decade」の意味するもの-
そもそも、現代日本語にはいまだに英単語「decade(キリスト紀元に於ける100年=centuryを更に10年単位に区切ったもの)」に相当する和語がない。そもそもの時間意識が希薄なのだから無理もない話ながら、その「decade」を「ディケイド」と読んで「仮面ライダー・ディケイド(!)」などと銘打って一連の変身ヒーローものの'10周年or10作目記念作品'のタイトルにしてしまうあたりを見ると、「DECAYED・・・あぁ、ライダー・シリーズも、本郷猛・一文字隼人(精一杯オマケして風見志郎)の頃までが華・・・もぅ、玩具メーカー&芸能プロダクションの金儲け手段へと'腐敗堕落=decay'した(ed)んだなぁ・・・」の感を催させる掛詞となっている点が何ともシブいというかニガいというかイタいというか・・・さすがは日本語、といった感じ、原典無視もここまで来ると完全に(笑えない)「和風漫才芸」である。
本当の「decade」は「デッケィド」であって、この「デッカ」は「(1962年1月1日に、あの不世出の大グループThe Beatlesをオーディションでみすみす落第させて大損失を招いた)Decca Records:デッカ・レコード」や、ルネッサンス文芸の代表的一作&近代小説の開祖として受験生が棒暗記させられる「Decameron:デカメロン(・・・オッパイがメロン並みにデカい、の意味じゃぁない;まぁ、エロいユーモア満載の大人の小説なんだけど、'十日物語'なる時系列性に由来する標題で、全100話の短編集)」(ボッカチオ=Boccaccio:1313-1375作)に絡めてしまえば<「ディケ」ちゃうで、「デカ」やで>いうこってすんなり「ぁあ、そうでっか」と納得できそうなものを・・・時系列意識のなさもさることながら、語学的関連性に思いが至らぬ倭人が横文字使う時の横滑り語感のクサれ具合は、何とも残念なことと言わざるを得ない。
-「クサレ」と「おサレ」の境界線-
もっとも、このあたりの滅茶苦茶さかげんは、一応(地理上の)同朋人たる筆者だからこそ「残念!」と言いたくなるものであって、ゲスト格たるガイジンさんの目から見れば、そのハチャメチャな乱れ具合はまるで「しのぶもぢずり」、秩序もへったくれもないanarchy(アナーキー=無秩序・無法状態・・・和風に言えば「ルール?あるっちゃぁあるけど、ザルみたいなもんで、至る所に'穴開きぃー'みたいな?んなボロボロな感じー」)がいかにも「不思議の国ニッポン」らしくて「クサレ」ならぬ「おサレ!('オシャレ・お洒落'を21世紀ワカモノ言葉風に言うと、こーなる)」な魅力にもなるらしい。
なんのかんのと長々嘆いてみせたが、最後にひとつ、日本滞在歴がそこそこある外国人の多くが「これはいかにも和風で、実に便利!」と太鼓判を押す「時系列的みたいでー、その実、何の具体的時間も指していないけどー、それでいてこぃつを使えば対人関係は丸く収まっちゃう魔法の挨拶コトバ、みたいなー」やつを紹介して、timelessな和語の特性への泣き言を延々と繰り広げたこの一節の結びとしよう・・・曰く・・・「ぁあ、その節はどうも」・・・'その節'って'どの節'?などと問う者は日本人ではない:直視せず、何となく受け流してこそ、時間も言葉も流れ行く・・・それがニッポン、不思議の国でありんす。
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▼ | ▲[227]【さいつころ】と【おとつひ】
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▼ | ▲[228]【中頃】っていつごろ?
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▼ | ▲[229]【とん】から【とに】経て【とみ】になり [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.525【頓に】 現代語でも「近頃とみに有名になった***」などとして「にわかに・急に・いきなり」の意味で用いる「とみに」であるが、これは元来漢語「頓」の「トン」から生じた外来語。ただ、撥音文字「ん」は中古末期までの日本語には存在しなかったため、代替文字として「に」を用いて「とに」と表記して「トン」と読んでいた・・・現代人の感覚にはストンと腑に落ちる話ではないが、とにかくそういう状態で推移するうちに、いつの間にか(そう急に、ではなかったようだが)この「とに」が「とみ」への変態を遂げ、中古以降「ん」文字が登場したにもかかわらず「とん」に戻ることもなく「とみ」のまま定着してしまったものだという。
古語としての「頓に」は、現代語のように「とみに・・・する」のような肯定形ではなく「とみには・・・ず」の否定形での使用が多いことも覚えておこう。
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▼ | ▲[230]朝も早ぅから【つと】める人たち [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.526【夙に】 現代語の「つとに」は、「あなたの御高名はつとに伺っておりました」のような「以前から」の文語として用いられ、「現在と対比して、より早い段階で」の意味となる。古語の「つと」にもこの種の「早期」の意味はあるが、それはむしろ後発型語義であり、原義的には「一日のうちの、早い時間帯=早朝」の意味で用いられた。
この語感は、副詞の「つとに」よりも名詞「つとめて=(翌)朝」に絡めて覚えるほうが得策であろう。
動詞的には「つとむ(勤む)」もまた「早朝出勤・・・して職務に勤しむ朝廷の役人」の連想を生む語である。
副詞に話を戻せば、「つっと」なる「動きの速さ」もまた、その根底に「つと=早い」の響きを感じさせないでもない・・・が、このあたりになるともう多分に恣意的感覚が入ってしまう(副詞なんてのはそんなものだ)から、「'朝'も'はょぅ'から'よくつとめて(翌朝・早朝/勤めて)'働く」の語呂合わせでもってせっせと暗記にいそしむとよろしかろう。
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▼ | ▲[231]【つっと】&【つとめて】
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▼ | ▲[232]【疾く】はとっくに終わった事?それともさっそく始める事?
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▼ | ▲[233]【疾し】【敏し・聡し】【利し・鋭し】は「とぎすまし」の語感
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▼ | ▲[234]【ゆくりか】はゆっくりか?
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▼ | ▲[235]「とばかりありて」の色気婉曲
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▼ | ▲[236]【かかるホドに】・・・で書かれぬモノ
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▼ | ▲[237]「まにまに」より「つれづれなるままに」
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▼ | ▲[238]【やをら】は「急に」?「激しく」?
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▼ | ▲[239]【・・・や遅き】のロジック
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▼ | ▲[240]【早く・早う】が感動詞に化けた「いやはや」な事情
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▼ | ▲[241]「ふ:経・歴」の経歴
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▼ | ▲[242]古典時代の【積もり】
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▼ | ▲[243]「ふるさと」は故郷のみとは限らない
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▼ | ▲[244]「見捨つ」とは、見捨てて立ち去る非情の語?
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▼ | ▲[245]【次第】は「だんだん」のみならず
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▼ | ▲[246]【・・・する程こそ有れ】と「no sooner had A ...ed than ~ed/hardly(scarcely) had A ...ed before(when) ~ed」の類似性
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▼ | ▲[247]「ひにけに」に見る「異なり」の使い方
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▼ | ▲[248]【褻】にも【晴れ】にも
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▼ | ▲[249]【兼ぬ】と【予ぬ】
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▼ | ▲[250]かねてより**候補の【**がね】さん
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▼ | ▲[251]「かつ」は色々兼ねる古語 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.582【且つ】 古語の「かつ(且つ)」はなかなかの多義語であって、ナメてかかると必敗必至の語であるから、ここで軽く整理しておこう。
語源学的には「XがてらY」つまり「XとYとを同時に兼ねる」の同根語とされ、同時進行をその根底に持つ語である。ここに、いかにも和語らしい錯誤として「曾て・嘗て=かつて」との混用が絡んで「かつ」の多義性に更に輪を掛けている。
相関語句の形として用いられる「かつ・・・、かつ~」は、「一方では・・・、他方では~」として「且つ」の中核を成す語義である。現代日本語でも文語、あるいは数学用語として残る単独の「かつ」が表わす「そしてその一方」の語義は、その相関性を外した派生語義として把握すればよい。
そうした同時進行性の語義とはやや異なるものとして、複数の事態がほとんど時間差を置かずに連続的に発生することを表わす「次から次へと」の語義がある。「生まれてはかつ死に」などがそれであって、この語義から横滑りする形で、時間的に短い単位を表わすばかりの「一瞬」の語義も生じている。
「曾て・嘗て(かつて)」との混用としての「且つ(かつ)」が用いられるのは、「見る」・「聞く」・「知る」等の動詞の直前に置いて「すでにもう」の意を表わす場合である。
上記の「副詞」としての用法は現代日本語では消え去り、「接続詞」としての「さらにまた、なおかつ、その上」の語義だけが辛うじて生き残っているのは、無闇な横滑りで語義を広げた古語にはよくありがちな末路と言うべきであろう。
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▼ | ▲[252]【うたかた】と【うたがた】
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▼ | ▲[253]【すくすく】・【すくよか】が嫌われる時代&土地柄
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▼ | ▲[254]「やつる」・「やつす」は病気のみにあらず
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▼ | ▲[255]「こうず」の構図
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▼ | ▲[256]古典時代の「おこり」はコワい
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▼ | ▲[257]ゆったりといったりきたりが【揺蕩ふ】、出るに出られぬのが【躊躇ふ】
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▼ | ▲[258]「わななく」は、ワナにかかって鳴くケモノ?
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▼ | ▲[259]【いと、いと】=【アタっ、アタっ】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.606【いと】 古典の素養皆無の現代日本人でも、「いと+**し(形容詞)」と口走ればそれだけでそれとなく古文っぽい雰囲気が演出できる御気軽記号が古典副詞「いと」だが、その語源が「痛!」であることもついでにひけらかせば、いささか軽薄な古語通気取りに、多少なりとも博識っぽい雰囲気を上乗せできるかもしれない。
「いと」は「いとう」の詰まった音であり、「いとう」は「いたく」のウ音便であって、「いたく」は「甚く」で、これは時代劇にも(かなり改まった文語でなら現代日本語にも)登場する強調的副詞であるが、その原義が実に「痛く=ガツーンと精神的に衝撃を受けるほどに強く」なのである。
つまり「いと」だの「いと、いと」だの連呼は、「痛っ!あ痛ッ!!」に等しく、ブルース・リー(Bruce Lee)のカンフー怪鳥音「アタッ、アタァーッ!」(or『北斗の拳』のケンシローの「あたたたた・・・」)にも通じそうな「痛覚演出音」なのである・・・そう考えると、雅び気取って「ouch! ouch!」を連発する図の「イタさかげん」も、「いと、いと、甚し」と言うべきか。
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▼ | ▲[260]【いたはし】で「イタ」いのは、「ワシ」?誰? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.607【労し】 古語の「いと」だの「いた」だのには「痛」由来のものが結構多いが、「いたはし」もやはりそうで、「痛はし」が元の形であり、「労はし」は後発の当て字である。その「痛い」が「身体的痛覚(含 脳味噌内苦悩)」である場合は、当然その「イタ」い人物は「ワシ」であって、「キミの気持ちはイタいほどわかるよ」などと言っても、所詮他人の痛みは実感できっこないのが人間なのだから、「他者」が対象となる「いたはし」の「イタ」は、「肉体的苦痛」ではなく「心痛」であって、「(あまりに悲惨なので、見ていて)気の毒でしょうがない」とか、「(あまりに弱々しいので、ただ見ているだけではなく、手を差し伸べて)大事にしてやりたい気分」になったりするのが「対外的いたはし」である。前者は現代語では「痛ましい」、後者は「いとおしい」あるいは「いたいけだ」へと形を変えて引き継がれている。
一方、肉体的な「イタ」ではないが、対外的な「イタ」でもないという、「自分自身、あれこれ身体や頭をコキ使って、骨が折れて、ったく大変だ」という「いたはし」もある。苦労の合間にボヤいてる感じの強い語であるから、現代語に於けるその末裔は「いたはし」ならぬ「厭わしい」あるいは「鬱陶しい」あたりと言えるだろう。
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▼ | ▲[261]「痛い」から【いたはる】
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▼ | ▲[262]「いたがる」は「痛がる」よりも「甚がる」と心得よ
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▼ | ▲[263]「いたつく」とは、病気になるのか、治すのか?
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▼ | ▲[264]【いとはし】と【いとほし】のイタい展開
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▼ | ▲[265]身も心もやせるほどしみじみしちゃうから【恥し・優し】
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▼ | ▲[266]【いとほし】は、近付きたいのか遠ざけたいのか・・・
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▼ | ▲[267]【ねたし】のイタさ
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▼ | ▲[268]【心の鬼】とは鬼畜の心?天使の心?
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▼ | ▲[269]【心の闇】はどんな闇?
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▼ | ▲[270]「こちたし」の語義の多様性と当て字の妥当性
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▼ | ▲[271]【埋もれ甚し】のイタさとは?
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▼ | ▲[272]【いや】?うぅん、とってもイイから、もっともっと。 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.622【弥増さる】 「いや!」と言われていい気持ちになる男はあまりいないだろうが、古語の「いや」は「弥」であり、やや転じれば「いよ」であり、畳語にすれば「いよいよ」となって、ここまでくれば「益々いっそう・・・」の意味が弥が上にも印象付けられることであろう。もっとも古語では「いよいよ」には寸足らずの「いよよ」で出てくる場面が多く、完全なるクライマックスに上り詰める寸前でヘタっている感じ(漢字で書くとどっちも「愈」)であるが、実際には一旦「いよいよ」の域まで達した後で、「母音がちょっと邪魔」なので「い」を脇に退けた形の「いよょ」に落ち着いたものである。
古語でこの「いや」にスポットライトが当たる語としては、「いやまさる(弥増さる)」がある。「いよいよもって増大する」の意味であって、「イヤな気分がどんどん強まる」みたいな倦怠期の恋人・夫婦の感情を表わす悲しい語ではない。
時代劇好きな人なら(そんな人が受験生に何人いるか疑わしいが)、お祝いの席で一同が唱える「いやさか!」の音頭ぐらい聞いたことがあるだろう。「アタシのチャリンコ、変速ギア付いてないから、上りはほんと、キツいのよ・・・イヤっ坂!」みたいな連想する人(そんな人がこの筆者以外に何人いるか疑わしいが)は、「弥+栄ゆ=いやさかゆ=益々の御繁栄をお祈りします」の字面をもってイメージ修正を図ってほしい。
なお、「いやおうもなく」なる言い回しに含まれる「いや」は、これはもう間違いなく「イヤ!否・・・NO!」であって、直後の「おう!=応!・・・よっしゃ!OK!YES!」と対比をなして「相手がNOと言おうがYESと言おうが、そんなことにはおかまいなしに」という有無を言わさぬ強引さを表わす表現である。
いささかとりとめもない方向(一部、下方向というか、いやらし方面というか)へと脱線してしまった「いやまし」・「いやさか」の話・・・これ以上わんさかと漸増傾向を示すといやがる人も多かろうから、ここらでお開きでいぃや。
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▼ | ▲[273]【さらしな日記】って公開ブログ? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.624【更に】-「私ってこんなヒトなのよー」的な公開録としての中古日記文学-
「さらし(ちゃいな)にっき」=大勢の人に読んでもらえるようにブログやツイッター上で書き散らしちゃった私的なつぶやき、みたいなベタな連想に結び付きそうな名前の『更級日記』であるが、実際、この作品にはそうした「大勢の人々に読んでもらうために書かれたもの」としての性質が色濃かったことは(シャレでなく)覚えておくべきであろう。
作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)がこの作品を書いたのは西暦1020年から1059年にかけてのこと。年齢的には作者がまだ13歳の少女だった頃から52歳頃までの日記である・・・が、「日記」の体裁を取ってはいるものの、必ずしも40年間毎日こつこつ書きためた純然たる日記ではなく、回想録的にまとめて書き下ろされたものであろう、というのが全体的な文体判断等から出されている定説である。
この1020~1059年というのは、あの平安女流文学最盛期の一条朝(紀元1000年頃)の2~3世代後にあたり、作中には(1008年に初めて世に出た)『源氏物語』が読みたくて読みたくて仕方がなかった幼年期の話が書いてあったりするから、この作者がかなりの文学少女だったことがわかる。血統で物事を割り切った気になる日本人の悪癖を刺激するようで嫌なのだが、一応紹介しておくと、彼女の父親菅原孝標は、あの「学問の神様・天神様」の菅原道真(すがわらのみちざね)の5代後の孫にあたり、彼女のお母さんのお姉さん(異母姉だが)に当たる人(つまり、作者のおばさん)は、あのドロドロ濃密な『蜻蛉日記』の中で不実な夫の藤原兼家との幸福とは言えぬ結婚生活の記録(954~974)を赤裸々に綴って世の中にぶちまけた女性なのである。その『蜻蛉日記』によって「中古女流日記文学」なるものが大ブレークし、大勢の人々に読まれ、類似作品が山ほど書かれ、そうした中から、日記文特有の省略多用&自己完結的で難解極まる文体を模した作品として、例の『源氏物語』や『栄花物語』などが生まれたわけであり、そうした作品の作り手としての文才を認められたからこそ、紫式部のような決して社会的身分の高くなかった「受領の娘(ずらうのむすめ)」達が世に出ることができたわけである。
そうした「文才を認められての出世物語」を、「学才で出世した日本史上最高の知的エリート菅原道真」の子孫が、「女流文学者の草分けたるオバさま(・・・ちょっとコワそうな感じだけど)」の日記文学に触発されて、自らも夢見て書いたのが『更級日記』・・・であれば、最初からそれは「天下の読者に広く読まれること&それによって出世することを意識した作品」であるのは当然のことだったのだ。これは何も彼女の作品のみに限ったことではなく、あの時代の「日記」なるものに、「自らの才能を世間に見せつけるための意欲作」としての自己顕示欲が付きまとうのは社会学的必然の構図だったのである・・・もっとも、その草分けたる『蜻蛉日記』だけは、藤原兼家に対する純粋な私的怨恨のみを原動力として書かれたものであったようだが。
-んで、結局「さらしな」って、何なわけ?-
・・・などと、「更なり」とはあまり関係のない話に絡めて、「さらしちゃいなよ、この日記」的展開で『更級日記』つながりの中古女流(日記)文学の自己顕示欲事情をちゃっかり紹介してしまったが、そもそもがあの作品の標題の「さらしな」そのものからして、現実の地名の「更級」とはほとんど何の関係もないのだから、この程度の類推による横滑り文章展開もまた、許してもらえることだろう。
一応紹介しておくと、あの作品に「さらしな」の名が付いたのは、作中に詠まれた次の歌に絡めてのことである:
「月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ」・・・月も出ていないから空は真っ暗闇。その暗黒の空に似て、私の心も真っ暗け。あぁ、一体何でこんな夜に、こんな姥捨山くんだりまで、私ははるばるやって来てしまったのだろう・・・ばっかみたい。
・・・暗い落胆の歌である。文学少女らしい夢をあれこれ抱えていた作者が、成長するにつれて、現実は全然私の理想とは遠いもの、という辛い体験を山ほど重ねて行くさまを書いてあるのがこの日記文学の特徴なので、その意味では全作品の象徴詩的な歌と言えるだろう。
「姨捨山(をばすてやま)」とは、長野県更級郡にある月見の名所であるが、実際には作者はこの更級の地を訪ねたわけではないし、「更級」の文字自体、『更級日記』には一度として登場すらしない。にもかかわらず「姨捨山」と言えば古来「更級」ということで、この歌一つに因んで『更級日記』というわけだ・・・上記の歌が作品内容全体を暗示する象徴的なものであるのは確かだが、行ってもいない「更科」の名まで標題に引くのは如何なものか・・・それも「更科日記」なのだから、「長野県更級郡での生活を綴った日記文学」の誤解を招くのは必定であろうに・・・今も昔も、日本人の「名付け」行動は実に軽挙妄動、西欧人的感覚からは信じ難いまでのその軽ーい態度が、よーくわかる無数の事例のうちの一つである。
-「歌枕」の見えざる手-
ちなみに、「姨捨山」と「月」と言えば「暗くてどうしようもなく沈んだ心を持て余している」という連想(文芸用語で言うところの「歌枕」=ある歌に関連して即座に浮かんでくる土地・名称・イメージ・心情等)は、そもそもが次の『古今集』収蔵(よみ人しれず)の歌に由来するものである:
「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」・・・長野県は更級郡にある姨捨山と言えば、月見をするには格好の場所。そんな場所で、闇夜を照らす見事な月を見ているところなのだから、私の心も明るくなって当然だろうに、深い悩みを抱えて暗く思い沈む私の心は、あの月を見てもなお慰められることもない。
明月と暗い心のベタな対照の図式の歌だが、とにかくこの歌を下敷きとして、「姨捨」と言えば「月は明るい/私はクラい」のコントラストを示唆する「歌枕」が成立し、その勢いで「更級」なんて記述は更々ない日記文学(というのも少々難がある書き下ろし作品)の題名が『さらしなにっき』となったのだから、歌枕の力、恐るべし、である。
-「さら」の「しな」とはこれいかに?-
さて、ここでようやく「さらしな」そのものの話に入る。「更級」とも「更科」とも書くこの呼び名のうち、「しな(級・科)」は「等級・科目」の意味である:英語で「grade:グレード・段階・レベル」と言った方が現代日本人には分かり易いかもしれない。地形的には、地図上の「等高線のシワシワで区分されてる高低差」と言えばイメージが浮かんで来るであろう。そこに「さら(更)」が付くわけであるが、この「さら」には次の二つの意味があり得る:
1)既にあるものの上に、「更に」別の何かを追加する。
・・・この場合の「長野県更級郡」のイメージは、「山だらけの土地に更にまた山を加える」となろう。
2)今までとは趣を変えて、全く新たに「真っ新」なものとしてやり直す。
・・・この場合、「山また山」の土地の中で、「平坦な更地」のイメージが「姨捨山」の近辺、ということになるであろう。
現実のこの土地がどういう形状であるかは(現地の人々には失礼ながら)、この種の名称について考察する上ではさしたる意味を持たない:日本語の名付けのいい加減さはこれまでにも幾度となく指摘してきた通りなのだから、現実の土地が「山だらけ・・・これじゃ蕎麦も作れやしない・・・せめて更地に恵まれてたらなぁ・・・」のないものねだりから「起伏(=級・科)がない平坦(=更)な土地」の名に結び付くことも十分あるわけで、そうしてかなり適当な理由から付けられてしまった名前に、後からさらにテキトーな言い訳こじつけてる例が山ほどあるのがこの国の各種の名前の一大特徴なのだから。
・・・などと、日本的なるものの本質を見据えることをせずにひたすら「素晴らしい」と信じ込みたがっている日本人の感情を更に(またしても・again)逆撫でする文章を加えてしまったわけだが、今更(この段階に於いてなお・even now)こうした和風名称の杜撰さについて重ね重ね指摘するのも[言へばor言ふも]さらなり(蛇足というもの・needless to say)という気がせんでもない・・・が、いずれにせよとにかく(一部の日本人の感情的反発など度外視して)上記の考察に際し、心に一点の「姨捨」的曇りもない筆者としては、これを修正するつもりなど更に(全然・ちっとも・さらさら・not at all)ないのである。
・・・あ、ごめん、一部加筆修正だ、「さら」の用法、更にもひとつ追加:
3)「更に・・・ず」の形で用いて、「・・・なんてさらさらない」として否定の意味を強調する。
(おしまいっ)
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▼ | ▲[274]苦労がうれしい【らうたき】もの
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▼ | ▲[275]「幼気」は「痛い気」
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▼ | ▲[276]「いたいけ」自衛法 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.627【幼けなし・稚けなし】 「'いたいけ'な幼児」とは現代もなお使われる文語だが、これは元来「痛い気」。ちびっ子は、見るからに、小さく、か弱く、危なっかしくて、「わーっ!」とかいいながら走り回っては「ドタッ!」とコケるその姿を見ると、周りの大人はまるで我がことのように「ぁイタっ!」とか声を上げてしまうほど、放っておけない、思わず手を差し伸べて守ってあげたい気にさせられる・・・それが「イタい気」なる子供の発するオーラ(aura:雰囲気)である。
「いたいけなり」=「思わず手を差し伸べてあげたくなるかわいらしさ」・・・自分で自分の身を守る手段に乏しい弱小なる存在は、強大なる何か/誰かの庇護本能にキュンと訴えかけることでその生存適性を高めるもの、という最高の一例であろう。人の子ならずとも、子猫も子犬もカエルの子も、カワイクないちびっ子なんて、自然界に存在しない・・・逆に言えば、幼少段階でかわいくなかったチビすけたちは、強い連中に守ってもらえずに、みな絶滅してしまって既にこの世にない、ということかもしれないが。
生き残りたければ、他者の攻撃を無力化する圧倒的強さを身に付けるか、他者の攻撃心そのものを無力化する圧倒的モロさを見せつけるか・・・獅子の王道を歩むか、猫撫で声出してお腹出してコロンと横たわって「もー、好きにしてー」と強者の慈愛に訴えかけるか・・・後者の方が楽には見えるが、慈悲にすがって生きてる弱者のくせに、多少なりとも強がってみせたが最後、惨めに踏み潰されておしまい、というのが「思い上がった弱者」の末路である。筆者の知る限り、「守られてる」くせに「いばってる」弱者で、それでも強者が「喜んでかわいがってる」生き物は、「猫」ぐらいである・・・「いたいけ自衛法」の道はけっこう険しいものなのだ。
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▼ | ▲[277]【あどなし】の来歴にまつわる【をさなき】事情 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.629【あどなし】-一筋縄ではいかない「あどけなし」語源判断-
「あどけない」は赤ちゃん・子供の様態を表わすのに今も使われる形容詞だが、この現代版の元になった古語は「あどなし」である。それが「あどけなし」へと流れて行った過程の考察は、子供っぽい幼稚さというよりは日本語らしいいいかげんさを(またしても)露呈するものである。
「あどけなし」の含む「なし」は、「無し=全然なし」なんだか「甚し=はなはだしくあり」なんだか、実に微妙な表現である。この語にまつわる「なし」事情を理解するには、次のように一連の「幼い」系形容詞を俯瞰的に眺める必要がある:
1)「いとけなし【幼けなし・稚けなし】」
・・・全ての「おさなし」系古語の原点にあるのがこの語であり、その組成は「幼(いと)+気(け)+甚し(なし=はなはだしい)(無し、ではない)」である;その事情を反映するように「いと<き(気)>なし」の語形も見られる。「いと(幼)」は、「いとこ(従兄弟・従姉妹)」と同根語との説もあるが、そうだとしても「いと」が何故「幼年者」の意味に結び付くのか、の説明にはなっていない。その他諸々の人類とは別格の「愛し子(いとしご)→いとご→いとこ」という展開がそこにあったかも、と感じられぬでもないが、それはやや情緒過剰な感覚的判断という気がせぬでもないし、この「いと」にはまた次の語との関連性も考えられるのである:
2)「いたいけ【痛い気】なり」
・・・小さな子供は、無力である上に、無防備で、無茶な芸当ばかりして見るからに危なっかしい。無邪気なその様子は、大人の保護欲求(まもってあげたぃっ!)を無性に刺激する・・・それはもう「痛いほど」に ― そんな気分が「痛い気(いたいけ)」なのである。
・・・そう考えてみると、この「痛い気」には「甚し(なし=はなはだしい)」が付いた「いたいけなし=イタいほど守ってあげたい気分甚大」の語形が生じるに相応しいものと言えるだろう;が、実際には「いたいけ」から生まれた語形は「いたいけ+なり」の形容動詞&「いたいけ+す」のサ変動詞のみであって、「いたいけ+なし(甚し)」の形容詞形には結び付いていない。「甚し」を伴うようになったのはむしろ上述の「いとけ」のほうであって、あちらが「いとけ+なし」となったために、こちらまで「いたいけなし」としたのでは語形がダブって感じられるから「ナリ活用形容動詞」のみでの使用にとどまったのか、はたまた長すぎる「いたいけなし」からの自然な音便作用の結果として生まれたのが「いとけなし」だったのか・・・いずれにせよ現象面としては<「いとけ」なら「甚し」を加えて「いとけなし」><「いたいけ」なら「甚し」は無しで「いたいけなり」>となっている。
「甚し」を加えた「幼稚」系古語には更に次のようなのもある:
3)「いはけなしorいわけなし」
・・・この古語は、「い<は>け」なのか「い<わ>け」なのか表記不明という生煮え感漂う語ではあるが、それぐらい解明の光も当てられていない語なのだから、逆に当方の解釈の自由度も高いというものである。そこでこちらの見立てを述べれば、この「いはけなし」は「いはひ(斎ひ)+け(気)+なし(甚し)」であろう。「いはふ(斎ふ)」とは「神聖なるものを、畏れつつ、謹んでお守り申し上げること」(精進潔斎)である:子供は「弱い存在だから守ってあげなきゃ」と同時に「汚れなき者だから不純物から守らなきゃ」という気持ちを「甚だしく刺激する」神聖なる生き物なのだ。森永製菓のエンゼルマークじゃないが、幼な子は天上界から降臨してきたばかりの天使そのもの・・・英語では「trailing clouds of glory:天国の栄光の光を尻尾のように引っぱりながら」この世に遣わされた聖なるもの、という言い回しが「kids:ちびっこ」に関する形容としてごく自然に口ずさまれている。ここ日本(の古典時代)でも、戦さの際の旗頭に担ぎ出されるのに相応しいものとして、「いはけなき(=まだ年端も行かぬ)幼君」の方が「むくつけなき(=屈強でかわいげなくて恐ろしげな)武将」よりも人気があったことは、知る人ぞ知る歴史上の真実である。
これらはいずれも「なし=甚し」系の「幼稚」系古語であったが、「おさない」として現代日本で最も普通に用いられる形容詞「をさなし」に於いては、事情が全く異なる:
4)「をさなし【幼し】」
・・・この古語の場合、「をさ【長】=他の人々の上に立つ者としての特性」+「なし=無し」の組成であって、「をさをさし【長長し】」や「おとなし【大人し】」の対義語となる。「ハチャメチャで、論理も何も通じない」子供の「わけのわからん生き物(=ちびゴジラor小悪魔)的特性」に焦点を当てた語であり、その否定的語感ゆえにこそ、「いい年こいて、アンタもずいぶんオサナいね」として大人へのケナシ文句に用いることもできる訳である。
こうして見ると、「幼稚」系古語には、「なし」の意味に応じて「甚し」系/「無し」系の2種類あることがわかる・・・が、そうした中での「あどなし/あどけなし」の位置付けは、何とも微妙である。
5)「あどなし」
・・・この古語もまた、「いはけなしorいわけなし」同様、その漢字表記は不明である。語源学的組成も解明されてはいない。「あど=何(why?)+なし」と見れば「なんでそーゆーことするかなー?・・・君のその行動にはどういう意味があるのかなぁ?・・・何が何だかわけわからんなー、理由もなにもないんじゃないかなぁ?」的な子供の「わけもなくいたずらな行動に終始する」特性を捉えて「確たる理由もなしに、何となく動き回ってる」の意味とも取れぬではない;が、もしそうした否定的形容詞だとすれば、「君の考えは実に<幼い>!」のような大人への貶し文句の例に倣って、「君の作ったプログラムは実に<あどけない>!」なるコキオロシ言辞が成立する筈である・・・が、現実の日本語での「あどけない」は、「あなたの<あどけない>笑顔、たまらなく好きです」みたいな肯定的表現での使用例がすべてであり、「君の<あどけない>言動には苛々するよ!」などと口走ればその発言者の精神状態の異常性が疑われることになる;「あどけないもの」=「無条件で愛すべきもの」である、という言語学的感覚が日本人全般に共有されているからであり、そこから逆算すれば、この「あどけなし」の元になった「あどなし」の組成は<「あど=幼少者の愛すべき特性」+「甚し=はなはだしく色濃い」>を想定するのが妥当であろう。そうして見ると「あど」は「をと(乙)・・・他者との相対比較上、劣格・弱小な存在」につながる語か、という気がしないでもないが、このあたりは語源学的裏付けもない話なので聞き流してもらっても構わない;が、「あどなし」に於ける「なし」が「甚し」であって「無し」でないことだけはまず間違いないところであろうと思われる。
-現代日本に「甚し」は「無し」-
然るに、この「あどなし」が、現代日本語「あどけなし」に至った背景には、上記の事情とはまた異なる言語学的ノイズ(noise:不純事情)が混じることになる。
「甚し」由来の「なし」は古典時代特有のものであって、現代日本語では「なし」とくれば即座に「無し」という語感が100%なので、古語の「あど+甚し」はそのままの語形では生き残ることが出来なかった;その証拠に、「幼稚」系古語のうち、「甚し」系に属する次の4語はみな悉く死語と化している:
(×)「いとけなし」or「いときなし」
(×)「いはけなし」or「いわけなし」
その一方で、極めて文語的な響きの次の語はいまだに(文語とはいえ)現役である:
(○)「いたいけ」
・・・「甚し」無しの「形容動詞ナリ活用」のみで用いられた「いたいけ」の来歴が、この語を現代に至るまで生存せしめたのであろう。
現代日本語で最も一般的な「幼稚」系形容詞である「おさない(をさなし)」も当然「長(おさ)+無し」である。今や時代劇の中でしか聞かれない(極めて漢語的色彩の濃い)「がんぜなし」もまた「頑(=ダメと拒絶:NO)+是(=ヨシと容認:YES)+無し=しっかりとした是非の判断力(=理性)がない」という幼年者の非論理的特性に焦点を当てた否定的な語である。
このように、「なし」=「無し」のみで「甚し」の語感が既に死に絶えた日本語の中で、「あど+甚し」が生き残る道はたった一つしかない:「甚し→無し」の転換を経ての「あど甚し→あど気無し」の語形変化である。その過程で意識された語が2つほどあったと想定される:
A)「いとけなし」
・・・「い→あ」&「と→ど」の違いはあるが、語感的に極めてよく似ている。同義語である「あどなし」が「あどけなし」に化ける上で、この「いとけなし」の影響を見逃すわけには行かないであろう。「あどけなし」の中に語感的にその残滓を留める形で、「いとけなし」は幽霊的に生きている、ということができるのだ。
B)「おとなげなし」
・・・「大人としての気配、無し」のこの語が「大人=人の上に立つ人物=長(をさ)・・・そうした特性が、無い」の「をさなし(長無し→幼し)」と同義語であることは言うまでもなく、「あど<気>無し」がこの「大人<気>無し」の同義語である以上、この「あど」は「理性的な大人の特質」であり、上の解題で「無条件で愛すべき子供らしい性質」として解明したその「あど」とは正反対のものへと化けてしまっている。これは、「なし」を「甚し」と捉えることがもはや不可能になった「無し」一辺倒の現代日本語事情に迎合した結果としての「意味化け」であり、こうした芸当は日本語(&日本人)にはお手の物の御家芸・・・無数の事例の一つに過ぎぬことながら、何度眺めても何とも「をさなし・・・かわいげある子供っぽさの肯定的表現ではなく、何とも非論理的で付き合いきれぬ幼稚な非論理体質の否定的形容」のお話ではあった。
-おさないものを巡る大人の(orおとなげない)雑感-
・・・とまぁ、言語学的観点からあれこれ考察してきたが、いずれにせよ、無邪気な幼な子に対して大人が抱く「守ってあげたい」感覚は、本源的に、強い者が弱い者に対して抱く生物学的衝動(=種族保存本能)に根ざすものであることは確かである。自らの身を自分で守る力なき幼年段階の生物は、より強い他者の「痛い気」に訴えかけてその保護の傘の下にかくまわれることでしか生存できない・・・幼年者が大人になるまで生存せぬことにはその生物種は滅びるしかない・・・その生物種が絶滅してしまえば、その生物種を食い物とする食肉獣の生存もまた危うくなる・・・こうした絡繰りによって、自然界では「弱小者の発散する痛い気」への「生物界全体(種族不問)からの保護欲求」は、当然の不文律となっている(・・・まぁ、動物たちにはそもそもの「文」自体もないのだが)。
もっとも、昨今の「人類」にその地球生物間の普遍協定が通用するかどうかは、何とも怪しいものである。人類の大部分を占める「大人(たるべき者たち)」が、「自分はより強い連中に不当に虐げられている弱者である」との被害妄想に陥っており、「自分は、自分より<弱い者たちを守ってあげる>べき強者である」と感じる心の余裕を失っているばかりか、「弱い自分より更に弱い誰か/何かを見つけて、自分が強者からされているのと同じ(orあわよくばそれ以上の)不当虐待を演じ返す<弱い者イジメ>でモトを取ってやるっ!」という病的攻撃衝動の虜となっているからこそ、「守るべき弱者」に対する強者相応の振る舞いが、人類の一部(と言えるかどうかはもはや微妙なかなりの部分)にだけは、例外的に、見られないのである。・・・こうした「更なる弱者を餌食にしたがる弱者ども」だけは、強者の側から見て、一切の憐憫も情状酌量も与えてやるに値せぬ存在である;ヤツラは、狭い人類全体のみならず、地球&宇宙全体に対する有害無益な害獣でしかない・・・のであるから、その病んだ「弱者>弱者>弱者>弱者>弱者・・・」的無限連鎖弱い者イジメ体質を強制的に悔い改めさせるよう、ありとあらゆる努力を払う必要がある。他の動物はみんな本能から行なっている「痛い気へのいたわり」を、ひとり「人間という名のサル」のみは、「調教」によって頭と身体に染みつかせぬ限り、マトモに遂行すらできぬのである(・・・真の強者である「大人の人間」を除いては)・・・悲しいというか情けないことだが、それが人間どもの世界の現実なのだから、仕方がない。
そして、そうした「調教」(この言葉が「人間的に見て不愉快」というのなら、「教育」に換言してやってもいい)ないし「社会的条件付け」ないし「仕付け・躾・しつけ」ないし「道徳教育」あるいは「徳育」だの「文化」だの、そうした「いかにも人間らしい、人為的なやりかた」によってすらなお、この「弱者のくせに(さらなる弱者に対する鬱憤晴らしを通じて)似非強者を演じたがるケッタクソ悪いイジメ行動」を抑制することが不可能ならば・・・その場合、その病的「害獣ザル」は、「世の害毒」として容赦なく「消毒」するしかない。現在の地球上で最も強い動物は「人間」である以上、「有害なる<人間・・・の姿をした有害二足歩行ザル>の消毒」は、「人間より弱い立場にある動物」には遂行不可能なのだから、「悪しき人間の処置」は「(その悪を認識&断罪可能な)人間が行なう」こと ― これは、地球上の他の生物種に対する人類の最低限の「仁義」というものである。この(あまり美しくはない)真実から目をそらす者が多すぎることこそが、現代の人類(及び、可哀想な地球)を取り巻くあらゆる病理現象の根底にある病巣なのである。
-「復讐の神」はどこにいる?-
キリスト教世界では、人間が人間を裁くことを根源的に否定する ― 「神ならぬ身で正義の執行は不可能」という考え方こそ(神を「殺してしまった」科学時代への移行以降は)多少は変わったかもしれないが、「死刑」が「万物に命を与えたもうた神の権威への本源的冒涜」とみなされる感覚のほうは相変わらず残存している・・・科学信奉に代替される形で宗教心が抜本的に揺らいだまま復活しようもない21世紀初頭に於いてもなお、「自殺(者)へのおぞけ」と「死刑への嫌悪」だけは、キリスト教的世界観に裏打ちされた西欧人の心の中に代々引き継がれた「無意識の重石」である点に変わりはない。そんな状態だから、「Revenge is mine.復讐するは我(=神)の業」とばかり、狂った人間どもが罪を犯した後の「悔い改め=再教育(・・・それも、多くは名ばかりのもの)」のみに終始し、根源的に調教を拒否する有害ザルどもの「処分」からは目を背けたまま、というのが西欧世界の実情なのである。「汝の敵を愛せ」と教えるキリスト教の宗教的美徳に対しどこまでけなげに自らが忠実であり得るかを(客観的に見て、「悦に入ってる=オノレの美しさに酔ってやがる!」水準まで)試す営みには、実のところ、本源的に美しいことなど何一つない;ただひたすらに偽善でしかないものは、表面的美しさに反比例する形で、その本源的醜悪さが際立つものである(慇懃無礼なばかりの日本語の「敬語」を見るがよい!)。悔い改めも調教も拒絶する有害二足歩行ザルどもとの決着を「Armageddon:世界の終わりに於ける善と悪の最終決戦」まで漫然と待つ悠長さは、強者のものでもなければ真の宗教者のものでもない;怠惰で姑息な「善人気取りの弱者」の無為無策というものである。「科学的方法論への依拠」という形で自ら「宗教的妄信」と絶縁した以上、「何が悪であるか」・「悪事をどう裁くか」は、神仏にお伺いを立てたりお鉢を回したりせずに、人間自らが決着せねばならぬ問題なのだ・・・この事実と真正面から向き合って生きている人間が、現代にいったい何人いるだろうか?有害な他人の行動を見たら、「それは有害だ」と非難する人間一人に対し、(自分も、あの程度のことはやっても許されるのだな・・・)と独り合点して更なる迷惑行為の個人的実践に走る低能有害二足歩行ザルどもがいったい何万匹・何千万匹・何億匹生息していることだろう・・・「価値観の多様性」などという体裁の良い逃げ口上を振り回すことで「他者に対し理解のある寛容な人間」を気取りつつ、自らの有害行動への黙許をも当然の如く他人に対し強いる「事なかれ主義の凡人→悪人ども」の横行が、「自分自身(だけ)が良い思いをするために、他人に不当な迷惑をかける有害なる連中」の横暴を(他者への看過の形であれ自主的悪事実践の形であれ)加速度的に増殖させた結果、社会全体が腐り果てて行くさまを、現代世界は(少なくとも、日本・アメリカあたりのダメな国々に関しては)ただ為す術もなく見送っているだけのように(日本国在住人類観察者としてのこの筆者の目には、はっきりとそう)見えるのだ・・・価値判断を放棄する人間は、腐敗と破滅の死者、悪魔の片棒担ぎでしかない;そうならないためには、正しい価値判断の基準となるべき「事割り=理」を見据える努力を常に怠ってはならない・・・のに、大方の現代人どもの何と怠慢にして横柄であることか!「自分自身の恣意的感覚に起因する個人的好悪の感覚」を「客観的道義」に代替して何の違和感も抱かぬような連中は、「自分個人の(悪しき!)生き様を否定しやがった!」というだけの理由で、この筆者のような正論放つ論客を「許し難い悪魔的独善論者!」として黙殺(あるいは、撲殺!)せんとするものである。連中には、何の論理も通じない・・・従って「調教」は無理であり、その有害行動の極に行き着くまで待った上で(盗みとか強姦とか人殺しとか戦争とかをしでかした後で)「許し難き犯罪者ども」として「断罪」するよりほか仕方がない、ということになる・・・「何かを実際コワすまで待ち、捕まえてから、閉じこめるなり殺すなりして社会から切り離す」・・・いやはや何とも非建設的なことである;そうした破滅的社会にならぬためには、「をさなき」時代からの「事割り教育」に力を入れて、道を踏み外さずに済む眼力を持った人間の数を増やす以外、方法はないのだが・・・現代日本やアメリカでは、この段階で既にもう「地獄への一本道」があるばかりである。
上記の陳述が僻目(不当なる見誤り)であれば、その罪滅ぼしのためだけに残りの人生の全てを捧げても構わないとさえ、この筆者は切実にそう願うものである・・・が、それも空頼みであろう;汚らわしき真実は、それから目をそらす者どもの数の多さゆえに、厳然として存在し、その猛威を増すばかりなのだから。
事の是非に決着を付ける態度は、悪人の悪行とその裁きの場面に於いてのみ求められるものではない;自らの全ての思考・感覚・行動に際し、一瞬の例外もなく、常に必要となる「事割り」なのである。その「事態の割り切り方」と「悪しきことわりに基づく行動」とが、「他者に対して有害」という形で問題となる場合、その有害性を野放しにしておいてよい時期は「頑是無き童(ぐゎんぜなきわらは)」と呼べる人生の最初期のみであり、その「をさなき」時代からして既に着々と「理(ことわり)」を教え込む過程は始まっていなければならない・・・それを怠った社会に「破滅」以外の将来が待っていると考えるほど「長無き(をさなき)」名ばかりの大人どもの寄せ集めの社会なら・・・そんな世界はそう長くは続かない;それが当然の理というものだ。
-強者が弱者を踏みにじる<べき>場面-
この筆者は「真の弱者」へのいたわりに制限を設けない(自らが、幾つかの面で「真の強者」たる自覚を有する大人だから、である)が、「更なる弱者を探しての憂さ晴らしを望む弱者のイジメ衝動」や「弱者たることを笠に着て開き直った弱者」どもに対しては、これを決して見逃しはしないし、容赦もせぬ。
本源的な強さを持たぬがゆえに「名ばかりの権威」にすがりつきこれを振りかざす学者センセやガッコやものの本どもの、理を究明しようともせぬ旧態依然の惰性的な「をさなき」特性を、殊更綿密に論破し続けて連中への面当て演じてみせるこの『扶桑語り』の挑戦姿勢も、「許せぬ弱者ども」への対応の一環である ― 「悔しかったら、おまえら、もっと真剣に考えてみろ!」と喧嘩を売らねば惰眠から目覚める気配もない連中を、ただ寝かし続けるは真の慈悲に非ず!・・・真の強者でもない者が「強がり」を演じ、その有害性に誰も異を唱えぬ、というのでは、その世界全体が腐り果てるばかりである。そうした事態を、真の強者は決して見逃してはならぬのだ ― それが強者に応分の責務(=noblesse oblige)というものである・・・「自分は所詮か弱い存在でしかありませんから」というお題目の陰でペロリと舌出すばかりの百姓根性の弱者どもには、この「ノーブレス・オブリージュ」、想像すら出来ぬ概念ではあろうがね。
強者が弱者を容赦なくいたぶってよいのは、その弱者が、更なる弱者を標的としての「有害なる強がり」を演じたり、本源的力以外の有害なる暴力に訴えて自らのケチ臭い優越願望を満たすことで世を腐らせている場面のみである。こうした「弱者の分際で強者を気取る有害行動」に対してだけは、真の強者はその力の発現を抑制しない(&すべきでもない);強がり弱者の有害行動への唯一の歯止めが「真の強者の容赦なき怒り」への恐怖のみであることを、強者は知っており、そうした抑止力の発現を自らの責務と心得ているからである(・・・もっとも、世間にそれを理解する人間の数は少ない;ライオンの心を、ネコやネズミが、知るべくもないのだから)。
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▼ | ▲[278]「児・稚児(ちご)」は「乳子」
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▼ | ▲[279]「つま」は高級、「め」は低級
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▼ | ▲[280]古語の「つま」は「妻」・「夫」共用
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▼ | ▲[281]「やもめ」は「独身女」、「やもを」が「独身男」
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▼ | ▲[282]「刀自」とは何とも勇ましげな**さん
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▼ | ▲[283]「乳母/傅」(めのと)の貴人への影響力
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▼ | ▲[284]【をとめ】は永遠?不老不死? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.651【少女・乙女】 現代では「乙女座(Virgo・・・処女宮)」や「乙女チック・・・少女趣味」あたりの定型句の中ぐらいでしかお目にかからぬ「をとめ」だが、この語の冒頭部「をと」に「甲・乙・丙」の中位に当たる「乙」を宛てたのでは、何だか「20~30代女性」みたいで「おとめちっく」じゃない響きに化けてしまう・・・恐らくこの宛字の背景には「男=甲」/「女=乙」(・・・オカマ&オナベ=丙?)的な意識でもあったのだろうが、そんな適当極まる後代の横滑り漢字(or感じ)事情は知的考察の対象としては論外なので、ここでは純然たる語源学的事情から「乙女」を考察することにしよう。
-「をつ」=(×)「落つ」 (○)「戻る」-
「をとめ」は「をとこ」の対義語である。これらの語頭にある「をと」は、元来「をつ=復つ・変若つ」であり、その語義は実に「若々しいエネルギーが再び満ち溢れること」、英語で言えば「revitalize=再生・復活」である。キリスト様じゃあるまいし、一度死んだらそれっきりになる「mortal:死すべき運命」の人間に使うにはいささかオカルトめいた話になるが、万葉の時代には結構この「をつ」 ― 多分に「祈りをこめて」だが ― 次のような感じで使われていたものらしい:
「いにしへゆ人の言ひ来る老人のをつとふ水そ名に負ふ滝の瀬」(『万葉集』一〇三四・大伴東人)
「遠い昔より、'老人がこの滝の水を浴びたら若返った'と言い伝えられて来た、そんな奇跡的事例を名として持つこの滝の流れであることよ」
・・・「若返りの滝」を自らの名として持つこの滝とは、何の滝か?答えは「養老の滝」なのだそうな・・・どうも、「老いた親に孝養を尽くす息子が水を汲もうとしたところ、酒に化けた」という伝説とは別ヴァージョンの話らしい。場面的には、近鉄養老線の「養老」駅が最寄りとなる実在の滝のこと(らしいん)だが、関東もんの筆者の無粋な想像はどうしても「二次会で繰り出す比較的安上がりな酒場(チェーン)の名」へと結び付き、若さを「取り戻す」より、安酒&消化の悪い食い物を「モドす」的なゲロゲロ展開へともつれこみがち・・・どうせ実在せぬ「若返りの泉」より、青春時代の実存的体験の数々への回帰現象を示すのが人間精神の性なのであろうか・・・まぁ、そういう「おェっ!」的なコキタない話はキレイさっぱり忘れてもらうとして、話を「をつ」に戻せば、「<をと>こ=男」も「<をと>め=女」も、その語頭の「若さの泉」的性質からして、「若い男・女」限定であることが了解いただけたことであろう。
-「をのこ」は「をとこ」ならず/「めのこ」は「をとめ」にあらず-
この「をと」、単に「若さ」を表わすのみならず、古語に於いては別種の機能をも果たしている、という現象をも指摘しておく必要があろう。
「をとこ」によく似た古語として、「をのこ」というのがある。が、その語頭にある「を」は「をつ=若返り」の意味ではなく、「雄・オス・♂」という動物的な性別を表わすものでしかない。その語感は軽蔑調であって、少なくとも「貴人の女性の目から見て、結婚相手としては意識されない存在」なのだ。「下男」だの「兵卒」だのといった「下々の、使い潰されるだけの手駒」というその感じは、英語の「men=手下・歩兵・(将棋の)ト」に近い・・・トホホの展開で、何とも「男の子はつらいよ」といった感じであるが、「オス」に関してこの種の展開がある以上、「メス・雌・♀」に近い動物的語感で用いられた「女」の古語=「めのこ(女の子)」もまたあるわけで、その響きにはやはり「をとめ(乙女・少女)」よりも一段低いものがある。
かくて、「を(オス・雄)」由来の接頭語「を」が「下等な響き」を帯びたせいで、相対的に押し上げられる形で「上等な響き」を持つに到ったのが「をつ(復つ・変若つ)」由来の「を」、というわけである。「をつ」自体には本源的に「上流階層」の意味合いなど全くないにもかかわらず、こういうことになるのが日本語の面白い(&毎度お馴染みの)展開というものである。
-差別用語をもうひとくさり-
「め」は「メス」に通じるから「下々専用語・・・上流階層に使ってはダメ!」というルールは、「妻」と書いてあっても、それが「受領(じゅりょう・ずりょう・ずらう)の妻女」以上の階層に属する女性なら「つま」/それ以下なら「め」と蔑んで読まれた、という差別規程にもつながっている。
ちなみに、下層階級の「妻=め」とペアになる「夫」の読み方は「をひと」である。一方、上流階層では「夫」と書いても「つま」と読んだり(古典時代の「つま」は'雌雄同体'の無性別語だったのである)、「せ」と読んだりした。もっとも、男性の「せ(背・兄・夫)」に対する女性語は「め(妻・女)」よりも「いも(妹)」の語感が強かったが。
言葉の次元での差別は、いつの時代にも、どこの国にもあるものである・・・差別という行為の根源的無根拠性やその醜悪なる愚かしさを知る上で、こうした語源学的考察は大きな意味を持つことであろう・・・ということで、最後にもひとつオマケの罵倒語を紹介して、この一節の結びとしよう:
「けっ!ゲロゲロだのオスメスだのと、ケッタクソ悪いことばっか書きやがってこの言葉ヲタク"め"がっ!」・・・この「め」が「雌」であることは言うまでもあるめぇ・・・ってゃんでぇ、何のこたぁねぇ、「このアマぁ!」あたりの言い草と変わりゃぁしねぇじゃんかよ。・・・するってぇと何かい、「メス(女)=男に比べて一段低い、蔑まれるべき生き物」ってぇことかい?ケッ!冗談じゃねーゃ、こちとら江戸っ子でぇい、もとい、21世紀人でぇい、女のぉーが男なんぞよりずっとえばってる御時世だってんでぇーぃ。ぁーッムカつくーっ!こうなりゃアッタマきちゃったからこの女を虐げる前時代的な罵り文句、思いっきり性転換したげるから見てなさいよっ! ― 「何'をーっ'!?」 ― どぉーっ、これ?・・・え?「バカ'めっ'」?・・・キィーッ!もぉーっ、男尊女卑もいいかげんにしなさいよをーっ!(・・・おあとがよろしいようで・・・)
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▼ | ▲[285]【妹】とくれば【兄】
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▼ | ▲[286]「弟」「妹」は古語ではともに「おとうと」
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▼ | ▲[287]たわわに揺れる「たわやめ」
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▼ | ▲[288]友達どうしは【うるはしみ】/恋人どうしは【うつくしみ】
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▼ | ▲[289]【うつくし】きもの=【いつく】べきもの=守ってあげたい清純さ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.669【愛し・美し】 現代でこそ「外観上の端正さ」へと矮小化されてしまった「美しい」は、その原義に於いては「うつくし」ならぬ「いつくし」であった。「慈しむ」とすればその語感は現代人にもわかるであろう:「大事に守ってあげる」べき汚れなき(&力なき)何かに対する自然発露的な保護衝動が「いつくし→うつくし」なのである。
なればこそ、古語の「うつくし」は、自分よりもか弱い存在に対して向けられるものであって、「親から子へ」、「夫から妻へ」、「大人から子供へ」、「人間から猫へ」のような「慈愛」の目線で語られる「美し」なのである。猛々しい武士の戦装束だの戦艦大和や日本刀の機能美だのを「美しい」と感じる感性は近・現代的なものであって、それ自体が強さを具現している対象物に対しては、平安時代の人々は「美し」とは叫ばなかったはずである。
古語の「いつくし」はまた、「神々しい」にも通じる。「いつ」は「厳」であり、そこに神威が宿るからこそ「荘厳なる美」が感じられるのだ。平清盛が平家一門の守り神としたあの「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」の神聖なる美しさは、「いつくし/うつくし」の相互乗り入れ語感を象徴的に語るものであろう。
「うつくし」が「見る者の美意識に、好意的な形で訴えかけてくる、外観・行動上の美」へと転ずるのは、平安も終わって鎌倉~室町時代に移る頃。逃れられぬ敗残を悟って「美しく切腹」する侍が出てくる時代には、もう、「守ってあげたい」意識が「美し」に宿ることはなくなってしまった。
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▼ | ▲[290]「たまらねー」のが【かなしー】の [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.671【愛し】【悲し・哀し】 現代ではひたすら「悲しい」ばかりだが、古典時代には「かわいー!」や「すばらしー!」の感慨をも表わした「かなし」は、語源的には「かぬ」につながる語。「耐え<かぬ>=我慢できないーっ!」と考えれば、耐え難いほどの「悲しさ」にも、たまらんほどの「かわいさ」にも、感に堪えぬ「趣深さ」にも通じるその本質がわかるであろう。
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▼ | ▲[291]【愛しぶ】と【悲しぶ・哀しぶ】は同じこと
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▼ | ▲[292]【かなしくし】【かなしがる】のはメロドラマ?
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▼ | ▲[293]「いつくし」は「厳し」く「美し」い
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▼ | ▲[294]【ゆゆしさ】はィヤィヤ?ョイョイ?
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▼ | ▲[295]「ものいみ」の意味
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▼ | ▲[296]【いましめ】は今も昔も【いまいまし】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.680【戒む・警む】 先生が生徒に、親から子に、役人どもが業界筋に、等々、高い立場から頭ごなしに垂れてくるのが「いましめ=訓戒・禁戒」なので、これを有り難く押し頂く人間など一人もいない、というのが古今変わらぬ人の世の常というもの。
この「いましめ」(連用形=名詞形)の元の動詞「いましむ」には、「忌む=恐れ多いもの、汚らわしいものに、触れるのをはばかる」+「しむ=使役」が含まれている。元々は「禁忌に触れるからやめておこう、という気持ちにさせる」という<間接性>の語だったわけである。この原義に忠実に言えば、「あれをするな、これをするな」という<直接的>禁令などは「いましめ」ではないことになる。
本源的な「忌+しむ」を実践しようとするならば、例えば、神社の御神体に立ちションベン引っ掛けたイタズラ小僧がいれば、それを他の子供達の前でガミガミ叱ったり頭をドツいたりするのではなく、そのガキンチョの体操着の股間にでも密かにウルシか何か塗っておいて、例の悪戯の数日後から「神様の祟りでオチンチンがハレハレひれほれはれ!」の大騒ぎを演じるような隠密裏の<間接的懲罰>の準備を施す必要があるわけだ。
まぁ、そのような教育効果満点のおイタをすれば、昨今の日本の糞馬鹿メディアのハイエナどもに恰好のニュースのネタをくれてやることになって阿呆らしいにもほどがあるので、あんまり本気にされても困るが、「いましむ」の本義が「間接的使役」にこそあり、「頭ごなしの禁戒・束縛」にはなかったことだけは、事実として覚えておくことである。
もっとも、この原義と実用のズレは古典時代には既に始まっており、「行動に出ぬよう言葉で制止する」の語義のみならず、「行動しようにも出来ぬよう、手足を縛る」といった拘禁行為まで「いましめ」で表わすようになり、更には「すべきでない行動を取った者に、罰を加える」という事後の断罪行為までもが「いましめ」の領分となっている・・・他者を縛ろうとするcontrol freak(コントロール・フリーク)的性分は、一旦走り出したら止まらない、という事実の言語学的実証例であろう。
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▼ | ▲[297]「神聖」と「不浄」の両極端のimageで突き抜けちゃった【いみじ】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.682【いみじ】 論理よりも感覚に走ることの多い日本語の中でも、極めて日本語らしい展開を経て「超~~**!」の突き抜け言辞として古文で乱発されたのが「いみじ」(形容詞)&「いみじう」(副詞)である。
語源的には「いみじ」はまず「忌み(いみ)」に発する。「忌引き(きびき (×)いびき)」の形でその宗教的色彩は現代にもなお残る語であるが、それは亡くなった誰かの「死の穢れを忌避」するのが目的で当面の社交活動を自粛する行為であって、「死者の霊を慰める」ことが目的ではない。
この「忌み」とは正反対に、「神聖にして超絶的なるもの」を前にして「恐れ多くて触れられない」という敬遠の心情を意味する「斎み(いみ)」もまた、「いみじ」の中には含まれている。
こうした「不浄/清浄」双方の「忌み/斎み」を意味する「いみじ」は、それゆえに、「ひどく悪い」&「大変素晴らしい」の両極端を行き来する語となったわけである。受験生としては、脈絡を頼りに「ケナシ」か「ホメ」かを見極めねばならぬ厄介な(できれば「忌避」したい)古語というわけだ。
そうして、この「最低!」と「最高!」が、一切の論理的判断を度外視した感情的叫びとして用いられる性質は、昔も今も同じである・・・そこから、「いみじ」の連用形「いみじく」やそのウ音便「いみじう」が、「そりゃあもう***ったらないのさ!」(Absolutely, Totally, Simply, etc, etc.)なる副詞として用いられることにもなったわけである。
ちなみに、現代日本語に於いて辛うじて残る「いみじ」の末裔は、副詞形の「いみじくも」のみであり、その意味は「実に見事な表現で描写したことには」である。誉め言葉であるから「斎み」系とは言えるが、原初の宗教的畏怖はどこかに消し飛んだ感じのこの表現、筆者なら、その絵画的描写力のもにゃもにゃした巧みさに敬意を表して「image(イミッジ)雲」あたりのイメージ当て字で表現したいところである・・・え?それって横文字じゃん/仮名漢字変換入ってるじゃん、って?・・・いいじゃん、意味は通じるし、どうせ感覚語なんだし、日本語なんて所詮えぇ加減な横滑り言語なんだからさー。
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▼ | ▲[298]【けしからぬ】を巡る「怪しい」&「けしからん」事情
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▼ | ▲[299]「けしかる」のか「けしからぬ」のか・・・何言ってけつかるねん?
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▼ | ▲[300]【けやけし】と【さやけし】
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▼ | ▲[301]【よりけに】って何?
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▼ | ▲[302]「いかめし」・「いかづち」・「いちはやし」
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▼ | ▲[303]「いちはやし」は「一番速し」ならず
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▼ | ▲[304]【むくつけし】が気味悪いなら、【むくつけなし】は気味悪くない、か?
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▼ | ▲[305]【むくつけなし】と【むくつけし】と【むくむくし】
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▼ | ▲[306]「強し・剛し」と「恐し」の関係
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▼ | ▲[307]【たけし】=【たかし】は背高のっぽ
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▼ | ▲[308]「ぶこつ」さを「骨無し」と書くフニャフニャさ
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▼ | ▲[309]【いらなし】は【要ら無し】にあらず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.704【いらなし】-たくさん「ある」のに「なし」とはこれいかに?-
「苛立ち(イラだち)」だの「棘(イばラ)の道」だのに通じる「植物の棘(トゲ)」を意味する「いら=苛」が元になった古語が「いらなし」。
では、ここで問題:この「なし」の意味は何でしょう?
候補1)「無し」・・・そんなこと「ない」の否定辞。
候補2)「無し」以外のなにか・・・ってことは、そういうことが「有り」ってこと。
改まってこう聞かれればもうわかるだろうが、答えは「無し、ではないです」。むしろ「有り」を通り越して「めっちゃアリ過ぎ」の意味を表わす「甚し(なし)」が付いて、「苛+甚し=イライラ度数ハナハダし!」というか「とげとげトンガリまくりっぱなし!」が「いらなし」である。真面目に造語するつもりなら、「苛」の字を二つ重ねて(=畳語化して)「苛々」とすれば、「いらいら」となって現代語にそのまま通じる形となる。
-難解「極まる」というか難解「極まりナシ」というべきか-
「なし」は反射的に「無し」の反応を呼ぶのが現代日本人の語感であろうが、古語の世界には次の2種類の「なし」があり、勢力比も結構拮抗しているので、用心するに越したことはない:
A)「甚し」=<・・・もはなはだしい>very much so
B)「無し」=<・・・ってことはない>nothing of the sort
現代日本語にはA)の「甚し」の残存例はほとんど無し・・・ながら、希有なる例外として次の表現などがある:
「あの男の態度は<無礼極まりなし>だ」
・・・この表現に対する現代日本人の反応はほぼ100%<無礼さ>が<極まること=限界に行き着くこと>が<無し>=<無礼の限界を知らず、無限に無礼度が高まり続けてきりがない>であろう。それはそれで通じるロジック(logic:論理)である:英語の「He knows no limitations to his insolence.:彼は自らの無礼度に関し限界点というものを知らぬ」という表現にそっくり移し替えが効くものであるし、そうして「無し」系の否定表現として通じるからこそ現代日本語にまで生き残っているのだ、という見方も成り立つのだから。
ところが、この<無礼極まりなし>と対立的・・・に見えてその実全く同一になる表現に、次のものがある:
「あの男の態度は<無礼極まる>」
・・・こちらは<無礼度>が<極まる=限界点に達する>のであるから、先程の<極まり+無し>とは180度逆の意味になりそうであるが、これまた英語に置換すれば「He couldn't be more insolent [than he is insolent now].」=<[現時点での彼の無礼さを越えて]更にこれ以上無礼になろうとしたところで、これ以上無礼になることは不可能であろう、と言えるほどに、彼は現在、最高(というか最悪)に無礼である>となり、これはこれでまた筋が通った言い回しとなる。
ということで、<無礼極まりなし>は<無礼極まる>の無礼度をグレード・アップした<無礼極まり+甚し>と(古典的に)判断することも、<無礼極まり+無し>と単純に割り切ることも、双方可能な言い回し、ということになってしまった・・・これでは文法解説としてはこころもとない(心許なし)というか、勇んで書き出したわりには尻尾は迫力のない蛇に化けている">竜頭蛇尾というか尻切れトンボも甚だしい(トン尾甚しorとんぼしっぽ無しorとっぽなしorトッポネー)という感じがしないでもないが(・・・この話の続きは、きちんと現代でも「甚し」で判断せねばならぬ形容詞「あどけなし」のあたりで改めてするので、今回はこんなかんじで許しておくんなっしー)。
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▼ | ▲[310]【荒:アラ】と【柔・和:ニキ】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.705【荒る】 「荒縄:あらなは」/「柔栲・和妙:にきたへ」と書けば、なう(×now ○綯う)うちに手がガサガサになる粗雑なロープ(rope:なわ)と、指にも肌にも心地良いローブ(robe:衣服)との対照的な響きが、「荒vs.和・柔」の関係を体表感覚的に明示してくれるであろう。
「にき」は、そのままでは「断定<なり>+過去<き>」の助動詞連語っぽい響きだが、少々の音ずらしを加えれば「にこ」となり、畳語化すれば「にこにこ」となって、にこやかな笑顔が浮かんでくる語となろう。これと対照的な「荒る」の動詞に、「荒天になる」、「荒廃する」、「心がすさむ」といったそのものズバリの荒れ模様の語義があるのはすんなりわかるとして、「シラケる」という語義だけが妙に消極的な感じで古語「荒」のラインナップに加わっているのが「あらっ?」という感じで不思議かもしれない;が、「ニコっ」の対義語として捉えれば、この「アラ=シラーっ」の感じもわかるであろう。「仲間(類義語)」よりむしろ「敵手(対義語)」との関係の中で揉まれて強くなるもの、それが語学力である(人間力もまた同じだが)。
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▼ | ▲[311]【驚く】=「alarm:アラーム・目覚まし時計」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.707【驚く】 古文業界ではあまりにも有名すぎて今更「言ふべきにもあらず」の感さえあるのが、古語「おどろく」の「不意に目を覚ます」の語義である。現代的な「びっくり仰天」の意味もないではないが、入試ではそんな当たり前の語義はまず出ないし、この種の「現代語と変わらぬ語義」は意識せずとも自然に頭に浮かんでくるのだから、学習者として身構えてかかる必然性はゼロであろう。
やはり、「現代人感覚からすれば意外性あり」&「万一うまく意識に浮かばぬとヤバい」語義こそ警戒してかかる必要があるわけで、「はっ、と目を覚ます」や「不意に気付く」の語義こそが主役なのが「おどろく」・・・その語感は、うつらうつらのまどろみの世界に出し抜けに鳴り響く「目覚まし時計」のそれに近いから、「alarmに驚く」あたりのフレーズで覚えておくとよいだろう。
古文単語の暗記には、語呂合わせにこだわって「オードロぼうキてびっくり目が覚める(ぃゃーぁ、おはよぅリーサちゃん、俺ルパンⅢ世)」のような苦しい展開に持ち込むよりも、英単語の助けなど借りて短いフレーズにまとめちゃう方が得策の場合も多いのだ。
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▼ | ▲[312]【あな】・【あら】・【ああ】・【あはれ】・・・あ、みんな「あぁぁぁ」なんだ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.709【あな】 感動を表わす古語として、古文などろくに勉強しない日本人でも知っている存在が、「あな」である。中世以降この語に取って代わる形で現代にまで引き継がれているのが「あら」である。そして、これらの語の根底にある音が「ああ」である。ぽかんと口を開けて思わず漏れ出すこの「ああ」の後に、その種の唖然('あ'ぜん)とする思いを呼び起こした対象物を指差す「あれ(見てよ!)」を付けた「あああれ」が転じたものが「あはれ」である。いずれにせよ、その根底には「あ」の音があることに注目したい。
「あっ!」・「いっ?」・「うっ!」・「えっ?」・「おっ!」という母音が、いずれも感動詞に用いられるという現象は、何も日本語だけの専売特許ではない。いずれの国の言語に於いても、何の子音も伴わずに「口をついて出る最も根源的な音」が母音である以上、これが「感動」という名の根源的衝動を表わす記号となり得るのは至極自然なことなのだ。
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▼ | ▲[313]【アナ疾】素早く、【アナうたて】歌って、【アナ憂】あぁ憂鬱・・・アナウンサーは【アナかしこ】? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.711【あな畏】-「あな」=「アナ」・・・「accouncer」?-
現代日本語の「アナ」は「アナウンサー:announcer=原稿読み上げ人」の略称として用いられるが、昨今の日本のTV業界では、「芸能人」として売り出すよりも「アナウンサー」として売り込む方が効率よく売れるから、という理由で「綺麗な女の子は歌手とか役者とかじゃなく、女子アナにしちゃえ」の流れが根付いてしまっている・・・それだけ「歌番組」だの「TVドラマ」だのは放送枠が縮小されており(制作費をケチる業界体質が既にもう致死的状況にまで至っていて)、この状況は今後とも恐らく'正常化'されることはあるまい(・・・ここまで下品な物売り箱に成り下がったTVなんぞに高いカネ払うスポンサーはもう現れまいし、安値でコキ使える三流お笑い無芸人の寄せ集めプログラムばかり垂れ流してるうちに、マトモな番組制作のやりかたそのものを忘れ去ってしまって、惨めに自滅するのが日本のTV業界に約束されたお寒い末路、ということになるだろう・・・まぁ、そうして古いメディアの1つや2つ自然消滅したって、別にどうでもいいことだけどね)。
そういう次第で、「アナウンサー=略称'アナ'」は「綺麗度+知性度+露出度、いずれも高し」の「芸能界の隠れた穴場(否、今となっては'逃げも隠れもせぬ漁場'というべきか)」となっており、芸能界みたいな華やかな世界に憧れる女子(ばかりじゃないかもしれないが)にとっては「ハナのアナ」!「モノシリのアナ」!「よく見るアナ」!であり、芸能プロダクションにとっては「是が非でも入れたいアナ」!だったりするわけである。
・・・などと、センセーショナルな前触りによる昨今和製芸能界案内とはまるで関係ないお話へとここから雪崩れ込むこの展開・・・「あなう」とはこういうのを言うのである・・・ぇ、「アナう」って何かって?おぉよくぞ聞いてくれましたあなたふとあなたふと・・・ぇ?わたし[の]そんなに太くない?・・・あ、そういう捉え方であなにくの展開もあるわけね・・・ぇ?何いってるか意味不明、もう読むのやめるぞって?あなと、あなた、そう速まらないで、ぼちぼち説明しますから・・・って、あなにく、収拾つかないアナーキー(anarchy?穴開きぃー?)な展開になってしまった・・・みなさんどうぞあなかまたまへ、以下、それなりにきちっとした「あな・あな大行進」をお目にかけますから(・・・ぁ、キレイなアナとか、ヘンな穴とか、想像しちゃだめよーん)。
-閑話休題。以下本題-
感動詞「あな」の直後に形容詞語幹を付ければ、「あぁ・・・なことよ」の感動詞的表現になる、というのは古典文法の公式的展開ながら、これがなかなかに意外性があって難しい。現代日本人は、形容詞を語幹だけで使うのに慣れていないからである(・・・もっとも「うざ!」や「くさっ!」・「だるぅ!」等を多用する若者はその限りに非ずかもしれないが)。
ということで、どれぐらいややこしい感じになるか、「アナ+形容詞語幹」表現の一部を列挙してみよう:
◆あないみじ【あないみじ】=あぁ大変だ
◆あなう【あな憂】=おぉ嫌だ。
◆あなうたて【あなうたて】=ったく不愉快だ。
◆あなかしこ【あな畏】=1)おお怖い2)恐れ多い3)恐れ入りますが
◆あなかま【あな囂】=こらっ、静かに。・・・「あなかまたまへ」だと「どうぞお静かに」の意。
◆あなたふと【あな尊】=あぁ、ありがたい。
◆あなと【あな疾】=ぅわっ、速っ!
◆あなにく【あな憎】=こんちくしょうっ。
◆あなみにく【あな醜】=ひぇーっ、みっともなぃ。
・・・いずれも【漢字表記】なしの平仮名で出会した場合を考えてみてほしい・・・かなり賢い受験生でもあなかしこってことになるだろうからあなうあなうたてあないみじ、である。
ぇ?たったこれだけのためにあれだけ「アナ・アナ」騒いで見せたのかって?・・・まぁ、そういうことになりますねぇ・・・ぁはは・・・あなみにくっ・・・ったく、穴があったら入りたい・・・ってことで、みなさまどうも、お後がよろしいようで・・・さいならホイっ!
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▼ | ▲[314]【あなかま】・【かしまし】・【やかましー】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.712【あな囂】 「ここらで一発、かましたれぇー!」的応援は今も阪神甲子園球場あたりじゃよく聞くけれど、「かま」には古来、盛大に鳴り響く騒音系の響きがある。甲子園でならバット一閃快音「カキーン!」だろうし、「あいつ、とんでもない大嘘カマしやがって!」なら人を小馬鹿にしたような「ジャン・ジャン!」の効果音あたりだろうか、とにかく「かま(囂)」は、当て字からして上下に開いた口四つがど真ん中の口を取り囲む図柄だから、いや、かしましいの、やかましいの、古語で言うと「かまびすし」いう感じですがな。
この語、変化形が仰山おまして、現代に残る「やかましい」は「いや(弥=ますますもって)+かまし(囂し)」だから、ただの「囂し」のパワーアップ・クレッシェンド版といった感じですな、これが。
ついでに、ぃゃかましー誰かに向かって、「これこれ、しぃーっ、声が大きい!」とたしなめる表現に「あなかま」いうのがおます。「あな」は例の感動詞で、この尻尾に形容詞「かまし」の語幹「かま」くっつけると「あぁ、やかましわぃ!」になるわけですが、何せあんさん、モノが「アナ」に「カマ」でっしゃろ、「ケツの穴に肉棒突っ込んで疑似異性交遊カマしよるオカマはん」とか想定しよる若い衆もおらはらんとも限らんさかい、そのあたりはょーけ、見誤ることないよう、用心したってや。。。あ、ちなみにあんさん、関西人?せゃったら、一つ試しに言うてみてや、止めずの三連発で、ほぃ、「みあやまる・みあやまる・みあやまる」・・・言えた?・・・なぁーんや、ほなあんさん、関東もんやん;だって、関西人は「見誤る3」は絶対言えへん、噛む率100%の魔法の呪文やねんから・・・ほな、もいっちょいきまひょか、ほぃ「みあやまる・見誤る・ミアヤマル」・・・じゃあかあしぃ?・・・だめよここは「あなかま」返さな、おベンキョにならしまへん・・・ま、最後のやつはアナウンサーもきっと噛まぁーなの真性関西人リトマス試験NGワードやさかい、人に会うたら試してみるとえぇよ。隠れ関西人・なんちゃって関西人、これで100%見誤ることなく見分けられますがな、いやこれホント、あなかましい、否、あな哀しい関西人の難敵言葉、噛んだアンタはあぁなかま・・・って、この記事、そもそも何の話やったっけ?
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▼ | ▲[315]「あぁ・・・あれ」的な【あはれ】感 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.713【あはれ】 「あはれ」は、古文業界が最も好む古語の一つである。「をかし」を『枕草子』のキーワードに見立て、対照的な『源氏物語』のキーワードとして「あはれ」を引っ張り出す、というお決まりのその構図はまるで、TV時代劇「水戸黄門」の「三葉葵の印籠」(徳川家の紋章。まだ江戸幕府の政権基盤も怪しげだった三代将軍家光の時代なのに、この「家紋」だけは何故か日本全国津々浦々、悪代官から百姓まで、知らぬ者はいない「MUST-know:知らぬではすまぬ必須知識」だったらしい・・・なんともおおらかな設定だが、まぁこうしたユルさが和風ドラマのサガなので、ユルしてあげましょ)。
元々は国学者の大立者本居宣長が唱えた「もののあはれ」なる御説が、古文業界に於ける「あはれ」大人気の理由だが、そんなわかったようなわからぬような感情・感傷の性質についてしれたかぶりをふるのも今更におろかなりの感じなので、ここではあっさり次の事実を指摘するにとどめておこう:
◆「あはれ」の語源は、「あぁ・・・あれ・・・」。英語で言えば「aaahhh...」・・・これを延々続ければ『宇宙戦艦ヤマト』の有名なスキャット「無限に広がる大宇宙」(歌=川島和子 作曲=宮川泰)となる。第一話(SOS地球!! 甦れ宇宙戦艦ヤマト)のCM明け、海水が蒸発し尽くして赤茶けた地球上にガミラスの遊星爆弾が落下する悲愴なシーンにかぶさって流れるこの「ぁぁぁぁ・・・」こそ、「あはれ」の映像&音響的具現化の最高の例と言ってよかろう。・・・知らない人は第一話開始後11分頃から大音響で鑑賞して「あぁ、あれ・・・ほぉ・・・」と納得してほしい。
◆万事に勇ましい鎌倉時代以降は、女性的で柔和な「あはれ」も、漢文訓読調の男性的な「あっぱれ」への武断的転身を遂げた末に「天晴れ!(・・・テンパれ!ではない)」の当て字まで着せられて、戦闘で敵をたくさんぶっ殺した武将だの満座の大笑いを取った剽軽者だのへの「いょっ、大統領!」的な下品なヤンヤヤンヤことばへの転落を遂げてしまったのである・・・あぁ、哀れなり「あぁ、あれ」の末路。
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▼ | ▲[316]【如何で】=How...?/How...! [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.716【如何で】 元来「様態」を表わす古語の「いかで(如何で)」は、英語の「How」に等しい;ということは、「疑問文」と「反語」と「感嘆文」との掛け持ち表現、ということになる:
古文1)如何で其を為さむ?
英文1)How should I do that?
現代語訳1)それをどうやってしたらよいだろうか?
・・・このように「推量助動詞(む・むず等)」と抱き合わせなら、「いかで=疑問」が多い;が、時には次のように「疑問」の形を取った否定=「反語」ともなる:
古文2)如何で敢へなむ?
英文2)How can I bear it?
現代語訳2)どうして私がそれに耐えられるだろうか、耐えられるものではない。
・・・願望系統の語と共に使えば、また意味が違ってくる:
古文3)如何で其を得てしがな。
英文3)How I want to get it! / I want to get it by all means.
現代語訳3)どうにかしてそれを我がものにしたいものだなぁ。
・・・「いかで」=「願望・意志」の例である。この用法に付き物の語句としては、次のようなものを覚えておくとよいだろう:
いかで+「じ」=「何が何でも・・・するものか!」
いかで+「てしがな」/「にしがな」/「ばや」/「まほし」=「是非とも・・・でありたいものだ!」
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▼ | ▲[317]【いかがはせむ】は「いかんせん」
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▼ | ▲[318]【如何様】必ずしも「イカサマ」ならず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.723【如何様】 「いかさま」は、現代語では「インチキ」の意味でのみ用いる。が、これは近世以降の後発語義であって、それ以前の時代の「如何様」にこの語義はない。
「インチキ・詐欺・ペテン・やらせ・くわせもの」の意味の「いかさま」は、「本物も、まぁ大体こんな風な感じ」=「いかにも本物っぽい・・・けど実は真っ赤な偽物」というところから生じたものであって、このあたりがいかにも近世の語という感じである。
「本物」を意識して「まぁ、こんな感じに似せて作れば、バカなカモは引っかかるかもね」という詐欺行為が成立するための前提条件としては、「大勢の人間が'うろ覚えの噂'を通して知っている(が本物のことはよく知らない)羨望の的」となる何かが存在せねばならない。そうした「今、巷で噂の、これが例の***だよーっ!さぁさ、買ったり、買ったり!」と煽る商売が成り立つのは、「比較的広域の消費経済圏」が成立し、自分の知らぬ土地からもいろんな品物や情報が舞い込んでくる社会背景あればこそ、である。
狭い京都の御公家さんたちの閉鎖的社会の中で展開する中古の物語の中では、他者の動向については誰もが(異常なまでに細かく)熟知しているのだから、「うろ覚えの羨望心理を突いたイカサマ商売」など成り立たない・・・こうしたペテンにかかってくれるのは、「京都のキレイな舞妓はんや大阪のド派手な姐ゃんたちの間で今大流行、上方じゃぁ女の子は誰もがみんなこれを付けている、ってーぐらいの、さぁさ、よーっく見ておくれ ― これがその'ネコミミ'だよっ!お尻の形に自信のあるお嬢さんなら、ついでにこちらの'ミケシッポ'もどーだいっ?四つ足ついてすり寄って'ニャオ'って迫れば、どんな男もイチコロだよーっ!」的な古典的誘い文句にコテンと引っかかる「お江戸の純朴な町娘たち」あたりであろう。
自分自身がロクに知らぬ世界へと、知らぬがゆえの羨望のヨダレ垂らして、背伸びして入り込もうとするからこそ、ペテン師どもの餌食になるのであって、誰もが何でも知っている閉鎖系の社会や、知らぬ事にはきちんとした理知的警戒心を発揮する知識人が主役の世界では、この種の地に足がついてない連中相手のイカサマ話など不成立、という理屈である。
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▼ | ▲[319]【然】は「さ」か「しか」か?
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▼ | ▲[320]「然すがに」の読み方
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▼ | ▲[321]【しかすが】が【さすが】に化けて【流石】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.735【流石・遉】 現代では「さすがはカタホくん、考えることが違うわ!」などとして「期待通り、見事にやってくれた!」の讃辞を表わし、どういうわけか「流石」なるヘンテコ当て字まで宛がわれているのが「さすが」だが、この語の源流は「然すがに」であり、その読み方は中古では「さすがに」だが、上代には「しかすがに」であった。
「鹿+酢+蟹」などと書けば野趣溢れる古代の宴席料理みたいだが、真面目な語源学的組成は「然(そういう)+す(在り)+が(処=場所)+に(地点)」で、「そういう所に身を置いている」である。従って元来は順接:「そういう次第でありますから(such being the case)」であったこの表現が、やがて逆接:「そういう状態ではあるものの(be that as it may)」に転じ、中古にはその読みも「しか→さ」に変化して「さすがに=そうは言ってもやっぱり・・・だ」となったものである。
やがて、「何のかんの言っても、やっぱり***、大したもんだねぇ」(例:一頃の勢いはないとはいえ、'さすが'は日本人、ゴールデンウィークの海外での散財ぶりはまぁ見事だねぇ)という「全般的には否定的な陳述の中で、それにもめげずに光る肯定的な何か」を持ち上げる言い回しとしての「さすが」が派生的に(鎌倉期あたりに)生じたが、その非本源的語義こそ今や主流の「流石」とは、さすがは日本語、時代の流れの中でゴロゴロ横滑りを繰り返すその飽くなき石、もとい、意志には(毎度のことながら)「いょっ、流石(ナガレイシッ)!」の賛嘆(or惨憺)の囃し声を禁じ得ぬものがあるではないか。
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▼ | ▲[322]【然る】=「さる」「しかる」
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▼ | ▲[323]【然らぬ】と【避らぬ】
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▼ | ▲[324]「さもあれ」・「さはれ」・「さばれ」・「さもあらばあれ」
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▼ | ▲[325]もやもや漠然推量【さもや】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.756【然もや】 入試でも、古文そのものにも、実によく出てくる表現である ― 「さもや」 ― よもや「知らない」とは言うまいねー?ぇ、自信ない?・・・まぁそういうこともあるかもね、ということで備忘録代わりに読んでもらう記事だから、以下軽く解説をば。
この「さ」は「然」であるから、文脈上明瞭(なはず)の既出の何か(便宜上'A'とする)を指して:
1)「さもや」の後にちゃんと(連体形終止の)疑問・推量の文章を伴って、「A・・・なのだろうか?」とか「A・・・なんじゃなかろうか」とかの意味を表わす。
2)「さもや」で文章をぶった切ってしまいながらも、直後に[あらむ?]という連体形終止の内容を補って読みつつ「A・・・なんじゃなかろうか」との意味を表わす。
いずれにせよ、「さ(然)」は文脈の中の何かを指し、「や」は疑問・推量の記号として機能するが、間に入る「も」が何とも言えない「もゃもゃ感」を出しているので、「自信なく疑問符が付く感じの推量」の意味になる連語である。
-かなり便利な「さもありなん」-
この漠然としてもにゃもにゃした感じの「さもやあらむ」は、似たような形ながら「断定的に納得」する正反対の意味を持つ「然もありなむ」なる連語と対にして把握すると良いだろう。この表現、現代日本語に於いても、「あの人、やっぱり落第したんだってさー」・「はは、さもありなん、って感じだよねー、勉強してるとこ見たことなかったもん」みたいな感じで生きているので、「然もやあらむ」の理解を明確にするための名脇役としても使える上に、次のような形で連語&終助詞「なむ」の意味の再確認にも使えるのだから、大した役者である:
終助詞「なむ」の例)然も<あら>なむ。(そうであってほしいものだ)
・・・未然形接続(あら)+なむ=他者に対する願望を表わす終助詞。
連語「なむ」の例)然も<あり>なむ。(あぁ、そりゃそうだろうねぇ)
・・・連用形接続(あり)+確述助動詞(な)+推量助動詞(む)=確実にそうであろうとの推量を表わす連語
・・・この連語と同じ意味は、「あり」+「てむ」/「ぬべし」/「つべし」でも表わせる。いずれも「確述助動詞+推量助動詞」の組み合わせである点を踏まえれば、こうした類例での換言可能性の検討作業が「言語学的検算」になる、という理屈も覚えておくべきであろう。
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▼ | ▲[326]【さのみやは】・・・「茶飲み夜話」?いくら何でもそんな話はあるまい。
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▼ | ▲[327]運命もまた【然るべき】もの?
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▼ | ▲[332]甘栗増量【天津差恵:アマツサエ】? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.781【剰へ】 時代劇の御奉行様が悪人の罪状を言い立てる場面でよく出てくる「あまつさえ」は、<「天津サエ」・・・甘栗サエも食えぬほどに、おなかがイタいの>?的な想像をくすぐる響きがある(誰に?)が、実際の意味は「Aのみならず」であって、英語の「not only A」に等しく、後続部には当然「更にBまであったりする(but also B)」の展開が待っている表現である。
元々「あまつさへ」は「あまり(余り)さへ」であり、更に「さへ」の原形は「そへ(添へ)」であるから、「余り添へ」というわけだ・・・道理で「天津甘栗:(○)てんしんあまぐり (×)あまつあまぐり」の袋に「ほれ、この余ったちっちゃいのも、オマケに入れちゃるわ」的連想が伴うわけである(・・・だから、誰に?)。
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▼ | ▲[333]【誰そ】は「たそ」か「たぞ」か?
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▼ | ▲[335]【某】=「それがし・なにがし」の指すもの
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▼ | ▲[337]【身】は「me」で覚えてみぃー [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.789【身】 ベタな駄洒落ほど脱力剤として強力なものはないので、肩の凝るマジメな古文学習には積極的に取り入れるべきであろう・・・古語の「身」が人称代名詞「私」の意味になる例を、英単語「me」に絡めて覚え込むなど、その最たるものであろう。「身はまねびの上手にて」=「ME am good at remembering things!」とやっちまえば、「シェーっ!なんざんしょ、このダジャレのセンス!ミーにはとても理解できないザンス!」と出っ歯のイヤミも驚く御粗末くんな展開・・・ぁ、赤塚不二夫のマンガに詳しくないみんな、ゆーるせ、ニャロメーッ!
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▼ | ▲[338]【われかの心地】のコワれかた
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▼ | ▲[339]【われかにもあらず】のチャンポンちゃらんぽらん性
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▼ | ▲[340]【言問ふ】は、ただの質問のみにてはあらず
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▼ | ▲[341]【ゆかし】ってどこに行きたいの? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.806【ゆかし】 現代日本語の「おくゆかしい」は「遠慮がち」の意味であり、その語感は「出来れば表舞台に立たずに、奥の方に引っ込んで行きたい」という引っ込み思案なものであるが、古語の「ゆかし」の方向性は全く逆である。
「ゆかし」は文字通り「行きたい」であるが、どこへ行きたいかと言えば、「対象の奥深くまでぐぐっと分け入って行きたい」のであり、それは「対象があまりに素晴らしく、このまま素通りするには惜しいほどに強い興味を引かれたから」であるから、「積極的に前方に乗り出して行く」表現であって、「消極的に後ずさりする」ものではない。
この種の「・・・したい」の末尾を持つ語には、「現時点では・・・していない」の意味が必然的に伴うものである。例えば「あたらし(惜し)」の場合、「素晴らしいものであるのに、その価値に相応の高い評価の光を当てられていない・・・だから、そうした高い評価に'当たる'ようにしたい」というところから「おしい、残念だ、もったいない」の意味が生じる。「もとむ(求む)」を根に持ち、「足りない・・・から、'求め'たい」の気持ちが「窮乏している」の意味になるのが「ともし(乏し・・・現代語なら'とぼしい')」である。このあたり、英語の次の表現にも似ていて、その原理を弁えないと、「窮乏」という現象面を表わす言い回しを、「欲求」という心理面を指すものと取り違えての誤訳に陥ることになる:
英文例)He sheerly wants experience.
和訳)彼は全くの経験不足である。
誤訳)彼は経験を切実に求めている。
・・・この「want」は、「be wanting in / be lacking in / be destitute of / be devoid of」の「欠乏状態」を表わすものであって、「・・・が欲しい」という「心理的渇望」を表わすと解釈するのは間違いである。
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▼ | ▲[342]【おくゆかし】ければ遠慮せじ
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▼ | ▲[343]古典時代に「名」を【言ふ】ということは・・・ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.811【言ふ】 大方は現代語と同じ意味であるが、古語の「言ふ」には決定的に「古典時代らしい」語義がもう一つある ― 「男が、女に、言い寄る」求愛(求婚)系の語義である。
古典時代の「言ふ」が、そうした重みを持つに至った背景は以下の通りである:
1)「言ふ」の名詞「言(こと)」は、上代までは「事」と不可分の関係にあり、中古以降もなお「もの言ふ」とは即ちその「こと(言)」に宿った「こと(事)」の魂に呼び掛け、事の実現を招くことになるという「言霊(ことだま)思想」が生きていた。
2)愛する相手に「言ふ=言い寄る」ためには「相手の名」を知らねばならない。古典時代の女性は基本的に肉親以外に自らの名を知られたりしない。「言霊思想」が力を持っていた時代には、「自分の名を呼ばせること」=「その名に宿る魂を相手に掴まれること」であるから、よほど心を許した相手以外には自らの「名」を通して「魂」を掴ませるような真似はしなかったのである。この意味で、女性の「名」を「言ふ」及び「呼ばふ(繰り返し呼ぶ)」ことができる男性は、彼女の心を掴むことを当人から許された存在、ということになる。
-「名前未詳」の'有名'女流作家-
実際、古典時代の女性は、その「通り名」が知られているのみであって「本名」は不明、という例がほとんどである。古典時代の女性としては最も'著名'であるはずの『源氏物語』著者「紫式部」もその一人であって、彼女の本名は謎のままである(「藤原香子(ふぢはらのかをるこ/かうし)」説などがあるが、単なる類推に基づく仮説であって実証されてはいない)。彼女の通り名の「式部」(宮中出仕当初の名は「藤式部」)とは父(または兄)の官名であり、「藤」は「藤原」、「紫」に至っては彼女自身の筆になる物語の中で「光源氏」に愛された正妻「紫の上」の名のベタな流用である。平安期の女性のほとんどはこのように「身内(多くは父か夫)の官位+実家の名の一部」を通り名としているのみであって、実名は(その近親者以外は)誰も知らないのである。
-「名のある女性」は官位付き-
が、面白いことに、「紫式部」の一人娘の「大弐三位(だいにのさんみ:999-1082)」は、その本名まで「藤原堅子(ふぢはらのかたいこ/けんし)」と知られている。何故かと言えば、彼女は、藤原道長の娘の嬉子(きし)が産んだ親仁親王(ちかひとしんのう=後の後冷泉天皇)の「乳母(めのと)」として、朝廷から正式の官位(三位)を賜わっているからである。朝廷の公式記録にその名が記載される場合は、当然「本名」が明らかになるわけで、皇室に「妻女」として嫁いだ女性たちの本名が「藤原*子」といった形で後代まで一般に知られているのはそのためである。
-今なお残る「名ぞ謎ゲーム」-
何ともおかしな話に聞こえるであろうか?しかし、この種の「相手に容易に魂をつかませぬための名伏せ」は、現代に至るまで、日本人には連綿と引き継がれているのである。
「名字:last name or family name」こそ明治維新直後に続々生まれて以降は(外国人が日本に帰化する場合などの少数の例外を除いては)もはや新たに生まれることもなくなったが、親が思い思いに付ける「名前:first name」の方は日々新たに生まれ続けている・・・その名付けには(例によって!)西欧圏に於けるような「法則性」はほとんど全く存在しない。西欧人の名前(first name)は「聖書」にある「人名列伝」のいずれかに必ず属するものであるから、そこに「どう読むかわからぬ謎の名前」など成立する道理がないのである(last nameの方は必ずしもそうではないが)。しかし日本人の名前の命名に関しては、如何様に付けようとも名付け親の自由自在・・・そして、その自由度の高さを行使する際に、「他人には、読み方を教えてやらない限り、そう簡単には読まれぬナゾナゾ・ネーミング」をする親たちが、21世紀に入った今もなお、かなりの数に上るのだ・・・「言霊思想」は不滅なり、ということであろう。
論理性が怪しい分、何とも怪しげなオカルト(呪術・魔術)的謎かけ遊びが横行し易い言語学的体質は、日本語/日本人とは切っても切れない間柄、というわけである。
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▼ | ▲[344]【仰す】の敬語化は鎌倉以降 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.812【仰す】 古語の時代背景まで一々覚えねばならぬのか、と思うと受験生としては気分が重いであろうが、いかにも尊敬語っぽい「仰す」なる古語が、それ1語で尊敬語として用いられるようになったのは鎌倉時代以降であって、それ以前(中古まで)は「仰せ+らる」/「仰せ+給ふ」という「尊敬の助動詞・補助動詞」との組み合わせで初めて「おっしゃる」の意味になったという事実は(落第を望まぬなら)覚えておく必要がある。
この語は元来「負ふ」の他動詞「負ほす」の転じたものだから、現代語風に言えば「負わす=負担として背負わせる」であり、目上から目下に向けて「命じる」という強圧的響きを持っていた。それが「らる/たまふ」を加えた「仰せらる/仰せ給ふ」となることで「お命じになる」から「おっしゃる」の意へと転じ、やがて「らる/たまふ」抜きの「仰す」だけでも「おっしゃる」の尊敬語として通じるようになったわけである。
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▼ | ▲[345]【打ち出】てくるのは「言葉」だけ?
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▼ | ▲[346]【聞こゆる】の自然発露的作為性 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.818【聞こゆ】-Don't SAY things... just make things HEARD to them!(「言う」な...「聞こえる」ようにせよ!) -
古語の「聞こゆ」は、現代語「聞こえる」にも通じる「自然と耳に入る」の意味のみならず、「貴人に対して申し上げる」の「謙譲語」としての意味をも併せ持つ。
貴人は「直接的行動」を忌避する人種だから、偉い人に面と向かって直接「言ふ」のは、はばからねばならない。今も昔もこの日本では、「もの申す!」という直接的対話要請は「相手を敬わぬ挑発的行動」として煙たがられる行為であって、畏怖の対象たる貴人に対しては、ものを「言ふ」ことはせず、自然と彼らの耳に「聞こゆ」るような状態を演出せねばならぬのである。
-お香を「聞く」とはいかにぞや?-
持って回った「直接性」打消しの「間接性」演出行動を示すこの「聞こゆ」なる謙譲語とはまた違った意味で、「自発性・間接性」vs.「意識性・直接性」との違和感が現代日本人に不思議に聞こえる言い回しについても触れておこう:お香でよく聞く「香を聞く」の言い回しである。
「香り」は「耳=聴覚」ではなく「鼻=嗅覚」の担当であるから、香しき香木の臭いは「嗅ぐ」のが自然であって、それがなぜ「聞く」になるのか、不思議に思われるであろう。そうした場合は、主体的行動を示す他動詞の「聞く(listen to)」にばかり張り付いた視点を解放してやり、自然的現象としての自動詞に置き換えて「聞こゆ(hear)」の次元で「香り」と向き合うことで、「聞く」の背後にあるロジックに聞き耳を立てるのがよい。
「香り」というのは不思議なもので、どこからともなく漂って来た時には、人間の五感のうちのあれやこれやを刺激する性質を持っている。直接の担当部門は「鼻=嗅覚」ではあるが、ツーンと鼻の奥まで突き抜けるような刺激的なものなら「目」に涙を誘い「肌」に痛いほどであるし、子供の頃に大好きだった香りにふと触れて「大脳」の「記憶領域」の想起スイッチが入ってしまい、遠い昔の古里の野山の光景が「目」に浮かび、懐かしい友達の声や小川のせせらぎの音が「耳」に聞こえたり、海辺で食べた焼きトウモロコシの「味」が口の中に広がったり、じりじり「肌」を灼く真夏の日差しが感覚的に甦ったりすることすらもある。
かくも総合的感覚刺激効果を持つ「香」を、意識的に識別する営みについて、「嗅ぐ」という鼻専用行動の狭い次元に閉じこめてしまうのも、考えてみれば味気ない行為である。「香」は「目」に映るものではないから「見る」と呼ぶには難があるし、「味わう」・「感じる」とするのは感覚的に妥当ではあるけれどもあまりに漠然としすぎていて「意識的識別行為」に付ける呼び名としては決め手に欠ける・・・が、どこからともなく「聞こゆる」香を、これは何だろうと意識して「聞く」という言い方ならば、「視覚」の的外れ感覚とは異なる的確性が感じられ、「味覚」・「触覚」の漠然たる感じとも遠く、「嗅覚」の動物的即物性を越えた人為的に高尚な探求行動としての響きが宿ることになる。
「聞く」が「香」を目的語とする(意識的識別の)他動詞として使われるようになったのには、そうした背景があったのではないか。
古文の脈絡に立ち戻ってもう一つ付け加えておけば、そもそも自発性の「臭う」という表現自体、元来「嗅覚」語として用いられていなかった、という事情もおさえておくべきであろう。
そもそも「にほふ」は「仁(に=赤)+穂・秀(ほ=抜きん出た部分)」に由来する語であって、「赤」に代表される「視覚的に刺激の強い色」を表わす「目にも鮮やか」の意味で使われる「色彩語」だったのである。平安中期の有名な次の和歌の<にほひ>もやはり「鼻」をつく「臭い」ではなく「目」に訴える「仁秀ひ」である:
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に<にほひ>ぬるかな(伊勢大輔)
紫式部・和泉式部・清少納言らの活躍した一条帝時代(紀元1000年前後)の伊勢大輔でさえ「にほふ」を「色鮮やか」な色彩語として用いているくらいであるから、中古(平安期)に於いては、あたりを漂う嗅覚的刺激を「臭う」と呼ぶ感覚はまだ希薄であったと見てよいだろう。「臭ふ」の代わりに「聞こゆる」が使われていたわけではないにせよ、嗅覚系自動詞としての「におう」の存在がこうまであやふやである間は、他動詞として「香」に付けるべき適役の存在もまた、確固たるものが定まらなかったとしても、それは自然なことだったと言えるだろう。
そもそも他動詞「嗅ぐ」の組成は、形容詞「香ぐはし=あまりに佳い香りなので、思わず誘われてその香りの源を訪ねてみたい気分になる」の冒頭部分(香ぐ)を切り出して作った語であるから、「香」を「香ぐ」は、「か」の字が重複して音感的にも煩わしいし、「夢を夢見る」や「危険が危ない」みたいな感じで理知的にも少々間抜けな感じがする。「香り(KAori)を嗅ぎ(KAgi)分ける」のはまだしも「香(KAu)を嗅ぐ(KAgu)」には少々頷けぬ響きがあるから「香(KAu)を聞く(KIku)」なる表現が生まれた、と、ただそれだけの音調的理由だけから首肯するのもまた、言葉の恣意的改変自由自在の日本語の場合、ありと言えるだろう。
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▼ | ▲[347]【奏す】は天皇/【啓す】は皇后・皇太子
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▼ | ▲[348]「奏す」と「啓す」の対象は?
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▼ | ▲[349]【のたまふ】=「のりたまふ」
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▼ | ▲[350]【いらふ】と【いろふ】の適当性
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▼ | ▲[351]【いふやう】【いはく】と【いふぢゃう】
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▼ | ▲[352]「ゆーじょー」の誤解
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▼ | ▲[353]「ぇーっと」、するっ「てぇと」・・・なん「ちゅー」言い草だい
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▼ | ▲[354]「者」と書いて・・・わかる者、いる?
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▼ | ▲[355]【かけまくもかしこき】もの
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▼ | ▲[356]【世の常】はありきたり?ありえない?
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▼ | ▲[357]「言はれぬ」ことは論外なこと
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▼ | ▲[358]【いで】は【イテぇ】? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.849【いで】 「ぃで」は何となくイタい感じのある古語である;「ぃでぶ」などとしちゃえば「おまえはもう死んでいる」的な致死的不吉さをもって響かんでもない(「北斗の拳」とか知っている人の感性には、の話である);が、実際の意味は無論尊、そういう世紀末的断末魔擬音(オノマトペ)ではなくて、相手に対し「さぁ、ほら」とせかしたり、「こらこら」とたしなめたり、「いやはや」の不満顔や「うわぁ」の感動を表わしたりする多彩な感動詞である。
この語の出自には二通りあって、「出づ(いづ)」の古式命令形「出で(いで)」や感動詞「いざ」の転として生じたのが「さぁ」の勧誘系語義と言われている。一方、否定・禁止系語の「否・不知(いさ)」から生じたのが「こらこら」・「いやはや」というわけだ。感動を表わす「いゃあ・・・まいったね、こりゃすごい!」はその肯定的転義語である。
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▼ | ▲[359]【誘ふ】と書いて「いざ、なう!」とはこりゃまたNOWイね~、とか70年代のノリで言ってみる
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▼ | ▲[360]「うべ」と「むべ」
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▼ | ▲[361]「いさ、知らず」とはいざ知らず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.857【いさ】 「いさ」とは、相手の発言・行動に対して否定・抑制的に働く言辞である。「さぁ、それはどうでしょうかねぇ?」、「いゃぁ、自分としては、ちょっと」、「いえいえ、そんな・・・どうしましょう、困りましたねぇ」的な感じであり、時代を超えて今にもそのまますんなり通じるこの不思議な感覚には、日本人は古来「受動型ぬらりくらり様態」に於いては世界有数の芸達者という事実を痛感させられる気がする古語である。
この「いさ」、「いさめる(諫める)=相手の行動を、それではまずい、と忠言して止める」だの、「いさかい(諍い)=お互いどうし、ここはこうだろ!それは違うぞ!と言い争う」だのに通じる「NO」系の語だが、現代日本語には「いざ知らず」なる定型句で残っている・・・が、この表現、まさに「おいおい、それは違うだろ?」と「いさめる」必要がある間違い語法で、正しくは清音の「いさ」であり、濁音化して「いざ」としたのでは、「さぁ、・・・しよう!」の意味に化けてしまうのだから、「いざ知らず=Let's pretend that we do not know.:さぁ、知らんぷりしよう」になるわけだから、具合が(or頭が?)わるい。
清音表現の濁音化は古語の世界には日常茶飯事ながら、「いさ=No, let's not.」の否定表現と「いざ=Let's ..., shall we?」の肯定表現を平然と取り違えて澄ましているあたり、さすがは倭人、これぞ和語、といった感じではある・・・が、この程度の狂った混同、笑い流して清濁併せ飲むぐらいでなければ、日本語なんて到底付き合いきれる言語じゃ、ないさっ!
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▼ | ▲[362]【いさ】って、「いいさ」?いや、だめさ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.858【いさや】「人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香に匂ひける」(紀貫之)・・・宿の住人の心のほうは、さて、どうだかわかりませんけれど、宿に咲いている花だけは、昔のままの変わらぬ香りを放ちつつ、今も咲いていることですねぇ。
この有名な歌にある「いさ」は、「さぁて、どうでしょうかね」として相手をはぐらかす語である。現代語では「いざ知らず」と濁音化して残っているので、「いざ、勝負!」的な勢い込んだ掛け声と勘違いする人も多そうであるが、この「いさ」の上代表記は「不知」、英語で書けば「I don't know [whether ...]:[...か否か]よくわからん」であって、動詞「いさむ(諫む)」(=行動しようとする相手に対し、やめておけ、と制止する)にも結び付くその語感は「No.:さぁ・・・やめときましょかね」であって「Yes, let's!:さぁ、やろうぜっ!」ではない。
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▼ | ▲[363]【いさよふ】・【いざよふ】の「いさ」のNegative味
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▼ | ▲[364]「十六夜の月」は何をいさよふ?
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▼ | ▲[365]古語の【ためらひ】は案外積極的 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.862【躊躇ふ】 現代語では「行動に出られず、弱気に立ち止まる」=「専守防衛」の雰囲気がある「ためらふ」だが、古語ではこれ以外に「興奮状態にある気持ちを落ち着かせる」とか「病状が快復に向かう(・・・ようにするため、静養する)」といった「守り」と「攻め」の中間的色彩の語義がある。
「ためらふ」の語源は「矯む(=人為的曲げ伸ばし)+ふ(反復)」であるから、上記の意外性ある語義は、「敵(=取り乱した精神/乱れた体調)と自分との間に、タメを作る」と考えればよいであろう。ボクシングで言えば、殴りかかってくる相手に対してただガードを固めてじっと耐えているのではなく、身体を前後左右に揺らしたり(スゥェイバック)、フットワークを使って相手のパンチをかわしてみたり、時には軽くこちらからフェイント攻撃を仕掛けてみたりして、こちらの間合いへと持ち込んで行く作戦、というわけである。自分も相手も、お互いそうした「自分の間合い」へと敵を引きずり込もうとして競い合うスポーツを身体で知っている人ならば、「無闇に突っ込まず、受け太刀一方にもならず、上手に'タメを作る'」の感覚でこの「ためらふ」を捕捉することができるはずである。
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▼ | ▲[366]「もだす」と「だます」と「だまる」の関係
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▼ | ▲[367]【すまふ】が仕事の相撲取り
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▼ | ▲[368]【競ふ:きほふ】は【競ふ:き<そ>ふ】:化け字に負けじと気負うべし [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.866【競ふ】 現代日本人の目には、古文は一種の「外国語」である。文法も語句も、似ているけれども、現代語とは微妙に違っている。が、その微妙な差異に着目すれば、目から鱗が落ちるようにすんなり腑に落ちる古語も多いものである。
「きほふ」のままでは「着覆ふ」だか「来終ふ」だかはたまた「臭ふ」だか、さっぱりわからぬこの古語も、1文字変えて「き<そ>ふ」とすれば「競ふ」と読めて「先を争う」語義が明快になる。更に別の形で1文字修正すれば「気負ふ」となって現代語「気負い」に通じ、少々の文字追加を試みれば「息+覆ふ=いきおほふ=いきおふ・・・きおふ・・・きほふ・・・きそふ」の図式も見えてくる。
このように、現代日本人にとって、古語学習は謎かけパズルのネタの宝庫なのである。「化け字」で曇った解釈の目は、「変え字」ひとつ(or「添え字」ひとつふたつ)ですっきりするのだから、古文学習とはまた、そういう目の付け所を見極める能力を磨く営みとも言えるのだ。
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▼ | ▲[369]逆らうやつは【もどかし】く、マネてるやつは【Aもどき】
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▼ | ▲[370]【腹立つ】ことの多面性
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▼ | ▲[371]【側目】と【真目】
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▼ | ▲[372](○)「稜稜し」(×)「側側し」
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▼ | ▲[373]【すがめ】と【ひがめ】
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▼ | ▲[374]「ひが」はねじくれ&気の迷い
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▼ | ▲[375]「禍言」は「禍事」を呼ぶ
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▼ | ▲[376]【まが】は不吉の合言葉
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▼ | ▲[377]【ずす】・【ずず】・【ずんず】
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▼ | ▲[378]【うそぶく】のはウソばかり? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.895【嘯く】 「うそをふく」と言うと今では「ホラ吹き」の感じだが、古語の「うそ(嘯)」とは「すぼめた口から吹き出る息の音」である。肉体的にシンドい仕事をした後での「ゼイゼイ」の喘ぎ声も「うそ」だし、牛馬などの口から漏れ出る荒い息の音も「うそ」だし、誰かを誉めたり冷やかしたりするときの「ヒュー、ヒュー!」の音もまた「うそ」であり、詩文などを一定の調子で吟詠する「詩吟」もまた「うそ」である・・・これみな嘘みたいな本当の話。
この最後の「原稿を一定の調子で読み上げる」の語感が、社会学的に「本心ならざることを言葉の上でだけ並べ立ててみせる」の意味に転じた時、「あいつ、全然勉強してないくせしやがって、'夏休みになったら受験対策始めて、見事現役合格してみせるさ'などと<うそぶいて>やがる」というような現代的な「うそぶく」が生じたわけである。
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▼ | ▲[379]古語の【罵る】は非難に非ず
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▼ | ▲[380]【かしまし】【かまし】【かしかまし】・・・ぁー、やっかましー!
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▼ | ▲[381]【とよ】と【どよ】
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▼ | ▲[382]【さざめく】・【ざざめく】・さんざめく・・・ぁーぁああああ、「昴(すばる)」よぉー!
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▼ | ▲[383]【音を泣く】以外の泣き方は?
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▼ | ▲[384]【干る・乾る】の「ひる」は「昼」や「火」や「日」と同根
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▼ | ▲[385]「袖を絞る」は何のため?
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▼ | ▲[386]「霧り塞がる」のは気象?気分?
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▼ | ▲[387]「袖片敷く」は些少の縁
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▼ | ▲[388]「さみだれ」は、「さつき」の「みだれ」と心得よ
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▼ | ▲[389]【聞こゆる】と【聞こえぬ】
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▼ | ▲[390]【名にし負ふ】・・・ちぇっ、エラそうにしょってやがらぁ!
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▼ | ▲[391]【人悪し】は意地悪?
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▼ | ▲[392]「世の例」、必ずしも良きものならず
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▼ | ▲[393]【敷島の道】って、どんな道?
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▼ | ▲[394]【歌合はせ】について知っておくべき事柄のすべて
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▼ | ▲[395]【言】と【事】と【言霊】と【言の葉】
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▼ | ▲[396]【事割り】と【断わり】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.937【理・断り】-切り分けるには、基準が必要-
現代日本語では多く「拒絶」の意味(例:「押し売りお断わり!」)で用いられ、「道理」の意味では滅多に用いられぬ「ことわり」であるが、元来の組成は「事+割る」であるから、「物事を切り分けること」が原義であり、割り切るための基準としての「論理・道理・正しい考え方」がその基本的意味である。
円形の大きなケーキの塊を、じぃーっと見つめる複数の子供達の全員に平等に行き渡るよう切り分ける作業に従事したことのある人ならわかるであろう ― 「あぁーっ!ズルい、**ちゃんの分だけ大きいっ!ひいきしてるー、ちゃんと分けてよー!」 ― よほど「正確に割る」ことをしないと子供は納得しない。虎視眈々と目を光らせる「ひいき監視員」の子供たちを納得させるには、「割り切る基準をしっかり説明しつつ、正しく切り分ける」律儀さが必要なのだ(・・・わざと大きめに切ったやつを'これ、あげる'と言って黙らせる手もあるけどね)。
-「YES」に理由はいらない/理由説明が必要なのは「NO」だけ-
人と人とのコミュニケーションに関しては、次のような原則を覚えておく必要がある:
A)他者からの働きかけに対し、「NO!」としてこれを拒絶する場合には、単なる拒絶の意思表示のみならず、拒絶する理由をも添えて出さねば、相手は納得して引き下がってはくれぬもの。
フラれ男が「俺のどこがキライなわけ?」などとして食い下がる図は、女性から見て何とも醜いばかりでますますキライ、ということになるのが現実ながら、心理学的に言えばこの「理由を求める」行動はもっともなことである。何故なら、人間であろうと動物であろうと植物であろうと、全ての生き物の行動原理は次の通りだから、である:
B)生き物はみな、特別な理由がない限り、行動を停止しないもの;であるから、行動を停止するためには、何らかの理由付けが必要なもの。特別な理由付けを与えられて停止させられない限り、生き物はみな(何の理由もなくとも)惰性的に行動し続けるもの。即ち、生き物の営みはみな「YES」が基本/「NO」は例外。基本的行動たる「YES」には理由説明など何もいらない(ほうっておけば万物は行動し続け、生き続けようとするのが自然なこと);対照的に、行動の停止という意志的営みである「NO」は然るべき理由がなければ遂行不可能。
かくて、'事を割り切る'「ことわり=道理」は、それを最も必要とする'行動の停止命令'「断り=拒絶」の語義へと自然に転じて行くこととなったわけである。無論、「停止」から「始動」への行動様態の変化を促すための「ことわり=・・・だから、ね、~しましょうよ!:Let's begin because ...」という説得の「理」もまたある訳だが、何かを「始める」ことよりも、「やめる」ことの方が遥かに困難(=はっきりと納得できる「ことわり」が必要なもの)なのだ。
・・・というわけで、女性のみなさん、男をフる時には、それなりの理由を与えてやるのが慈悲(&保身の得策)というものです。「わたし、他に好きな人がいるの」とか、嘘でもいいから言ってあげてくださいな:「それって、誰?」とか聞いて来るほどアホな男なら、その時こそ例の一言「ごめんなさい・・・」の出番です。最初から「ごめんなさい」の「断わり」一点張りではダメ(ストーカーを生むばかりですよ);「あなた以外の男性が好きだから」とかの「理」付きで突き放してこそ、「NO」へと相手を動かすことができるんですから。
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▼ | ▲[397]【言+付く】=「これ、あんたが言って」/【事+付く】=「これ、あんたがやった!」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.939【言付く・託く】 古語の「こと」は「言」と「事」の二つに分かれるが、上代の日本に於いてはこれら二つは字面の上でも概念的にも「不可分」のものだったと言われている。中古以降「言/事」は次第に分化し、現代日本に於いては「言/行不一致」はもはや「言ふべきにもあらぬ」世の常と堕した感がある・・・が、まぁそうした社会学的考察はこの際さて置くとして、奈良時代あたりの「こと=言&事」という渾然一体性は、平安時代の日本語にも惰性的に引き継がれている部分があり、「こと」を含む古語の場合は常に「言?or事?」という問題意識を持って臨む必要がある、というのが古文読みの鉄則であることは指摘しておくべきであろう。
この「ことづく/ことづけ」もやはり、「言+付く」と見れば「自分では言えない何かを、代理人に託して他者へと伝えてもらう」の意味(現代日本語にも残る「言付け・言伝て・伝言:message」)と同時に、「事+付く」=「出来事の原因を、誰か/何かに帰する」の意味(英語で言う「attribute/ascribe A to B」)をも表わす。
「言/事」が完全に別物の現代日本に、前者の「託け(message)」のみ残り後者の「事付け(blame)」が死語と化したのは当然のような気もするが、どっこい、この「事付け」、意外な形で今に至るまで残っているのである ― 「かこつけ(る)」がそれである。「ことづけ(言付け/事付け)」は、現代日本語ではいずれも「託け」と表記する。この「託」の文字が使われる古語に「かこつ(託つ)」がある。四段活用で{かこた(ズ)・かこち(ケリ)・かこつ(。)・かこつ(トキ)・かこて(ドモ)・かこて(!)}と変化する動詞であるが、これが下二段活用の「ことづく」={ことづけ(ズ)・ことづけ(ケリ)・ことづく(。)・ことづくる(トキ)・ことづくれ(ドモ)・ことづけよ(!)}と混じり合った結果として、「託つ(かこつ)」+「託く(ことづく)」÷2=「託付く(かこつく)・・・かこつける」なる語の誕生を見たわけである。「言」と「事」とが二つに分かれても、「言の葉」が字面&音感の安直な類推から数限りなく横滑りを演じた結果として意外な形で一つにくっついてしまう日本語の体質は、古来、まるで変わらない・・・というか、近年、横文字なる新たな要素も加わることでますます激化or悪化の一途を辿っている、というべきか。
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▼ | ▲[398]【事事】【悉・尽】【異事】【異異】からわかることごと
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▼ | ▲[399]関係ないさと「ことなしぶ」
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▼ | ▲[400]「事にす」って、どういうことにするの?
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▼ | ▲[401]【もの】と【こと】
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▼ | ▲[402]ぼかして【ものす】るその心理 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.954【物す】 直接的に事を運びたがらぬ古典時代の貴人意識が反映された表現の一つがこの「ものす」。最も忌避されるべき不吉な「死ぬ」の代用語として用いられるのはもとより、大量の出血を伴い、しばしば母体/新生児の死の場面に直結した「生まる(読み方は、うまる/むまる)」も「ものす」とボカすので、現代の受験生としてはこれらの語義を「死の穢れ/血の穢れ」に絡める形で理知的に把握しておかねば、無用な棒暗記による脳細胞の過重労働を招くばかりである。
意外なところでは、「行く」・「来(く)」なる日常的動作に関してまで「ものす」が幅を利かせていることにも要注意である。古典時代人がわざわざ自ら他者のもとへ「行」ったり他者に「来」てもらったりする場面には、「恋愛目的の密会」も多かったので、そのあたりをはばかっての「ものし」方かもしれない。
「あり・をり・はべり・いまそかり」という(古典動詞唯一のイ段終止で表わされる)「存在」の意味にも「ものす」が用いられたが、これは「あり」が「・・・した状態で存在している」という補助動詞の意味で用いられていた言語学的事情と無関係ではないだろう。貴人の動作について「ものしたまふ」とする例は古文に頻出するが、「自ら直接何かを"なす"」のを好ましからざる行動様態とみなした古典時代だけに、「なしたまふ」・「したまふ」の婉曲語としての「ものしたまふ」にはそれなり以上の効用があったものと思われる。
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▼ | ▲[403]【物げ無し】は「物貶し」?
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▼ | ▲[404]【物の怪・物の気】に見る「もの」の無気味さ
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▼ | ▲[405]「つはもの」は、元をただせば武具そのもの
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▼ | ▲[406]【変化】が「へんげ」と読まれる時
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▼ | ▲[407]「験」や「現」は宗教的効用・・・鎌倉期以降は実利全般
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▼ | ▲[408]「けにや」はアフリカのケニヤ?
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▼ | ▲[409]【陰陽道】と【方違へ】
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▼ | ▲[410]意外と人気の【相】と【相人】
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▼ | ▲[411]【おす】【めす】【はむ】【くふ/くらふ】【たぶ】ん?・・・【マイル】還元、オッケーですか? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.978【参る】 大方の言語学的に無知な日本人は、「敬語」という代物を異常なほど恭しく崇め奉っていて、それが「マトモに使えぬ連中=無教育者」vs.「まともに使いこなせる自分=頭のいい人間」という安直な図式の上に胡座をかいて悦に入っているのが見て取れて吐き気がする場面が実に多い・・・日本語の古今の姿を熟知しつつ、英語という鏡を通して客観視することのできる言語学的展望を有する知識人として断言するが、日本語の敬語というやつの論理的無茶苦茶さは、世界に類を見ぬほどの度し難さであって、こんなどうしようもない代物に「マトモな使い方」が成立するなどと異常なことを思っている人間は「アタマがマトモじゃない!」のである。
敬語のバカ臭さの実証例は山ほどあり、それらを見据えて「日本語の恥部」として確実に認識することもまた古文学習の大事な課題であるから、ここでは、この「参る」なる「謙譲語」が、何時の間にやら「尊敬語」に化けた阿呆臭い事情の解題を通して「敬語ごときトンマ話法を敬うアホ日本人を一人でも減少させる」という社会浄化運動の一環としたいと思う。
「参る」が「尊敬」になる場面は 「飲食」系の語に限定されている:「着る」・「為(す)」等にも横滑りしてはいるが、根源的に「食む(はむ・・・'歯'に由来)」・「食ぶ」・「食ふ」・「食らふ」・「飲む」なる動詞の使用を回避するための「参る」である。
本講座では幾度となく指摘してきたことだが、古典時代の貴人にとって「飲食」は不浄の営みであった。動物を捕らえて殺して切り刻んで煮たり焼いたりしてその生命力を我がものとして奪い取る営みが「食ふ」ことである以上、そんな「穢れ」には主体的に関わりたくない ― その偽善的な目隠し体質が、「飲食系の'動物的'行為」への直接的言及を(例によって!)忌避させたわけである。
その結果として、これら飲食系の動詞の代替物となったのは、上代に於いては「をす(食す)」であり、中古には「めす(召す)」が一般的となった(別に♂と♀を絡ませて遊んでるわけじゃないが、ダジャレで覚えておくのも一法ではあろう)。これらの語については、(その偽善的心理についてはともかくも)言語学的に問題はない;「尊敬」一本槍の語だからである・・・が、「参る」にはまったくまいる;「謙譲」が「尊敬」に化ける道理がないのに、「貴人の飲食」場面に関しては「敬語」なのだから!
察するに、「謙譲」の「参る」を用いて<貴人の眼前に「食事」を「献上」>する場面が、<貴人が「食事」を「飲食」>する「敬語」へと安直にすり替わってしまったのであろう・・・が、こんな主客転倒芸を平然と演じられては、その言語の理知的解明作業は著しく困難(or実質的に不可能)となる ― そんな芸当を無数に演じられてしまえば、もはや「あほらしくて付き合ってられん!」となるのが理の当然・・・古今、「古文」なる教科に人気がないのもむべなるかな、である・・・が、そうも言ってはいられない日本人も多かろう。なにせ「古文」は入試に当然のような顔をして出るのだから受験生としては「無縁ではいられない」はずだし、第一、この「非論理体質」は現代日本語にもそのまま(否、遥かにパワーアップした形で!)継承されているのだから、日本人の誰一人としてこの「あほらしくて付き合ってられん言語」と「無縁ではない」のである・・・。
ちなみに、この種の<「謙譲」・「尊敬」錯覚型敬語>は「参る」のみにとどまらない。事を「飲食」系に限ってみても、「聞こす」なる「謙譲語」が「お食べになる/お飲みになる」の「尊敬語」に化けている現象を指摘することができるし、有名どころで言えば例の(尊敬語の王様!)「給ふ(たまふ)」が「謙譲語」に化ける現象を知らぬ受験生は(まともに勉強してるよい子のみんなの中には)一人もおるまい・・・一応、活用形だけは「四段=尊敬/下二段=謙譲」と分化しているので、表面的体裁だけは「文法的に意味ある変化」に思われるが、そんなのはあくまでも形ばかりのことであって、これまた「貴人関連の場面」だからこそ「尊敬・・・だったっけか?ま、いいゃ、どうせ似たようなもんだから謙譲の意で使ってもよかろうぞ」の意識が根底にあったことに疑念の余地はない(類例の多さからして・・・「Grammar is based on usage.」文法的考察は、実例の多さに依拠して行なうべきもの、なのである)。同様の「へりくだり?もちあげ?」の錯乱現象は「まおす(申す)」なる「謙譲語」を「我が主が申しますには」的な「丁寧語」とも「尊敬語」ともつかぬヘンテコな形で用いる例(「時代劇中の」サムライことば)にも現われている。こうした横滑りばかり繰り返す日本語では、古語のうち、時代を経てもなおその原初用法をきちんと留めているものは(絶望的なまでの)少数派なのである・・・。
が、何よりも根の深い問題は次のことであろう ― この種の日本語の安直なる非論理体質をきちんと指摘する人間を、この筆者は、自分自身以外に一人も知らない ― 即ち、「自分は日本人である」→「日本語は自分の母国語である」→「日本語を悪く言う者は自分を悪く言うも同じである」→「日本語、即ち、この自分を悪く言う者は、許さない」&「他の日本人を悪く言うことでその怒りの矛先を自分自身に向ける行為は、できない」という心理学的すり替えにコロリとはまってしまう知的短絡体質と、姑息なる社会学的逃避体質とが、古来、この日本国には蔓延している、ということである。・・・これでは、言葉も、社会も、改善の余地がない!
露骨に感情的&感傷的な身びいきは何の渋面もなしに罷り通るこのダメな日本国に対し、この筆者は当然辟易してはいるが、それでもなおかつこの国の恥部をあげつらうことをやめるつもりがないのは、醜悪さから目を逸らさぬことが、美しく変わるための唯一の道だと信じるからこそであり、どうでもいいやつならともかく、愛する母国(&その同朋たち)にはやはり美しくあってほしいと願うからこそである・・・もっとも、この国にはそうした献身的批判はまるで流行らないようで、筆者のこの哲学を代弁してくれる次の台詞も、(同じ島国とは言いながら日本とはまるで異質の)英国の小説家John Boynton Priestley(1894-1984)のものであるのが、少々残念なところだが・・・ともあれ、ダメ国家日本に平然と安住している困った面々には、一読を勧めたい:
We should behave toward our country as women behave toward the men they love. A loving wife will do anything for her husband except to stop criticising and trying to improve him.
我々の母国に対する態度は、愛する男に対する女性の態度と同じであるべきだ。夫を心底愛する妻ならば、彼のためなら何でもするものだ ― 彼女が唯一しないのは、「批判を通して彼を改善するための努力を放棄すること」のみである。
・・・もっとも、「相手が批判を聞く耳を持たない」&「相手に改善の余地がない」ということを確信させられてしまった場合、残された道は唯一、「離婚」しかないことにはなるが・・・。
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▼ | ▲[412]「みかうしまゐる」は自動シャッター?
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▼ | ▲[413]「もていく・もてゆく」の二つの意味
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▼ | ▲[414]【アルキめです】=「目玉のおやじ」は漢語専用の【アリキたり】ギャグ [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.985【歩く】 「歩く」を現代語同様「あるく」と読むのは漢文訓読文でのしきたりであって、中古の和文では「ありく」と読んだ。それでも終止形「ありく」の場合は読み方の違いだけでさほどの問題にはならないが、連用形「ありき」となると、「歩き」ならぬ「在りき=かつて存在した」との誤読が問題になる形であるから、それなりに用心して覚えておくに越したことはない。
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▼ | ▲[415]【走る】は「わしる」と誰ぞ知らむ?
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▼ | ▲[416]【急ぎ】の準備は前もって
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▼ | ▲[417]【わたり】の曖昧さが意味するもの
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▼ | ▲[418]【通ふ】は「交差」の反復動作
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▼ | ▲[419]【おと】+【なふ】人は常連客 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.996【音なふ・訪ふ】 「おとなふ」の組成は「音+なふ」であり、「音=音信・あいさつ・ごめんくださぁーい!」であって、「なふ」は「その行為を(多く、常習・反復的に)行なう(・・・おこなふ)」意味であるから、「幾度となく相手を訪問したり、通信文を出したりする」意味となる・・・つまり、「仲のいいお友達との交際」に使う語であって、「初対面の誰かを訪問」なら「おとづる=音連る・・・訪る」とは言っても「音なふ」とは言わない。
この種の「なふ」の語感を実感するのに最も良い語は、「(縄などを)綯ふ」であろう。実際自ら縄をなう体験をしたことのある現代人は少ないであろうが、見学したことぐらいはあるだろう:複数の細長い繊維を幾度も幾度も繰り返し絡ませて一本の縄に仕立て上げるあの感覚が、多かれ少なかれ古語の「なふ」の「(常習・反復性の)動作」にも宿っているのだ。
「うべなふ(宜なふ)=YES, YES,そうだ、そーだ、ソーダ、と首をしきりに縦に振る=首肯する」が感じさせるオモチャのおサルさん的な首の動きも、「いざなふ(誘ふ)=Hey, come on, let's...ねぇ、ほら、さぁ、...しようょぉ~」の粘着性のおねだり感覚も、「あきなふ=Business = busy+ness = 忙しげに同じ事を繰り返すこと=継続性こそビジネスの本義とは見つけたり」の語源が「秋=収穫の季節」がやってくるたびに「百姓がせっせと手間暇かけて作った農作物」を「なふ」さぁ今こそ商機とばかり「まいど、おぉきに...ほなら、今年もまた、米**俵=**銭ほどで、あきなはせてもらいまひょか」と右から左へと流して利ざやをかすめ取って行く季節性渡り鳥的な「あきんど=秋人=商人=他者が作った何かを(収穫期のアキに要領よく)動かして自分の手柄にする人間」も、みんな「ナフぃ行動」取ってるわけである。
最後のヤツなんざ、「商売言ぅもんは、奥が深くて、飽きが来ない。そゃさかい、あきない、言ぅんや」などと平然と言い放つアキンドさんもよぉけおらはるよぉですが・・・まぁ飽きもせず横滑りさせて自分の好きなツボに勝手に言葉を落とし込みはりますこってすなぁ、このニホンゴいぅ常習性ビリヤード型言葉あっちこっち転変ゲームプレイヤーさんたちのおこなひ言うたらもぅ・・・んでもってそうした非論理的感覚一本のデタラメ説明にも、ま~ぁせっせとうべなふ御調子者のニホンジンがほとんどなんやから・・・もぅワテほんまによぉ言わんゎ(以下、無言・・・音ない)。
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▼ | ▲[420]【おと】・【ね】・【こゑ】
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▼ | ▲[421]【音】と【声】
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▼ | ▲[422]「いをぬ」って「犬」?「居ぬ」?「異音」?「ion」?
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▼ | ▲[423]【いぬ】は二重に寝てるのだ
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▼ | ▲[424]「寝汚し」が嫌われる理由
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▼ | ▲[425]【色好み】昔・今
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▼ | ▲[426]【けはひ】はケバい
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▼ | ▲[427]「かをる」と「にほふ」
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▼ | ▲[428]【見る】は恋愛の始まり?それとも終わり?
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▼ | ▲[429]めす(【看す・見す】【召す】)の呼び寄せロジック
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▼ | ▲[430]「見えぬ」・「聞こえぬ」・「言はれぬ」
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▼ | ▲[431]「まもり」の二義
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▼ | ▲[432]【方人(かたうど)】とは、いずれか一方の【方引く(かたひく)】人
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▼ | ▲[433]【方引く・片引く】は「贔屓」、その語源ももしかしたら「引き」?
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▼ | ▲[434]【かたき】必ずしも憎からず
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▼ | ▲[435]【かたみに】は死ぬ人が言う言葉にあらず
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▼ | ▲[436]「かなふ」は「かねあふ」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1040【叶ふ・適ふ】 願いが「叶う」場合にも、対戦相手に「敵う」場合にも、ともに用いる「かなふ」の語源は「兼ね合ふ」である。つまり、「事前に心に抱いていた内容」と「現実の姿」/「自分の力」と「相手の力」が、うまく合致する、ということである。
まるで不釣り合いな、「俺は男だ・・・けど、子供を産んでみたい」的な望みや、「自分の身長は170センチだ・・・けど、全長50メートル超のゴジラと生身で戦って撃退してやりたい」的な無差別級格闘技では、最初から「兼ね合ふ」道理もない。「希望」だの「ライバル」だのは、分相応に構えなければ話にならないわけである。そういえば、「構ふ」の語義も「噛み合ふ:かみあふ→かまふ」だったっけ・・・マッチアップを間違うと、世の中、悲惨なことにしかならないのである。大学も仕事も恋人も仲間選びも、大事なのはカネアイ・・・もっとも、今の世の中「カネ」さえあれば、「合ひ」も「愛」もなくとも「AYE!(ァーィ、一丁上がりぃーっ!)」の出会いに溢れているが、「合わぬ相手にゃ会わぬがまし」の真理の前には、金も時代も関係ない。
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▼ | ▲[437]「なぞへ」と「なずらへ」
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▼ | ▲[438]「勝利」ばかりが【勝る】じゃない [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1047【勝る・優る】【増さる】 「勝る」と書けば「やったー!勝利だー!」へと安直に結び付きそうな「まさる」だが、「増さる」と書けば「相対的増加傾向」を表わす(補助動詞的な)語感がわかるであろう。現代文語にも残る「益々御健勝のこととお慶び申し上げます」なる挨拶は、「益々=増増」と「御健勝=御健康が'勝る'='増さる'」の部分に於いて「増」が冗長(redundant:ダブってる)表現であり、英語で言えば「I'm glad that you are more and more increasingly growing up in your health.」的なヘンテコ言辞ということになるが、「増増」であって「減減」ではないのだから、まぁこういうオメデタイしつこさは悪いことではないであろう。
付言しておけば、「まさる」の対義語は「おとる」であり、<事前の思い(心)に対し、「こころまさり(心勝り)=予想以上に素晴らしい」/「こころおとり(心劣り)=期待外れの低水準」>のように対照的に用いた。
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▼ | ▲[439]【心勝り】と【心劣り】
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▼ | ▲[440]【すぐれて】と言いつつ「メチャ劣り」もあるよ
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▼ | ▲[441]【左右】は「そういうこと」
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▼ | ▲[442]「絶対最上級」を【こよなく】愛する日本人 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1056【こよなし】 現代日本語では形容詞としては死語と化したが、副詞形の「こよなく」だけはそのまま残る古語。これが生き残っているのは、それが日本人の感性に見事合致したからこそだろう:「こよなし=超ゆる物無し=最高=金メダル!」・・・銀メダル以下の尊い成果も、そこに至るまでの汗と涙の過程も、共に戦った素晴らしき仲間も、負かしたにせよ負かされたにせよいずれにせよ忘れ得ぬ思い出のライバルたちも、一切無視した「結果としてそこにある最上級の金メダル!」のみ持て囃すこの国の「結果亡者/過程音痴」な人々の(西欧人から見て最もイケ好かない)体質は、「こよなく/こよなう=とにかくひたすら最高!・・・or最悪!」という有無を言わさぬ絶対最上級的言辞に千年来変わらぬ永続的生命という「古語には稀」なる金メダルを与えているわけである。
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▼ | ▲[443]【例の】の直後に来るものは?
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▼ | ▲[444]「例の」と「例は」
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▼ | ▲[445]【別】は「べち」、「実」は「じち」
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▼ | ▲[446]【かたじけなし】と【おほけなし】
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▼ | ▲[447]【かたはらいたし】のイタさとは?
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▼ | ▲[448]【マホ】はトンガリ?のっぺらぼう? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1069【真秀】【真面】 現代日本の女性名にも残る「まほ」(近頃「真穂」は「真央」に押され気味)だが、この語の語源には「穂=稲穂など、物理的にとんがった先端部」と「帆=船が推進力を得るために張り渡す、平坦な布きれ」という全然違う語が共存している。
「穂」は「穂に出づ(ほにいづ)」の形で「他に比べて明らかに際立つ形で抜きん出る」の成句にも使われるほどの「優秀性」を示す語で、それに「真」を付けるぐらいだから「まさしく最高」(英語で言えば「the very best」)・・・組成を知ってしまえば、親として娘に付けるには「名前負け」を危惧したくなるほどの「真穂」であるが、「美人」の意味もあるのだからやはり付けたくなるのが親心というべきか。その意味では「優美(ゆみ)」などとよく似た「優秀な上に美人」という欲張り語である。
ところが、「まほ」にはもう一つ「本格的」なる語義がある。「優秀」や「美人」からどうして「本格」が生じるのか疑問に思う人は、日本語の持つ「真秀(完璧)」ならざる特性を認識していない人である。「ほ」の字に「穂・秀」ならぬ「帆」を宛がう程度の機転があれば、「真帆=大きく帆を広げて風を真正面から受け止める」なる別表記が「真正面=ド真ん中ストライク=中途半端な素人芸やおなぐさみではなく、本式のもの」という別語義を生じるのを感じ取るのはさしたる難儀ではない。日本語は本源的にそういう横滑り型言語なのだから、考察者側の視点もそれに合わせてスライドさせないと、いつまでも「真帆」ばかり張っていたり「真秀」の完璧性に固執したりしていたのでは、この国の言葉とまともに渡り合うことなどできはしないのだ。
この「まほ」の古語としての当て字は「真秀」・・・語源学的正統性(「穂」)よりも派生的語義(「秀」)を重んじつつ、もう一つの「帆」は無視するという非「真秀(100%)」性も日本語の伝統芸である。そしてこの完璧なる「真秀」の対義語が「片秀(かたほ)」。意味は当然「不完全・拙劣」及び「見苦しい(もっと言えば、不細工・不器量・ブス・醜男)」であるが、「かたほ」と「かたは(片端・片輪)」の取り違えから「身体的欠陥がある」の意に用いられることもある。このあたりもまた「真秀」ならざる「片秀」を通り越して「がたぼ(=ガタガタ・ボロボロで、原型が何だかもうさっぱりわからん)」と言いたくなるこの国の言葉らしい代物ではある。
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▼ | ▲[449]【片端】と【片輪】
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▼ | ▲[450]【全し】=【まっとう】・【まとも】
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▼ | ▲[451]古語の「すがた」はどのshape?
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▼ | ▲[452]「かほかたち」と「すがたかたち」【形・容・貌】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1074【形・容・貌】 似たようでいて微妙に違う古語は、異質の表現・概念どうし並べて立体的に把握するのが得策である。
「かたち」と「すがた」はどう違う?と聞かれたら、前者は「顔」/後者は「体形」(の美しさ)、と答えるのが正しいが、両者をそのまま単語として覚えておいたのでは、いずれごっちゃまぜになってどっちがどっちかわからなくなる可能性が高い・・・ので、次のような形で覚えておくとよいだろう:
1)「かほかたち:容貌」と「すがたかたち:体形+容貌」を対照的表現として記憶する。
2)「かたちびと」の表わす「美形(ハンサム・美人じゃん)」は「顔の美しさ」を表わし、「ナイスボディ(いぃカラダしてるじゃん)」を意味しないことを覚えておく。
そもそも、古典時代は人前で身体を露出しないのだから、「姿=体形」とは言っても、現代的な「ボディラインの美しさ」は問題にならず、外見的印象の主要素は「衣類」であって「肉体」ではない。
一方、世俗を捨てて仏門に入る「出家」を表わす幾多の表現の一つである「形を変ふ/形変はる」に関しては、「形」が「顔立ち」ではなく「美麗な衣装→地味な僧衣」/「光沢ある毛髪→剃髪して坊主姿」という「全身的外観」に言及している・・・それは何故であろう?・・・答えは、<「姿変ふ/姿変はる」とは言えないから>。
「姿」とは「身に付けた衣服を含めた全身的印象」であるから、「衣類」さえ着替えれば簡単に「姿変はる」わけである;が、それは単なる「衣装替え」や「変装」に過ぎない・・・から、「俗世から仏界への転身」という生活態度そのものの変更を意味するためには「姿変ふ/姿変はる」は不向き・・・となれば、残るは「形変ふ/形変はる」しかなかったわけである。要するに、「すがた」のピンチヒッターとして駆り出された「かたち」であって、日本語が「言葉の原義」に敬意を表さず、場当たり的に横滑りを繰り返す言語であることを示す一例である。
「かたち=顔」ということで言えば、多くの日本人が信じ込んでいる古典時代の迷信に次のようなものがある:「平安時代には、ほっそりとした瓜実顔よりも、ぽっちゃりとした肉付きのよいタイプの女性が美人とされた」・・・本当にそうであろうか?この迷信にはまた、次のようなまことしやかな"根拠"のオマケが付くことが多い:「当時は食糧事情が貧弱だったため、栄養が行き渡っていることを示すタヌキ顔は羨ましがられ、ロクなものが食えてなさそうなキツネ顔は疎まれた」・・・こうなると完全にインチキである。人間の「顔面」は、その人物の栄養学的状況を反映する部位ではない。ボクサーが致死的なまでの減量を重ねでもしない限り(フェザー級の力石徹がバンタム級の矢吹丈と戦うために命を削って2階級分体重を落とした時のような)「顔痩せ」など起こらない。「面長」/「丸顔」は専ら骨格の決するものであって、栄養学的事情とは縁遠いのである。
種明かしをすれば、要は「平安時代の描画手法は、近代美術の観点から見れば実に幼稚で、女性の顔面の豊かな表情を"大雑把な丸顔"以外の"絵になる描き方"で表わす能力を持ち合わせなかった・・・ので、女性は大抵タヌキ顔(=優しさを表わす)で表わされ、柔和な印象を与えるのが困難な細面は"男性の顔(=多少無表情でも意地悪そうでもかまわない)"の専用記号の趣があって、滅多に女性には用いられなかった・・・ので、大方の日本人は、平安時代の美女=丸顔、と思いこむようになった」・・・言語学的表現の緩さと同様、造形美術の稚拙さもまた、多くの日本人の「日本観」に少なからず影響を及ぼしていることは、覚えておいたほうがよい。
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▼ | ▲[453]「形有り」ける「形人」とはどんな人?
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▼ | ▲[454]【様変ふ】=mode-changeの今・昔
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▼ | ▲[455]「然る様」・「有る様」の後には「あ(ン)めり」が続くもの
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▼ | ▲[456]【言ひ赴く】の他動詞性
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▼ | ▲[457]あのさぁ、面白い話しよぅか?ある所に全身真っ白な犬がいてね、そいつは当然【尾も白い】・・・なんて話じゃ顔面真っ白?
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▼ | ▲[458]【面立たし】と「主立った」
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▼ | ▲[459]【オモテ歌】、対になるのは【ウラの歌】?
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▼ | ▲[460]【指】、および、【親指】、ってサムい話
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▼ | ▲[461]「まなvs.かな」・「をとこでvs.をんなで」
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▼ | ▲[462]【しし】=じゅうろく?・・・No・ノー・のー、It's「イのシシ/カのシシ」
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▼ | ▲[463]【うつつ】は【ゆめ】か? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1104【現】-「現実」は「世界」の一部、という考え方-
名詞「うつつ(現)」は、形容詞「うつし(現し)」の語幹を重ねた「うつうつ(現現)」の詰まった語である。その「うつし」は、「映す・写す・移す」と同根で、「物事の形象や内容をそっくりそのまま別の場所に移す」を原義とする。古代ギリシア哲学者プラトン(Plato)が唱えたイデア論(ideology)みたいな話ながら、古典時代の日本人は、現実世界の姿というものを「本源的には不可視な存在」と捉えていたフシがあり、目に見えぬその世界を手探りで生きるのが人生、という感覚もあったらしい。そうして全部が見えるわけではない世の姿を、目に見える形へと「写し・映し・移し」替えて捉えた姿、それが「うつうつ=うつつ=現」であり、そうした形で人間世界に現実的に存在することが「うつし=現存する」であり、そうした認識能力を確かに備えることが「うつし=理性・正気を保っている」であった。
-もう一つの現実(alternate reality)としての「夢」-
そんな古代人にとって、「夢」という世界が「現」とは異なるもう一つの世界としての確たる実在感を伴っていたのは当然のことであろう。昼間、目覚めた目で捉える世界は「世の全体像の中の一部を'うつし'て捉えた'うつつ(現)'」ではあるが、そうした日常的理性のフィルター越しには見えない非日常的な(しかし別の意味での現実には間違いない)世界として、不思議な実体験感覚を伴うメッセージの形で、夜のとばりの向こうから人間の眼前へと送り出されてくる「夢」は、現代人が「夢物語」として嘲笑ったり軽くあしらったりするような態度とは比べものにならぬ真剣さで捉えられており、「夢解き(ゆめとき)」や「夢占(ゆめうら)」は、現代の血液型人間診断だの星占いだのと同列に扱ってよいような軽い娯楽ではなかったのだ。
-「夢」か「うつつ」か-
そんな二つの異なる現実とも言うべき「夢・うつつ」は、和歌の中などではしばしば並立的に用いられた。古代人の感覚では、これら二つの世界はともに実体感を伴って存在し、その境界線もまた微妙なものだったろうから、こうして並び称されるのも自然なことではあったろう。
ところが、この「ゆめうつつ」の対比表現が、時代を追うごとに、「夢のようなうつつ」の意味へと横滑りして行くのである。そうして「ゆめうつつ」=「夢見心地の薄ぼんやりした精神状態」の錯覚が生じると、やがて(「夢」からは切り離された状態の)「うつつ」単独形で「意識朦朧」の意味を表わす、というトンデモ語義が生じてしまうことになった・・・この事実誤認はどう考えても「うつつ(=マトモな理性のある状態)」の仕業ではないのだが、日本語世界に存在する膨大なる横滑り語の類例から見れば、これもまた日本語の否定すべからざる現実(うつつ)の姿・・・夢というより悪夢に近い展開ながら、「言語学は実例に基づく:linguistics is based on usage」ものであるから、受け入れるよりほか仕方あるまい。
ついでに、「うつつ」がそうした「非現実的なぼわぁーっとした感じ」の語義へと横滑りする過程で、「うつらうつら」なる畳語がまた「寝てるんだか起きてるんだかわからない状態」の表現として(近世以降)定着して現代に至ってもいるわけだが、この「空ら空ら」の元来の上代語の意味は「現実の姿として、まざまざと」であり、その表記も「現ら現ら」であったことは言うまでもない・・・というのが、嘘(夢)みたいな本当(現)の話。
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▼ | ▲[464]「うつしごころ」は移るもの?映るもの?
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▼ | ▲[465]メインを表わす「Aざね」
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▼ | ▲[466]【ゆめ】は【忌・斎+目】にて【夢】にはあらず
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▼ | ▲[467]「たま」つながりの【魂・霊】と【玉】
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▼ | ▲[468]「玉の緒」は断絶系の儚き糸
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▼ | ▲[469]心【はゆ】のか【ははす】のか [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1123【心延へ】 【心延へ】と【心延せ】はどう違うか? ― この種の質問にスパッと答えられるようになるのが語学の良いところである。
「延へ」と「延せ」は、ともに「連用形語尾」であり、「連用形にすれば名詞扱い」というのも古今変わらぬ日本語の特性(例:「酒を飲む」→「酒飲み」)。同じ動詞の根を持つならば、意味の違いを生むのは語尾の違いである。「生ゆ(はゆ)→はえ」と「延はす(ははす)→ははせ」の相違としてみれば、両者の相違は一目瞭然であろう。
ということで、「はゆ」から生じた「こころばへ」は、心の中から自然に湧き出る感じの「生得的性質」に言及するのに対し、「ははす」から延びた「こころばせ」は、相手や状況を踏まえつつ、どのように振る舞うべきかを頭の中で考えた上での「意識的な態度・立ち居振る舞い」ということになる。
両者の相違をより本源的次元に還元してみれば、「ゆ」vs.「す」の相違となる。もう少しレッテルを補えば、「ゆ/らゆ」vs.「す/さす」の対立構図である。「ゆ/らゆ」は上代(奈良時代)の助動詞なので、平安時代の脈絡に置き換えるならば、「る/らる」vs.「す/さす」であり、文法用語で換言すれば「自発」vs.「使役」であり、用法的に言えば「無作為」vs.「作為」であり、具体的動詞をもって象徴的に言い換えれば「なる(成る)」vs.「なす(為す)」の構図である。
いかがであろう・・・古語の「心(=本源的意味)」をあれこれと「延はす(=拡大発展的に解釈する)」営みは、楽しいものであろう?・・・そうした営為が、意識するまでもなく「生ゆ(=自然発露的に脳裏に浮かぶ)」ほどの自然な営みにまで発展すれば、あなたも立派な語学の達人であり、知識人、ということになる。
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▼ | ▲[470]「こころばせ【心延せ】」・「めくばせ【目配せ】」・「かんばせ【顔延せ】」
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▼ | ▲[471]「こころなし」の「こころ」とは?
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▼ | ▲[472]【心有る】もの【心無き】もの
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▼ | ▲[473]【さが】=【とが】? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1131【性・相・祥】 「性」と書いて「せい」ならぬ「さが」と読めば、そこには常に「困った性質・・・と、わかっちゃいるけどやめられない」の否定的語感が伴う(例:「性に貪欲なのは男の性」)。この性質は古来のものらしく、「さが」は「その人が生まれながらにして持っている、変えようがない宿命的特性」の意味として、しばしば良くない体質を指す語として使われている。英単語で言えば「propensity」あたりの持つ否定的陰影を宿した語であり、「character」や「trait」のような中立的語感の古語ではない。
が、それにしてもこの「(性)さが」を ― ある意味で当人の責任ではない生来の困った性質を ― 「罪」だの「欠点」だのとまで言い放つのは如何なものか?遺憾なことだと言うべきであろう?が、実際、近世の和文ではそうした語義への横滑りをこの「さが」は演じている。何故そうなったのか、は至って単純で、次のような純朴なる類推(有り体に言えば、思い違い)に起因する現象である:
1)「さがなし」なる形容詞が「困ったものだ」の意味で多用された。
・・・「性」=「人が生来持つ変えようのない性癖」である以上、「無くて七癖」の格言通り、「性」は誰もが持つものであるから、この「性なし」は「性+無し」である道理がなく、「性+甚し」である;からには、「甚だしい」として強調されて「まったく困ったものだ」の意を表わすこの「性」は「困った性質・罪」であろう、という発想である。
2)「さが」と音感的に類似した「とが(咎)」なる名詞が存在した。
・・・そして「とが」の語義は「罪」である;ので、「さが」=「罪・いけないこと・欠陥」というわけである。こんな単純な取り違えで語句の意味が変わる現象など、英単語にはまず起こり得ないことである。アルファベットという表音文字で構成された西欧言語では、微妙な音の差異に対して日本語とは比較にならぬほど敏感なのだから、こんなアホな取り違えを演じようがないのだ。・・・というよりむしろ、漢字という表意文字に時折混じる平仮名という表音文字が適当に組み合わされて営まれる「チャンポン(&チャランポラン)言語」日本語による言語活動では、単純な字面や音感上の類似性に起因する混同が、英語などの基準から見れば到底信じ難いほどの安直さ+高頻度で発生しまくる、と言ったほうが正しいであろうか。
日本語育ちの日本人の音感的鈍感さは、まじめな顔して英語人種に「Please SHIT here (which is meant as 'Please SIT here'.)」だの「I ROB you (meaning, of course, 'I LOVE you'.)」と言っちゃう言語学的「さが」に見られる(or聞かれる)通り(当の日本人以外には)有名(meaning, of course, 'notorious' as opposed to 'famous')な話だが、こうした体質の改善には「LとR」だの「SとSH」だのの表面的な舌の使い方ばかり特訓してもどうにもならない。「日本語」&「日本人であるということ」が本源的に持つ「さが」の否定的側面から目を逸らさず、直視してその醜悪さ・愚かしさを熟知し、これに陥らぬよう自戒することで、意識的・意志的にその「さが」から遠ざかる覚悟を持つことである・・・「横滑りばかり繰り返すいいかげんな言語」というのは紛れもない「日本語のサガ」であるが、個人個人の言語学的賢慮と意志的努力によってこれを(西欧言語圏の人々に対して恥ずかしくない程度まで)克服することは十分可能なのであるから、その意味で「バカっちい日本語使い」は「個人的トガ」であり、「日本人としてのサガ」ではない、と言えるのだ。
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▼ | ▲[474]【さがなし】は「性+無し」?
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▼ | ▲[475]「険し・嶮し」の「さが」は「性」に同じ
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▼ | ▲[476]【うらなし】に裏アリ
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▼ | ▲[477]【うれふ】の外向性
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▼ | ▲[478]【うるさし】・【うるせし】の意外な語義
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▼ | ▲[479]「うるせし」と「うるさし」
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▼ | ▲[480]【怨ず】は「ゑず」でも「ゑむ」にはあらず
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▼ | ▲[481]【嘆き・歎き】は「長+息」より
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▼ | ▲[482]【憎し】って、それほどキライ?
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▼ | ▲[483]すんなり行かんから【心憎し】
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▼ | ▲[484]「からくして」って、あなた辛党?
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▼ | ▲[485]【希有にして】って珍しいってこと?
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▼ | ▲[486]勝てずに屈する「・・・がてに」
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▼ | ▲[487]【むつかし】とは「む」っとすること
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▼ | ▲[488]「むつかる」の「む」は「むかつく」の「む」
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▼ | ▲[489]【苦しい】時は【暗い】もの
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▼ | ▲[490]【かこつけ】て、(かっこつけ)ては、マズいかな? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1158【託つ】 日本語は世界にも稀なる横滑り型言語なので、語源学的にも論理的にもあり得ない言葉の使い方が多すぎて、改まって取り上げて客観的考察を試みれば、大抵の人々(日本人であれ外国人であれ)の反応は「まさか、そんな馬鹿な!」・「何言ってるんだ、こいつ!」となる。「かこつ」なる古語の変遷にも、この種の「大方のウケが良くなさそうな横滑り物語」を見出すことができる・・・どうせ受け入れられないことを承知しつつ、言ってみようか:
四段活用動詞の「かこつ」は{かこた(ズ)・かこち(ケリ)・かこつ(。)・かこつ(トキ)・かこて(ドモ)・かこて(!)}と活用する・・・が、現代日本語に残る「かこつ」は、「無聊を託つ(ぶりょうをかこつ)=あぁヒマだ、なぁーんにもすることがない、とブツクサ文句を言う」のような文語表現に原形を留めるのと同時に、「多忙に<かこつけて>無視を決め込む」のような変形を遂げてもいる。
「かこつけ(テ)」は連用形であるが、この連用形を持つ活用法は{かこつけ(ズ)・かこつけ(ケリ)・かこつく(。)・かこつくる(トキ)・かこつくれ(ドモ)・かこつけよ(!)}=下二段活用であって、四段ではない。この変化をもたらしたものは、「かこつ」の音でもなければ意味でもない;その漢字表記「託つ」のなせるわざである。
「託つ(かこつ)」の表記に極めて近く、意味もまた重なる語に「託け(ことづけ)」がある:動詞活用すれば{ことづけ(ズ)・ことづけ(ケリ)・ことづく(。)・ことづくる(トキ)・ことづくれ(ドモ)・ことづけよ(!)}の下二段活用となる。この「ことづく」には、現代日本語にそのまま残る「言付け(=伝言)」の意味の他に、「かこち」と同義の「口実・かこつけ・こじつけ」の意味もある・・・がゆえに、両者の「託」の字の共通性から、「託つ(かこつ)」+「託く(ことづく)・・・言付く(ことづく)」÷2=「託付く(かこつく)」なる非論理的錯覚転変劇が生じたことに、疑念の余地はない(この種の事例は日本語の場合それこそ腐るほど大量に存在するのである)。
このような横滑りを平然と演じる日本語であるから、「かこつく」・「かこつける」なる語との音調的類似性を持つ「格好(が)付く」・「カッコつける」なる言い回しにも、「意味の上では"かっこう"とは縁遠く思われる"付く"がついたのは、音が似てるだけ、という理由で例の"かこつく"・"かこつける"を引っ張っただけ?」という形で託ける(かこつける=事態の原因は他の何物かにあり、とする)のもまた、あながち無理な推論とは言えぬように思われる・・・ので、「格好(が)付く=何とか見栄えがする形となる。」・「格好付ける=中身がないのに外見だけは立派そうに見せる」(かこつ/かこつく、の横滑り語か?)とカッコ付き語源説として提示しておく。
などと書くとまた、日本語をマトモに知らぬが故に日本語の絶対的正しさ・美しさを妄信してやまぬ((○)止まぬ (×)病まぬ)人々は、この筆者の推論に「かこち顔=悪いのはオマエだ!という態度のブー垂れ顔」を返したり、「真珠を投げつけられたブタの猛進」で突っかかってきたりするかもしれない・・・(ので、あくまでこれはカッコ付きの仮説ということで、軽く逃げておく)
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▼ | ▲[491]「かごと」は「かこつ」にかこつけて
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▼ | ▲[492]「許す」=「緩す」
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▼ | ▲[493]【疎し】→【疎む】→【疎まし】→【うっとーしー】
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▼ | ▲[494]【け】=「なんとなく・・・」な感じぃ、みたいなー [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1168【気疎し】 日本語は(英語などに比すれば歴然と)論理性に欠ける言語であるが、その分、感覚的表現には富んでいる(ブッ飛んでるやつも少なくはないが)。接頭語としての「け=気」や「ほの=仄」、「なま=生」、「もの=物」あたりが表わす「はっきりしないけど、何となく・・・っぽい」の感覚は覚えておいて損はないであろう。これらは何も「根拠・正体不明の曖昧さ」のみを表わすわけではないが、以下のような語に於ける語感は(現代日本人の感覚的表現を借りれば)「ナニゲに・・・っポ(例:そのハナシぃ、ナニゲにウソっポくね?)」である:
◆「けうとし」=何となくウザったぃ
◆「ほのしらる」=チョイわかった気がする
◆「なまわろなり」=ビミョーにブザマっちぃ
◆「ものはかなし」=ナニゲにショボくねー?
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▼ | ▲[495]「懈怠」と「ケッタイ」
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▼ | ▲[496]行ない弛んで「怠る」
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▼ | ▲[497]「勤む・努む・勉む・務む」・・・色々あるけど、みんな「早起き」
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▼ | ▲[498]【わざと】やるのが神仏の仕業
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▼ | ▲[499]【這ふ這ふ】はゴマちゃん?イクラちゃん?
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▼ | ▲[500]【己がじし】って、「my lion(わたしの獅子)」?
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▼ | ▲[501]【つやつや】は「艶艶」ならで「露露」はたまた「連連」なりけり
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▼ | ▲[502]「必ず・・・ず」は必敗ならず
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▼ | ▲[503]【まうく】る人は手広く構える
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▼ | ▲[504]【こしらふ】=此方+領り合ふ/【あしらふ】=合ひ+領り合ふ
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▼ | ▲[505]【いひしろふ】と【あしらふ】
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▼ | ▲[506]【思ひ掟つ】の冗長性
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▼ | ▲[507]【したたむ】=「下固む」
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▼ | ▲[508]「える」・「よる」・「えらぶ」
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▼ | ▲[509]「わくらばに」は謎の上代語
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▼ | ▲[510]「切る」の決着は切り捨てのみにあらず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1238【切る】 20世紀末から21世紀初頭にかけて、出口の見えぬ経済不況の中にある日本では、「切る」の言葉は「人員整理・解雇・クビ・リストラ」といった恐怖の響きを帯びていて嫌な語だが、古語としての「切る」は必ずしもそうした切り捨て決着のみを意味する破滅的な語ではない。
「連続していたものを打ち切る」意味の他にも、「時間的終点を定める」という(方法論的に意義ある)「期限を切る」使い方もあるのが古語の「切る」である。中途半端に終わらせずに「最後までやり切る」貫徹型の「切る」もある。そして、未解決のままずるずる続いていた物事に「最終決着を付ける」という決然たる「切る」もあるのだ。最後のやつは「事切る」の形で用いることが多い。これを「事切れる・・・完結せぬまま打ち切りになる」的な否定的感覚でしか捉えられない日本人が多いのは、確たる期限も方法論も決着の意志も持たずにただ漫然と「存在し続ける」ことのみにすがりつく惰性的「がんばり根性・はびこり根性・しがみつき根性」ばかりが今のこの国の人々に根強いからこそ、であろう。
「切る」は決して、悪いことばかりでは、ないのである。「切る」ことを思い描かずに「在る」のみの存在(=ありのすさび)こそ、最も切実に「切り捨て」を必要とする世の腐敗分子なのだ。
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▼ | ▲[511]「紛る」は「目霧る」
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▼ | ▲[512]【謀る】=「たばかる」が「他人をダマす」に感じられる訳
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▼ | ▲[513]【あきらめ】ないで告白なさい [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1250【明らむ】 「あきらむ」は、何かと悩み多き思春期の諸君にとっては「諦む」へと結び付き易い響きだが、古語の場合は「明らむ」であり、「(いじいじと胸中に秘め置いたり曖昧にボカしたりせずに)態度を鮮明に表明する」や「(わだかまっていた思いをぶちまけて)すっきりさせる」という「表出」系の古語である。
失恋を恐れずに胸の内を「あきらめ」(=告白す)れば、たとえ「ゴメンなさい」の御返事に砕け散っても、わだかまっていた胸の内だけは「あきらめ」(=大掃除し)きれるもの、とでも覚えておくとよいだろう。
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▼ | ▲[514]【ろのう】んのうと「No argument」
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▼ | ▲[515]【しるし】は「白」
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▼ | ▲[516]【所詮】はあきらめの言葉ならず
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▼ | ▲[517]意味がないのは重々知りつつ「いみじう」、「あいなう」、「わりなう」、わりによく、っつーか超~、っつーかイテーくらいよーっく使うのが日本の古文
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▼ | ▲[518]【あぢきなし】は「味気無し」にあらず [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1267【あぢきなし】 現代語の「味気ない」に結びつけて短絡解釈されがちな「あぢきなし」ながら、「対象に魅力がなく、つまらん」という語義は全くないので、「味気ない」とは切り離して考える必要がある。
ではこの「あぢきなし」を何と結びつけて考えるべきかと言えば、「文付き」である:「ふみつき」ではない(それでは旧暦の「七月」だ)。「あづき」と読む(「小豆」ではない・・・煮たり喰ったりできる代物ではないのだ)。「文」とあることからもわかるだろうが、「文付き」とは「論理」の意味である。その文字の「文」は「文明」に通じ、その読みの「あ」は「あや」の頭音として「綾・文=一定のパターン」を想起させる。何らかの理屈の通るきちんとしたパターンに当てはまらぬ対象を前にしての失望に満ちた心理的反応が、「文付き無し(あづき→あぢきなし)」であり、その語義は以下のような形の展開を見せる:
1)「(論理・倫理に照らして)あまりにも度外れていることを非難する」=無茶苦茶だ
2)「(論理・秩序・理想を外れたひどい状況を)自分の力ではどうにも出来ぬ無力感を嘆く」=情けない
3)「(行動の結果や効力に期待が持てず)事を為すにも張り合いがない弱気さを表わす」=空しい
4)「(社交・恋愛等の対人関係がうまく行かず)幸福とは言えぬ我が身の状況に心乱れる」=せつない
5)連用形「あぢきなく/あぢきなう」を副詞的に用いて、「確たる理由も確かな予測もないまま事が起こるさまを表わす」=思い掛けず・無性に
・・・こうして見れば、「あぢきなし」は、「味気ない」より「情けない(なさけなし)」に結びつけるほうが妥当な古語であることがわかるであろう。
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▼ | ▲[519]【あいなう】?You know, 「あや」無う、「愛」=NO, 例のあいのこ和語 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1269【あいなし】 いかにも日本語らしいまぜこぜ語義を持つ「あいなし」は、「あや=文=論理的に割り切れる特性」が「無し」と見れば「間違いだ、不当だ、それはよくない」となり、「あひ=愛・合ひ=心情的に対象に吸い寄せられてピタリ張り付く感覚」があるかと問われて「NO!」と言いたい感じなら「気に入らない、自分の感性には合わない、まるでイケてない」の意味となる。
極めて理知的・論理的な「文無し」と、純粋に主観的な感情語としての「愛無し・合無し」という、水と油みたいな語義が平然と共存しているあたりが、東洋・西洋・漢字・横文字・古代・現代・仏式・神前式、なにもかもチャンポン取り混ぜ渾然一体の形で取り澄まして存在している不思議の国ニッポンの(外人の目で見た)無秩序特性に「ぴたり合致」していて「論理もへったくれもない」感じだが、もひとつオマケにこの語の場合、連用形「あいなく」の形(というより多くはそのウ音便「あいなう」の形)でやたらめったら文中で乱用される「とにかくもう・・・なんですから」の強調的副詞表現としての出番が非常に多い。
現代日本語の「超~~!」の感じと言うべきか、もう少し学術的に「いたう(甚う)」や「のみ」にも類する「ただの強調的言辞であるから、無理矢理訳そうと思わぬほうがいい場合も多い」としておくべきか、この「あいのう」、とにかく古文によく出てくるから、早晩諸君も「I know...例の無節操なやつね」ということになるであろう。
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▼ | ▲[520]【あやめもしらぬ】恋の道
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▼ | ▲[521]「めもあや」って、あやふやメモ?
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▼ | ▲[522]【控ふ】わりには力ワザ
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▼ | ▲[523]【おづ】は魔法使い
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▼ | ▲[524]恐れを知らぬ【をぢなし】=勇猛、って落ちは無し?
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▼ | ▲[525]憎まれっ子は世に「はばかる」のか「はびこる」のか?
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▼ | ▲[526]絡み付き、堰き止めるのが「しがらみ」なり
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▼ | ▲[527]「敢ふ」は「合ふ」より出でて「敢ふ」こと少なし・・・かぬ?
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▼ | ▲[528]いろんなものにつながる【なぐさ】め
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▼ | ▲[529]【思ひやり】の二面性 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1292【思ひ遣る】 現代日本語の「思いやり」は「相手へのいたわり」という利他的行動・心情を表わす、仏様・キリスト様が喜びそうな語であるが、古語の「おもひやる」は、この語義のみにとどまらない。むしろ、受験生イジメを職能的必然とする出題者の場合、わざとこれ以外の語義を出題する可能性が高いのだから、そちらに力点を置いて学習せよ、と助言するのが、筆者から諸君への「思ひ遣り」というべきであろう・・・ということで、2つほど紹介しておく。
まず、現代語「思いやり」に近いが微妙に違うものとして、「眼前に存在せぬ誰か・何か」について、「思いを馳せる」語義がある。「相手のためによかれと思って」そうするのではない:「あぁ、懐かしいなぁ、また会いたいなぁ・行きたいなぁ・やりたいなぁ・etc, etc.」という「自己の懐古的欲求充足モード」の表現である点で、相手本意の現代的「思いやり」とは方向性が逆である。それでもやはり「相手に引かれて」思いが吸い寄せられるのだから、まだ「利己的」だの「自己中心的すぎ!」だのの誹りを受けるほどではないが、次の表現ともなればその種の非難を受けても仕方がないだろう:
「胸の内に溜まった思いを、外界に向けて表出する」・・・所謂「憂さ晴らし」・「ストレス発散」のぶちまけ行動の語義、これこそ意外性ある「思ひ遣り」として「受験生イジメ」の定番となっているやつである。その「発散手段」は多く「音楽・和歌」などの「遊び」であるから、現代的脈絡でイメージすれば「うゥーっ、もぉーッやってられないっ!カラオケいこう、カラオケ!クラブでもディスコでもゴーゴーでモンキーダンスでもいいけどさ、とにかく歌って踊ってパァーッといこうよ!胸にたまったモヤモヤのガス抜きしないと、息が詰まってやってられないよー!」という感じである。そうして自己の鬱憤を晴らす過程では、他人を「思いやる」余裕などさらさらない。周囲の迷惑顧みず、音程ハズして歌おうが、サンバのリズムに盆踊りのノリでゆらゆら揺れようが、酔いに任せてグダグダくだ巻いて愚痴りまくって座を白けさせようが、とにかく「自分の胸さえすっきりすれば、それでよし」というタイプの「思いを遣る=内面から外界へ、胸中の思いをぶちまける」表現である。
もっとも、現代日本人がよく晒すその種の迷惑な醜態ほどの一方的に自己中心的な「思ひ遣り」は、古文ではさすがに稀であって、よく出てくるのは、「好き、の気持ちを打ち明けられずに、胸中に募る想いを、優雅な中にも微妙な揺らぎが(感受性の鋭い人の耳には)感じ取れるような笛の音に乗せて、空の彼方へ(できれば、あの人のもとへ)と吐き出して、束の間の代償的満足(vicarious satisfaction)を得る」というような雅びなる脈絡での「思ひを遣る」であることだけは、付言しておくべきであろう。「相手本意」とまでは言えないが、「相手不在」の現代人みたいな無粋な自己中心性からは遠いのだ。その種の現代的「ジコチュー」は、平安人には(少なくとも文物の中では)最も嫌われるものなのである。
より普遍的な知識として、この種の「自己→外界」/「こちら→あちら」の方向性(vector=ベクトル)で対象へと歩み寄ったりすっ飛んで行ったりする接尾辞が「遣る(やる)」であるのとは逆に、「外界→自己」/「あちら→こちら」の形で、対象を自分の方へと引き寄せようとする(この意味で、自己中心的な)指向性を持つ接尾辞は「遣す(おこす)」である、ということをも覚えておくべきだろう。現代語「よこす(寄越す)」に置き換えればこの感じはわかりやすい:「相手」から「自分」の方へと「寄り来る」/「相手の立場から当方の立場へと引っ越す」のを、意図的に招請(または強制)する言い回しが「寄越す(よこす)」であり「遣す(おこす)」なのである。
「遣」の字は共通なのだから、こうした「遣る(やる)」と「遣す(おこす)」の違いを生むのは、例の、「る=自発、自然的現象」/「す=使役、意図的行為」の対照の図式であることは言うまでもない。そしてまた、現代日本人が、「相手が自分の方へと一方的に歩み寄る」ことを強要する(平安人が最も激しく嫌悪したタイプの)自己中心性を、もはや「ジコチュー」とすら感じられぬほどの「生き方の基本的ベクトル」としている生き物であることもまた、言うまでもないことであろう。
「見遣す(みおこす)=オマエがオレ/アタシの方を見ろ!オレ/アタシにオマエへの歩み寄りを求めるな!」的処世態度がもはや現代日本人の常態と化しているという事実の実証的証明が欲しくば、逆に、「見遣る(みやる)=あぁ、この人はいま、こういう気持ちで、こういうことを求めているんだろうなぁ・・・それなら、さぁどうぞ、こんな感じではいかが?」的行動・発言・心理の実例を探すことだ ― 周囲の人々の中にそれを見出すことが出来たなら・・・あなたは、幸せな人、である。見つからなければ、あなたは(&あなたの友人・知人も)ごくごく普通の現代日本人、ということである。
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▼ | ▲[530]【心遣り】は人のためならず
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▼ | ▲[531]【言ひ遣る】の二面性
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▼ | ▲[532]【見遣り】と【見遣し】
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▼ | ▲[533]【やる】って、なにする気?
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▼ | ▲[534]「とまれこうまれ、とく【やり】てぇーっ・・・む!?」
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▼ | ▲[535]【調ず】の「調」の意外な意味
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▼ | ▲[536]【くず】から【屈す】が見えるかな?
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▼ | ▲[537]【思ひ屈ず】れど身は屈せず
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▼ | ▲[538]古語の「思ひ入る」は「思い入れ」にあらず
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▼ | ▲[539]【荒ぶ・寂ぶ】【錆ぶ】につながる「さび」
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▼ | ▲[540]【わび】と【さび】
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▼ | ▲[541]静かすぎるから【さうざうし】
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▼ | ▲[542]【つれなし】と【うたて】
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▼ | ▲[543]【つれもなし】とは、寂しい限り・・・
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▼ | ▲[544]「つれづれ」・「ずらずら」・「つらつら」連なると「つら」し
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▼ | ▲[545]「めづらし」きものは何度でも見たい・・・?
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▼ | ▲[546]【めづらか】の二態
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▼ | ▲[547](×)【めづらし】 (○)【めでたし】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1319【愛づ】 現代語には「愛でる(めでる)」の形で残る古語が「愛づ(めづ)」。「メデル」だと小学生駄洒落的には「出目金(でめきん)」だの「目ん玉飛び出る(ほど値段が高い)」あたりを思い浮かべそうだが、古形「めづ」の連想は至極自然に「めづらし(珍し)」に結び付くことであろう・・・が、この連想は語源学的には少々ズレていて、「めづらし」=「目+連らし」=「目線を外さずにいつまでも目撃し続けていたい(シャッター押しっぱなしで連写しちゃいたい)・・・それほどまでに滅多に見られぬ(すばらしい)ものだ」が正解である。
言語学的に言えば、「愛づ」の形容詞形は「めづらし」ではなく、「めでたし」である。その組成は、この動詞を連用形「愛で」で名詞に変換したものに「いたし(甚し)」を付けた「愛で+甚し=愛好心旺盛or愛らしさ全開」である。
もっとも、「愛づ」の気持ちはどこから生じるかと言えば「目で」見て「美しい」と感じるところから、というのが基本であるから、「目+連らし」も「めでいたし=目で見てホレる気持ちがイタいほど強い」も、根源的に異質なものではないと言えるだろう。
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▼ | ▲[548]【めでまどふ】って「目で惑う」?
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▼ | ▲[549]滅多にないから【有り難し】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1322【有り難し】 古語の知識としては常識の部類に入るが、「ありがたし」が現代的な「ありがたい=うれしい、感謝すべきだ」という、主として自分にとって好都合な事態の展開に感謝する現金な言い回しになったのは、鎌倉時代以降の話である。
受験生が主として相手にすることになる中古(平安期)までの「ありがたし」は、文字通り「滅多にない」という稀少性を表わす語であった。普通はあり得る道理もないことが起こるという意味で「神仏の霊験や功徳が自らの身に及ぶこと(=もったいないこと)」の意味になったり、実現や生存が困難な「まず起こりえない/これではとても生きて行けない」の語義になる場合もあったが、これらは稀である。
いずれにせよ、原義から外れた意味へと移り変わるとともに、古い時代の語義が後発語義によって塗りつぶされてしまって跡形もなくなる和語の特性をよく表わすこの「ありがたい」(といいつつ実によくある)展開から見るに、2010年現在では到底「正統和語」とは言えない「あり得ない」の語義もやがては正用法として日本語世界に居座る可能性がそこそこあると言えるだろう・・・現代若者言葉としての「あり得ない」は、話者の主観から見て「許せない、消えてほしい、不愉快だ」等の感情、つまりは単なる「個人的嫌悪感」を、あたかも何らかの「客観的基準違反」であるかのごとく非難する身勝手コトバである。この種の「(主観・客観の)すり替え語法」は、言語面に於いても行動面に於いても「責任逃れ」のための「正体不明現象」が蔓延しきった現代日本人の心理を象徴する一連の言い回し(「私って、~な人なの」・「~みたいなぁ~」)の一部であるから、病んだ時代の一記録としても残しておくに値するものであろう、的なこと言ってみたりなんかする。
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▼ | ▲[550]【目覚ましき】ものに、スバラシーと叫ぶ現代、アキレて目をそらす平安
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▼ | ▲[551]古典時代人の胸は「走る」
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▼ | ▲[552]【打って付け】は良い事?悪い事?
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▼ | ▲[553]【ふびんにす】るのはいじめっ子?
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▼ | ▲[554]「まさなし」の二面性
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▼ | ▲[555]【すずろ】も【そぞろ】も「ソソる」もの
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▼ | ▲[556]「すずろ」と「そぞろ」
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▼ | ▲[557]【なかなか】の「いっそ・・・せぬがまし」の語義をなかなか覚えられぬ人向け解説 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1341【なかなか】 古語の多く(否、ほとんど、とさえ言いたい)は、現代日本語と意味が全然違うものだが、この「なかなか」もまたその掛け離れ具合&錯覚による受験生の落第率の高さからすれば、横綱・大関級であろう。
「Aはなかなかなり」を見れば、現代高校生の反応は間違いなく「Aって、けっこうイケてるじゃん!」であろう;が、この種の「悪くはない(Not bad)」の語義は中世以降のものであって、大学入試出題ゾーンの「平安時代古文」ではこの意味の「なかなか」は「なかなか出ない」どころか「ほぼ絶対出ない」と言ってよい(現代語と同じにしかならぬ古語を、わざわざ出す意味がどこにある?)。出るのは決まって「Aなんて・・・ダメダメすぎて、こんなことならいっそ、存在しない方がまだマシなんとちゃう?」という否定的語義だけ;それが入試版「なかなか」である。
この種の語義を覚え込むのに苦労する人と、スイスイ覚えて忘れない人との違いはどこにあるか?「頭の良し悪し」の違い?・・・そうならいっそ事は簡単で苦労はない:鍛えれば良くなるのが頭脳の良いところで、鍛錬一つで決着が付くわけだから、語学の勉強なんて数学みたいなもの:直線的な練習の蓄積が(まるで0と1の二進法で突き進むコンピュータのように)諸君の知性を加速度的に増進させてくれるハズ・・・だが、現実には「語学」は「数学」とはだいぶ違う。
結局、語学でモノを言うのは「視点」であって「頭脳」ではない。「頭の使い方(&鍛え方)」の問題ではなくて「目の付け所(の磨き方)」の問題なのである。
「なかなか」に戻ろうか。この古語の語義をなかなか覚えきれぬ人は、「語義」という意味にのみ張り付いてガンバっているからダメなので、語学上手はそんな表層的知性の使い方はしない。次のように考えてすんなり(とはなかなか行かないが、とにかくめでたく)「なかなか」を我がものとしてしまうのである:
1)「なかなか」の畳語性に注目し、「なか」に当てるのに適切な漢字を探す。
・・・これは意外と簡単だ。「仲」の字もあるが、「にんべん」外せば「中」なのだから、「中」と見て考察を進めるのが妥当であろう。
2)「中」の表わす意味を探す。
・・・これはなかなか難しい:
2A)「外」に対する「中」・・・例:屋<外>から家の<中>に入る
2B)何らかの状態の「中」・・・例:今、勤務<中>?いいえ、勤務時間<外>です
2C)「上」・「中」・「下」の「中」・・・店屋物好きなら「松」・「竹」・「梅」の「竹」と思えばよい
2D)「近く」でも「遠く」でもない「中程」・・・例:御乗車の皆様は、一箇所にかたまらず、<中>ほどへお進みくださいますよう御協力お願いします。
・・・どれにヒットさせたら「なかなか」に当たるのやら、この状態でわかったら「天才!」か「嘘つき!」のどちらかである。そこで、次なる手を考えねばならない。
3)「中」に近い別字(語)を探す。
・・・類義語を探せ!は、語学的イメージを膨らます際の第一の心得である。無論、ただ闇雲に「中」の字の仲間を捜そうとしても無理で、何らかの方向性がないことには、「撥」だの「白」だの「東」「南」「西」「北」「一萬」だのに走って途方に暮れるばかりである・・・から、何らかの観点を定めて、探索の方向性を絞り込む必要がある。
4)「中」に似た字(語)で、畳語で使って、「中中」同様に「A・・・こんなもんなら、ないほうがマシ!」の意味(かそれに近いやつ)を表わすものを探す。
・・・この段階でモノを言うのは「単漢字力」ではない:「熟語力」である。幾多の言い回しのレパートリーを頭の中に持っている者ならば、「生中(なまなか)」なる(大方の現代人は知るまいが、古語の「中中」に相当する)現代日本語表現がすっと(魔法のように)浮かんでくるであろう・・・まぁ、浮かばなかった人も「自分は、ダメだ」などとうなだれずに、「生中」を自ら探り当てたものという仮想的状況下で更にお付き合いいただきたい。
5)「生中(なまなか)」の「生」が表わす意味を考える。
・・・懸案の「中」と並べて使われているぐらいだから、「生=中」と見てよいであろう。夏場のサラリーマンなら「とりあえず、生ビール、中ジョッキで!」的冗談に走りそうだが、真面目に検討してみてもなお謎の多い「生」である・・・ので、今度はまた発想を変えてみる。
6)「生」だけを畳語化した「生生」の表現が可能かどうか調べる。
・・・で、実に、これがまた可能なのである。その意味は「中途半端」で、「中」の字にヒットする。この時点で、先ほど2)で考えた「中中」の「中」の意味は「遠くも近くもない真ん中あたり」だろうと当たりがつく。すると「生」の意味もやはり「中途半端」であって、「生兵法(なまびょうほう=知ったかぶりの戦術論)」だの「生ぬるい(=冷たくもなく、十分な熱さもない、感覚的にパッとしない温度)」の「生=中」のイメージが鮮明になるわけだから、まったく「生中」さまさま、である・・・が、こうして「中間地点」の意味の「生/中」だと判別がついたのだから、もう少し連想を広げてみよう。
7)「まん中あたり」の意味で、「A・・・こんな中途半端な程度なら、いっそないほうがまし」の意味になる別表現を、「中中」/「生中」以外に探す。
・・・運が良ければ、古語辞典の「生中」の別字として、「生半」が目に飛び込んでくるであろう。そうなればもう ― ここまでの探求過程を着々と歩んで来たほどの半端じゃない語学的好奇心の持ち主であればきっと ― 「生半可(なまはんか)」の熟語が頭の中から飛び出してくるはずだ。
8)「生半(なまなか)」及び「生半可(なまはんか)」から、更なる表現でイメージを膨らます。
・・・「生中/生半」や「生半可」を知らない日本人でも、「まなじっか」・「なまじ」を知らぬ人はいるまい。こちらは「生強ひ(なまじひ・・・嫌がる相手の意向を無視し、完全な合意もない中途半端な状況下で、見切り発車の形で強引に事を運ぶこと)」に由来するので、その組成上の系統としては「中中」から遠い感じはするが、意味の上では「なまじ/なまじっか・・・するぐらいなら、いっそ・・・せぬほうがまし」という形で、「中中」の訳語としては最高の適合感を与えてくれるものである。
このような過程を経て、語学上手は「なかなか」をものにするのである。「なかなか」だけではなく、「中中」・「生中」・「生半」・「生半可」・「なまじっか」・「なまじ」・「生強ひ」という連想ネットワークの力で絡め取る形で、最初は掴み所がなかった「A?・・・ダメダメじゃんそんなの!んな程度のハンパなやつなら、なまじやらずにおいたほうがまだマシなんじゃないの?」の意味を、心に刻んで忘れなくなるのである・・・7つもの異なる窓から覗いて見つけたこの意味を、どうして忘れられるものか!たとえ1つ2つ(否、3つでも4つでも)意識の中から抜け落ちたとしても、残る連想仲間はまだまだいくつもあるのだから、忘れた語義もまた、連想の鎖をたぐり寄せれば戻ってくるのが構造的必然であろう?
語学の達人は、かくて、仲間増やしに余念がないものである。そうでない人々の頭の中には「友達が少なすぎる!」のである。
語学ベタの人間は、学習過程で労苦を惜しみ、少しでも短い訳語/一つでも少ない語義/なるべくわずかな同義語・類義語/etc, etc.といった形で、「連想の鎖を短く分断する作業」にばかり血道を上げているのだから、自分で自分の首を絞めているようなもの・・・これでは語学に上達できる道理がないことぐらい、論理的思考のイロハを弁えておれば(否、そのわきまえがなくとも上の筆者の解説をみれば)どんな語学音痴でもわかること・・・なのに、多くの人間は相変わらずその労苦を惜しむ・・・ので、「語学は苦手」の状態に陥る・・・ので、言語生活は貧弱になる・・・ので、言語を媒介とするあらゆる知的活動(実質的に、人文系のみならず、自然科学系をも含めた全ての学問領域)に対する苦手意識が蓄積する・・・ので、高級なる知的営みには自ら背を向ける・・・のみならず、高級なる知的営みに嬉々として興じる人々にも背を向ける・・・のみならず、その種の「知的に優秀な人間を気取っていやがるイケ好かない連中」を目の敵にし、事あるごとにその揚げ足を取ろうとする・・・絵に描いたような悪循環が、彼らを(そして、困ったことには、知識人たちをも)待っているわけである。
諸君、よくよく覚えておきたまえ:知的に優れた人間は、自分が「知的に劣っているか、優れているか」など一切まったく考えていないものだ。ただ単に「楽しくて楽しくて仕方のない知的ゲーム」を、「誰に気兼ねするでもなく自らの頭の中で楽しんでいる」だけであって、その結果として自分が辿り着いた知的高みを、他者に対してひけらかすような真似などしない:ゲームに忙しい人間にとっては、そのゲームの素晴らしさを他者に説明するヒマさえ惜しいのである。「求道者は、なかなか、伝道者にはならぬもの」という心理・真理は、覚えておいたほうがよい。「私、知識人でーす!」と自ら主張するような連中に、真の知識人はなかなかに少ないのだ。
にもかかわらず、そのゲームの楽しさをこうして他者に説き、楽しくプレイするコツをこのように解き明かす筆者のような人間は、「真の知識人に非ず」という論法も成り立ちそうに思える・・・であろうか?・・・まぁ、別に筆者を「バカ」とみようが「知識人気取りのイケ好かぬタコ」と貶そうがそんなことは筆者にとっては全くどうでもよいことだ。こうしてゲーム回しの論法を書く(&その過程をまた楽しむ)ことまでが筆者の仕事であって、それを読者がどう受け止めるかなど(それを生かして大学に受かろうが、生かしきれずに落ちようが、それも)実は、どうでもよいことなのだ。
どうでもよくないこと、どうにかせねばならぬことはただ一つ:言語学的貧弱さ(&それと相関関係をなす知的・道義的劣悪性)が、現代日本人の大部分を蝕む、看過し得ぬ病理現象となっていることを痛感しているからこそ、「知的観点から見た"病人"向けの処方箋」として、本来なら「なかなか」のこうした「語学バカ脱却の勧め」を(御苦労さまなことに)書き続けているわけである。
こちらとしては、ここまでしてやったのだから、これでなおかつ連中があのまま、というのなら、それはもう連中の問題・・・こちら側の努力不足でもなければ罪でもない・・・そう言い切れる「中中」ならぬところまで論を進めたら、あとはただ、彼らの行く末を(もはや、一客観観察者として)冷ややかに見据えてやろうと思っているまでのこと ― それもこの筆者にとっては「ゲーム」なのである。
・・・などと、なかなか誰も言わぬようなことを(なかなかに言わずもがなの気もするが)言ってしまったところで、長々続いた中中講義はこれにて修了。Have a nice game, folks!
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▼ | ▲[558]【なまじひ】→【なまじ】・【なまじっか】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1342【生強ひ・憖】 「中中」の部分での語源学的考察でも取り上げた「生+強ひ」であるが、繰り返せば、この「生」は「中途半端」の意味であり、これを重ねた「生生(なまなま)」は「なまなまなことでは・・・できない」のような形で現代日本語にもなお残る。この意味では「生半(なまなか)」でも同じであり、「半半/中中(なかなか)・・・できない」に通じることは、別記事で指摘済みである。
そしてまた、そのようにして遠縁の親戚的に「中中」につながるこの「なまじひ」が、その現代型「なまじ/なまじっか」の表わす語義「そんなことするより、むしろしないほうがまだマシ」に於いて、古語の「中中」の語義に完全に重なることも(本作を順繰りに読んでいる律儀な読者なら)覚えているであろう。
筆者は、全く同じことを二度も三度も繰り返し言う/言われるのは大嫌いな体質であるが、語学に於いてはこの種の再放送が大事なことであるのも事実・・・この事実の指摘だけは、二百回でも三千回でも、機会があるごとに繰り返させてもらうつもりである(それが「生強ひ=逆効果」になることもあるまいから)。
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▼ | ▲[559]【なほあらじ】
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▼ | ▲[560]「猶有り」のままではあらぬ表現
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▼ | ▲[561]「なべてならず」と「なのめならず」
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▼ | ▲[562]【斜め】なのに【なのめならず】なのはなぜ?
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▼ | ▲[563]「なのめならず」が「なのめなり」へとななめに滑る和語の横滑り語法
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▼ | ▲[564]【見ぐるし】と【見にくし】
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▼ | ▲[565]【まばゆい】対象は何? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1363【目映ゆし・眩し】 古語と現代語とでは、対象違いによる錯誤がよく生じる。「まばゆし」もそうした古語の一つで、現代では「自分以外の何か」が「まぶしくて直視できぬほど光り輝いて見える」であるが、古語にはこの語義に加えて「自分自身」が「気恥ずかしさで他人と顔をまともに見合わせられない感じだ」の意味もある。
同様の「対象違い」が錯覚を生む古語としては、「かはゆし」がある:現代では「相手がカワユイ!」わけだが、古語には「自分の顔が赤らむほど恥ずかしい」の語義もあるのだ。
ややこしいようだが、着眼点一つ修正すればこうした古語の意味の把握はさほど難しくない。
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▼ | ▲[566]【かはゆし】=カワィーじゃなくって、カィーいのォ
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▼ | ▲[567]知らねば【恥づかし】その真意 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1365【恥づかし】 視点・観点の違い一つで、人はずいぶん色々こっ恥ずかしい失態を演じるものであるが、古語の「恥づかし」はその名に恥じず、幾多の「恥ずかしき受験生たち」をすっ転ばせ続けてきたバナナの皮みたいなやつである。
現代日本語の「恥ずかしい」は、「自分が恥ずかしい」/「相手が恥ずかしい」双方の意味を含むが、その「恥ずかしい<主語>」に「恥ずべき何かがある=ポイント低くて、とほほのほ」が特徴である。
この種の「恥づかし」は古語にもあるが、古語特有のもう一つの語義として要注意なのが「恥づかしき<主語>」には「恥ずべき何もない」場合である:「恥」どころか「誉れ高き何か」が相手側にあって、それを目の当たりにしたこっち側が「相手はあれほど素晴らしい・・・それに引き替え、この自分ときたら、何とまぁ"恥ずかしい"ことよ」という図式を見事取り違えて、大方の不勉強な受験生はスッテンコロりん、恥かいて失点してヘタすりゃ落第のオマケつき、という次第・・・この種の恥は、受験勉強段階で卒業しておかねば、受験生段階そのものをなかなか卒業できなくなる(=浪人生としてのキャリアを無意味に積み重ねることになる)・・・から、ここでしっかりと注意を促しておくことにしたい。
ついでに言えば、「相手に恥の意識を与えるほどの、圧倒的な素晴らしさ」というのは、悪くはないが、その種の威圧感を伴うまでの長所というものは往々にして他者を遠ざけるものである。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言うであろう?古典時代の人々にもこの種のバランス意識はあったようで、古語にはもう一つ面白いやつがあるので「はづかし」ついでに紹介しておこう:「あなづらはし」がそれである。字義通りに言えば「侮ってかまわない/思わず軽く見ちゃう感じだ」となって、これだけでは相手をナメるばかりのおちょくり語でしかないが、先の「恥づかし」との対照の図式に於いて捉えれば、「こちらが気後れするほど凄い相手でもない・・・から、気楽に構えて付き合い易い」というわけだ。
コンピュータのごとく機械的な成績判定だけを相手にすればよいのなら、人間は優秀であればあるほど素晴らしい、ということになるであろう;が、絶対値としての成績のみを客観的に評価することなどむしろ稀で、「自分vs.外界」という相対的優劣の構図の中でばかり物事を判定する主観的特性と縁の切れない人間たち(純粋な論理性から見ればこれは恥ずべき様態だが、良かれ悪しかれそれこそが「人間的」なのだ)を相手にする時には、「過ぎたるは及ばざるが如し」の理に鑑みて「能ある鷹は爪を隠す」のもまた「"人間的"に賢い」やり方というもの。
自分自身の本源的優秀性に自信があるからこそ、「はづかし」を捨てて自ら積極的に「あなづらはし」の水準にまで降りて行くタカだって、世の中にはいたりするのである。ハトやスズメがタカを気取っても(悪い意味で)「はづかし/あなづらはし」いばかりだが、鋭い爪を隠したタカが平和なハト群れに埋もれても「ホントの自分はこんなもんじゃない!」などと抗議の声を上げるでもなく泰然自若を貫ける。漫画の中でも、超絶的なスーパーヒーローの多くは、変身前には冴えない仮の姿を粛々と演じているであろう?本物は、自分の真価を他者にひけらかさない:自分がそれを知っておればそれだけで十分なのだし、自分の真価を知るほどの素晴らしい仲間は、世の中にそうそう多くはないことを知ってもいるのである。
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▼ | ▲[568]【あなづらワシ】って、どんな鷲? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1366【侮らはし】 ゴルフボールか古いチーズみたいに顔じゅう穴だらけのワシの挿し絵付きで掲載したらインパクトがありそうな古語「あなづらはし」は、もちろん「ハクトウワシ」や「フタコブラクダ」のような特徴的外観を持つ動物の名ではなく、動詞「侮る(あなづる)」を形容詞化した語である。
こう聞くと、「ははぁ、軽蔑すべき、見下げ果てた、下劣な、どうしよーもないほどひでぇー、の意味だな」と早合点する人もいそうだが、それは「顔じゅう穴ぼこのワシ」に近い誤解というもの。実際の語義は「尊敬や高い評価を要求するほどのものでもない」であって、さほどの否定的響きはない。要は「たいしたことない」であって、「なんともひどい」ではないのである。
それどころか、場合によっては「あまり気を使わなくていい=気楽に接することができる」という肯定的な語義にすらなる。この語義は、「そばにいると、相手のスゴさに圧倒される」的な形容詞「はづかし」・「ものものし」・「いかめし」あたりの対義語としてのものである。
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▼ | ▲[569]【所狭し】は場所が狭いだけ?
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▼ | ▲[570]スペースないから【狭】は間抜け
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▼ | ▲[571]【後ろめたし】は不安・・・なら【後ろめたなし】は後顧の憂いなし?
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▼ | ▲[572]【休らふ】時は落ち着かない
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▼ | ▲[573]【付き無し】の多面性
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▼ | ▲[574]【ゐやゐやし】って、卑しいの?
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▼ | ▲[575]【なめし】は生意気
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▼ | ▲[576]「【ちょこざい】な小僧め、名を、名を名乗れ!」・・・「私の名?はぁ、呉音で【ざえ】と申します」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1395【才】 現在の日本には実質的に「古典」という概念がない。ほとんどの日本人にとっては「古典=古くさい作品」であって、「時を超えて人々に訴える力があるからこそ、古い時代に作られながらも、今なお残っている一級品」という意味の英語の「classic=古典・クラシック・・・ここでのクラス(class)の意味は、上級」は日本には(少なくとも現代の大方の日本人の間には)存在せず、単なる「classical=クラシカル・懐古調・・・いかにも古くさい雰囲気」が「classic:クラシック」を押しのけて居座ることで、「古典」を「古い時代に属するもの=今の自分には関係ないもの」として平然と黙殺している状況である・・・そんな連中にとっては「The Beatles:ザ・ビートルズ」すら「昔のグループじゃん」であり、「オジン、オバンの聞くナツメロ」なのだ・・・まともな世界の国々の人々に言っても「It just has to be seen to be believed.その目で見、身をもって体験した人じゃないと、本当にそうなんだ、なんて信じられない話」で、西欧/日本双方の「古典」を人並み程度に把握している人間の目からみれば、「残念」を通り越して、ただもぅ「笑うしかない」ていたらく・・・まぁ、それが「世界の文化人から見たニホンジン」の現状である。そうした日本人はまた、本当の世界を知らぬから「知らぬが仏」と澄ましていられるわけである・・・願わくば、彼らが一生厚顔無恥を貫き通せればよいのであるが、なかなか世の中、そうは甘くない・・・のだから、早いうちにガツンと一発食らわしておくほうが若い連中の&日本国のため、であろう。
そんな日本人に、テレビドラマの古典「赤胴鈴之助(あかどうすずのすけ)」の冒頭の台詞を投げかけても詮無きことであろうが、この随筆の標題にある「ちょこざいな・・・」の冒頭部は、その鈴之助くん(まだちびっこい少年剣士である)にコテンとやっつけられた大人の道場の面々の一人が吐く「小生意気なチビめ、お前の名前は何だ?!」のセリフである。これに名乗って答える「赤胴鈴之助だぁ!」が番組のオープニングを飾るわけであるが・・・ここでは無論、往年のテレビ番組だの現状の日本の文化的惨状だのがメインテーマではない:「ちょこざい」のみがお題であり、より本質的に言えば「呉音」テーマの随想文なのである。
「呉音」とは、一般の漢字読み「漢音」に対する、もう少し古い時代に行なわれていた中国由来語の読み方の作法と思えばよい。日本は古来、中国に文化の範を取って来たが、中国の文物を読み解いて日本の文化と言語へと吸収する過程で、中国語の読み方も当然「和風訛り」を帯びることとなった(現代の横文字を日本人がどう扱っているかを見れば、おおよその想像は付こうというものだ)。
そんな中、平安時代初期の国家的大事業として、例の「遣唐使」が中国(唐)へと派遣されることとなる。危険な船旅と長年の研修旅行の末に日本に帰国した留学生達は、「生きた中国語=唐の都の長安の発音」を身に付けて来ており、そんな彼らの耳には「文物を日本人風になまらせて読んだ従来の漢字読み」は「聞き苦しいインチキ発音」として響いたのである。
そこで行なわれたのが、「正しい中国語読み=漢音推進運動」であり、そこで槍玉にあがった「古くて間違いの中国語読み」が「呉音」だったというわけだ。現代日本人なら「誤音」とダジャレかましてそのまま通用させてしまいそうな用語だが、この「呉」は、例の「呉越同舟(ごえつどうしゅう=仲悪いどうしが一箇所に居合わせること)」なる四字熟語でも有名な中国南部の国の名で、「呉で話されている非主流派の中国語発音に近い」という感覚でこう命名されたらしい(・・・呉の実情に詳しかったとも思われぬ昔の日本人の命名であるから、このあたりの名の由来にはさほど敬意を表すべきとも思われないが)。
この「漢音推進/呉音排斥」の効果はしっかりあったようで、その後の日本語では漢字読みといえば「漢音」一色となった;が、古い時代から使われていた「呉音」も慣習的に残ることとなる・・・このあたりの対照の図式は上の文章だけからも感じ取ってもらえるだろう:「一色」を「いっしょく」で読まずに「いっしき」と読む現代人はほとんどいるまいが、「いっしき」は古代より「社会的階層を色分けする」という由緒正しきしきたりと縁が深かった「呉音」なので、今日もなお「一色田(いっしきでん・・・いっしょくでん、ではない)」のような形でしぶとく生き残っている。畏れ多くも「大和朝廷」より賜わりし田畑なれば、いかで「いっしょく」なる「漢音」に変ふべきか?お上の御恩(=呉音)忘るまじ、なのである。
「ちょこざい(猪口才)」なる言葉の中にもやはり「呉音」がある:「ざえ=才」である。漢音ならこれは「さい」と清音であるから「ちょこさい(chocolate vegetable?)」とでもすべきであるが、古来「ざえ」と濁音の呉音読みが慣例化していた語なので「ざえ」が「ざい」には化けても「さい」にはなりきれていないのである。
古い時代からある語の「呉音」が「漢音」にもめげずにそのまま残る背景には、それなり以上の理由があるわけだが、この「才=ざえ」を生き残らせた事情は極めつけである ― 「中国伝来の学問=漢学」そのものを意味する語が「ざえ」だったのだ・・・これではいくら「漢音」の権威をもってしても変えられまい。かくて、「(主に中国伝来の書物を源泉とする)学術知識全般」並びに「芸能全般」を指す「学才・才芸」の意味の「才」は「ざえ」の音のまま長らく生き残り、赤胴鈴之助君にやられた明治時代人の「ちょこざい」の中にさえ、ちょこっとその片鱗を覗かせているのである。
・・・とまぁ、この国に於ける外来語の発音だの文化的不毛だのを織り交ぜたこの種のコラム(column=列柱記事・本筋読み物の合間にちょこんとまぶした軽い随想文)に対する大方の日本人の心理的反応として最も相応しい用語の解説をもって、本文を締めくくることとしよう(サービスで、3つ、あげる):
1)ちょこざい=(自分より格下だと思い込んでいる相手が)いかにも気の利いたふうな発言・行動をして得意気な様子を、嫉妬交じりの非難の調子で貶す語。
2)ちょこ(猪口)=文字通りには「いのししのくち」、一般には(イノシシの口に形状が似ている)「杯・おちょこ」を指す。この語が「ざい=ざえ」と結び付いたのは、「ちょこっとしか酒の入らないおちょこ」と「ちょこっとだけ知っているに過ぎぬ知識(を偉そうに人前でひけらかすこと)」という「容器」にまつわる連想に加えて、「おちょこから酒を飲む時の口をすぼめた形」が「人前で偉そうに何かを言う時の得意気に口の先をとんがらせた姿」に似ている、という事情もあったものと思われる・・・が、所詮、このあたりの造語事情が徹底的に恣意的でしかない日本語であるから、語源的考察というよりも雑学的随想の域を出ぬ話ではある。
3)ざえがる=いかにも「自分は物知りだ」とか「自分には文芸的嗜みがある」と言わんばかりの態度を取ること(&周囲の人間の顰蹙を買うこと・・・Oh, what a suitable ending!このコラムの終わりを飾るにぴったんこだぞえ!)。
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▼ | ▲[577]【堪能】は「たんのう」ならずして「かんのう」なれども「官能」の下ネタ語ならず
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▼ | ▲[578]【有識・有職】は「故実」か「傾城」か [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1398【有識・有職】 「有職故実(ゆうそくこじつ)」は「貴族社会の官職・慣例全般の約束事」である。彼の明智光秀が織田信長に重用されることになった理由の一つに「朝廷関連の古いしきたりによく通じていること」があり、光秀が(信長の肝煎りで)その蘊蓄を開陳する席を設けると、柴田勝家だの前田利家だのといった武闘派の家臣たちは「体調不良」を理由に同席を辞退した(これを世に「明智病(あけちやまひ)」と呼んだ)という有名な逸話が残っている。
そうしたガチゴチにおカタい学識を表わす「いうそく」だが、面白いことに、あの有名な歴史物語『大鏡』の中では、「学識人」の意味ではどうにも解釈できず、「美女」と取るしかない使用例がある。恐らくは「いう」が「有」ならぬ「優艶」の「優」の語感で誤用されたものであろう。あまりに変則的な用い方なので辞書の類には載っていない語義だが、まぁ日本語に於ける正統・慣例への敬意などというものは所詮こんなもの、という無数の事例の一つとして覚えておくのもよいだろう。
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▼ | ▲[579]【聡し】・【疾し】・【悟り】・【あざとし】
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▼ | ▲[580]【さかし】は必ずしも「賢し」ならず
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▼ | ▲[581]【ざりける】ぞ、実に、否定ならざりける!
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▼ | ▲[582]【え】一文字より【えしも】・【えも】
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▼ | ▲[583]「家蠅に」とは言えないで
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▼ | ▲[584]【えあらず】・【えならず】・【えもいはず】・・・
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▼ | ▲[585]【えならず】って、何が成らずなの?
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▼ | ▲[586]仏教説話は断定的「なりき」
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▼ | ▲[587]「こそあれ」と「こそなからめ」
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▼ | ▲[588]【にこそ】の後にないのにあるもの
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▼ | ▲[589]「ごさんなれ」とは「誤算なれ」?
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▼ | ▲[590]重要連語【ばこそ】
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▼ | ▲[591]なしとこそ知る「あらばこそ」 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1431【あらばこそ】 係助詞「こそ」はなかなかの役者で、これが付いただけで微妙な意味の陰影を生じる。「Aばこそあれ・あらめ」や「A(も)あらばこそ」は「もしAがあるというのならともかく、そうじゃないのだから」となる。実際にはそうではない、という前提あってこその(英語で言う仮定法的)表現である。
現代日本語にも、「息つく暇もあらばこそ(=落ち着いて深呼吸する余裕もありゃしない)」のような形で残っている。
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▼ | ▲[592]「もぞもぞ」したら大変だ
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▼ | ▲[593]【ごと】は「異」の如くして実は「同」という事
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▼ | ▲[594]【今年もあれ】って、何のこと?
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▼ | ▲[595]【なげ】ってナニゲに意味ありげ
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▼ | ▲[596]「なで」なでせずにさらりと終える
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▼ | ▲[597]【なくに】泣き泣き感慨深げ
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▼ | ▲[598]「なば」と「ぬれば」は違うもの
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▼ | ▲[599]「・・・せば」なかりせば、「き」の未然形もなからまし
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▼ | ▲[600]【ぬべし】って否定? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1456【ぬべし】 初学者が陥りがちな誤りに、完了助動詞の「ぬ」を否定助動詞「ぬ(=ず連体形)」と勘違いする、というものがある。
この「ぬべし」もまた、古文初心者はほぼ確実に「・・・ない+に違いない」と訳すに違いない、というもの。だが、助動詞「べし」は否定の「ぬ」に付くことは決してない;「ざる+べし」の形にしかならぬのである・・・まぁ、そこまでわかっているような古文読みなら、「ぬべし=・・・ないに違いない」のような誤訳には陥らないに違いないから、上は無意味な解説には違いないのだが。
結局この「ぬ」、完了助動詞なのであるが、その「完了」の呼び名がこの種の誤解を生むのである。「完了」なら「既にもう終わっている事柄」を指す、というのが現代日本人の感覚であるから、そこに推量の助動詞、即ち「これから・・・になるだろう」を意味するはずの「べし」が付く、というのは(過去と未来のチャンポンで)感覚的におかしい、ということになり、その解釈から弾き出されるようにして、「否定+推量=・・・ないに違いない」なる意味に違いない、という落とし穴にはまりこむ、という仕掛け・・・実によく出来ている、もとい、困った誤読の図式ではある。要は、「完了」という呼び名が悪いのであって、「確述」という名称で把握しておれば、こんな誤読に陥る者の数は激減するはずである。
「確述」の「ぬ」を「完了」と取り違える典型例としては、次の一節を引き合いに出すのがよいだろう:
「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ」
言わずと知れた「いろは歌」の出だしである。総かな表記では訳が分からぬ人のために、漢字仮名交じり文(+濁音記号・句読点・疑問符&被省略主語つき)に書き換えれば次のようになる:
「[花の]色は匂へど、散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ?」
現代語訳)今は美しく咲き誇っている桜花も、その色彩は鮮やかに映るけれども、やがては必ず散るものだ・・・というのに、我が世の春を永遠に謳歌できる者など、この無常の世のどこにいるというのか、そんな者は誰一人いないのだ。
「にほふ」は、現代では「嗅覚」専用語(臭う)だが、上代~中古に於いては「色彩語」(仁+秀+ふ)の色合いが濃い。ここでも「花の盛り」に合わせて「色鮮やかに咲き誇る」の意味が正解で、「ツーンと鼻を突く芳香が漂う」とするのは古文をろくに知らぬ現代人の誤読の典型である。
しかし、「匂い」と「色合い」の取り違えは、この古文の解釈に致命傷を負わせるものではない。救いようのない誤読が生じるのは「散りぬるを」の箇所である・・・「既にもう散ってしまったというのに」と誤解する人が、また、実に多いのだ。よくよく考えて見れば、「既に散った花」であれば「にほふ」道理もない:「色合い鮮やか」でもなければ「鼻を突く匂い」ももうとっくの昔に消え失せている筈である・・・まぁ、モノが銀杏あたりなら、散り敷いた実を足で踏ん付けた結果として周囲にプンプンその悪臭が漂っている、的な展開もあり得るであろうが、ここは「花」の話であって「実」の話ではないのだから、そうした解釈も成り立つまい。結局これも、「ぬ」の「確述」がいかに誤読に結び付き易いかを示す事例と言えるのだ。
そうした誤読可能性の高さは、古典時代人も承知していたのであろう、この種の確述の「ぬ」は、単独で用いられる例(「日も暮れぬ」=「きっと日暮れになってしまうだろう」)はあまり多くなく、その他の推量助動詞との抱き合わせ形で、その推量の確かさを強調する意味合いを込めて添えられる使用例が圧倒的に多いのである。「ぬべし」・「なむ」・「ぬらむ」・「なまし」等はそうした事情を持つ連語なのだ。
ちなみに、「ぬ」と同様「確述」の意を持つ助動詞「つ」もまた、「つべし」・「てむ」・「つらむ」・「てまし」等々、確実な推量を表わす連語に引っ張りだこである。この種の連語の「ぬ」・「な」・「つ」・「て」の正体に迷ったら、思い切ってそれを外してみて意味が通じるかどうか確かめるとよい:「強調」のために添えられているだけなのだから、なくても意味は通じる理屈である。また、「ぬ」と「つ」を交換してみても意味はほぼ同じであるから、その互換性に着目する検算方法も覚えておくとよい。
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▼ | ▲[601]「なむや」と「てむや」、「なまし」と「てまし」
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▼ | ▲[602]「てむや」から、巡り巡って「てぇや」ってなもんや
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▼ | ▲[603]【ななむ】は望むの?望まぬの?
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▼ | ▲[604]オイシイ連語【あへなむ】 [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1463【敢へなむ】 古文を教える立場の人間としても、出題者としても、極めて見所の多い(=オイしい)古文の連語に「あへなむ」がある。「あふ(敢ふ)」という語自体が「どうにかこうにか・・・可能」という(英語で言えば「manage to」に相当する)重要語である上に、後続の「なむ」が、単一の「他者への願望の終助詞」であるか、それとも連語としての「確述助動詞(ぬ)+推量助動詞(む)」であるかによって、意味が二分化(具体的語義は三つ)、そのいずれの意味であるかを判定するには当然、前後の文脈との照合が必要・・・こんな贅沢な珍味、古文業界側が見逃す道理もないのだから、学習者&受験生側もまた、あだやおろそかにせぬことだ・・・ということで、以下、種別ごとにその意味をまとめておく:
<他者への願望終助詞「なむ」含み>
1)〈他者に対し、心の中で消極的に、事態を受け入れてくれるよう望む〉「どうか我慢してやってほしい」
<確述助動詞「ぬ」+推量助動詞「む」>
2)〈満足行くものではないが、許容範囲内であろう〉「差し支えあるまい」
3)〈不本意な状況ではあるが、甘んじて受け入れよう〉「やむを得まい」
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▼ | ▲[605]助動詞ならぬ「らむ」の正体
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▼ | ▲[606]否定の【な】は文末で使うもの? [古文単語集][古文単語千五百MasteringWeapon電子版] [A/B/C水準別単語集] [語義総数別単語集] [テスト]test for[古文単語千五百MasteringWeapon電子版] test for[A/B/C水準別単語集] test for[語義総数別単語集]
「古文単語千五百Mastering Weapon」No.1466【な】-「・・・な」は強圧的否定-
現代日本語で否定文を作る場合、「・・・する<な>」として文末に「な」を置くのは、教科書的にはアリだが、現実生活では少々キツすぎていただけない禁止命令となる。「気が散るから、後ろから覗き見<しない>でくれる?」あたりの「否定語中出し表現」が妥当な形であって、「俺の後ろに立つ<な>」のようなとどめの一撃としての<な>はゴルゴ13あたりにお似合いのコワモテ(コワぃくせに女にモテる、ではなくて、コワオモテ=強面=ゴワゴワ系フェイス)の台詞になってしまう。
-「な+動詞連用形+そ」の中古否定文-
中古の和語での否定表現の定型「な・・・そ」にもやはり、そうした否定詞文末型コワモテ否定文<・・・「な」>回避の心情が働いていた、と見ることができるだろう。ところが、面白いもので、文末を「な!」で言い切る強圧的否定文はイヤなくせに、それでもなおかつ文末には何か置かねば気が済まぬ心情もまた作用していた、と見えるフシがあるのだ。
-「な+動詞連用形」のみの上代否定文-
そもそも「な・・・そ」の平安調否定文の元になった奈良時代の否定表現は、「な+動詞連用形」であって、文末に「そ」を伴うものではなかった。この上代語形は、<「否定詞」が「動詞」に先行する>という、日本語の否定文としてはかなり希有なるものであって、英語などの西欧言語の否定文に構造的に近いものであった:
上代「な+動詞連用形」否定文)我<な>「忘れ」。
英語否定文)Do <not> 「forget」 me.
現代日本語訳)私を「忘れる」<な>。
・・・英語でも古式否定文だと次のようになる:
古式英語否定文)「Forget」 me <not>.
・・・が、このように「動詞」より<否定詞>を後置するのは「古語・雅語」として英詩の中で用いるぐらいの例外的語法であって、英語(を初めとする西欧言語)では、「この文章は否定的内容である」というメッセージは「動詞よりも前にはっきりと宣言しておく」のが約束事である。
・・・それに対し、日本語の場合、「その文章が否定的内容」であることを表わす語は、文末に置いてこそ意味を為す感覚が極めて強い。上例の冒頭にあった「我<な>忘れ。」の尻切れトンボ語感は、現代日本人なら誰もが感じることであろう:「文末に、'否定'であることを示す語が何もない」のが、何とも物足りないからである。
-日本語は「後から否定」言語-
逆に言えば、日本人は「文末の形を見て、それが'否定文'である、ということを認識する」のである。英語のように「これから述べる内容は'否定文'です;から、最初から-(マイナス)記号付きで解釈してください」という意識の流れでは展開しないので、文末の最後の締めくくりで「ここまでに述べた内容・・・あれ実は'否定'だったんです;ので、改めて-(マイナス)記号付きということでお願いしますね」というのが日本人の意識なのであって、この点、西欧人とは正反対の感覚(&語順)となるわけだ。
そうした日本語にあって、上代式の「西欧風'な先出し'否定文」の「我<な>忘れ」の違和感を払拭するための工夫として、文末に添える記号に用いられたのが「強調の係助詞'そ'」だった、というわけである:
中古型否定文例)我<な>忘れ<そ>。
・・・この「そ」は、中古には例の「ぞ」に化けることになる係助詞であるが、「な・・・そ」の否定構文構成記号としてはずっと清音「そ」のままで、最後まで濁音化することがなかった。
-「カ変・サ変」は「未然形」-
なお、「な+動詞連用形+そ」の基本形から外れるものとして、「カ変動詞(=来:く)」及び「サ変動詞(=為:す)」の場合だけは、「未然形」接続である点もおさえておこう:
カ変の例)今はな「来(こ)・・・(×)き」そ。
英訳)Don't come to see me any more.
現代語訳)もう私のところに来ないで。
サ変の例)腹悪しき事な「為(せ)・・・(×)し」そ。
英訳)Don't do nasty things.
現代語訳)意地悪しないで。
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▼ | ▲[607]意外な転倒「さな・・・そ」
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▼ | ▲[608]「なめり」は「なり」をぬんめりと和らげたもの
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▼ | ▲[609]願望以外の「ばや」になるばやいがやばい
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▼ | ▲[610]【もあれ】が【まれ】なら良い画像?
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▼ | ▲[611]子等を無「み」訪ひ「み」訪はず「み」うつくし「み」知らで見し妻をうるはし「み」せむ
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▼ | ▲[612]【らく】のク語法
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