22作品内登場順-総集編-
『扶桑語り』No.01「夢にねぶる娘」
「古語随想」(非受験的教養読物)
▼ | ▲[1]【今は昔】の二面性 単語集へ [テスト] 作り物語の出だしの常套句で、鎌倉期の説話集『今昔物語』の名の由来ともなっているのがこの「今は昔」。
「今となっては昔の話」と見れば「懐旧・追想」モードの断わり書きだが、「読んでるあなたの今=昔」と読めば、過去と現在/夢と現実の境界線を易々と超越する想像世界の無時制性を言い当てた文学的真理の乙な言い回し。
「古い」の「虚構」のと心の垣根を作りたがる人達には遠い世界の住人達の夢のようなお話の数々・・・さて、あなたは「夢にねぶれる」人なるや否や・・・とまれ、しばし、いざ遊ばむ。
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▼ | ▲[2]【扶桑】の国の物語 「扶桑」とは、遠い昔の「中国」で「東の島国に生えるという伝説の神木」を指した言い回しから、やがて「異国から見た"日本"の国」そのものを指すようになった古語。その意味で「大和」や「敷島」と同列に連なる名称ながら、「外国の目で見た日本」という意味合いは「扶桑」ならではのもの。
21世紀のコンピュータ・テクノロジーを前提とせねば成立不可能だったこの22編の擬古文による平安時代の古語と文法の完全修得用電子教材に、『扶桑語り』と銘打ったのは、「平安時代の日本国」という「今となっては"異国"も同じ、遠い昔の別世界」についての物語であるから・・・というのみにとどまらず、「千年昔の日本の国」の「似ているようで異なる言葉」を言語学的"鏡"として「今の日本の言葉や心」を「異人の目」で見つめる視点を与えるため・・・ついでに、そこここで「英語」という名の「21世紀人類の実質的公用語」の覗き鏡を透かして見る平安調世界(HEIANese Japan Through The Looking Glass)の楽しみをも加えた「Alice In Wonderland(不思議の国のアリス)」的な夢の世界・・・「古文」だ「英語」だ「絵空事」だ、と、「異国」扱いせず見る目には、きっと色々、見えるはず・・・。
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▼ | ▲[3]「絶対最上級」を【こよなく】愛する日本人 単語集へ [テスト] 現代日本語では形容詞としては死語と化したが、副詞形の「こよなく」だけはそのまま残る古語。これが生き残っているのは、それが日本人の感性に見事合致したからこそだろう:「こよなし=超ゆる物無し=最高=金メダル!」・・・銀メダル以下の尊い成果も、そこに至るまでの汗と涙の過程も、共に戦った素晴らしき仲間も、負かしたにせよ負かされたにせよいずれにせよ忘れ得ぬ思い出のライバルたちも、一切無視した「結果としてそこにある最上級の金メダル!」のみ持て囃すこの国の「結果亡者/過程音痴」な人々の(西欧人から見て最もイケ好かない)体質は、「こよなく/こよなう=とにかくひたすら最高!・・・or最悪!」という有無を言わさぬ絶対最上級的言辞に千年来変わらぬ永続的生命という「古語には稀」なる金メダルを与えているわけである。
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▼ | ▲[4]【あり】【はべり】昔は【き】【けり】【つ】【ぬ】【り】【たり】 読者は御存知だろうか、日本語には、今も昔も「過去形」がないという事実を。
驚くことはない:お隣り「中国語」の動詞にも「現在形」しかない。そこに範を取った漢字借り物半仮名言語の日本語に「過去形」がないのも、自然であろう?
中国語に過去形がないのは、末尾変化させようがない「漢字」という表記記号の硬直性によるものだ。英語の動詞「run」は中国語なら「走」だが、時制が過去でも英語のように「ran」に化けることは不可能、現在だろうが過去だろうが「走」は「走」のままである。無理に変化させようとして、現在=「走」/過去=「起」/未来=「赴」に変えるような器用な芸当は、漢字(中国語)には構造的に不可能な真似なのだ。
翻って我らが日本語の動詞には、末尾変化が可能である。「はしる(古語だと"わしる")」については次のごとし:
{わし<ら>ず(未然形)・わし<り>けり(連用形)・わし<る>。(終止形)・わし<る>時(連体形)・わし<れ>ども(已然形)・わし<れ>!(命令形)}
・・・.*の形で後に添えた文字 ― ず(否定する)・けり(過去にする)・。(言い切る)・時(体言へと続ける)・ども(前後を逆接でつなげる)・!(命令する) ― へと続けるのに適切な末尾の形が、古語の動詞では6つに分かれるのだ(動詞によっては6つ以下、の場合もある)。これを「活用」と呼ぶ。変化する部分(ら・り・る・る・れ・れ)が「活用語尾」であり、変化しない部分(わし)は「語幹」と呼ばれる。このように活用(=語尾変化)が可能な語を「活用語」と呼ぶ。古語の場合、次の4種類の活用語がある。
-古語の活用語-
1)動詞(+補助動詞)
2)助動詞
・・・「動詞」・「助動詞」の活用は、各語ごとに異なる。
3)形容詞:
{から(未然)・く/かり(連用)・し(終止)・き/から(連体)・けれ(已然)・かれ(命令)}(ク活用)
{しから(未然)・しく/しかり(連用)・し(終止)・しき/しかる(連体)・しけれ(已然)・しかれ(命令)}(シク活用)
4)形容動詞:
{なら(未然)・なり/に(連用)・なり(終止)・なる(連体)・なれ(已然)・なれ(命令)}(ナリ活用)
{たら(未然)・たり/と(連用)・たり(終止)・たる(連体)・たれ(已然)・たれ(命令)}(タリ活用)
語句は、文中でのその機能に応じて異なる「品詞」に区分されるが、古語の場合は全部で10品詞(「補助動詞」/「代名詞」を「動詞」/「名詞」と別にカウントすれば12品詞)。上の語句以外は「非活用語」で、列挙すれば以下のごとし:
-古語の非活用語-
5)名詞(+代名詞)
6)連体詞
7)助詞
8)接続詞
9)副詞
10)感動詞
全文漢字表記される中国語の場合は、既述した通り、全てが「非活用語」だが、日本語(古語でも現代語でも)には「活用語」があり、その「連用形」に続けて次のような「助動詞」を添えれば、意味の上では「過去」へと寄せることが可能ではある:
連用形+き)
連用形+けり)
連用形+つ)
連用形+ぬ)
(特殊連用形)+り)・・・形の上では四段活用動詞の「命令形」/サ行変格活用動詞の「未然形」につながるのだが、本源的には「連用形+あり」の変形なので「特殊連用形」としておく
連用形+たり)
このように「連用形」に助動詞を続けることで記述される「過去」は、しかし、英語に於ける「過去形」とは趣が異なる。そもそも「き・けり・つ・ぬ・り・たり」と6種類も存在すること自体、日本語に「過去形」が存在しないことの証明であろう:本当の「過去形」があるなら「1種類」だけの筈である(英語なら「run」に対する過去形は「ran」だけで、「rin」・「ren」・「ron」・「ryan」・「ryon」みたいな品揃えはない)。
古語には「あり」(及びその丁寧語「はべり」)という語がある。「・・・という事態が存在する」の意味を表わす基本的な語であるが、「存在する」というのは「現在進行中の事態として存在する」のと同時に「確定事実として(=過去の事として)存在する」をも含むものである。上掲の「"過去"の助動詞」は、その「存在」が「過去寄り」のものであることを強調するために添えられるものなのだ。
つまるところ、「"過去"の助動詞」とは言っても、その表わす意味は「時制としての過去」ではなく、「過去の事態」に対する「話者の心的態度」でしかないのである。そして、その「心的態度」を表明する話者の立ち位置は常に「現在」なのである。
各助動詞ごとに異なる「その過去の事態に対する(現在からの)話者の心的態度」は、各古語ごと、使用例ごとに、おいおいじっくりそのニュアンスを確認してほしい。ここで確認しておくべきはただ、「過去の助動詞は、実は、過去形ではなくてニュアンス記号である」という事実であり、この現象は、古語のみならず現代語にもそのまま通じる「現在形一辺倒言語としての日本語」の一大特性、ということである。
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▼ | ▲[5]【いと、いと】=【アタっ、アタっ】 単語集へ [テスト] 古典の素養皆無の現代日本人でも、「いと+**し(形容詞)」と口走ればそれだけでそれとなく古文っぽい雰囲気が演出できる御気軽記号が古典副詞「いと」だが、その語源が「痛!」であることもついでにひけらかせば、いささか軽薄な古語通気取りに、多少なりとも博識っぽい雰囲気を上乗せできるかもしれない。
「いと」は「いとう」の詰まった音であり、「いとう」は「いたく」のウ音便であって、「いたく」は「甚く」で、これは時代劇にも(かなり改まった文語でなら現代日本語にも)登場する強調的副詞であるが、その原義が実に「痛く=ガツーンと精神的に衝撃を受けるほどに強く」なのである。
つまり「いと」だの「いと、いと」だの連呼は、「痛っ!あ痛ッ!!」に等しく、ブルース・リー(Bruce Lee)のカンフー怪鳥音「アタッ、アタァーッ!」(or『北斗の拳』のケンシローの「あたたたた・・・」)にも通じそうな「痛覚演出音」なのである・・・そう考えると、雅び気取って「ouch! ouch!」を連発する図の「イタさかげん」も、「いと、いと、甚し」と言うべきか。
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▼ | ▲[6]【うつくし】きもの=【いつく】べきもの=守ってあげたい清純さ 単語集へ [テスト] 現代でこそ「外観上の端正さ」へと矮小化されてしまった「美しい」は、その原義に於いては「うつくし」ならぬ「いつくし」であった。「慈しむ」とすればその語感は現代人にもわかるであろう:「大事に守ってあげる」べき汚れなき(&力なき)何かに対する自然発露的な保護衝動が「いつくし→うつくし」なのである。
なればこそ、古語の「うつくし」は、自分よりもか弱い存在に対して向けられるものであって、「親から子へ」、「夫から妻へ」、「大人から子供へ」、「人間から猫へ」のような「慈愛」の目線で語られる「美し」なのである。猛々しい武士の戦装束だの戦艦大和や日本刀の機能美だのを「美しい」と感じる感性は近・現代的なものであって、それ自体が強さを具現している対象物に対しては、平安時代の人々は「美し」とは叫ばなかったはずである。
古語の「いつくし」はまた、「神々しい」にも通じる。「いつ」は「厳」であり、そこに神威が宿るからこそ「荘厳なる美」が感じられるのだ。平清盛が平家一門の守り神としたあの「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」の神聖なる美しさは、「いつくし/うつくし」の相互乗り入れ語感を象徴的に語るものであろう。
「うつくし」が「見る者の美意識に、好意的な形で訴えかけてくる、外観・行動上の美」へと転ずるのは、平安も終わって鎌倉~室町時代に移る頃。逃れられぬ敗残を悟って「美しく切腹」する侍が出てくる時代には、もう、「守ってあげたい」意識が「美し」に宿ることはなくなってしまった。
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▼ | ▲[7]【けり】を付けるのは話者の主観 古語の「けり」はよく「過去の助動詞」と呼ばれるが、英語の動詞末尾に「...ed」を付けての「過去形」とは質的に全く異なるのが「連用形+けり」の表現であって、その表わす意味は「...ということが過去にあったのでしたっけ」という「述懐」であったり、「おやまぁ、今ふと気付けば...じゃぁありませんか」という「気付き」であったりはするが、「時制としての過去」では決してない。
「けり」(及び「き」)が過去時制記号でないという事実は、古語を英語に翻訳してみればすぐわかる。
古語)彼の人、四十と<なり>て、余命の<短き>を<知り>、宿願いかで<果たさ>で<おく>べきかと<<念じけり>>。
英語)The man, when he <<became>> forty years old, <<knew>> that he <<had>> only a few more years to live and strongly <<thought>> to himself how he <<could leave>> his life-long wishes <<unfulfilled>>.
古語には6つの活用語=語尾変化させて「き/けり」を付けることが可能な語が登場するが、実際「けり」を付けているのは最後の<<念じけり>>だけ;後はすべて<現在モード>で語られている。これに対し英語では全てが<<過去形>>(<<unfulfilled>>のみは過去分詞形)であって、「過去というステージ」の上で語られる動詞は一切の例外なく<<過去形にすべし>>と命じるのが英文法の鉄則なのである。
もし仮に上の古文の活用語を「英語ふう」に律儀に逐一<<完全過去形>>で記述しようと試みれば、次のような「ヘンテこぶん」になってしまうであろう:
変な古文)彼の人、四十と<<なりける>>時、余命の<<短かりける>>を<<知りける>>によりて、宿願いかで<<果たさざりける>>ままで<<おきける>>ことか<<あるべかりける>>と<<念じけり>>。
いちいち「けり、けり、けり」を繰り出す古文がいかに不自然なものか、わかるであろう。このように、「古語の時制は基本的に現在モード一辺倒」なのであって、それが「過去の話」であることは、個々の動詞の末尾の語形で語るのではなく、話の脈絡から感じ取ってもらうのが古典時代の(そして現代の)日本語の一大特徴なのである(この点、「過去形」を持たない中国語と同じ)。ただ、話の端々で、思い出したように「これって、過去の話、なんですよねぇ」という形で話者の述懐を(話者の気分に応じて恣意的に)入れるのが古語「けり(&き)」の特性である(この点、その種の「過去寄せ記号」を持たず現在形貫徹の中国語とは異なる)。
そうした特性を持つ古語の「けり」は、「文中」にはほとんど登場しない。「文頭」にあって「これから、昔の話をします」と宣言したら、「文末」で「...以上、昔語りとして、話しました」と確認しつつ文章を締めくくるまで、ほとんど「けり」など付けずに「現在モードのみ」で進行するのが日本語の特徴なのである。
そうして、最後の最後に「以上で、私の昔語りは、終わりです」として物語の終了を宣言することを、汎用的に「事態に決着を付ける」の意味で用いた慣用句が、「けりを付ける」である・・・決然たる態度で何事かに対する最終決着を望むスタンスを示すこの言い回しは、古語の「けり」が「過去時制表示記号」ではなく「話者の心的態度表明記号」であることを、よく示すものであると言えるだろう。
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▼ | ▲[8]【競ふ:きほふ】は【競ふ:き<そ>ふ】:化け字に負けじと気負うべし 単語集へ [テスト] 現代日本人の目には、古文は一種の「外国語」である。文法も語句も、似ているけれども、現代語とは微妙に違っている。が、その微妙な差異に着目すれば、目から鱗が落ちるようにすんなり腑に落ちる古語も多いものである。
「きほふ」のままでは「着覆ふ」だか「来終ふ」だかはたまた「臭ふ」だか、さっぱりわからぬこの古語も、1文字変えて「き<そ>ふ」とすれば「競ふ」と読めて「先を争う」語義が明快になる。更に別の形で1文字修正すれば「気負ふ」となって現代語「気負い」に通じ、少々の文字追加を試みれば「息+覆ふ=いきおほふ=いきおふ・・・きおふ・・・きほふ・・・きそふ」の図式も見えてくる。
このように、現代日本人にとって、古語学習は謎かけパズルのネタの宝庫なのである。「化け字」で曇った解釈の目は、「変え字」ひとつ(or「添え字」ひとつふたつ)ですっきりするのだから、古文学習とはまた、そういう目の付け所を見極める能力を磨く営みとも言えるのだ。
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▼ | ▲[9]【為す・成す】を蔑み、【成る】を喜ぶ御公家さん 単語集へ [テスト] 「作為」・「人為」と書けばその「自然ならざる強引さ」が際立ち、「成す・做す」とすればその「本来違うものへと作り替える身勝手さ」が目立つ・・・という具合に、平安時代の古代人にとって好ましからざる意志性の強さを感じさせる古語が「なす」であり、その対極に位置するのが「なる(成る・生る)」なのであった。
「なす」と「なる」に共通する「な」の字は「生」であり、その意味は「発生」である。英語で言えば「happen」であって、事態の成立を巡る語である点では「なす」も「なる」も変わらない。唯一変わるのは「す」と「る」の違いである・・・こう書けばもうわかるであろう:使役の助動詞「す」と自発助動詞「る」の相違が、意志に裏打ちされた行為である「なす=someone makes things happen」と、自然的出来事としての「なる=things just happen」の違いなのである。
が、「原因なくして現象なし」の自然界の法則に照らして、事がただ「なる」道理もない。それが「成る」ためには、それを「為す」べく意志的に動いた何者かの営為があったはずなのだ・・・が、平安時代の貴人たちは、そうした「陰ながらの営為」を評価しない:評価せぬどころか「直視しようとしない」のだ。
「もののふ」なる言葉がある。「サムライ」なる語を「古き良き日本の素晴らしき男の生き様」などと錯覚して振り回す皮相的言語感覚の現代日本人の貧弱な語彙からは外れる可能性の高い語なので補足説明しておけば、これは「武士」の同義語(表記上も「武士」と書いて「もののふ」と読むことがある)。本来は「もののふ=物部」であって、「もののべ」とは読めても「ぶし・さむらい」とは読めないのだから、「武士」と書いての「もののふ」読みなどは完全なる当て字である;が、「物部・侍・武士」のいずれも、その表わすところは一緒、ということで、日本語の場合、こうした横滑り語も十分、あり、なのである。
さて、その「もののふ=物部」は、古代律令国家時代の日本にあって、「軍事・警察・司法」に携わった部民(べみん)の階級名である:中古末期以降、これが「侍」の職務となることは言うまでもない。「軍隊」は、武力をもって敵と戦い、これを殺す(&しばしば殺される)のが仕事であるから、お高くとまった貴人が自らこれに加わることはない。「司法」と言えば昨今の弁護士あたりの高給取りを思い浮かべて聞こえが良いが、「罪人の懲罰」もまたその管轄であり、血塗られた「死罪」を執行する仕事をも含むのだから、貴人にはこれまた縁遠い(というか、遠ざけたい)世界の話である。「警察」が罪人との日常的関わりの中で汚れ仕事を一手に引き受けるものであるのは古今変わらぬ事実であって、そんな「Dirty Harry:ダーティー・ハリー」的仕事を貴人が喜ぶ道理もない・・・いずれ劣らぬ「血の穢れ」にまつわるこうした仕事を、古代の貴人は、自ら引き受けることはおろか、まともに口に乗せることさえも「汚らわしい!」としてはばかったのである:その結果生まれた呼び名が「もののべ」であった。
「部」の付く部民は職能に応じてその名が決まり、「服飾関係」の「服部(はとりべ)」、「土器製作関係」の「土師部(はじべ)」などがある中で、「血塗られた部民」たる「軍事・警察・懲罰部門担当一族」は「いくさべ」だの「とらへべ」だの「くびきりべ」だのの具体的な呼び名で呼ばれることはなかった:その「穢れた仕事」への直接的言及を回避して「例の...系担当の連中」という持って回った言い回しで呼ばれたのだ ― 「モノの部」なる呼び名の誕生である。
「穢らわしい」と感じたが最後、自らが直接関与するのはおろか、その行為に言及することすらも徹底的に拒否する、古い時代の(と必ずしも限ったことではないが)日本人の黙殺態度を、この「もののべ」なる語は如実に示している・・・が、そうして貴人が目を背けようとも、現実に「軍事・警察・刑罰」の必要性はあるのであって、それを「なす」人々の陰ながらの努力あってこそ、事は「なる」のである。が、貴人連中にとっては「なる」だけがあって、「なす」は、ないのである・・・この意識、果たして平安時代の貴族連中だけに固有のものであろうか?
「もの」として曖昧にぼかされた例には、「おもの=貴人の食べ物」なる古語もある。加工過程で生き物を殺して切り刻んだりのやいのやいのの"汚らわしい"行為が入る以上、「食事」は「なるもの」であって「なすもの」であってはならない、というのが貴人意識であって、自ら料理の腕をふるったりするなどもってのほか、おひつからおわんに自らの手でごはんを盛ること自体が「あらら・・・」の斜め目線で蔑視されたのが古典時代の日本なのである・・・この「手盛り」や「手酌」を嫌い、「おや、これは失礼。言ってくれればこちらで盛り/注ぎましたのに」などと言って「相手に直接行動を取らせない=なす、を嫌って、なる、ようにする」行動は、現代日本の宴席の座にもなおしぶとく(「正しき作法」の名のもとに)居座っている・・・が、その「正しき来歴」を踏まえている日本人は、ほとんど存在せぬようである:知っておれば、この「汚らわしき主体性忌避体質」なる「汚らわしき偉ぶり意識」を、いかな鉄面皮の日本人とて、尊重できる道理がないのだから。
もっとも、こうした古典的事情を、「宴席のマナー」とやらをしたり顔して強要する日本人相手に教え諭すように教示するのは、やめておいたほうがよい...連中にとって「そう"なって"いる事」は (その来歴がどうであれ)絶対なのである ― 舞台裏の事情など決して見ようとせぬ平安調日本人の正統なる末裔だけに、「なる > なす」の図式は彼らの心理に於いても揺るぎないのであって、悪しき来歴や現在の事情に鑑みて「古きならわしを無となす事」など、彼らにとっては「ならぬ事」なのだから。
現状、誰がどう見ても「なってない」この日本を変えるためには、「古き日本」を ― 古来行なわれてきた「過去礼賛一辺倒」ならぬ客観的観察態度で ― 見据える目を持つ日本人の絶対数を増やすことが最低限の必要条件であろう(無論、十分条件ではないが)。
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▼ | ▲[10]ぼかして【ものす】るその心理 単語集へ [テスト] 直接的に事を運びたがらぬ古典時代の貴人意識が反映された表現の一つがこの「ものす」。最も忌避されるべき不吉な「死ぬ」の代用語として用いられるのはもとより、大量の出血を伴い、しばしば母体/新生児の死の場面に直結した「生まる(読み方は、うまる/むまる)」も「ものす」とボカすので、現代の受験生としてはこれらの語義を「死の穢れ/血の穢れ」に絡める形で理知的に把握しておかねば、無用な棒暗記による脳細胞の過重労働を招くばかりである。
意外なところでは、「行く」・「来(く)」なる日常的動作に関してまで「ものす」が幅を利かせていることにも要注意である。古典時代人がわざわざ自ら他者のもとへ「行」ったり他者に「来」てもらったりする場面には、「恋愛目的の密会」も多かったので、そのあたりをはばかっての「ものし」方かもしれない。
「あり・をり・はべり・いまそかり」という(古典動詞唯一のイ段終止で表わされる)「存在」の意味にも「ものす」が用いられたが、これは「あり」が「・・・した状態で存在している」という補助動詞の意味で用いられていた言語学的事情と無関係ではないだろう。貴人の動作について「ものしたまふ」とする例は古文に頻出するが、「自ら直接何かを"なす"」のを好ましからざる行動様態とみなした古典時代だけに、「なしたまふ」・「したまふ」の婉曲語としての「ものしたまふ」にはそれなり以上の効用があったものと思われる。
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▼ | ▲[11]呉音は【さくもん】/漢音は【さくぶん】 【食物】を(「しょくもつ」と読まずに)「じきもつ」と読む。
【乞食】を(「こっしょく」と読まずに)「こつじき」と読む。
【才】を(「さい」と読まずに)「ざえ」と読む。
【作文】を(「さくぶん」と読まずに)「さくもん」と読む。
こうした漢字の読み方/表し方のことを、「呉音」と呼ぶ。現代日本語で主流を占める「漢音」は、隋・唐代の中国東北部(当時の首都の長安近辺)の発音が遣唐使を通じて日本に持ち帰られたものだが、それ以前に朝鮮半島経由で日本に伝わっていた古い時代の漢字読みは、中国南方の「呉」の音に近い音ということで「呉音」と呼ばれた。
「呉音」は、仏教関係を中心とする古い時代の書物に幅広く使われていた日本独自の漢字読み作法なので、「和音」とも呼ばれる(音楽用語の「chord:コード」の意味とは異なる)。
難破の危険を冒して遣唐使を派遣するぐらい唐の文化を重んじた当時の朝廷(の中国事情通を自認する官僚達)は、「漢音」こそ正しい発音であり、「呉音」は廃止すべきだ、と主張した。実際、それ以降の日本語の漢字読みは「漢音」中心となったわけであるが、古来の文物に用いられていた「呉音」は惰性的に使われ続け、古語の中で出くわす例も少なくない・・・が、「さくもん(えっ、さくぶん、じゃないの!?)」や「じきもつ(なにそれ、しょくもつ、のはずじゃん!)」の醸し出す違和感からして、現代日本人が「呉音」をそれと見抜くのはさしたる難題ではあるまい。これ即ち、遣唐使を中核とする平安初期の朝廷/官僚達の「唐文化&漢音推進キャンペーン」がいかに大成功を収めたか、の(千年ものの)生きた証拠と言ってよいであろう。
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▼ | ▲[12]心【はゆ】のか【ははす】のか 単語集へ [テスト] 【心延へ】と【心延せ】はどう違うか? ― この種の質問にスパッと答えられるようになるのが語学の良いところである。
「延へ」と「延せ」は、ともに「連用形語尾」であり、「連用形にすれば名詞扱い」というのも古今変わらぬ日本語の特性(例:「酒を飲む」→「酒飲み」)。同じ動詞の根を持つならば、意味の違いを生むのは語尾の違いである。「生ゆ(はゆ)→はえ」と「延はす(ははす)→ははせ」の相違としてみれば、両者の相違は一目瞭然であろう。
ということで、「はゆ」から生じた「こころばへ」は、心の中から自然に湧き出る感じの「生得的性質」に言及するのに対し、「ははす」から延びた「こころばせ」は、相手や状況を踏まえつつ、どのように振る舞うべきかを頭の中で考えた上での「意識的な態度・立ち居振る舞い」ということになる。
両者の相違をより本源的次元に還元してみれば、「ゆ」vs.「す」の相違となる。もう少しレッテルを補えば、「ゆ/らゆ」vs.「す/さす」の対立構図である。「ゆ/らゆ」は上代(奈良時代)の助動詞なので、平安時代の脈絡に置き換えるならば、「る/らる」vs.「す/さす」であり、文法用語で換言すれば「自発」vs.「使役」であり、用法的に言えば「無作為」vs.「作為」であり、具体的動詞をもって象徴的に言い換えれば「なる(成る)」vs.「なす(為す)」の構図である。
いかがであろう・・・古語の「心(=本源的意味)」をあれこれと「延はす(=拡大発展的に解釈する)」営みは、楽しいものであろう?・・・そうした営為が、意識するまでもなく「生ゆ(=自然発露的に脳裏に浮かぶ)」ほどの自然な営みにまで発展すれば、あなたも立派な語学の達人であり、知識人、ということになる。
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▼ | ▲[13]知らねば【恥づかし】その真意 単語集へ [テスト] 視点・観点の違い一つで、人はずいぶん色々こっ恥ずかしい失態を演じるものであるが、古語の「恥づかし」はその名に恥じず、幾多の「恥ずかしき受験生たち」をすっ転ばせ続けてきたバナナの皮みたいなやつである。
現代日本語の「恥ずかしい」は、「自分が恥ずかしい」/「相手が恥ずかしい」双方の意味を含むが、その「恥ずかしい<主語>」に「恥ずべき何かがある=ポイント低くて、とほほのほ」が特徴である。
この種の「恥づかし」は古語にもあるが、古語特有のもう一つの語義として要注意なのが「恥づかしき<主語>」には「恥ずべき何もない」場合である:「恥」どころか「誉れ高き何か」が相手側にあって、それを目の当たりにしたこっち側が「相手はあれほど素晴らしい・・・それに引き替え、この自分ときたら、何とまぁ"恥ずかしい"ことよ」という図式を見事取り違えて、大方の不勉強な受験生はスッテンコロりん、恥かいて失点してヘタすりゃ落第のオマケつき、という次第・・・この種の恥は、受験勉強段階で卒業しておかねば、受験生段階そのものをなかなか卒業できなくなる(=浪人生としてのキャリアを無意味に積み重ねることになる)・・・から、ここでしっかりと注意を促しておくことにしたい。
ついでに言えば、「相手に恥の意識を与えるほどの、圧倒的な素晴らしさ」というのは、悪くはないが、その種の威圧感を伴うまでの長所というものは往々にして他者を遠ざけるものである。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言うであろう?古典時代の人々にもこの種のバランス意識はあったようで、古語にはもう一つ面白いやつがあるので「はづかし」ついでに紹介しておこう:「あなづらはし」がそれである。字義通りに言えば「侮ってかまわない/思わず軽く見ちゃう感じだ」となって、これだけでは相手をナメるばかりのおちょくり語でしかないが、先の「恥づかし」との対照の図式に於いて捉えれば、「こちらが気後れするほど凄い相手でもない・・・から、気楽に構えて付き合い易い」というわけだ。
コンピュータのごとく機械的な成績判定だけを相手にすればよいのなら、人間は優秀であればあるほど素晴らしい、ということになるであろう;が、絶対値としての成績のみを客観的に評価することなどむしろ稀で、「自分vs.外界」という相対的優劣の構図の中でばかり物事を判定する主観的特性と縁の切れない人間たち(純粋な論理性から見ればこれは恥ずべき様態だが、良かれ悪しかれそれこそが「人間的」なのだ)を相手にする時には、「過ぎたるは及ばざるが如し」の理に鑑みて「能ある鷹は爪を隠す」のもまた「"人間的"に賢い」やり方というもの。
自分自身の本源的優秀性に自信があるからこそ、「はづかし」を捨てて自ら積極的に「あなづらはし」の水準にまで降りて行くタカだって、世の中にはいたりするのである。ハトやスズメがタカを気取っても(悪い意味で)「はづかし/あなづらはし」いばかりだが、鋭い爪を隠したタカが平和なハト群れに埋もれても「ホントの自分はこんなもんじゃない!」などと抗議の声を上げるでもなく泰然自若を貫ける。漫画の中でも、超絶的なスーパーヒーローの多くは、変身前には冴えない仮の姿を粛々と演じているであろう?本物は、自分の真価を他者にひけらかさない:自分がそれを知っておればそれだけで十分なのだし、自分の真価を知るほどの素晴らしい仲間は、世の中にそうそう多くはないことを知ってもいるのである。
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▼ | ▲[14]【マホ】はトンガリ?のっぺらぼう? 単語集へ [テスト] 現代日本の女性名にも残る「まほ」(近頃「真穂」は「真央」に押され気味)だが、この語の語源には「穂=稲穂など、物理的にとんがった先端部」と「帆=船が推進力を得るために張り渡す、平坦な布きれ」という全然違う語が共存している。
「穂」は「穂に出づ(ほにいづ)」の形で「他に比べて明らかに際立つ形で抜きん出る」の成句にも使われるほどの「優秀性」を示す語で、それに「真」を付けるぐらいだから「まさしく最高」(英語で言えば「the very best」)・・・組成を知ってしまえば、親として娘に付けるには「名前負け」を危惧したくなるほどの「真穂」であるが、「美人」の意味もあるのだからやはり付けたくなるのが親心というべきか。その意味では「優美(ゆみ)」などとよく似た「優秀な上に美人」という欲張り語である。
ところが、「まほ」にはもう一つ「本格的」なる語義がある。「優秀」や「美人」からどうして「本格」が生じるのか疑問に思う人は、日本語の持つ「真秀(完璧)」ならざる特性を認識していない人である。「ほ」の字に「穂・秀」ならぬ「帆」を宛がう程度の機転があれば、「真帆=大きく帆を広げて風を真正面から受け止める」なる別表記が「真正面=ド真ん中ストライク=中途半端な素人芸やおなぐさみではなく、本式のもの」という別語義を生じるのを感じ取るのはさしたる難儀ではない。日本語は本源的にそういう横滑り型言語なのだから、考察者側の視点もそれに合わせてスライドさせないと、いつまでも「真帆」ばかり張っていたり「真秀」の完璧性に固執したりしていたのでは、この国の言葉とまともに渡り合うことなどできはしないのだ。
この「まほ」の古語としての当て字は「真秀」・・・語源学的正統性(「穂」)よりも派生的語義(「秀」)を重んじつつ、もう一つの「帆」は無視するという非「真秀(100%)」性も日本語の伝統芸である。そしてこの完璧なる「真秀」の対義語が「片秀(かたほ)」。意味は当然「不完全・拙劣」及び「見苦しい(もっと言えば、不細工・不器量・ブス・醜男)」であるが、「かたほ」と「かたは(片端・片輪)」の取り違えから「身体的欠陥がある」の意に用いられることもある。このあたりもまた「真秀」ならざる「片秀」を通り越して「がたぼ(=ガタガタ・ボロボロで、原型が何だかもうさっぱりわからん)」と言いたくなるこの国の言葉らしい代物ではある。
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▼ | ▲[15]【なかなか】の「いっそ・・・せぬがまし」の語義をなかなか覚えられぬ人向け解説 単語集へ [テスト] 古語の多く(否、ほとんど、とさえ言いたい)は、現代日本語と意味が全然違うものだが、この「なかなか」もまたその掛け離れ具合&錯覚による受験生の落第率の高さからすれば、横綱・大関級であろう。
「Aはなかなかなり」を見れば、現代高校生の反応は間違いなく「Aって、けっこうイケてるじゃん!」であろう;が、この種の「悪くはない(Not bad)」の語義は中世以降のものであって、大学入試出題ゾーンの「平安時代古文」ではこの意味の「なかなか」は「なかなか出ない」どころか「ほぼ絶対出ない」と言ってよい(現代語と同じにしかならぬ古語を、わざわざ出す意味がどこにある?)。出るのは決まって「Aなんて・・・ダメダメすぎて、こんなことならいっそ、存在しない方がまだマシなんとちゃう?」という否定的語義だけ;それが入試版「なかなか」である。
この種の語義を覚え込むのに苦労する人と、スイスイ覚えて忘れない人との違いはどこにあるか?「頭の良し悪し」の違い?・・・そうならいっそ事は簡単で苦労はない:鍛えれば良くなるのが頭脳の良いところで、鍛錬一つで決着が付くわけだから、語学の勉強なんて数学みたいなもの:直線的な練習の蓄積が(まるで0と1の二進法で突き進むコンピュータのように)諸君の知性を加速度的に増進させてくれるハズ・・・だが、現実には「語学」は「数学」とはだいぶ違う。
結局、語学でモノを言うのは「視点」であって「頭脳」ではない。「頭の使い方(&鍛え方)」の問題ではなくて「目の付け所(の磨き方)」の問題なのである。
「なかなか」に戻ろうか。この古語の語義をなかなか覚えきれぬ人は、「語義」という意味にのみ張り付いてガンバっているからダメなので、語学上手はそんな表層的知性の使い方はしない。次のように考えてすんなり(とはなかなか行かないが、とにかくめでたく)「なかなか」を我がものとしてしまうのである:
1)「なかなか」の畳語性に注目し、「なか」に当てるのに適切な漢字を探す。
・・・これは意外と簡単だ。「仲」の字もあるが、「にんべん」外せば「中」なのだから、「中」と見て考察を進めるのが妥当であろう。
2)「中」の表わす意味を探す。
・・・これはなかなか難しい:
2A)「外」に対する「中」・・・例:屋<外>から家の<中>に入る
2B)何らかの状態の「中」・・・例:今、勤務<中>?いいえ、勤務時間<外>です
2C)「上」・「中」・「下」の「中」・・・店屋物好きなら「松」・「竹」・「梅」の「竹」と思えばよい
2D)「近く」でも「遠く」でもない「中程」・・・例:御乗車の皆様は、一箇所にかたまらず、<中>ほどへお進みくださいますよう御協力お願いします。
・・・どれにヒットさせたら「なかなか」に当たるのやら、この状態でわかったら「天才!」か「嘘つき!」のどちらかである。そこで、次なる手を考えねばならない。
3)「中」に近い別字(語)を探す。
・・・類義語を探せ!は、語学的イメージを膨らます際の第一の心得である。無論、ただ闇雲に「中」の字の仲間を捜そうとしても無理で、何らかの方向性がないことには、「撥」だの「白」だの「東」「南」「西」「北」「一萬」だのに走って途方に暮れるばかりである・・・から、何らかの観点を定めて、探索の方向性を絞り込む必要がある。
4)「中」に似た字(語)で、畳語で使って、「中中」同様に「A・・・こんなもんなら、ないほうがマシ!」の意味(かそれに近いやつ)を表わすものを探す。
・・・この段階でモノを言うのは「単漢字力」ではない:「熟語力」である。幾多の言い回しのレパートリーを頭の中に持っている者ならば、「生中(なまなか)」なる(大方の現代人は知るまいが、古語の「中中」に相当する)現代日本語表現がすっと(魔法のように)浮かんでくるであろう・・・まぁ、浮かばなかった人も「自分は、ダメだ」などとうなだれずに、「生中」を自ら探り当てたものという仮想的状況下で更にお付き合いいただきたい。
5)「生中(なまなか)」の「生」が表わす意味を考える。
・・・懸案の「中」と並べて使われているぐらいだから、「生=中」と見てよいであろう。夏場のサラリーマンなら「とりあえず、生ビール、中ジョッキで!」的冗談に走りそうだが、真面目に検討してみてもなお謎の多い「生」である・・・ので、今度はまた発想を変えてみる。
6)「生」だけを畳語化した「生生」の表現が可能かどうか調べる。
・・・で、実に、これがまた可能なのである。その意味は「中途半端」で、「中」の字にヒットする。この時点で、先ほど2)で考えた「中中」の「中」の意味は「遠くも近くもない真ん中あたり」だろうと当たりがつく。すると「生」の意味もやはり「中途半端」であって、「生兵法(なまびょうほう=知ったかぶりの戦術論)」だの「生ぬるい(=冷たくもなく、十分な熱さもない、感覚的にパッとしない温度)」の「生=中」のイメージが鮮明になるわけだから、まったく「生中」さまさま、である・・・が、こうして「中間地点」の意味の「生/中」だと判別がついたのだから、もう少し連想を広げてみよう。
7)「まん中あたり」の意味で、「A・・・こんな中途半端な程度なら、いっそないほうがまし」の意味になる別表現を、「中中」/「生中」以外に探す。
・・・運が良ければ、古語辞典の「生中」の別字として、「生半」が目に飛び込んでくるであろう。そうなればもう ― ここまでの探求過程を着々と歩んで来たほどの半端じゃない語学的好奇心の持ち主であればきっと ― 「生半可(なまはんか)」の熟語が頭の中から飛び出してくるはずだ。
8)「生半(なまなか)」及び「生半可(なまはんか)」から、更なる表現でイメージを膨らます。
・・・「生中/生半」や「生半可」を知らない日本人でも、「まなじっか」・「なまじ」を知らぬ人はいるまい。こちらは「生強ひ(なまじひ・・・嫌がる相手の意向を無視し、完全な合意もない中途半端な状況下で、見切り発車の形で強引に事を運ぶこと)」に由来するので、その組成上の系統としては「中中」から遠い感じはするが、意味の上では「なまじ/なまじっか・・・するぐらいなら、いっそ・・・せぬほうがまし」という形で、「中中」の訳語としては最高の適合感を与えてくれるものである。
このような過程を経て、語学上手は「なかなか」をものにするのである。「なかなか」だけではなく、「中中」・「生中」・「生半」・「生半可」・「なまじっか」・「なまじ」・「生強ひ」という連想ネットワークの力で絡め取る形で、最初は掴み所がなかった「A?・・・ダメダメじゃんそんなの!んな程度のハンパなやつなら、なまじやらずにおいたほうがまだマシなんじゃないの?」の意味を、心に刻んで忘れなくなるのである・・・7つもの異なる窓から覗いて見つけたこの意味を、どうして忘れられるものか!たとえ1つ2つ(否、3つでも4つでも)意識の中から抜け落ちたとしても、残る連想仲間はまだまだいくつもあるのだから、忘れた語義もまた、連想の鎖をたぐり寄せれば戻ってくるのが構造的必然であろう?
語学の達人は、かくて、仲間増やしに余念がないものである。そうでない人々の頭の中には「友達が少なすぎる!」のである。
語学ベタの人間は、学習過程で労苦を惜しみ、少しでも短い訳語/一つでも少ない語義/なるべくわずかな同義語・類義語/etc, etc.といった形で、「連想の鎖を短く分断する作業」にばかり血道を上げているのだから、自分で自分の首を絞めているようなもの・・・これでは語学に上達できる道理がないことぐらい、論理的思考のイロハを弁えておれば(否、そのわきまえがなくとも上の筆者の解説をみれば)どんな語学音痴でもわかること・・・なのに、多くの人間は相変わらずその労苦を惜しむ・・・ので、「語学は苦手」の状態に陥る・・・ので、言語生活は貧弱になる・・・ので、言語を媒介とするあらゆる知的活動(実質的に、人文系のみならず、自然科学系をも含めた全ての学問領域)に対する苦手意識が蓄積する・・・ので、高級なる知的営みには自ら背を向ける・・・のみならず、高級なる知的営みに嬉々として興じる人々にも背を向ける・・・のみならず、その種の「知的に優秀な人間を気取っていやがるイケ好かない連中」を目の敵にし、事あるごとにその揚げ足を取ろうとする・・・絵に描いたような悪循環が、彼らを(そして、困ったことには、知識人たちをも)待っているわけである。
諸君、よくよく覚えておきたまえ:知的に優れた人間は、自分が「知的に劣っているか、優れているか」など一切まったく考えていないものだ。ただ単に「楽しくて楽しくて仕方のない知的ゲーム」を、「誰に気兼ねするでもなく自らの頭の中で楽しんでいる」だけであって、その結果として自分が辿り着いた知的高みを、他者に対してひけらかすような真似などしない:ゲームに忙しい人間にとっては、そのゲームの素晴らしさを他者に説明するヒマさえ惜しいのである。「求道者は、なかなか、伝道者にはならぬもの」という心理・真理は、覚えておいたほうがよい。「私、知識人でーす!」と自ら主張するような連中に、真の知識人はなかなかに少ないのだ。
にもかかわらず、そのゲームの楽しさをこうして他者に説き、楽しくプレイするコツをこのように解き明かす筆者のような人間は、「真の知識人に非ず」という論法も成り立ちそうに思える・・・であろうか?・・・まぁ、別に筆者を「バカ」とみようが「知識人気取りのイケ好かぬタコ」と貶そうがそんなことは筆者にとっては全くどうでもよいことだ。こうしてゲーム回しの論法を書く(&その過程をまた楽しむ)ことまでが筆者の仕事であって、それを読者がどう受け止めるかなど(それを生かして大学に受かろうが、生かしきれずに落ちようが、それも)実は、どうでもよいことなのだ。
どうでもよくないこと、どうにかせねばならぬことはただ一つ:言語学的貧弱さ(&それと相関関係をなす知的・道義的劣悪性)が、現代日本人の大部分を蝕む、看過し得ぬ病理現象となっていることを痛感しているからこそ、「知的観点から見た"病人"向けの処方箋」として、本来なら「なかなか」のこうした「語学バカ脱却の勧め」を(御苦労さまなことに)書き続けているわけである。
こちらとしては、ここまでしてやったのだから、これでなおかつ連中があのまま、というのなら、それはもう連中の問題・・・こちら側の努力不足でもなければ罪でもない・・・そう言い切れる「中中」ならぬところまで論を進めたら、あとはただ、彼らの行く末を(もはや、一客観観察者として)冷ややかに見据えてやろうと思っているまでのこと ― それもこの筆者にとっては「ゲーム」なのである。
・・・などと、なかなか誰も言わぬようなことを(なかなかに言わずもがなの気もするが)言ってしまったところで、長々続いた中中講義はこれにて修了。Have a nice game, folks!
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▼ | ▲[16]「させる」ことなき古文の使役は【せさす】 単語集へ [テスト] 使役の言い回しとしては、現代日本語では「・・・す/・・・させる」と相場が決まっている。
例)子供たちを遊ば<せ>ておくのもいいけど、少しは勉強<させる>ようにしてください。
この同じ文章を古文にすると、どうなるか:
古文例)子らを遊ば<す>はよろしけれど、いささかなりとも学問<せさす>べくこしらへてむや。
最初の「遊ば<す>」は問題ない。動詞「遊ぶ」に付けるのだから、助動詞「す」の1語だけで事足りるのである。問題は2つめの「学問<せさす>」である。現代語の「勉強<させる>」と比べて、どこかが違う:どこがどう違うか、説明できますか?
答え)現代語の場合「させる」が1語の(サ行変格活用)動詞扱いだが、古語の場合は、サ変動詞「す(為)」+助動詞「さす」の二段構えを取っている。
この様式を弁えずに、現代語感覚で2つめを次のように書いてしまえば、古文ではなくなる:
(×)いささかなりとも学問<さす>べくこしらへてむや。
文法的に説明すれば、「学問」は名詞でしかないので、これを「勉強する」の意味にするには、直後に「する」の意味の動詞を付けねばならず、「・・・させる」の意の助動詞「す/さす」だけでは役者が足りないのだ(この点、最初から動詞がそこにあった「遊ば+す」とは異なるのだ)。古語の場合「する」の意を表わすのは「す(為)」であり、その動詞を付けた上で、更にその直後に使役助動詞「さす」を付けねばならないわけである。助動詞「さす」一語だけでは文中で独り立ちはできない:直前に本動詞あってこそ初めて意味を成すのが助動詞なのだ。かくて、「せさす」という(現代人の言語感覚からは)冗長な感じの表現が、古語に於ける「~させる」の定型句となるわけである。
ちなみに、現代日本語「させる」と全く同じ語形の古語がある:「然せる」がそれである・・・が、漢字表記すればわかる通り、その意味は「使役」とはまるで違う。実際にはほぼ常に「然せる事もなし」のような形で用いて「たいしたこともない」の意味を表わす定型表現であるから、こちらも「す/さす」に絡めて覚えておいたほうがよいだろう。
何ということもないようだが、「せさす」/「させる」を巡る誤謬(fallacy=錯覚・思い違い)は、現代日本人には要注意事項なのである。
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▼ | ▲[17]【rural:る・らる】=「田舎:否定可能」、【狩る:可能る】は鎌倉-「る・らる」=「可能」とは、誇大広告に非ずや?-
助動詞「る」(四段・ナ変・ラ変に付く)及び「らる」(四段・ナ変・ラ変以外に付く)は守備範囲の広い語で、「自発」・「受身」・「可能」・「尊敬」と4つもの用法を持っている。
この中で特に注意を要するのは「可能」の用法で、「可能」とは言っても、実際に使われるのは「疑問/否定/反語」の文脈のみだから、「不可能」の助動詞と言ったほうが正しい。
「る」・「らる」が「・・・できる」という肯定の「可能」を表わすのは鎌倉時代以降の話であって、入試古文の大部分を占める平安時代の用法では「疑問・否定」専用語(俗に言うギヒ語)なのである。
-「可能」と「受身」・「使役」・「尊敬」の接点-
この「可能」(実質的には「不可能」だが)の「る」・「らる」の語法は、「自発」の用法の延長線上にあるものである。「る」・「らる」の最も根源的な語法は「自然発生的に何事かが起こる(自発)」なのだ。
そのように「自然発露的に事が"成る"」のを、古典時代の貴人たちがいかに好んだかは、この随筆の中でも幾度となく指摘していることである。「自ら動いて意志的・主体的に事を"為す"」のを彼らは好まない:あくまでも「周囲の状況が自然とそういう風に動いて、結果的に、事が"叶う"="可能"になる」のが古代の貴人にとって望ましい事態の展開であって、そうした「自発」的事態展開の中にあっては「主体的行為者」は存在しない(少なくとも、意識の表層には登場して来ない)・・・周囲に展開する「自然発生的事態」に「受身」の立場で「見舞われる」のみなのが貴人であって、そうして「自分から動くのではなく、外界からの働きかけに受動的立場で応じる」ことを基本線とする彼ら貴人の行動に敬意を表する形で生まれた語法が「尊敬」の「る・らる」というわけである。
-結果のみあり/過程なしの貴人(or日本人)意識-
こうして考えれば、「る」・「らる」による「可能」の用法に、元来「肯定」がなく「否定」のみが問題になったことも理解できるであろう。
「可能」を「・・・できる」と書けばいかにも「行為者の能力」が問題になる表現の感が強いが、古典時代の貴人は「行為」を直視しない;その「行為」の結果としての「出来事」だけしか彼らは見ないのである;「行為者」もその「能力」も貴人の評価対象外であるのは言うまでもないことだ。
「AにはBができる」という陳述が意味を成すのは、「AにはCもできる、Dもできる、Eもできる」とか、「XにはYもできず、Zができるのみ」とかの形で、「可能な技能の考査表」を付ける場合である。「為す(=意志的・人為的行動)」を見ずに「成る(=受動的・自然的出来事)」を見るばかりの貴人にとって、「事が、成る」(自発)は即ち「事が、出来る」(可能)に等しいのであって、その「出来事」は「できる事(・・・可能)」としては感じられずに単に「出て来た事(・・・自発)」として受動的に受け流されてしまうばかり ― その「出来事」が「出来上がるまでの過程」も「作り上げた人物」も「その能力」も、何一つ見ずに「結果」だけしか見ないのが日本の貴人の意識なのである・・・オリンピックのたびにあらわになる現代日本人の「金メダル至上主義」を見ると、古代の貴人の「事はただ成るもの・・・事為す過程など、見るべきにもあらず」という阿呆臭い「(良い)結果(のみ)享受主義」と二重写しになって、醜いことおびただしい(筆者は西欧流プロセス謳歌主義者なのだ)。
そうした「結果オンリー」のいびつな目しか持ち合わせぬ古代の貴人(or奇人or現代日本人)にとって、「出来事」の「可能性」が問題になる唯一の場合とは、「出て来なかった」場合のみである:即ち「事がうまく成就しなかった場合=不可能」のみが「る」・「らる」の「可能」の語義では問題になるわけだ。「出て来た結果」は「ただそこにあるもの(自発)」として「過程無視主義者」の朦朧たる意識の中に埋もれてしまい、「能力の成果として成ったもの(可能・・・の肯定形)」としての扱いなど受けないわけである。
- 「受身」的「自発」成果享受階層たる「尊敬」すべき御公家の時代(平安)の終焉 = 「能力」(肯定形の「る/らる」)評価時代(鎌倉)の始まり -
自分では何もせぬくせに、他人の主体的努力・能力の成果を「わがもの」顔で誇らしげに受け入れ自分の手柄にしてしまう平安時代の京都の貴族連中(・・・とばかり限定すべきものか否かは甚だ疑わしいが・・・)の寄生虫的生き様が限界点に達し、地方に下って地元民との共同生産者・武断的支配者としての実力を着々と身に付けていた武家階層(平清盛や源頼朝たち)の時代が始まると共に、助動詞「る」・「らる」は歴史上初めて「・・・できる」という肯定的な「能力」の評価記号としての生命を得た。このあたり、実に「言葉は生き物」の感を強くさせる展開である。
時代が死んでいれば言葉もまた死んでいる。実質豊富な語(名詞・動詞・形容詞・形容動詞)が力なくしなだれて、無意味な空元気語(副詞・接続詞・助詞・感動詞)ばかりクソやかましくも空しく飛び交う言語生活が、豊かな個人/社会の姿を浮き上がらせるはずがない・・・今の日本人がどういう状況か、彼らの会話の「品詞分解」ひとつで、ずいぶん色々なことが(直視に堪えぬことまで)見えてくることであろう・・・あなたには、直視する勇気がありますか?それともあなたも「御公家さん」ですか?
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▼ | ▲[18]【為】さば【成】る、【為】さ【む】は【いやし】の貴人(or奇人or倭人)哉 「稀稀彼の高安に来て見れば、初めこそ心憎くも作りけれ、今は打ち解けて、手づから飯匙取りて、笥子の器物に盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。」
これは『伊勢物語』第23段、有名な「筒井筒(つついづつ)」の一節。幼い頃から庭の井戸に背丈の高さを刻み合って成長した仲の女性と夫婦になった男が、その後別の女(高安という場所にいる)とも関係を持つようになる。このこと自体は問題ない。当時は「妻問婚(つまどいこん=夫は妻と同居せず、愛の営みを交わす時だけ妻の部屋を訪れる)」、男は妻の家の経済力を当て込んで複数の女性と夫婦関係を結び、女の家では夫の社会的地位の恩恵にあやかる(特に、男子が生まれた場合、その地位を世襲する)ことを期待して財力を提供する、という互恵的関係の「一夫多妻制」である。現代日本の恋愛・結婚模様という先入観・偏見で古典時代の男女の姿を見るのは、全くの「僻目(ひがめ=見誤り)」というもの。
さて、それだけの予備知識を与えたところで、上の古文を現代語訳すると、次のようになる:
「時折例の高安の女の家に来て見れば、付き合い始めた頃こそ魅力的な御化粧など施していたものの、今やすっかり気を許してだらけてしまい、<自ら御杓文字(おしゃもじ)を手に取って御飯茶碗に飯を盛ってる>のを見て、興醒めな女だ、とがっかりしてしまい、もう夫としてその高安に行くこともなくなってしまったのだった。」
昔から「釣り上げた魚に餌をやる漁師なし」と言う。餌をやる必要なし、と言う者さえいるくらいだから、「この男はもう私のもの」と安心した妻が、夫の目に魅力的に映る自分を演出する必要も感じなくなるのは自然なことと言えるだろう。現代の奥さんたちだって、気合い入れて化粧するのは芝居見物みたいなかしこまった場に出る時や母校のクラス会に行く時ぐらいであって、夫に対して自分自身を綺麗に見せる努力は怠りがち(夫もまた妻のそうした努力を評価してくれない、という負のスパイラルに陥りがち)。
であるから、この男がそんな女のダラけぶりを見て「俺はもう、化粧の必要もない相手、ってことか・・・」と興ざめしたのはまだ理解できないでもない;が、その後のくだりはどうであろう ― <自ら御杓文字(おしゃもじ)を手に取って御飯茶碗に飯を盛ってる> ― この姿を見て「がっかりした」と思う現代人が(男女問わず)果たしてどれだけいるだろうか?しかし、この部分には、古典時代の(否、ある程度までは現代にも通じる)日本人の心理を読み解く鍵が隠されているのである。
キーワードは、次の2つである:
1)<自ら>・・・古語原文では「手づから」
2)<御杓文字>・・・古語原文では「飯匙(いひがひ)」となっている。「しゃもじ」は後代に宮中出仕者の女性達の隠語として生まれた「女房言葉」で、「杓子(しゃくし)」の頭文字に言及する呼び名。
さて、まずは「手づから」について見てみよう・・・この種の「主体性」・「意志性」・「積極的行動」を、古典時代の貴人がいかに蔑んだかは、この随筆内で幾度となく指摘していることだ。「御飯を茶碗に盛る」という行為は、現代なら「女性らしい」自然な振る舞いであろう。が、古典時代にはこの「食事」なるものは(少なくとも、その準備段階に関しては)「不浄の営み」だったのである。米は日本人の主食だが、それを食えるようになるまでには、辛くて長い土との格闘がある。勤労を美徳とする近代以降の日本の(多くの小学校に二宮尊徳の銅像が建てられた時代の)倫理観からすれば、この種の農民生活の重労働は「尊い努力」であるが、古典時代の貴人にとってそれは「下々の百姓どものやること=下賤の振る舞い」であって、「自ら関わるべきでないこと」なのだった。
事は米に限らない。美味なる魚も、獣肉も、それを食するまでの段階では、捕まえて、暴れるのを押さえつけながらその命を絶って、血塗られた手に包丁握りしめて切り刻んで、煮付けたり味付けたり盛り付けたりして、それでようやく食膳に供せる状態となる・・・そうした途中経過の全てが、貴人にとっては「いやし」き事なのである。
そもそも「いやし=卑し」は、語源まで遡れば「あやし=怪し・奇し」につながる。「自分には、具体的に、何がどうなっているのか、よくわからない・・・から、それを見ると不安や嫌悪を催さざるを得ない」・・・それが「あやし」であり、そうして自分には理解不能な複雑怪奇なる現象を前にすると、「わからぬ自分がダメなのだ」とは思わずに「わけのわからぬことして自分を煙に巻く相手のほうがダメなのだ」と思うのが、本当にダメな人間どもの心理である。
優れた人間はそのようには感じない:「なぜだろう?」と疑問を抱き、「わかった!(Eureka!・・・I've found out!)」と叫べるようになるまで、「わからぬままの気持ち悪さ」を原動力に、積極的探求行動にひた走るのだ。わかりもせぬものを「どうせあんなの、ロクなもんじゃない」として黙殺するのは、蔑むべき愚か者の行動様態;わかってもいないくせに、わかったふりするのは、もっと醜い馬鹿者の振る舞い ― これが、西欧合理主義に裏打ちされた近代知識人の心理である。
が、古代日本の貴人の意識はその正反対なのである・・・この意識、もし、現代にまで引き継がれていたとしたならば、西欧人から見た日本の人々は、やはり「奇人」に映るであろう・・・「この連中、なんでわかろうと努力しないのだろう?」、「連中がわかってないのは(日本人以外の)誰の目にも歴然としているというのに、平然と知ったかぶりして得々としているこの日本人というやつらの心理は、いったいどうなっているんだ?!」・・・いかに「あやし&いやし」の対象(蔑むべき不可解民族)についてであっても「ユーレカ!」状態に至るまで突き詰めて知りたがる西欧流好奇心を満たすには、この随筆中では毎度お馴染みの例の陳述を提示しておけばよいであろう・・・ということで、以下を御覧あれ:
古来、日本の貴人たちの意識の中では、事は自然に「成る」のが尊いとされ、主体的な意志と努力とで自ら事を「為す」のは下賤の者どもの振る舞いとして、尊敬ではなく軽蔑の対象とされた。貴人はすべからく「完成状態(成る)」に「受動的(る・らる)」立場で「自然に(る・らる)」接する行動様態を取るべきものであって、事を「為す」ための過程に貴人が「みづから・てづから・おのづから」携わるなどはもってのほかであるばかりか、その「過程」にまつわる事柄については、「直視」することも、「直接的言及」さえも、「あやし・いやし」の営みとして忌避されたのである。
その結果、「食事」という「多分に不浄の過程を含む営み」については、貴人は「喰ふ」とも「飲む」とも言わずに「ものす」だの「召す」だのの語を使って間接的に言及する。「御飯」とも言わずに「御物(おもの)」と言い、「杓子(しゃくし)」と名指しで言うのは下品だからと言っては「"しゃ"文字」などとボカす徹底ぶりである。
舞台裏で行なわれる営みの全ては「下々の者どもがやること」であり、貴人は徹底的に(行動レベルはおろか、言語レベルでさえも)関与を否定する。そのくせ、そうしてひとたび「成った」事柄については、これを「自然発露的状況」=「出で来たる事」=「出来事」として、さも当然の顔をして受け入れるのである。
「出来事」を「できた事=行為者の主体的意志と努力と行動を通して可能になった事」と見る感覚は、貴人意識の中には全く存在しない。「出来事」は「結果としてそこに自然とあるもの」であり「成るもの/生るもの」であって、「為す事」ではないのである。事を「為さむ」としてあくせく動けば、あるいは、そうした作為的行動を意識しただけですら、「あやし・いやし」の汚れに自らを染めることになるのだから、「見るのもはばかられる」こととなる・・・「見憎し→見にくし→醜し」=「見るに堪えない」営み、それが貴人にとっての「行為・営為・人為」であって、あらゆる「行為」は、貴人の眼前に出る段階では「自然発生的出来事」へと化けてしまうのである。
「お"シャ"文字」で茶碗に「手づから」御飯をよそう(現代語では、よそる)行為を見咎めて、「あら、おかわりするなら言ってください、私がよそり(本来は、よそい)ますから」と慌てて相手を制する現代日本女性は、「摂食者の不浄の営みに向けての主体的行動」を「あやし・いやし」として排除しようと動いて(or動かされて)いるのである ― 千年も昔の貴人意識の見えざる手によって・・・「しゃもじ」を「杓子(しゃくし)」と言わぬ意味も、不浄なる過程を経て食膳に並ぶ御飯を食器に盛り付ける際には「よそう=装う・・・さも自然な出来事として生じた(成る)ものであって、営々たる努力の末に為した(する)ものではない、的な雰囲気を演出する」必要がある理由も、この種の盛り付けをする係の女性が近来まで日本では「飯盛り女」として「下賤の商売女」扱いであった事実も、何もかもまるで知らぬままに、「手盛り・手酌は無粋な行為」なる「由緒正しき和風御作法」への盲従を、アッケラカンと、今日もなお、「あやし」とも思わずに黙々と続けているわけである。
・・・かくて、長々続いたこの考察文に副題添えるとするならば・・・「現代日本人の不可解(あやしき)行動の背後にいるのは、千年昔の貴人意識の幽霊か?」・・・西欧合理主義の同胞たちよ、こんなところでいかがであろう、「Eureka!(ユーレカ!)」と叫んでもらえたであろうか?
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▼ | ▲[19]【口惜し】と【朽ち惜し】 単語集へ [テスト] 古語を学んで実感できる日本語の特性の一つに、「漢字表記のいい加減さ」がある。それはもう「漢字表記」というより「感じ表記」と呼びたい感じである。
「くちをし」もまたそんな語の一つである。この語の原義は「朽ち+惜し」であり、自分の目の前で「だんだん悪い状態になって行く=朽ち果てる」状況を知りながら、それを食い止める力が自分にはないことを感じて抱く否定的感情が「くちをし=くやしい、残念だ、がっかりだ」である。
ところが、この「朽ち惜し」の表記は、いつの間にやら「口惜し」に化けてしまった。まさか画数の多い「朽ち」を嫌って単純そのものの「口」を宛てた、というわけでもあるまいが、本源的には全く意味を見出せない表記変更であるだけに、どんな理由であろうとも想定自由なのであるから、まったく困ってしまう・・・このあたりの行動に関し、日本語には「正当なルール(規則)」もなければ「不当行為に対するペナルティ(罰則)」もなく、ただ「やったもの勝ち」(正確には「広がっちゃったもの勝ち」)なのである。英語を初めとする西欧言語の厳格なる規則性に慣らされた人間にとっては、信じ難いことというか、この言語を母国語とする者としては信じたくないことというか・・・何とも「くちをしき」話である。
さて、そんな「朽ち惜し→口惜し」の宛字変更の後から生じたものか、それともこの語義が加わったからこそ「口」化けしたものかはわからない(し、別にわかろうとも望まない)が、古語の「くちをし」としては明らかに後発の語義として、「身分が低すぎて話にならない」なる社会学的差別表現がある。「あやし」や「いやし」や「かずなし」と同義語、ということになるが、この意味の「くちをし」には、実に、「口惜し」がぴったりなのである:「口に乗せて語るのが惜しまれる=話題にすべき価値すらもない」・・・それが社会的階層の低さのみに言及するものとすれば(近代以降の人権意識を持ち合わせた人類の自然的感覚としては)何とも嫌味極まる差別語であるが、「こんな代物、口にするだけで自分の品性が落ちる⇒口が腐る」と感じさせるほどに下卑た人や物がたくさんあるのは世の常、とりわけ現代ネット社会は「語っただけで、たちまち自分の口が腐る」と感じさせる物事の密度が異様に高いのだから、この「口惜し(口にするのもおしい) / 朽ち惜し(語って腐る自分の品性が惜しい)」なる和語の復権可能性も、それなりに高いかもしれない。
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▼ | ▲[20]【さむらひ】は、ただ待つものとや見つけたる? およそ日本人ほど言葉を「感じ」だけで使い散らす民族は、世界中どこを探しても見つからないであろう。「漢字表記」は出鱈目な「感じ表記」でしかないし、字面や音に依拠した勝手な類推から語義がどんどんあられもない方向へと流れて行くその構造的特性(or悪弊)は、古文を学べばいやというほど実感できる:なにせ、現代日本語と同じ語義の古語は少なく、多くの語義が時代に合わせて(というよりも使い手の勝手な錯覚に引っ張られて)変わってしまった結果、理知的に把握するのにひどく苦労させられるのだから・・・この国の言葉の「漂流度」の高さは、世界に冠たるものがある、と胸を張ってこの筆者は断言する。
そんな日本人が、20世紀末~21世紀初頭にかけて、妙に気に入って乱用している古語の代表格が「サムライ」であろう。もっとも、この語の場合、人気に火を点けたのは外国人である。
西欧列強の場合、戦国時代はあっても、その時代の支配者として君臨したのは常に「王侯貴族」であって「騎士」ではなかった。トランプ(これも和風我流語だからplaying cardsと換言しておくか)の格から見ても、軍人たる「ジャック(Jack)」の数値は11であって、王様の「キング(King)」の13や女王の「クイーン(Queen)」の12よりも下位に位置するあたりに、西欧の武人の社会学的位置付けが見える。彼らは、自らの戦闘能力を技芸として磨き、それを高い誇りと報酬とで貴族階層に売り込んだけれども、国そのものを支配することはついぞなかったのである。
軍人が国を牛耳る時というものは、西欧の歴史に於いては世も末の最低・最悪の時代であって、帝政ローマ衰亡期の傭兵達が結局あの大帝国を滅ぼしたように、「武力による支配」への西欧人の感覚はおしなべて否定的なものでしかないのである。
ところが、この日本に於いては、1500年代から1800年代の半ばに至るまで、実に3世紀半もの長きにわたって「武人による政治」が行なわれ、しかも武家の頂点に立った将軍徳川家康が開いた江戸幕府は、日本史上希有なる安定期をも現出しているのである!これは、西欧の歴史から見れば実に異様なことである。
西欧では、武人上がりの支配者も、社会の頂点に立てば「王侯貴族」と化す。それなのに、日本の「サムライ」は、社会の支配者になってもなお「公家」とはならず、剣を捨てなかった。多少は形骸化したとはいえ、江戸時代を通じて武家階層は常に懐には刀を帯び、剣術を磨くことを怠りはしなかった。300年間も斬り合いをせずにいながら、斬り合う技能と道具だけは決して手放さなかったのである・・・この非合理的な武術への執着は、西欧人の合理精神には何とも理解し難いものがある。それだけに、彼らは日本の「サムライ」の武道へのこだわりに、ある種の宗教・呪術的献身を感じ取ったのである。
刀剣を振り回す武士が、必ずしも人殺しの技術錬磨のためにそうするのではなくなった(その必然性も失せている)江戸時代にあって、なお剣術を磨き続ける姿はもはや、実社会の利害とは別次元で成立する世界、いわばスポーツに打ち込むアスリート(競技者)の求道精神の具現化であって、それがまた全社会を通して積極的に奨励され賛美されて3世紀にも渡って行なわれ続けた江戸時代の摩訶不思議な徹底ぶりが、スポーツの世界ぐらいにしかヒーロー(英雄)を見出し難い現代社会の西欧人の感性のツボに、見事にはまった、ということであろう。
そういうわけで、西欧人の「サムライ」礼賛には、彼らが背負ってきた文化・歴史的風土との対照上、それなりの必然性があると言える・・・が、翻って、この「サムライ」なる言葉を乱用する時の日本人の心理を見ると、またしても溜息が出るような醜悪さがそこには露呈されているのである。
日本人がいかにも誇らしげに「サムライ」と口にする時、彼らの意識の中の「サムライ」は、「世界の人々から賞賛を受ける有名な日本の何か」でしかない。上で述べたような西欧人的パースペクティブ(視野・展望の広がり)の上に立ってこの「世界的に稀な求道者的武人支配階層」を賞賛しているわけでも何でもない。その意味で、日本人にとっての「サムライ」は、「世界のクロサワ」・「世界のホンダ」・「フジヤマ・ゲイシャ・東洋のトビウオ・日の丸飛行隊」あたりと全く同列の「外人にも知られていて、ホメてもらえて、日本人として鼻が高い有名な何か」でしかないのである。
ここに於いてもやはり、「事を為す具体的な過程」など一切見ずにただ「既に成ってそこにある出来事」だけを「自分(たち)の手柄」として得々と受け入れてはしたり顔した「千年前の御公家さん」の姿が見え隠れする・・・実際には、そうした「自分じゃ何もせぬくせに、偉そうにのさばって、我々の意志と努力と行動の成果を、さも当たり前のことのように受け取ってるばかりの、腐った非主体性の意識で社会にはびこる寄生虫のごとき、何の役にも立たない京都の貴族ども」への意志的反発から、武士が世に出ることとなったのである。まずは平清盛に率いられた平家が、疲弊した京都とその住人達を尻目に福原(現在の神戸)遷都を敢行し、次いでその平家のもたらしたあまりに急激な社会構造の変革に反発した諸勢力を結集した源頼朝らの源氏勢力が、平家を滅ぼし、京都の朝廷勢力をも背後に追いやって、「意志性と主体的行動」を前面に押し出した鎌倉主導型の武家の世の到来をもたらしたのである(もっとも、頼朝の源氏はわずか三代で滅び、その後は平家の流れを引く伊豆半島の豪族の北条氏が「新たなる公家衆」と化して、足利尊氏に滅ぼされるまで、「新平安時代」ともいうべき既得権益享受生活をむさぼる世の中がまた続くことになるのであるが)。
主体性も意志性も薄く、一事に賭ける求道者的情熱も希薄な、「21世紀のなよなよ公家衆」のごとき受動的悪臭をぷんぷんと放つばかりの昨今の日本人が、「サムライ、サムライ」と口走るのは皮肉以外の何物でもないが、そうした主体的質量に乏しい日本人に限ってまた「世界に冠たる日本の***」というやつの中にしか、自分自身で主体的に生み出すことの不可能な「代理自我(alter ego)」を見出せないのだから、「御公家型日本人のサムライ礼賛」はしばらくは鳴りやむこともないであろう。
一応、古文学習の脈絡で付言しておくならば、「サムライ」の古語表記は「さむらひ」・「さぶらひ」であり、これは元来「さむらふ」・「さもらふ」・「さぶらふ」・「さふらふ」の動詞連用形が名詞化したものであって、その原義は「上位者から命令があったなら即座に行動できるよう、ただひたすらじっとそばに待機している番犬的存在の人間」 ― ジャーマンシェパードやドーベルマンが、衣服を着、帯刀して、二足歩行で貴人の近辺に控えている図、である。
実際、中古~中世の古文には、そうした「番犬そのもの」のごとく貴人からは「人非人」扱いされながらも、文句一つ言わずじっと彼らの警護役としての己の本分を一族総ぐるみで貫き通す、ある種不気味なまでの意志と辛抱強さとで主体的に事に当たる「候ひ(さもらひ)」の、平安の世とは明らかに異質な「時代の鬼っ子」的姿を見ることができる。
もっとも、平安時代の文物の中で彼ら「侍」のことが話題に上ること自体、極めてまれなことであったことは確かである;が、あの時代の御公家連中が、この不気味な二足歩行の番犬たちをどう見ていたかは、今の時代の大方の日本人が、独立独歩の強意志型積極行動を取る日本人をどういう目で見るか、を通して、間接的に(&かなり正確に)推測することができるように思われる。
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▼ | ▲[21]【聞こゆる】の自然発露的作為性 単語集へ [テスト]-Don't SAY things... just make things HEARD to them!(「言う」な...「聞こえる」ようにせよ!) -
古語の「聞こゆ」は、現代語「聞こえる」にも通じる「自然と耳に入る」の意味のみならず、「貴人に対して申し上げる」の「謙譲語」としての意味をも併せ持つ。
貴人は「直接的行動」を忌避する人種だから、偉い人に面と向かって直接「言ふ」のは、はばからねばならない。今も昔もこの日本では、「もの申す!」という直接的対話要請は「相手を敬わぬ挑発的行動」として煙たがられる行為であって、畏怖の対象たる貴人に対しては、ものを「言ふ」ことはせず、自然と彼らの耳に「聞こゆ」るような状態を演出せねばならぬのである。
-お香を「聞く」とはいかにぞや?-
持って回った「直接性」打消しの「間接性」演出行動を示すこの「聞こゆ」なる謙譲語とはまた違った意味で、「自発性・間接性」vs.「意識性・直接性」との違和感が現代日本人に不思議に聞こえる言い回しについても触れておこう:お香でよく聞く「香を聞く」の言い回しである。
「香り」は「耳=聴覚」ではなく「鼻=嗅覚」の担当であるから、香しき香木の臭いは「嗅ぐ」のが自然であって、それがなぜ「聞く」になるのか、不思議に思われるであろう。そうした場合は、主体的行動を示す他動詞の「聞く(listen to)」にばかり張り付いた視点を解放してやり、自然的現象としての自動詞に置き換えて「聞こゆ(hear)」の次元で「香り」と向き合うことで、「聞く」の背後にあるロジックに聞き耳を立てるのがよい。
「香り」というのは不思議なもので、どこからともなく漂って来た時には、人間の五感のうちのあれやこれやを刺激する性質を持っている。直接の担当部門は「鼻=嗅覚」ではあるが、ツーンと鼻の奥まで突き抜けるような刺激的なものなら「目」に涙を誘い「肌」に痛いほどであるし、子供の頃に大好きだった香りにふと触れて「大脳」の「記憶領域」の想起スイッチが入ってしまい、遠い昔の古里の野山の光景が「目」に浮かび、懐かしい友達の声や小川のせせらぎの音が「耳」に聞こえたり、海辺で食べた焼きトウモロコシの「味」が口の中に広がったり、じりじり「肌」を灼く真夏の日差しが感覚的に甦ったりすることすらもある。
かくも総合的感覚刺激効果を持つ「香」を、意識的に識別する営みについて、「嗅ぐ」という鼻専用行動の狭い次元に閉じこめてしまうのも、考えてみれば味気ない行為である。「香」は「目」に映るものではないから「見る」と呼ぶには難があるし、「味わう」・「感じる」とするのは感覚的に妥当ではあるけれどもあまりに漠然としすぎていて「意識的識別行為」に付ける呼び名としては決め手に欠ける・・・が、どこからともなく「聞こゆる」香を、これは何だろうと意識して「聞く」という言い方ならば、「視覚」の的外れ感覚とは異なる的確性が感じられ、「味覚」・「触覚」の漠然たる感じとも遠く、「嗅覚」の動物的即物性を越えた人為的に高尚な探求行動としての響きが宿ることになる。
「聞く」が「香」を目的語とする(意識的識別の)他動詞として使われるようになったのには、そうした背景があったのではないか。
古文の脈絡に立ち戻ってもう一つ付け加えておけば、そもそも自発性の「臭う」という表現自体、元来「嗅覚」語として用いられていなかった、という事情もおさえておくべきであろう。
そもそも「にほふ」は「仁(に=赤)+穂・秀(ほ=抜きん出た部分)」に由来する語であって、「赤」に代表される「視覚的に刺激の強い色」を表わす「目にも鮮やか」の意味で使われる「色彩語」だったのである。平安中期の有名な次の和歌の<にほひ>もやはり「鼻」をつく「臭い」ではなく「目」に訴える「仁秀ひ」である:
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に<にほひ>ぬるかな(伊勢大輔)
紫式部・和泉式部・清少納言らの活躍した一条帝時代(紀元1000年前後)の伊勢大輔でさえ「にほふ」を「色鮮やか」な色彩語として用いているくらいであるから、中古(平安期)に於いては、あたりを漂う嗅覚的刺激を「臭う」と呼ぶ感覚はまだ希薄であったと見てよいだろう。「臭ふ」の代わりに「聞こゆる」が使われていたわけではないにせよ、嗅覚系自動詞としての「におう」の存在がこうまであやふやである間は、他動詞として「香」に付けるべき適役の存在もまた、確固たるものが定まらなかったとしても、それは自然なことだったと言えるだろう。
そもそも他動詞「嗅ぐ」の組成は、形容詞「香ぐはし=あまりに佳い香りなので、思わず誘われてその香りの源を訪ねてみたい気分になる」の冒頭部分(香ぐ)を切り出して作った語であるから、「香」を「香ぐ」は、「か」の字が重複して音感的にも煩わしいし、「夢を夢見る」や「危険が危ない」みたいな感じで理知的にも少々間抜けな感じがする。「香り(KAori)を嗅ぎ(KAgi)分ける」のはまだしも「香(KAu)を嗅ぐ(KAgu)」には少々頷けぬ響きがあるから「香(KAu)を聞く(KIku)」なる表現が生まれた、と、ただそれだけの音調的理由だけから首肯するのもまた、言葉の恣意的改変自由自在の日本語の場合、ありと言えるだろう。
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▼ | ▲[22]【仰す】の敬語化は鎌倉以降 単語集へ [テスト] 古語の時代背景まで一々覚えねばならぬのか、と思うと受験生としては気分が重いであろうが、いかにも尊敬語っぽい「仰す」なる古語が、それ1語で尊敬語として用いられるようになったのは鎌倉時代以降であって、それ以前(中古まで)は「仰せ+らる」/「仰せ+給ふ」という「尊敬の助動詞・補助動詞」との組み合わせで初めて「おっしゃる」の意味になったという事実は(落第を望まぬなら)覚えておく必要がある。
この語は元来「負ふ」の他動詞「負ほす」の転じたものだから、現代語風に言えば「負わす=負担として背負わせる」であり、目上から目下に向けて「命じる」という強圧的響きを持っていた。それが「らる/たまふ」を加えた「仰せらる/仰せ給ふ」となることで「お命じになる」から「おっしゃる」の意へと転じ、やがて「らる/たまふ」抜きの「仰す」だけでも「おっしゃる」の尊敬語として通じるようになったわけである。
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▼ | ▲[23]【あいなう】?You know, 「あや」無う、「愛」=NO, 例のあいのこ和語 単語集へ [テスト] いかにも日本語らしいまぜこぜ語義を持つ「あいなし」は、「あや=文=論理的に割り切れる特性」が「無し」と見れば「間違いだ、不当だ、それはよくない」となり、「あひ=愛・合ひ=心情的に対象に吸い寄せられてピタリ張り付く感覚」があるかと問われて「NO!」と言いたい感じなら「気に入らない、自分の感性には合わない、まるでイケてない」の意味となる。
極めて理知的・論理的な「文無し」と、純粋に主観的な感情語としての「愛無し・合無し」という、水と油みたいな語義が平然と共存しているあたりが、東洋・西洋・漢字・横文字・古代・現代・仏式・神前式、なにもかもチャンポン取り混ぜ渾然一体の形で取り澄まして存在している不思議の国ニッポンの(外人の目で見た)無秩序特性に「ぴたり合致」していて「論理もへったくれもない」感じだが、もひとつオマケにこの語の場合、連用形「あいなく」の形(というより多くはそのウ音便「あいなう」の形)でやたらめったら文中で乱用される「とにかくもう・・・なんですから」の強調的副詞表現としての出番が非常に多い。
現代日本語の「超~~!」の感じと言うべきか、もう少し学術的に「いたう(甚う)」や「のみ」にも類する「ただの強調的言辞であるから、無理矢理訳そうと思わぬほうがいい場合も多い」としておくべきか、この「あいのう」、とにかく古文によく出てくるから、早晩諸君も「I know...例の無節操なやつね」ということになるであろう。
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▼ | ▲[24]【如何で】=How...?/How...! 単語集へ [テスト] 元来「様態」を表わす古語の「いかで(如何で)」は、英語の「How」に等しい;ということは、「疑問文」と「反語」と「感嘆文」との掛け持ち表現、ということになる:
古文1)如何で其を為さむ?
英文1)How should I do that?
現代語訳1)それをどうやってしたらよいだろうか?
・・・このように「推量助動詞(む・むず等)」と抱き合わせなら、「いかで=疑問」が多い;が、時には次のように「疑問」の形を取った否定=「反語」ともなる:
古文2)如何で敢へなむ?
英文2)How can I bear it?
現代語訳2)どうして私がそれに耐えられるだろうか、耐えられるものではない。
・・・願望系統の語と共に使えば、また意味が違ってくる:
古文3)如何で其を得てしがな。
英文3)How I want to get it! / I want to get it by all means.
現代語訳3)どうにかしてそれを我がものにしたいものだなぁ。
・・・「いかで」=「願望・意志」の例である。この用法に付き物の語句としては、次のようなものを覚えておくとよいだろう:
いかで+「じ」=「何が何でも・・・するものか!」
いかで+「てしがな」/「にしがな」/「ばや」/「まほし」=「是非とも・・・でありたいものだ!」
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▼ | ▲[25]【思ひやり】の二面性 単語集へ [テスト] 現代日本語の「思いやり」は「相手へのいたわり」という利他的行動・心情を表わす、仏様・キリスト様が喜びそうな語であるが、古語の「おもひやる」は、この語義のみにとどまらない。むしろ、受験生イジメを職能的必然とする出題者の場合、わざとこれ以外の語義を出題する可能性が高いのだから、そちらに力点を置いて学習せよ、と助言するのが、筆者から諸君への「思ひ遣り」というべきであろう・・・ということで、2つほど紹介しておく。
まず、現代語「思いやり」に近いが微妙に違うものとして、「眼前に存在せぬ誰か・何か」について、「思いを馳せる」語義がある。「相手のためによかれと思って」そうするのではない:「あぁ、懐かしいなぁ、また会いたいなぁ・行きたいなぁ・やりたいなぁ・etc, etc.」という「自己の懐古的欲求充足モード」の表現である点で、相手本意の現代的「思いやり」とは方向性が逆である。それでもやはり「相手に引かれて」思いが吸い寄せられるのだから、まだ「利己的」だの「自己中心的すぎ!」だのの誹りを受けるほどではないが、次の表現ともなればその種の非難を受けても仕方がないだろう:
「胸の内に溜まった思いを、外界に向けて表出する」・・・所謂「憂さ晴らし」・「ストレス発散」のぶちまけ行動の語義、これこそ意外性ある「思ひ遣り」として「受験生イジメ」の定番となっているやつである。その「発散手段」は多く「音楽・和歌」などの「遊び」であるから、現代的脈絡でイメージすれば「うゥーっ、もぉーッやってられないっ!カラオケいこう、カラオケ!クラブでもディスコでもゴーゴーでモンキーダンスでもいいけどさ、とにかく歌って踊ってパァーッといこうよ!胸にたまったモヤモヤのガス抜きしないと、息が詰まってやってられないよー!」という感じである。そうして自己の鬱憤を晴らす過程では、他人を「思いやる」余裕などさらさらない。周囲の迷惑顧みず、音程ハズして歌おうが、サンバのリズムに盆踊りのノリでゆらゆら揺れようが、酔いに任せてグダグダくだ巻いて愚痴りまくって座を白けさせようが、とにかく「自分の胸さえすっきりすれば、それでよし」というタイプの「思いを遣る=内面から外界へ、胸中の思いをぶちまける」表現である。
もっとも、現代日本人がよく晒すその種の迷惑な醜態ほどの一方的に自己中心的な「思ひ遣り」は、古文ではさすがに稀であって、よく出てくるのは、「好き、の気持ちを打ち明けられずに、胸中に募る想いを、優雅な中にも微妙な揺らぎが(感受性の鋭い人の耳には)感じ取れるような笛の音に乗せて、空の彼方へ(できれば、あの人のもとへ)と吐き出して、束の間の代償的満足(vicarious satisfaction)を得る」というような雅びなる脈絡での「思ひを遣る」であることだけは、付言しておくべきであろう。「相手本意」とまでは言えないが、「相手不在」の現代人みたいな無粋な自己中心性からは遠いのだ。その種の現代的「ジコチュー」は、平安人には(少なくとも文物の中では)最も嫌われるものなのである。
より普遍的な知識として、この種の「自己→外界」/「こちら→あちら」の方向性(vector=ベクトル)で対象へと歩み寄ったりすっ飛んで行ったりする接尾辞が「遣る(やる)」であるのとは逆に、「外界→自己」/「あちら→こちら」の形で、対象を自分の方へと引き寄せようとする(この意味で、自己中心的な)指向性を持つ接尾辞は「遣す(おこす)」である、ということをも覚えておくべきだろう。現代語「よこす(寄越す)」に置き換えればこの感じはわかりやすい:「相手」から「自分」の方へと「寄り来る」/「相手の立場から当方の立場へと引っ越す」のを、意図的に招請(または強制)する言い回しが「寄越す(よこす)」であり「遣す(おこす)」なのである。
「遣」の字は共通なのだから、こうした「遣る(やる)」と「遣す(おこす)」の違いを生むのは、例の、「る=自発、自然的現象」/「す=使役、意図的行為」の対照の図式であることは言うまでもない。そしてまた、現代日本人が、「相手が自分の方へと一方的に歩み寄る」ことを強要する(平安人が最も激しく嫌悪したタイプの)自己中心性を、もはや「ジコチュー」とすら感じられぬほどの「生き方の基本的ベクトル」としている生き物であることもまた、言うまでもないことであろう。
「見遣す(みおこす)=オマエがオレ/アタシの方を見ろ!オレ/アタシにオマエへの歩み寄りを求めるな!」的処世態度がもはや現代日本人の常態と化しているという事実の実証的証明が欲しくば、逆に、「見遣る(みやる)=あぁ、この人はいま、こういう気持ちで、こういうことを求めているんだろうなぁ・・・それなら、さぁどうぞ、こんな感じではいかが?」的行動・発言・心理の実例を探すことだ ― 周囲の人々の中にそれを見出すことが出来たなら・・・あなたは、幸せな人、である。見つからなければ、あなたは(&あなたの友人・知人も)ごくごく普通の現代日本人、ということである。
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▼ | ▲[26]【うず】でも【うんず】の中古カナ 単語集へ [テスト]-「ん」を巡る古語事情-
日本語の表記記号として「ん」の仮名文字が登場するのは平安の世も終わりの頃である。
しかしながら、紙面上に「ん」の字が登場する以前の時代にも、発音としての「ん」は古くから日本では行なわれてきたのである・・・ともなれば、そういう<「ん」読み>を、どう表記していたのか、という問題が当然浮かぶわけである・・・どうしていたか、わかりますか?答えは以下の2通りである:
1)表記上は「ん」の字は書かない(撥音無表記)が、書かれていなくても「ん」と読む。
・・・「うず(倦ず)」と書いて「う<ん>ず(倦<ん>ず)」と読むやり方であり、これが中古中期までの一般的作法なのであった。
2)「ん」の代替文字を宛てて「ん」と読ませる。
・・・最も自然なのは「む」であるが、その他にも「う」/「に」/「い」などの文字を「ん」代わりに用いていた。つまり、「う<む>ず」/「う<う>ず」/「う<に>ず」/「う<い>ず」がすべて「う<ん>ず」になるわけである・・・何ともややこしい話であって、これならいっそやらぬほうがまし(=「なかなか」なり)な話と言えそうだ。「撥音無表記」で「<ん>の音は適宜補って読むべし」が妥当な作法だったことがわかるであろう。
-「うず」を取り巻く現代語あれこれ-
「うず(倦ず)」は元々「うむ(倦む)」から生まれた語で、連用形「うみ(倦み)」が名詞化したところに形式動詞「す(為)」が付いて「倦み+す」(現代語風に言えば「退屈してる」)となったもの。そのように最初から「M」音を含む語だけに、「ん」文字不在の時代には「うず」と並んで「うむず」の表記が「うんず」の代用品となるのが自然な語だったようである。
その「うんず」は、現代語の「うんざり」にストレートにつながる語であるが、これ以外に「うず/うんず」につながる現代語はないであろうか?
「うずうず」などはどうであろう?撥音無表記古語なら「うず」となるだけに、その畳語(二枚重ね)表現としては自然に結び付きそうであるが・・・これは意味の上で無理がありそうだ。「うず/うんず」は「同じことの繰り返しで、うんざり・げんなり・がっかり」なのに、「・・・したくて<うずうず>している」は積極的行動を求める表現だから、方向性はまるで逆。種明かしすれば、「うずうず」はまた「むずむず」であって、「むず」は「・・・む+と+す」であり「・・・為むと欲す/・・・せんとほっす」であるから、「・・・したくてしたくて仕方がない」の意味となる「うずうず」の語源は「むず・むず」であって「うず・うんず」ではない、ということになる。
一方、「またそれかよ・・・いい加減やめてくれないかなぁ・・・付き合わされるこっちの身にもなってくれよ、まったく・・・ブツブツ」という倦怠感の表現として、その音感的カッタるさがウケて20世紀の終わり頃から(特に若者言葉として)多用されるようになった言葉がある ― 「ウザい」だ。「うざったい」の形で細々と使われていた「うず・うんず」の末裔が、略語化(「うざい」・「ウザっ」)によって生み出される唐突な滑稽味という新たなる風味を加えて息を吹き返した感じの語である。
ちなみに、古語には「うざいがき」なるへんてこ語もある。「有財餓鬼」と書き、「残飯や汚ない物を食らう地獄の餓鬼」という仏教語であって、生前に強欲な守銭奴だった連中が、あの世でその報いを受けて「うざいがき」になるのだそうだ・・・から、懸案の「うざい」とは関係ない表現である・・・が、「ウザいガキ!」と書けば何となく「ったく、カッタるいガキだぜ、消えな!地獄でもおうちでもどこでもいいからとっととオレの前から失せやがれ!去ね、シッ、シッ!」みたいな響きがあって、面白い。
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▼ | ▲[27]【青】は青春の青?青二才の青? 「ケツの青いガキ=青二才」の表現に見られるように、「青」は「経験・年齢の浅さ」を軽蔑的に表わす色である。「何を青臭いことを...」と言えば「現実ってのはもっと厳しいもんよ、坊や/お嬢ちゃん」という感じの見下し表現である。
こうした「青」の「未熟・中途半端」の色彩は、「なま(生)」という接頭語でも表わすことができる。「生っちょろい」の感覚の「フレッシュ」さは、しかし、「青春!」の新鮮さにもつながる。「青」の「経験の浅さ」はまた、「悪しき体験の蓄積のなさ」という清純さでもある。「青」は「清い色」なのだ。
「青二才!」だの「生意気!」だのを連発する人間は、「積み重ねた実績」を誇っているつもりで、実は「心のヒダに溜まった塵・埃・垢」が、そうした「アカと無縁のアオ」のまぶしさへの負け惜しみを口走らせているのでは?と自戒してみるべきかもしれない。
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▼ | ▲[28]複数化接尾語の階層分化 単語集へ [テスト]-立派な「人達」-
古語の「きんだち」は「君達」あるいは「公達」と表記し、「貴公子」(特に、平清盛の子息の平氏一門)を指す。
「きんだち」がこの種の「高い位の人々」を指すことからもわかるように、接尾語「達」には「複数」の意味と同時に「尊敬」の念が含まれることに注意したい。
-そこいらの「者共」-
一方、似たような複数の接尾語でも「ども(共)」ともなると「敬意」より「軽蔑」の響きが宿る場合さえある。このあたりの使い分けは古文では結構シビアで、紫式部も『源氏物語』の中で次のように書き分けている:
「行ひ人<ども>に、錦、絹、袈裟、衣など、すべて一領のほどづつ、あるかぎりの大徳<たち>に賜ふ。」(橋姫)
(仏教の修行者<の連中>には、にしき、きぬ、けさ、ころも等を寄進し、その場に居合わせた徳の高い僧侶<の皆様>には全員、一揃いずつを寄進した)
この一段低い「ども」の語感は「身ども(=この私め)」なる謙譲表現(複数表現ではない)にも表われているし、現代日本語でも「私<ども>といたしましては、今回の事態を深刻に受け止めておりまして・・・」などと恐縮する場面には「私たち」は相応しくないあたりからしても、時代を超えて脈々と日本語の中に受け継がれていることがわかる。
-親しき「我ら」-
また、肉親やそれに類する近しい間柄で親しみを込めて使われるのが「ら(等)」であって、これは「私達の母校」より「我等が母校」の方が何となく親近感を演出できるあたりからも感じ取れるであろう。「僕らの仲間」・「ウチらの掟」・「君らのレベル」、いずれも「軽侮」すれすれの親密度を持った「飾らぬ複数形」である。
次の歌では、「ら」が、複数語尾ではなく、軽い謙譲記号として働いている:
「憶良<ら>は今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ」『万葉集』三・三三七・山上憶良
(さぁ、私め憶良としましては、そろそろ退散いたしましょう。子供も父の私がなかなか帰って来ないので泣いていることでしょうし、母親も夫である私を待っていることでしょうし、ね)
-十把一絡で「これなど」いかが?-
複数化接尾語としての「など」は、幾多の類例が想定できる中からポンと適当に一つ摘み出す感じで添えられる語だけに、そこには常にぞんざいな感じの軽さが付きまとう。「ダイエット<など>なに試してもみな同じ。一月たったらリバウンド!」みたいな感じの投げやり感が「など」の隠し味であって、その軽蔑調を更に強めたければ「なんぞ」や「なんざ」・「なぞ」を使って書けば、もっと捨て鉢な感じを演出できる:「ダイエット<なんぞ>なに試してもみな同じ。数倍たっぷりリバウンド!」。
-「君こそ」ともだち?「こなくそ」挑発?-
古語にはまた、自分と対等かそれ以下の相手に向かっての「名詞+こそ」なる親密演出表現がある。相手への呼びかけに用いられる語であり、この種の語(例:「あなた」・「そなた」・「こなた」)の例に漏れず、その語源は「此(こ=here)」+「そ(係助詞ぞ古形)」であって、話者に近い場所に存在している相手に向かっての語であるから、「あ+なた=やや遠い<あっち>にいる人」や「そ+なた=目の前の<そっち>にいる人」に対するよりも親密度は高くなる、という仕組みである。
ところがこの「こそ」、今なお係助詞としては生き残っているものの、上記の間投助詞としては現代日本語には引き継がれず死語と化してしまった。恐らくは、その「こそ」が化けた変化形があまりにもバッチぃ響きでありすぎたせいでどっかに流されてそれっきりになってしまったものと思われる・・・その変化形は(!なんと!)「くそ」なのである・・・例えば「此花(このはな)」さんとかいう愛称の女性に向かって親しげに「さぁ、お食べ」と呼びかける場合など:
「此花こそ、召し上がれ」
・・・となるわけであるが、「こそ」こそ受け入れられる形ながら、この「こそ」が「くそ」に化けたら・・・
「このはなくそ、召し上がれ」
・・・何とも食えない表現になってしまうわけだ。これでは下水に流してどっかに消しちゃいたくなるのも当然だろう。
ところが、このこきたない感じの表現、実は形を変えて、現代日本語の中にも残っているのである。その宿便的な言い回しは、これだ ― 「こなくそ!」・・・別に、古典時代の「くそ」を粉末状に砕いて数百年ものあいだ保存していたわけではない。ここでの「こな」は、「粉」ではなくて「其処な(そこな)」の化けたものである。その原型を分析的に解釈すれば「其処(・・・眼前の場所)+な(・・・に存在する)+くそ=こそ(・・・此そ=自分と同等かそれ以下の社会的階層に位置すると感じられる他者)」である。畏敬する相手との間には距離を置くのが古典時代の意識であるから、「自分と同じ所にいるオマエ」は、敬意も遠慮も何もなく、ただひたすら挑発的な吐き捨て表現であることがわかるだろう。
それが「こなくそ!=この野郎!」の履歴書である・・・が、正統なる言語学的来歴よりも、恣意的な見た目(or聞いた耳)の感覚で事を処理する日本人の手にかかれば、この表現は当然、次のように化けるのくこそくふさわしい ― 「このクソ野郎!」
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▼ | ▲[29]「動詞」と「副詞」と「形容動詞」と「格助詞」の解剖学的文法論-「しく」から「しる」へ-
「雪の降り敷く朝の庭」・・・現代語だが、意味はわかるだろうか:降る雪が地面の上に「積層的に重なっている」朝の庭・・・このように「敷く」は「物理的に、同じ場所に、複数のものが、重なったり、広がったりする」のである。「宮城=天皇の住まいとしての、皇居」を意味する「百敷(ももしき)」も、「数多くの石畳を敷き詰めた」と解釈される場合がある(・・・もっとも、「百+石+木=ももいしき・・・無数の石材・木材で作られた」説もまた有力だが)。
そのような「物理的積層・展開」の「敷く(しく)」はまた、「政治的領土として君臨する」の意味の他動詞「領く(しく)」にもつながる。この「領く」の異形が「領る(しる)」である。「政治的に統治する」という行為は当然「意志的な行為」であるが、日本の貴人は「自らの意志と行動でそうせずとも、自然の成り行きとしてそのようになる」という「自然発露性」を尊んだから、自発の助動詞「る」の語感を含む「領<る>」の方が、意図的な営みを感じさせる「領<く>」よりも好まれたであろうことは想像に難くない。
この「領る(しる)」はやがて「知る」とないまぜになり、領主としての行政区画を意味する「知行国(ちぎょうこく)」なる表現の「知」となる・・・「領土の実情をよく知り、政治を行なう」の意味と説明され、それはそれで(日本語としては)妥当なのだが、語源学的には「知る」ではなく「領る」、さらには「領る」ではなく「領く」&「敷く」へとつながる、というのが正統なる「しる」の来歴なのである・・・いかがであろう、「知れば知るほど」面白いであろうか?それとも「知れば知るほどわけがわからん!」と感じるであろうか?
-「知る」も悲しき事なれど・・・-
いずれにせよ、これが日本語の(古今変わらぬ)根無し草的流動性である。文法構造レベルはともかく、個々の「語句」の生い立ち&成り行きに関しては、今ある「枝・葉」と元来の「根っこ」とが、多くの場合、まるで掛け離れているのだ・・・つまり、「学んでも学んでも、体系的には極めようがない」のが日本語(しつこいが「単語」レベルの話である:古文単語も現代用語もこの点まったく同じこと)であって、個々の語句に「それぞれの旅路」はあっても、日本語の語句全般に共通する「普遍的な原則」を見出すことは(単語レベルに於いては構造的に)不可能なのである。
英語をはじめとする西欧言語の語源学的確かさは、日本語には全く見られない。語源学的探求を重ねれば重ねるほどに、英語の場合は確実に語学力がステップアップし、その知識の適用対象は広がり、汎用的知性の高まりを実感できる・・・だから、学んでいて楽しいのである。日本語の(単語の)学習の場合、重ねれば重ねるほど、気まぐれに横滑りばかり重ねて積層的に重なることもない言葉には規則性・法則性などと呼べるものがまるで存在せぬという残念な真実を実感させられるばかり・・・これでは「学んで楽しい」わけがない。「雑学」としては(あるいは他者へのひけらかし用の蘊蓄としては)それなりの価値を認めてもよいが、知的探求としては決して体系的学問になり得ぬ(のだから面白い道理もない)ものである。そこから学べる汎用的真理の最たるものは ― 「無法」こそこの国の言語レベルに於ける「法」である、ということである。「無法」呼ばわりが気に食わねば「恣意」と換言してやってもよい;が、決してそれ以上のものにはなり得ない:日本語は(少なくとも「語句の成り立ち」次元では)拠って立つべき確たる大地を持たぬ「根無し草・無法」言語なのである。
-仕切り直して、「敷く」から「頻く」へ、そして「頻る」へ-
閑話休題。「しく」の話に戻ろう。さて、先述のごとく「敷く(しく)」の意味は「物理的な一定箇所への蓄積・展開」であるが、このように「空間的な広がり」を手にした言葉は、ほとんど決まって「時間的な広がり」へと発展を遂げるものである(「語句の組成」レベルでは法則性に乏しい日本語と言えども、こうした「言語学的発展過程」の普遍的原則にまでは背を向けたりしない)。すると次に生まれる単語は「頻く(しく)」である:「同じ事柄が、一定の時間幅をまたいで、繰り返し起こる」というこの語義には、「頻度(ひんど)」の熟語でお馴染みの「頻」の字が宛てられている。これがやがて「頻る(しきる)」なる異形につながるわけだ。
先ほどは「一定の法則性のない恣意的無法性が持ち味」と指摘した日本語だが、「漢字の宛て字も自由自在」というその性質ゆえに、多くの場合、辞書など見ずとも字面でその語義が類推できる取り柄もある(・・・宛字そのものが杜撰だと、類推もまた誤導に流れる嫌いはあるが・・・)。古語の「しきる(同じ事柄が度重なって起こる)」を覚える際に、仮名文字の「しきる」だけで覚えようとするのは愚かなことである ― 「頻る = 高頻度で・頻繁に・頻々と・頻出する形で・・・頻発する」のように漢字を宛てれば、どんな感じかはイメージで把握できる。どの道「厳密なる語源学的正統性」も乏しければ「明晰なる論理性」にも欠ける日本語なのだから(反論するつもりなら、まず英語・フランス語あたりの文法&語彙を極め尽くしてから「物申す!」と叫ぶがよい)、この種の「漢字の感じ」の助けを借りることこそが「日本語を極める王道」なのである・・・昨今の「哺乳類→ほ乳類」型ひらがな改編主義者連の知的劣悪性(劣弱性、とは呼ばない)の罪深さが、これを以て少しは感じられたことであろう。
-「頻る」から「頻り」(連用形)を経て「頻りに」(副詞形)へ-
さて、「頻る(しきる)」の旅路はまだ終わってはいない。時間的頻発性を表わすこの種の語句は、日本語だろうと英語だろうと、洋の東西を問わず、副詞的表現としての使用頻度が極めて高いものである。筆者は、日本の古語のみならず、英語の「単語」及び「熟語」の意味範疇別データベースをも構築しているが、その中でも数多くの語句を包含する最大グループの一つに「時間系表現」がある。日本人に比較すれば英語人種の「時間」という概念に対する執着度・綿密性は遥かに高いと言えるが、時間にloose(英語はルース/和語だとルーズ)な日本語といえども「時間系表現=副詞表現の大所帯」という言語学的事実に変わりはない。
さて、上述のような過程を経て誕生したこの「しきる(頻る)=一定の時間幅をまたいで、同一事例が、繰り返し発生する」なる「動詞」を、「副詞」と化す場合の作法は(いくら「無法」言語の日本語といえども)常に一定している ― 動詞「しきる」を連用形「しきり」に直して名詞化したものに格助詞「に」を付ける ― それで副詞「しきりに(頻りに)」の出来上がりである。
-「動詞」連用形+「に」の「副詞」を巡る文法的問題-
そういうわけで、作法としての「副詞作り」は単純明快だが、次なる問いへの答えはなかなかに複雑である:
問い1)動詞「連用形」(しきり)に付けて「副詞」と化す格助詞「に」は、どういう用法なのか?
答え1)「・・・の状態に於いて、・・・(であるもの)と(して)」の意味を表わす。
ここで、多少なりとも古典文法に詳しい学習者ならば、更なる問いを持ち出すであろう:
問い2)「動詞」連用形(しきり)+格助詞「に」=「副詞」(しきりに)は、「形容動詞」連用形と、どう違うのか?
答え2)同一。何も違わない。
そうなると次なる必然の問いはこうである:
問い3)「動詞」連用形+「に」=「副詞」と、「形容動詞」連用形とが、全く同じものだというのならば、例えば「とみに(頓に)」(=急に)の「品詞は何か?」と問われた場合、「副詞」と答えたらよいのか、それとも「形容動詞<頓なり>の連用形の<頓に>」と答えたらよいのか?
答え3)どちらも正解。より正確に言えば、次の解答法が正しい:
3A)形容動詞「頓なり」連用形「頓に」の副詞的用法
または、
3B)副詞「頓に」
既に考察した通り、「副詞」の生成過程は<「名詞」+「に」>である。その時点でおしまいで、それ以上の発展はない。
これに対し「形容動詞」とは、<「名詞」+「に」>の生成過程を持つ点までは「副詞」と同じだが、その形を含めて以下のような断定助動詞「なり」と同一の活用形を全て(・・・とは現実には必ずしもならないが、理論上は全て)備えるに至ったものを言う:
{なら・なり/に・なり・なる・なれ・なれ}
・・・この連用形「に」の一点に於いて、「副詞」と「形容動詞」が交差するわけである。
・・・これ以外に、数は極めて少ないものの、「と+あり」の化けた断定助動詞「たり」と同一の次のような活用形を具備するに至った形容動詞もある:
{たら・たり/と・たり・たる・たれ・たれ}
・・・この連用形「と」の一点に於いて、「副詞」と「形容動詞」が交差するわけである。
これら2系統の形容動詞は、同一活用形の助動詞の名にちなんで、それぞれ{ナリ活用}/{タリ活用}と呼ばれている。後者は漢文訓読調の古文に用いられ、中古の女性かな文学の中にはほとんど登場しない。『扶桑語り』の中に登場するのは「朦朧たり」の1語のみである。同じ語は『源氏物語』にも出てくるが、モロに漢文由来とはっきりわかるこの語さえ、女性たる紫式部の手にかかれば「ナリ活用」に化けてしまうのである!!・・・この事実のみを以てしても、「タリ活用形容動詞」が和文にいかに馴染まぬものであるかが、感じ取れるのではなかろうか・・・え、感じ取れない?・・・まぁ、朦朧たる意識の読者もいるかもね・・・それなら、次の資料ではどうだろう:
1)「えうぜんたり」
2)「かうかうたり」
3)「ががたり」
4)「さくさくたり」
5)「さだたり」
6)「さつさつたり」
7)「ちょうでふたり」
8)「まんまんたり」
9)「もうろうたり」
10)「りんりんたり」
11)「ろうろうたり」
12)「わうじゃくたり」
・・・約3万5千語を収録する『角川 全訳古語辞典』中から拾い集めた{タリ活用形容動詞}の全ラインナップが以上の12語である(まぁ、取りこぼしもあるだろうが、それでも全収録語中の0.03%が3%に化ける、というようなことはないだろう)。嘘みたいな本当の話である。これで〔形動タリ〕の古文に於ける位置付けがどんな感じか、わかったであろう?・・・え、何でひらがなだけで漢字がないのか?・・・ちぇっ、朦朧としてるかと思ったらけっこう細かに見てやがらぁ・・・ほれ、さっき言ったであろう、「形容動詞のタリ活用は漢文臭くて古文には馴染まぬ・・・ほどだから、その漢字もやたら難しい・・・ので一々辞書引いてかな漢字変換するのも面倒臭い・・・し、どうせ古文には縁遠い連中だから、ひらがなだけで御勘弁」というような具合である。
このように、「副詞」と「形容動詞」とは、「名詞+に」(ナリ活用形容動詞の場合)または「名詞+と」(タリ活用形容動詞の場合)の一点(数え方によっては、二点)で共通するものであるから、「頻りに(しきりに)」/「頓に(とみに)」/「皓皓と(かうかうと)」/「朦朧と(もうろうと)」といった語句を引っ張り出して、「これは、形容動詞か、副詞か、二者択一で答えよ」などと言われた日にゃぁ、出題者側の気分次第で100%不正解をもらってしまうトンデモ試験、という絡繰りである。
-助動詞「なり」連用形「に」/助動詞「たり」連用形「と」の正体-
以上の形容動詞{ナリ活用}/{タリ活用}を巡る考察を経ればもう確実にわかることとは思うが、ここで最後の問いである:
問い4A)断定助動詞「なり」の連用形には、何故「なり」だけでなく、全然違う語形の「に」があるのか?
問い4B)断定助動詞「たり」の連用形には、何故「たり」だけでなく、全然違う語形の「と」があるのか?
答え4AB)本当は、「に」だの「と」だのは「格助詞」であって、断定助動詞「なり」・「たり」の「連用形」ではない。ただ、次の理由から便宜上これらの「格助詞」を「連用形」としているに過ぎない:
便法4A)形容動詞{ナリ活用}の連用形として「名詞(or形容動詞語幹)+に」の形(例:「しきりに」/「とみに」)を「副詞用法」として認めざるを得ず、この場合の「に」を語幹の「しきり」/「とみ」と切り離して「格助詞」扱いすることは構造的に不可能であるため、形容動詞{ナリ活用}の連用形は「語幹+に」で一体化することとなる・・・からには、その{ナリ活用}の名の由来ともなった断定助動詞「なり」の「連用形」にも、やはり「に」の語形を認めるのが妥当であろう、というだけのこと。その際、断定助動詞「なり」の連用形とされる「に」はほぼ常に「に+あり/に+はあらず/に+やあらむ/etc, etc.」の形で「格助詞"に"+動詞"あり"」の語形へと分断解釈可能、という事実には、便宜上、目をつぶることとする。
便法4B)形容動詞{タリ活用}の連用形として「名詞(or形容動詞語幹)+と」の形(例:「かうかうと」/「もうろうと」)を「副詞用法」として認めざるを得ず、この場合の「と」を語幹の「かうかう」/「もうろう」と切り離して「格助詞」扱いすることは構造的に不可能であるため、形容動詞{タリ活用}の連用形は「語幹+と」で一体化することとなる・・・からには、その{タリ活用}の名の由来ともなった断定助動詞「たり」の「連用形」にも、やはり「と」の語形を認めるのが妥当であろう、というだけのこと。その際、断定助動詞「たり」の連用形とされる「と」はほぼ常に「と+して/と+てetc, etc.」の形で「格助詞"と"+接続助詞」の語形へと分断解釈可能、という事実には、便宜上、目をつぶることとする。
・・・こうした日本の古語(というか、日本語、というか、日本人)の「便法だらけで本物の法意識がない(に近い)」残念な特質に対しても、この『扶桑語り』では一切、目をつぶることはせず、冷徹な客観観察者の知性の目でこれを直視し、その真の姿を読者の眼前に遠慮会釈なしに提示することとする。
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▼ | ▲[30]【おひさき見ゆ】で見えてるものは? 単語集へ [テスト] 「もう先は見えてる」+「老い先短き我が身かな」÷2=「おひさきみゆ・・・老後の人生真っ暗け」と誤解する人が多そうな古語だが、「生ひ先見ゆ」の実際の意味は「成長した先の人生に於いて、輝くばかりに立派になっている人物の姿が、今からもう見えるようだ」である。
古文での使い方の多くは、「まだ幼い女の子」の姿に「美人に成長した女性」の姿が二重写しになって見えるというもの(光源氏の将来の妻となる「紫の上」の、「若紫」時代の描写など)だから、前途有望な未来の美女を、若い身空で惜らしなびさせたりせぬように。
似たような古語に「生ひ先籠る」がある。「前途有望」の意味であって、「成人後、部屋に引き籠もる」のような脱線解釈はせぬように。
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▼ | ▲[31]直接体験過去の【き】&英語仮定法過去・過去完了に見る視点の相違(「みやり」vs.「みおこし」論) 古文業界でよく語られる事柄として、<【けり】は他者から聞いた伝聞としての過去><【き】は自ら体験した直接体験としての過去>という区分がある。「き」・「けり」の助動詞としての特性の一部を捉えた言い方としては正しいが、その「直接体験」を語る主体の取り違えが起こり易いので、簡単に注意を促しておこう。
この場合参考になるのは、現代日本語ではなく、英語の「仮定法過去」/「仮定法過去完了」の区分である。
英文例1)He speaks as if he <knew> everything about English grammar.
和訳例1)彼は(現時点に於いて)まるで英文法の全てを知っているかのごとき口をきく。
・・・「現在」の時点の「反実仮想」だから「直説法現在」より1つ時制を遡らせての「仮定法過去」という絡繰り;この程度の文章なら、多少不勉強な日本人学習者でも間違いは犯さない。
・・・ところが、上と同じ意味内容を「過去」の時点に置き換えただけで、ほぼ100%の日本人がコケるのだ:
英文例2・・・まちがい!)He spoke as if he <had known> everything about English grammar.
・・・どこが間違いか、おわかりか?まぁ、こう改めて問われれば、間違い可能性のある箇所はたった一つしかあるまい ― <he had known>がダメなのである。正しくは以下のごとし:
英文例3・・・正解)He spoke as if he <knew> everything about English grammar.
「過去の反実仮想は、仮定法過去完了」/「現在の反実仮想は、仮定法過去」という字面通りの覚え方しかしていない日本人は、次のような短絡解釈の図式に陥る:
1)「He spoke」の表現を見て「過去だ」と思う・・・これは、正しい。
2)「as if...」以降は「反実仮想だ・・・現実にはそうではないことを、まるで・・・かのようだ、として語っている」と思う・・・これもまた、正しい。問題は、次の場面である:
3)「he spoke」以降の<he knew>は、「過去」の「反実仮想」なのだから、「仮定法過去完了」にしなければいけない=<he had known>でなければいけない・・・これが、いけない;「目の付け所=時制判断の基準点」が間違っているのである。
つまり、日本人は(英文法に熟達した者以外は100%例外なく)「読んでいる自分自身が身を置く時点=現在」を基点に全てを捉えているのである。これは『扶桑語り』の中で幾度となく指摘してきた事実であるが、「日本人は西欧言語的な意味での時制意識(過去/現在/未来)を持たず、自らの意識の中では全ての事象を現在として捉えている=自分自身が身を置いている時点があらゆる認識・描写の基点である」という言語学的体質が、そのまま露呈したJapanese fallacy(日本人ならではの誤謬:正しいつもりで実は間違い)と言えるであろう。
一方、英語人種の場合、日本人とは目の付け所が違う ― 上の英文例3)がそれを明確に示しているので、両者を対比して眺めてみよう:
(×)日本人的考え方)「He spoke:彼は、話した」を見て「"話した"のなら、今の自分から見て、過去」として時制を固定してしまうので、後続の「as if he knew」を「反実仮想の仮定法」に直す作業に於いても「過去の時点の反実仮想=仮定法過去完了=as if he had known」としてしまう。
(○)英語人種の考え方)「He spoke:彼は、話した」を見て「彼が話しているその時点」へと「自分自身の視点」を移し替える。「読者としての(現在に身を置く)自分」から見ればそれは「過去」だが、「He」の立場から見ればその「過去」が彼にとっての「現在」となる、という点を自然に認識しているのが英語人種である。その「彼にとっての現在」の時点で「反実仮想の仮定法」にするのであるから、時制は「仮定法過去」であって「仮定法過去完了」ではない。
日本人英語学習者で、上のような「仮定法の時制判断に於ける正しい視点」を有している者は、驚くべきほどに(or絶望の溜息をつきたくなるほどに)少ない・・・その根底には「自分が身を置くところこそがすべての中心」という「現在(or自分の立場)のみに固着した視点」があることは言語学的に間違いのないところである(社会学的にも、と言いたいところだが、これは少々由々しき言辞ともなるので、そのあたりの判断は読者各自の賢慮に委ねよう)。
古語で言えば、英語人種は「見遣り(みやり)=相手の立場へと自分の心的自我を重ね合わせて物事を見る」のが上手だが、日本人は「見遣し(みおこし)=自分は一歩も動かずに、自分の見方だけから世界を見、他者が自分に合わせて動いてくれるのを期待(or強要)する」体質がデフォルト(default=何らの改変をも加えぬ初期状態)に於いて根強い、ということになろう。このあたり(日本語以外何も言葉を知らぬ日本人には当然認識不可能な図式だが)、英語なり古語なりの「外国語の鏡」に照らし出してみた時の「醜悪なる日本人性」の一つと言わざるを得まい・・・そこに気付いた人ならば、「より美しい自分自身」を模索して動かざるを得なくなるのは間違いなく、このあたりにこそ「外国語の1つも知らぬ者は野蛮人」という西欧的wisdom(英知)が存するのである。
似たような感じで、日本の古語に於ける「き」の「直接体験過去」もまた、「読者」だの「筆者」だのの固定した視点から見れば「間接体験過去=けり」になりそうなところを、「作中人物」の視点から見れば「直接体験過去=その人物自身が体験したものとして語る"き"」になっている、という例が結構多いものである。
物語中の客観過去「けり」でなく、作中人物の主観過去「き」が見られる『扶桑語り』「ゆめにねぶるむすめ」の一節)
をのこたち、このむすめのもとよりあいぎやうづき、おひさきみえ<し>かたちありさまをしのびて、まなぶにかこちておとなひつるに、かくてそのざえいやまさり、ふみめづるさがいとどしくなりぬれば、いよいよねびまさりゆくけしきはさるものにて、なまじひにものがたりにことづけてまゐりてさかしだつもあやなからむとためらはれ、とぶらふこともおとりもてゆく。
現代語訳)男子たちは、この娘の、昔からかわいらしくて将来美人になりそうな容貌を慕って、学習を口実にこれまでは訪問してきたわけだったが、こうしてその学才が更に一層優秀になり、ただでさえ強かった書物を愛好する生来の性質がますます大変なことになってしまったので、成長するにつれていよいよ美しくなってゆく彼女の表情に気後れするのはもちろんのこと、なまじっか物語にかこつけて参上しては賢そうに振る舞うのも無意味なことだろう、と思わず躊躇してしまい、娘のもとを訪れる機会もだんだんに減ってゆく。
「をのこたち」と最初に断わってある通り、この部分は「筆者による昔語り」というよりも「作中人物である男子たちの立場から見た(主人公の少女に対する)過去の感覚」なので、「おひさきみえ<ける>」ではなく「おひさきみえ<し>」なわけである。
このあたりの「主体に関する視点移動」が、『源氏物語』あたりの頃の平安人たちには(文物から類推する限り)きちんとあったが、現代日本人にはまるでない。平安文法には存在した「完了形」も現代和語には跡形もない。これらの諸点から判断するに、平安時代の日本人は(現代倭人よりも遙かに)英語ができるようになる適性に恵まれていたと言えるだろう・・・逆言すれば、現代受験生に関しても、英語がきちんと出来る人間でないと平安時代の古典文法に対しては「しったかぶり(=痴れた頭・・・×知ったか振り)」の仏頂面鉄面皮を通しての曲解に終始することになる確率が高い、ということになるだろう。
最後に、次のように「過去完了」が妥当な例をも紹介しておくので、何故その時制が正しいか(「視点」という観点から)じっくり考え確認してみていただきたい:
英文例4)He spoke as if he <had known> everything about English grammar even before he went to high school.
和訳例4)彼は、高校進学前から英文法の全てを知っていたかのような口ぶりだった。
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▼ | ▲[32]「かほかたち」と「すがたかたち」【形・容・貌】 単語集へ [テスト] 似たようでいて微妙に違う古語は、異質の表現・概念どうし並べて立体的に把握するのが得策である。
「かたち」と「すがた」はどう違う?と聞かれたら、前者は「顔」/後者は「体形」(の美しさ)、と答えるのが正しいが、両者をそのまま単語として覚えておいたのでは、いずれごっちゃまぜになってどっちがどっちかわからなくなる可能性が高い・・・ので、次のような形で覚えておくとよいだろう:
1)「かほかたち:容貌」と「すがたかたち:体形+容貌」を対照的表現として記憶する。
2)「かたちびと」の表わす「美形(ハンサム・美人じゃん)」は「顔の美しさ」を表わし、「ナイスボディ(いぃカラダしてるじゃん)」を意味しないことを覚えておく。
そもそも、古典時代は人前で身体を露出しないのだから、「姿=体形」とは言っても、現代的な「ボディラインの美しさ」は問題にならず、外見的印象の主要素は「衣類」であって「肉体」ではない。
一方、世俗を捨てて仏門に入る「出家」を表わす幾多の表現の一つである「形を変ふ/形変はる」に関しては、「形」が「顔立ち」ではなく「美麗な衣装→地味な僧衣」/「光沢ある毛髪→剃髪して坊主姿」という「全身的外観」に言及している・・・それは何故であろう?・・・答えは、<「姿変ふ/姿変はる」とは言えないから>。
「姿」とは「身に付けた衣服を含めた全身的印象」であるから、「衣類」さえ着替えれば簡単に「姿変はる」わけである;が、それは単なる「衣装替え」や「変装」に過ぎない・・・から、「俗世から仏界への転身」という生活態度そのものの変更を意味するためには「姿変ふ/姿変はる」は不向き・・・となれば、残るは「形変ふ/形変はる」しかなかったわけである。要するに、「すがた」のピンチヒッターとして駆り出された「かたち」であって、日本語が「言葉の原義」に敬意を表さず、場当たり的に横滑りを繰り返す言語であることを示す一例である。
「かたち=顔」ということで言えば、多くの日本人が信じ込んでいる古典時代の迷信に次のようなものがある:「平安時代には、ほっそりとした瓜実顔よりも、ぽっちゃりとした肉付きのよいタイプの女性が美人とされた」・・・本当にそうであろうか?この迷信にはまた、次のようなまことしやかな"根拠"のオマケが付くことが多い:「当時は食糧事情が貧弱だったため、栄養が行き渡っていることを示すタヌキ顔は羨ましがられ、ロクなものが食えてなさそうなキツネ顔は疎まれた」・・・こうなると完全にインチキである。人間の「顔面」は、その人物の栄養学的状況を反映する部位ではない。ボクサーが致死的なまでの減量を重ねでもしない限り(フェザー級の力石徹がバンタム級の矢吹丈と戦うために命を削って2階級分体重を落とした時のような)「顔痩せ」など起こらない。「面長」/「丸顔」は専ら骨格の決するものであって、栄養学的事情とは縁遠いのである。
種明かしをすれば、要は「平安時代の描画手法は、近代美術の観点から見れば実に幼稚で、女性の顔面の豊かな表情を"大雑把な丸顔"以外の"絵になる描き方"で表わす能力を持ち合わせなかった・・・ので、女性は大抵タヌキ顔(=優しさを表わす)で表わされ、柔和な印象を与えるのが困難な細面は"男性の顔(=多少無表情でも意地悪そうでもかまわない)"の専用記号の趣があって、滅多に女性には用いられなかった・・・ので、大方の日本人は、平安時代の美女=丸顔、と思いこむようになった」・・・言語学的表現の緩さと同様、造形美術の稚拙さもまた、多くの日本人の「日本観」に少なからず影響を及ぼしていることは、覚えておいたほうがよい。
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▼ | ▲[33]【かこつけ】て、(かっこつけ)ては、マズいかな? 単語集へ [テスト] 日本語は世界にも稀なる横滑り型言語なので、語源学的にも論理的にもあり得ない言葉の使い方が多すぎて、改まって取り上げて客観的考察を試みれば、大抵の人々(日本人であれ外国人であれ)の反応は「まさか、そんな馬鹿な!」・「何言ってるんだ、こいつ!」となる。「かこつ」なる古語の変遷にも、この種の「大方のウケが良くなさそうな横滑り物語」を見出すことができる・・・どうせ受け入れられないことを承知しつつ、言ってみようか:
四段活用動詞の「かこつ」は{かこた(ズ)・かこち(ケリ)・かこつ(。)・かこつ(トキ)・かこて(ドモ)・かこて(!)}と活用する・・・が、現代日本語に残る「かこつ」は、「無聊を託つ(ぶりょうをかこつ)=あぁヒマだ、なぁーんにもすることがない、とブツクサ文句を言う」のような文語表現に原形を留めるのと同時に、「多忙に<かこつけて>無視を決め込む」のような変形を遂げてもいる。
「かこつけ(テ)」は連用形であるが、この連用形を持つ活用法は{かこつけ(ズ)・かこつけ(ケリ)・かこつく(。)・かこつくる(トキ)・かこつくれ(ドモ)・かこつけよ(!)}=下二段活用であって、四段ではない。この変化をもたらしたものは、「かこつ」の音でもなければ意味でもない;その漢字表記「託つ」のなせるわざである。
「託つ(かこつ)」の表記に極めて近く、意味もまた重なる語に「託け(ことづけ)」がある:動詞活用すれば{ことづけ(ズ)・ことづけ(ケリ)・ことづく(。)・ことづくる(トキ)・ことづくれ(ドモ)・ことづけよ(!)}の下二段活用となる。この「ことづく」には、現代日本語にそのまま残る「言付け(=伝言)」の意味の他に、「かこち」と同義の「口実・かこつけ・こじつけ」の意味もある・・・がゆえに、両者の「託」の字の共通性から、「託つ(かこつ)」+「託く(ことづく)・・・言付く(ことづく)」÷2=「託付く(かこつく)」なる非論理的錯覚転変劇が生じたことに、疑念の余地はない(この種の事例は日本語の場合それこそ腐るほど大量に存在するのである)。
このような横滑りを平然と演じる日本語であるから、「かこつく」・「かこつける」なる語との音調的類似性を持つ「格好(が)付く」・「カッコつける」なる言い回しにも、「意味の上では"かっこう"とは縁遠く思われる"付く"がついたのは、音が似てるだけ、という理由で例の"かこつく"・"かこつける"を引っ張っただけ?」という形で託ける(かこつける=事態の原因は他の何物かにあり、とする)のもまた、あながち無理な推論とは言えぬように思われる・・・ので、「格好(が)付く=何とか見栄えがする形となる。」・「格好付ける=中身がないのに外見だけは立派そうに見せる」(かこつ/かこつく、の横滑り語か?)とカッコ付き語源説として提示しておく。
などと書くとまた、日本語をマトモに知らぬが故に日本語の絶対的正しさ・美しさを妄信してやまぬ((○)止まぬ (×)病まぬ)人々は、この筆者の推論に「かこち顔=悪いのはオマエだ!という態度のブー垂れ顔」を返したり、「真珠を投げつけられたブタの猛進」で突っかかってきたりするかもしれない・・・(ので、あくまでこれはカッコ付きの仮説ということで、軽く逃げておく)
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▼ | ▲[34]【おと】+【なふ】人は常連客 単語集へ [テスト] 「おとなふ」の組成は「音+なふ」であり、「音=音信・あいさつ・ごめんくださぁーい!」であって、「なふ」は「その行為を(多く、常習・反復的に)行なう(・・・おこなふ)」意味であるから、「幾度となく相手を訪問したり、通信文を出したりする」意味となる・・・つまり、「仲のいいお友達との交際」に使う語であって、「初対面の誰かを訪問」なら「おとづる=音連る・・・訪る」とは言っても「音なふ」とは言わない。
この種の「なふ」の語感を実感するのに最も良い語は、「(縄などを)綯ふ」であろう。実際自ら縄をなう体験をしたことのある現代人は少ないであろうが、見学したことぐらいはあるだろう:複数の細長い繊維を幾度も幾度も繰り返し絡ませて一本の縄に仕立て上げるあの感覚が、多かれ少なかれ古語の「なふ」の「(常習・反復性の)動作」にも宿っているのだ。
「うべなふ(宜なふ)=YES, YES,そうだ、そーだ、ソーダ、と首をしきりに縦に振る=首肯する」が感じさせるオモチャのおサルさん的な首の動きも、「いざなふ(誘ふ)=Hey, come on, let's...ねぇ、ほら、さぁ、...しようょぉ~」の粘着性のおねだり感覚も、「あきなふ=Business = busy+ness = 忙しげに同じ事を繰り返すこと=継続性こそビジネスの本義とは見つけたり」の語源が「秋=収穫の季節」がやってくるたびに「百姓がせっせと手間暇かけて作った農作物」を「なふ」さぁ今こそ商機とばかり「まいど、おぉきに...ほなら、今年もまた、米**俵=**銭ほどで、あきなはせてもらいまひょか」と右から左へと流して利ざやをかすめ取って行く季節性渡り鳥的な「あきんど=秋人=商人=他者が作った何かを(収穫期のアキに要領よく)動かして自分の手柄にする人間」も、みんな「ナフぃ行動」取ってるわけである。
最後のヤツなんざ、「商売言ぅもんは、奥が深くて、飽きが来ない。そゃさかい、あきない、言ぅんや」などと平然と言い放つアキンドさんもよぉけおらはるよぉですが・・・まぁ飽きもせず横滑りさせて自分の好きなツボに勝手に言葉を落とし込みはりますこってすなぁ、このニホンゴいぅ常習性ビリヤード型言葉あっちこっち転変ゲームプレイヤーさんたちのおこなひ言うたらもぅ・・・んでもってそうした非論理的感覚一本のデタラメ説明にも、ま~ぁせっせとうべなふ御調子者のニホンジンがほとんどなんやから・・・もぅワテほんまによぉ言わんゎ(以下、無言・・・音ない)。
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▼ | ▲[35]【つ】って言っても「完了」じゃないの?・・・ったく、早く言っ【てよ】 辞書や教科書には「完了」助動詞と書いてある「つ」は、日本人には英語の完了形記号「have」を思い浮かべさせる・・・が、この助動詞にはもう一つ大事な用法がある:「確述」である。
推量助動詞と共に用いた「つ」の多くは、その推量の意を強める働きをしているのみであって、「完了」の意味は含まない。「てむ」・「てまし」・「つべし」・「つらむ」などは「きっと・・・だろう」の意味であって、「既に・・・していることだろう」のような(英語の未来完了形の)意味には(実はほとんど)ならないのである。
補助動詞に「つ」が付いた「ありつ」・「はべりつ」は、「確かに・・・という状況があった」となり、「あり/はべり」自体が持つ「存在」の意味を「つ」が強める分だけ「完了」の響きがないでもないが、意味の力点は「あぁ、あったあった、たしかにそういうことがありましたっけ」の力説にあって、時制的にそれが過去に属するもの/完了したものであることを言いたい表現ではない。
そして、「命令・勧誘」の文脈で用いられる「つ」は完全に「相手に対する強い持ちかけ=ねっ、お願い!」である。「やれ!」にせよ「やろうよ!」にせよ、まだ「やってないこと」だからこそ命じたり誘いかけたりできるわけであって、それは「未来」のことなのだから「完了=すでに・・・した」とは縁遠い。このあたりの事情は、そうした論理的考察によるよりもむしろ、確述の「つ」の命令形に語ってもらうほうがよかろう:「・・・てよ!」 ― 「教えてよ!」・「わかってよ!」・「いいかげんにしてよ!」 ― 今なお残る「つ」の名残りである。
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▼ | ▲[36]「【ちょこざい】な小僧め、名を、名を名乗れ!」・・・「私の名?はぁ、呉音で【ざえ】と申します」 単語集へ [テスト] 現在の日本には実質的に「古典」という概念がない。ほとんどの日本人にとっては「古典=古くさい作品」であって、「時を超えて人々に訴える力があるからこそ、古い時代に作られながらも、今なお残っている一級品」という意味の英語の「classic=古典・クラシック・・・ここでのクラス(class)の意味は、上級」は日本には(少なくとも現代の大方の日本人の間には)存在せず、単なる「classical=クラシカル・懐古調・・・いかにも古くさい雰囲気」が「classic:クラシック」を押しのけて居座ることで、「古典」を「古い時代に属するもの=今の自分には関係ないもの」として平然と黙殺している状況である・・・そんな連中にとっては「The Beatles:ザ・ビートルズ」すら「昔のグループじゃん」であり、「オジン、オバンの聞くナツメロ」なのだ・・・まともな世界の国々の人々に言っても「It just has to be seen to be believed.その目で見、身をもって体験した人じゃないと、本当にそうなんだ、なんて信じられない話」で、西欧/日本双方の「古典」を人並み程度に把握している人間の目からみれば、「残念」を通り越して、ただもぅ「笑うしかない」ていたらく・・・まぁ、それが「世界の文化人から見たニホンジン」の現状である。そうした日本人はまた、本当の世界を知らぬから「知らぬが仏」と澄ましていられるわけである・・・願わくば、彼らが一生厚顔無恥を貫き通せればよいのであるが、なかなか世の中、そうは甘くない・・・のだから、早いうちにガツンと一発食らわしておくほうが若い連中の&日本国のため、であろう。
そんな日本人に、テレビドラマの古典「赤胴鈴之助(あかどうすずのすけ)」の冒頭の台詞を投げかけても詮無きことであろうが、この随筆の標題にある「ちょこざいな・・・」の冒頭部は、その鈴之助くん(まだちびっこい少年剣士である)にコテンとやっつけられた大人の道場の面々の一人が吐く「小生意気なチビめ、お前の名前は何だ?!」のセリフである。これに名乗って答える「赤胴鈴之助だぁ!」が番組のオープニングを飾るわけであるが・・・ここでは無論、往年のテレビ番組だの現状の日本の文化的惨状だのがメインテーマではない:「ちょこざい」のみがお題であり、より本質的に言えば「呉音」テーマの随想文なのである。
「呉音」とは、一般の漢字読み「漢音」に対する、もう少し古い時代に行なわれていた中国由来語の読み方の作法と思えばよい。日本は古来、中国に文化の範を取って来たが、中国の文物を読み解いて日本の文化と言語へと吸収する過程で、中国語の読み方も当然「和風訛り」を帯びることとなった(現代の横文字を日本人がどう扱っているかを見れば、おおよその想像は付こうというものだ)。
そんな中、平安時代初期の国家的大事業として、例の「遣唐使」が中国(唐)へと派遣されることとなる。危険な船旅と長年の研修旅行の末に日本に帰国した留学生達は、「生きた中国語=唐の都の長安の発音」を身に付けて来ており、そんな彼らの耳には「文物を日本人風になまらせて読んだ従来の漢字読み」は「聞き苦しいインチキ発音」として響いたのである。
そこで行なわれたのが、「正しい中国語読み=漢音推進運動」であり、そこで槍玉にあがった「古くて間違いの中国語読み」が「呉音」だったというわけだ。現代日本人なら「誤音」とダジャレかましてそのまま通用させてしまいそうな用語だが、この「呉」は、例の「呉越同舟(ごえつどうしゅう=仲悪いどうしが一箇所に居合わせること)」なる四字熟語でも有名な中国南部の国の名で、「呉で話されている非主流派の中国語発音に近い」という感覚でこう命名されたらしい(・・・呉の実情に詳しかったとも思われぬ昔の日本人の命名であるから、このあたりの名の由来にはさほど敬意を表すべきとも思われないが)。
この「漢音推進/呉音排斥」の効果はしっかりあったようで、その後の日本語では漢字読みといえば「漢音」一色となった;が、古い時代から使われていた「呉音」も慣習的に残ることとなる・・・このあたりの対照の図式は上の文章だけからも感じ取ってもらえるだろう:「一色」を「いっしょく」で読まずに「いっしき」と読む現代人はほとんどいるまいが、「いっしき」は古代より「社会的階層を色分けする」という由緒正しきしきたりと縁が深かった「呉音」なので、今日もなお「一色田(いっしきでん・・・いっしょくでん、ではない)」のような形でしぶとく生き残っている。畏れ多くも「大和朝廷」より賜わりし田畑なれば、いかで「いっしょく」なる「漢音」に変ふべきか?お上の御恩(=呉音)忘るまじ、なのである。
「ちょこざい(猪口才)」なる言葉の中にもやはり「呉音」がある:「ざえ=才」である。漢音ならこれは「さい」と清音であるから「ちょこさい(chocolate vegetable?)」とでもすべきであるが、古来「ざえ」と濁音の呉音読みが慣例化していた語なので「ざえ」が「ざい」には化けても「さい」にはなりきれていないのである。
古い時代からある語の「呉音」が「漢音」にもめげずにそのまま残る背景には、それなり以上の理由があるわけだが、この「才=ざえ」を生き残らせた事情は極めつけである ― 「中国伝来の学問=漢学」そのものを意味する語が「ざえ」だったのだ・・・これではいくら「漢音」の権威をもってしても変えられまい。かくて、「(主に中国伝来の書物を源泉とする)学術知識全般」並びに「芸能全般」を指す「学才・才芸」の意味の「才」は「ざえ」の音のまま長らく生き残り、赤胴鈴之助君にやられた明治時代人の「ちょこざい」の中にさえ、ちょこっとその片鱗を覗かせているのである。
・・・とまぁ、この国に於ける外来語の発音だの文化的不毛だのを織り交ぜたこの種のコラム(column=列柱記事・本筋読み物の合間にちょこんとまぶした軽い随想文)に対する大方の日本人の心理的反応として最も相応しい用語の解説をもって、本文を締めくくることとしよう(サービスで、3つ、あげる):
1)ちょこざい=(自分より格下だと思い込んでいる相手が)いかにも気の利いたふうな発言・行動をして得意気な様子を、嫉妬交じりの非難の調子で貶す語。
2)ちょこ(猪口)=文字通りには「いのししのくち」、一般には(イノシシの口に形状が似ている)「杯・おちょこ」を指す。この語が「ざい=ざえ」と結び付いたのは、「ちょこっとしか酒の入らないおちょこ」と「ちょこっとだけ知っているに過ぎぬ知識(を偉そうに人前でひけらかすこと)」という「容器」にまつわる連想に加えて、「おちょこから酒を飲む時の口をすぼめた形」が「人前で偉そうに何かを言う時の得意気に口の先をとんがらせた姿」に似ている、という事情もあったものと思われる・・・が、所詮、このあたりの造語事情が徹底的に恣意的でしかない日本語であるから、語源的考察というよりも雑学的随想の域を出ぬ話ではある。
3)ざえがる=いかにも「自分は物知りだ」とか「自分には文芸的嗜みがある」と言わんばかりの態度を取ること(&周囲の人間の顰蹙を買うこと・・・Oh, what a suitable ending!このコラムの終わりを飾るにぴったんこだぞえ!)。
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▼ | ▲[37]【いや】?うぅん、とってもイイから、もっともっと。 単語集へ [テスト] 「いや!」と言われていい気持ちになる男はあまりいないだろうが、古語の「いや」は「弥」であり、やや転じれば「いよ」であり、畳語にすれば「いよいよ」となって、ここまでくれば「益々いっそう・・・」の意味が弥が上にも印象付けられることであろう。もっとも古語では「いよいよ」には寸足らずの「いよよ」で出てくる場面が多く、完全なるクライマックスに上り詰める寸前でヘタっている感じ(漢字で書くとどっちも「愈」)であるが、実際には一旦「いよいよ」の域まで達した後で、「母音がちょっと邪魔」なので「い」を脇に退けた形の「いよょ」に落ち着いたものである。
古語でこの「いや」にスポットライトが当たる語としては、「いやまさる(弥増さる)」がある。「いよいよもって増大する」の意味であって、「イヤな気分がどんどん強まる」みたいな倦怠期の恋人・夫婦の感情を表わす悲しい語ではない。
時代劇好きな人なら(そんな人が受験生に何人いるか疑わしいが)、お祝いの席で一同が唱える「いやさか!」の音頭ぐらい聞いたことがあるだろう。「アタシのチャリンコ、変速ギア付いてないから、上りはほんと、キツいのよ・・・イヤっ坂!」みたいな連想する人(そんな人がこの筆者以外に何人いるか疑わしいが)は、「弥+栄ゆ=いやさかゆ=益々の御繁栄をお祈りします」の字面をもってイメージ修正を図ってほしい。
なお、「いやおうもなく」なる言い回しに含まれる「いや」は、これはもう間違いなく「イヤ!否・・・NO!」であって、直後の「おう!=応!・・・よっしゃ!OK!YES!」と対比をなして「相手がNOと言おうがYESと言おうが、そんなことにはおかまいなしに」という有無を言わさぬ強引さを表わす表現である。
いささかとりとめもない方向(一部、下方向というか、いやらし方面というか)へと脱線してしまった「いやまし」・「いやさか」の話・・・これ以上わんさかと漸増傾向を示すといやがる人も多かろうから、ここらでお開きでいぃや。
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▼ | ▲[38](×)【めづらし】 (○)【めでたし】 単語集へ [テスト] 現代語には「愛でる(めでる)」の形で残る古語が「愛づ(めづ)」。「メデル」だと小学生駄洒落的には「出目金(でめきん)」だの「目ん玉飛び出る(ほど値段が高い)」あたりを思い浮かべそうだが、古形「めづ」の連想は至極自然に「めづらし(珍し)」に結び付くことであろう・・・が、この連想は語源学的には少々ズレていて、「めづらし」=「目+連らし」=「目線を外さずにいつまでも目撃し続けていたい(シャッター押しっぱなしで連写しちゃいたい)・・・それほどまでに滅多に見られぬ(すばらしい)ものだ」が正解である。
言語学的に言えば、「愛づ」の形容詞形は「めづらし」ではなく、「めでたし」である。その組成は、この動詞を連用形「愛で」で名詞に変換したものに「いたし(甚し)」を付けた「愛で+甚し=愛好心旺盛or愛らしさ全開」である。
もっとも、「愛づ」の気持ちはどこから生じるかと言えば「目で」見て「美しい」と感じるところから、というのが基本であるから、「目+連らし」も「めでいたし=目で見てホレる気持ちがイタいほど強い」も、根源的に異質なものではないと言えるだろう。
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▼ | ▲[39]【さが】=【とが】? 単語集へ [テスト] 「性」と書いて「せい」ならぬ「さが」と読めば、そこには常に「困った性質・・・と、わかっちゃいるけどやめられない」の否定的語感が伴う(例:「性に貪欲なのは男の性」)。この性質は古来のものらしく、「さが」は「その人が生まれながらにして持っている、変えようがない宿命的特性」の意味として、しばしば良くない体質を指す語として使われている。英単語で言えば「propensity」あたりの持つ否定的陰影を宿した語であり、「character」や「trait」のような中立的語感の古語ではない。
が、それにしてもこの「(性)さが」を ― ある意味で当人の責任ではない生来の困った性質を ― 「罪」だの「欠点」だのとまで言い放つのは如何なものか?遺憾なことだと言うべきであろう?が、実際、近世の和文ではそうした語義への横滑りをこの「さが」は演じている。何故そうなったのか、は至って単純で、次のような純朴なる類推(有り体に言えば、思い違い)に起因する現象である:
1)「さがなし」なる形容詞が「困ったものだ」の意味で多用された。
・・・「性」=「人が生来持つ変えようのない性癖」である以上、「無くて七癖」の格言通り、「性」は誰もが持つものであるから、この「性なし」は「性+無し」である道理がなく、「性+甚し」である;からには、「甚だしい」として強調されて「まったく困ったものだ」の意を表わすこの「性」は「困った性質・罪」であろう、という発想である。
2)「さが」と音感的に類似した「とが(咎)」なる名詞が存在した。
・・・そして「とが」の語義は「罪」である;ので、「さが」=「罪・いけないこと・欠陥」というわけである。こんな単純な取り違えで語句の意味が変わる現象など、英単語にはまず起こり得ないことである。アルファベットという表音文字で構成された西欧言語では、微妙な音の差異に対して日本語とは比較にならぬほど敏感なのだから、こんなアホな取り違えを演じようがないのだ。・・・というよりむしろ、漢字という表意文字に時折混じる平仮名という表音文字が適当に組み合わされて営まれる「チャンポン(&チャランポラン)言語」日本語による言語活動では、単純な字面や音感上の類似性に起因する混同が、英語などの基準から見れば到底信じ難いほどの安直さ+高頻度で発生しまくる、と言ったほうが正しいであろうか。
日本語育ちの日本人の音感的鈍感さは、まじめな顔して英語人種に「Please SHIT here (which is meant as 'Please SIT here'.)」だの「I ROB you (meaning, of course, 'I LOVE you'.)」と言っちゃう言語学的「さが」に見られる(or聞かれる)通り(当の日本人以外には)有名(meaning, of course, 'notorious' as opposed to 'famous')な話だが、こうした体質の改善には「LとR」だの「SとSH」だのの表面的な舌の使い方ばかり特訓してもどうにもならない。「日本語」&「日本人であるということ」が本源的に持つ「さが」の否定的側面から目を逸らさず、直視してその醜悪さ・愚かしさを熟知し、これに陥らぬよう自戒することで、意識的・意志的にその「さが」から遠ざかる覚悟を持つことである・・・「横滑りばかり繰り返すいいかげんな言語」というのは紛れもない「日本語のサガ」であるが、個人個人の言語学的賢慮と意志的努力によってこれを(西欧言語圏の人々に対して恥ずかしくない程度まで)克服することは十分可能なのであるから、その意味で「バカっちい日本語使い」は「個人的トガ」であり、「日本人としてのサガ」ではない、と言えるのだ。
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▼ | ▲[40]【いゃいゃ】も【いぃよいぃよ】のうち? 「いゃよ、イャよ、も、イィのうち」なる古い格言がこの国にはある。女は本心では'イィ'と思っていても口では'イヤ'と言って男をジラすものだから、言葉による拒絶に簡単にメゲたりせずに「一押し、二押し、三に押し!」の押しの一手で女を口説きにかかるべし、と男にけしかける「オトしの極意」である・・・というか「だった」というべきか;執拗な女性への言い寄りを「stalker:ストーカー・・・迷惑なつきまとい屋」だの「sexual harassment:セクシャル・ハラスメント・・・和風に略せば'セクハラ'」だのの罵倒語ともども葬り去らんとする機運渦巻く現代日本では、ヘタに鵜呑みにしてかかれば、ただ無様にフラれる喜劇ばかりでは済まぬ悲劇(=「女の敵の性的犯罪者!」の不名誉な烙印)へと男を追いやる困った格言なのだから・・・。
と、まるで無関係な前振り繰り出した上でいよいよ「いよいよ」の持つ「いょ」の特性の言語学的考察に入るのであるが、この「いょ」が実は「ぃや」なのである。ややこしい話であろう?といってもこれは「YES / NO」の話ではなくて、「ぃや=弥」なる接頭語が「いょ」なる音に横滑りした末に畳語化して「いょぃょ」に化ける(時には「いょょ」にも化ける)、という(日本語には日常茶飯事の)展開をおチャメに紹介するストーリー展開、というだけの話である。少々スキ放題遊び過ぎたキライがあるので、最後に真面目に補足しておくなら、この「いや=弥=段階的に度合いが増して行くこと」は古語にはよく出る接頭語であって、現代語にも「いや増しに=more and more, increasingly」のような言い回しで生きている。
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▼ | ▲[41]【勝る】相手は一体だれ? 単語集へ [テスト]-相手が見えなきゃ、勝てっこない-
昨今の日本人は「勝ち」だの「負け」だのを軽々しく口走るようになった(例:「勝ち組」・「負け組」)が、「敵を真正面から見据えてかかる」体質がない国民性は千年前からまるで変わっていない。その言語学的証明としては、「比較構文に弱い」という一事を例に引けばそれだけでもう十分であろう。特に、相対比較にうるさい英語を学ぶに際して、日本人は「比較対象がマトモに見えてすらいない=優勝劣敗の理がわかる道理もない」という形でその勝負弱い馬脚を顕わすものである・・・カチンと来ちゃった日本人も大勢いるだろうから、彼らの心情を代弁する英文も添えておこうか:
What you say couldn't be further from the case!
・・・「further」は「father(お父ちゃん)がツムジ曲げちゃった姿」じゃなく「far=遠い」の比較級である;が、何と比較しているか、おわかりだろうか?・・・と、聞かずもがなのことを聞くのも意地悪だ(どうせわかりっこない)から、正解はこちら→「than you are far from the case now」
・・・ついでに言えば「couldn't」が「can't」でない以上、これは「仮定法過去:subjunctive past」であるから、そこに「見えない条件節」を読み取るべく「even if you tried to be further from the case than you now are」を補足する読み方も(英語人種なら)反射的に行なうべき芸当であるが・・・日本人にそれを求めるほどのヒドい「言語学的事実誤認」とは無縁の筆者なれば、ここらで本題に移ろう。
-「マセ」てる?それとも「マシ」てくる?-
「ねび+まさる」=「成長する+より素晴らしい状態である」なるこの古語が「勝る=優れる」を含むものである以上、そこには相対的に「劣る(おとる)・後る(おくる)」対象が想定されるところである;が、実は、「ねびまさる」ではこの対象が一定せず、何を対象と捉えるかに応じてその意味も次のように二つに分かれるのである:
1)比較対象=<現時点の年齢相応の水準>
・・・これだと「その年頃の普通の男の子/女の子」<よりも勝っている>となるので、訳語は当然「マセている」とか「大人びて見える」とかの早熟な感じを表わすものとなる。人間という生き物は、向上心を失わぬ限りは死ぬまでずっと知的成長を続けるものだが、身体的成長は18歳ぐらいで停止して以後は横這い~緩やかな下降線を辿る生物学的宿命であるので、「当該年齢の平均的水準」を「(早々と)越えている」と呼べる対象は必然的に「まだ大人になりきっていない子供」だけである。12~14歳(古典時代の女子が「裳着(もぎ)」・「髪上げ」をして「形式上の大人」の仲間入りをした年齢)の少女をつかまえて「大人っぽい」と言うことは可能でも、18歳や20歳の女性に「君って大人っぽいね」と言う男は(ばっかみたい・・・よほど女と無縁の男なのね)と鼻であしらわれておしまいであろう?そういうわけで、こちらの「ねびまさる=マセちび」の対象はもっぱら「子供」(それも大抵、"将来の美少女候補")というのが通り相場なのである。
2)比較対象=<以前の自分自身の水準>
・・・これだと「小さい頃は大したことなかったけど、大きくなるにつれて見違えるように立派になってきた」という「みにくいアヒルの子(The Ugly Duckling)」パターンとなる。こちらの場合、何も「小さい子供」のみが対象となるわけではなく、「年齢を重ねるにつれて渋みが増す」というような「華麗なる加齢」にも言及し得る古語である。
-後発的多義性-
このように、比較対象の捉え方次第で全く異なる二つの語義に分かれる「ねびまさる」であるが、この多義性は最初から意図されていたものではない;「そもそも、比較対象が明確に見据えられていなかった→当初の使われ方とは異なる比較対象が後から見つかって、それに応じて意味も変わってしまった」という偶発性の産物である。比較対象を何と捉えるかは「使い手の恣意」が決するものであって、「当初の使い手が何を想定していたか」などは問題にもならぬのが日本語なのである。
「確信犯」なる語に関しては、「それが'悪いこと'だと知っていながら、いけしゃあしゃあとそれをするやつ」の使い方が(実際、そういう人間が圧倒的多数を占める世の中なのだから)日本語の中で支配的になるのは理の当然であって、この語を最初に用いた人間が「狂った社会の約束事によれば'有罪'とされるものの、それでもなおかつ'正義'と信じた事は貫き通す・・・その結果、'良心の犯罪者'として断罪される人物」という立派な使い方を意図していた、という事実など、多数決へと自然に靡く言語学的実用原理の前には、何の重みも持たぬのである(・・・特に、原理・正義に対する敬意が恐ろしく低い日本人の手にかかれば、ね)。
この種の横滑りを数限りなく繰り返すうちに、「本来の正用法」などというものを想定する営み自体が全く空しくなるほどの「可変的多様性」を有するのが日本語という言語の特性なのである。西欧言語、少なくとも英語には、言語学的来歴をこれほどなおざりにする身勝手な無秩序性は、ない。「原典・原理・正義・正論」への忠義立ては、西欧人にとっては「生理」であり「宗教」ですらあるのだ(この点に於いてもやはり、大方の日本人は「無宗教」なのである)。
-「ねびまさる」の対義語やいかに?-
なお、「年齢上昇と共によくなる」表現がある以上、逆に「年齢が上がるにつれて、残念な感じになる」やつもありそうである・・・が・・・古語辞典にはそういう語は載っていない。語学的には「まさる」の対義語は「おとる」や「おくる」なので、さしづめ「ねび劣る/後る」とでもなるのであろう・・・が、よくよく考えてみれば、「老化に伴い、水準が落ちる=経年劣化」は無常の世の理である。「ねび勝る」はあっても「ねび劣る/後る」がないのは、「人はいつかは必ず死ぬ」という命題同様、当たり前すぎて「言ふべきにもあらず」ということであろう。
もっとも英単語には、「いつかは死ぬべき運命(の生き物)」なる自明の理を表わす「mortal」なる形容詞/名詞が存在する・・・その対極に「immortal:死ぬことのない」比較対象として「gods:(ギリシア・ローマ神話の)神々(Zeus, Hera, Poseidon, Hades, Athena, Ares, Aphrodite, etc, etc.)」があればこそ、の芸当である。
であるから、いずれ人類が「cloning:クローニング=細胞レベルでの生物再生技術」に加えて「memory-transplant:メモリー・トランスプラント=記憶レベルでの人生移植技術」をも手にした暁には、2010年現在の日本語には(自明のこととして)存在しない(「immortal:不死身」の対義語たるべき)'死身'を表わす和語が、当然、生まれることになるのであろう・・・もっとも、筆者も読者も、それまでには確実に死んでいることであろうが。
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▼ | ▲[42]【なまじひ】→【なまじ】・【なまじっか】 単語集へ [テスト] 「中中」の部分での語源学的考察でも取り上げた「生+強ひ」であるが、繰り返せば、この「生」は「中途半端」の意味であり、これを重ねた「生生(なまなま)」は「なまなまなことでは・・・できない」のような形で現代日本語にもなお残る。この意味では「生半(なまなか)」でも同じであり、「半半/中中(なかなか)・・・できない」に通じることは、別記事で指摘済みである。
そしてまた、そのようにして遠縁の親戚的に「中中」につながるこの「なまじひ」が、その現代型「なまじ/なまじっか」の表わす語義「そんなことするより、むしろしないほうがまだマシ」に於いて、古語の「中中」の語義に完全に重なることも(本作を順繰りに読んでいる律儀な読者なら)覚えているであろう。
筆者は、全く同じことを二度も三度も繰り返し言う/言われるのは大嫌いな体質であるが、語学に於いてはこの種の再放送が大事なことであるのも事実・・・この事実の指摘だけは、二百回でも三千回でも、機会があるごとに繰り返させてもらうつもりである(それが「生強ひ=逆効果」になることもあるまいから)。
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▼ | ▲[43]【言+付く】=「これ、あんたが言って」/【事+付く】=「これ、あんたがやった!」 単語集へ [テスト] 古語の「こと」は「言」と「事」の二つに分かれるが、上代の日本に於いてはこれら二つは字面の上でも概念的にも「不可分」のものだったと言われている。中古以降「言/事」は次第に分化し、現代日本に於いては「言/行不一致」はもはや「言ふべきにもあらぬ」世の常と堕した感がある・・・が、まぁそうした社会学的考察はこの際さて置くとして、奈良時代あたりの「こと=言&事」という渾然一体性は、平安時代の日本語にも惰性的に引き継がれている部分があり、「こと」を含む古語の場合は常に「言?or事?」という問題意識を持って臨む必要がある、というのが古文読みの鉄則であることは指摘しておくべきであろう。
この「ことづく/ことづけ」もやはり、「言+付く」と見れば「自分では言えない何かを、代理人に託して他者へと伝えてもらう」の意味(現代日本語にも残る「言付け・言伝て・伝言:message」)と同時に、「事+付く」=「出来事の原因を、誰か/何かに帰する」の意味(英語で言う「attribute/ascribe A to B」)をも表わす。
「言/事」が完全に別物の現代日本に、前者の「託け(message)」のみ残り後者の「事付け(blame)」が死語と化したのは当然のような気もするが、どっこい、この「事付け」、意外な形で今に至るまで残っているのである ― 「かこつけ(る)」がそれである。「ことづけ(言付け/事付け)」は、現代日本語ではいずれも「託け」と表記する。この「託」の文字が使われる古語に「かこつ(託つ)」がある。四段活用で{かこた(ズ)・かこち(ケリ)・かこつ(。)・かこつ(トキ)・かこて(ドモ)・かこて(!)}と変化する動詞であるが、これが下二段活用の「ことづく」={ことづけ(ズ)・ことづけ(ケリ)・ことづく(。)・ことづくる(トキ)・ことづくれ(ドモ)・ことづけよ(!)}と混じり合った結果として、「託つ(かこつ)」+「託く(ことづく)」÷2=「託付く(かこつく)・・・かこつける」なる語の誕生を見たわけである。「言」と「事」とが二つに分かれても、「言の葉」が字面&音感の安直な類推から数限りなく横滑りを演じた結果として意外な形で一つにくっついてしまう日本語の体質は、古来、まるで変わらない・・・というか、近年、横文字なる新たな要素も加わることでますます激化or悪化の一途を辿っている、というべきか。
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▼ | ▲[44]【おす】【めす】【はむ】【くふ/くらふ】【たぶ】ん?・・・【マイル】還元、オッケーですか? 単語集へ [テスト] 大方の言語学的に無知な日本人は、「敬語」という代物を異常なほど恭しく崇め奉っていて、それが「マトモに使えぬ連中=無教育者」vs.「まともに使いこなせる自分=頭のいい人間」という安直な図式の上に胡座をかいて悦に入っているのが見て取れて吐き気がする場面が実に多い・・・日本語の古今の姿を熟知しつつ、英語という鏡を通して客観視することのできる言語学的展望を有する知識人として断言するが、日本語の敬語というやつの論理的無茶苦茶さは、世界に類を見ぬほどの度し難さであって、こんなどうしようもない代物に「マトモな使い方」が成立するなどと異常なことを思っている人間は「アタマがマトモじゃない!」のである。
敬語のバカ臭さの実証例は山ほどあり、それらを見据えて「日本語の恥部」として確実に認識することもまた古文学習の大事な課題であるから、ここでは、この「参る」なる「謙譲語」が、何時の間にやら「尊敬語」に化けた阿呆臭い事情の解題を通して「敬語ごときトンマ話法を敬うアホ日本人を一人でも減少させる」という社会浄化運動の一環としたいと思う。
「参る」が「尊敬」になる場面は 「飲食」系の語に限定されている:「着る」・「為(す)」等にも横滑りしてはいるが、根源的に「食む(はむ・・・'歯'に由来)」・「食ぶ」・「食ふ」・「食らふ」・「飲む」なる動詞の使用を回避するための「参る」である。
本講座では幾度となく指摘してきたことだが、古典時代の貴人にとって「飲食」は不浄の営みであった。動物を捕らえて殺して切り刻んで煮たり焼いたりしてその生命力を我がものとして奪い取る営みが「食ふ」ことである以上、そんな「穢れ」には主体的に関わりたくない ― その偽善的な目隠し体質が、「飲食系の'動物的'行為」への直接的言及を(例によって!)忌避させたわけである。
その結果として、これら飲食系の動詞の代替物となったのは、上代に於いては「をす(食す)」であり、中古には「めす(召す)」が一般的となった(別に♂と♀を絡ませて遊んでるわけじゃないが、ダジャレで覚えておくのも一法ではあろう)。これらの語については、(その偽善的心理についてはともかくも)言語学的に問題はない;「尊敬」一本槍の語だからである・・・が、「参る」にはまったくまいる;「謙譲」が「尊敬」に化ける道理がないのに、「貴人の飲食」場面に関しては「敬語」なのだから!
察するに、「謙譲」の「参る」を用いて<貴人の眼前に「食事」を「献上」>する場面が、<貴人が「食事」を「飲食」>する「敬語」へと安直にすり替わってしまったのであろう・・・が、こんな主客転倒芸を平然と演じられては、その言語の理知的解明作業は著しく困難(or実質的に不可能)となる ― そんな芸当を無数に演じられてしまえば、もはや「あほらしくて付き合ってられん!」となるのが理の当然・・・古今、「古文」なる教科に人気がないのもむべなるかな、である・・・が、そうも言ってはいられない日本人も多かろう。なにせ「古文」は入試に当然のような顔をして出るのだから受験生としては「無縁ではいられない」はずだし、第一、この「非論理体質」は現代日本語にもそのまま(否、遥かにパワーアップした形で!)継承されているのだから、日本人の誰一人としてこの「あほらしくて付き合ってられん言語」と「無縁ではない」のである・・・。
ちなみに、この種の<「謙譲」・「尊敬」錯覚型敬語>は「参る」のみにとどまらない。事を「飲食」系に限ってみても、「聞こす」なる「謙譲語」が「お食べになる/お飲みになる」の「尊敬語」に化けている現象を指摘することができるし、有名どころで言えば例の(尊敬語の王様!)「給ふ(たまふ)」が「謙譲語」に化ける現象を知らぬ受験生は(まともに勉強してるよい子のみんなの中には)一人もおるまい・・・一応、活用形だけは「四段=尊敬/下二段=謙譲」と分化しているので、表面的体裁だけは「文法的に意味ある変化」に思われるが、そんなのはあくまでも形ばかりのことであって、これまた「貴人関連の場面」だからこそ「尊敬・・・だったっけか?ま、いいゃ、どうせ似たようなもんだから謙譲の意で使ってもよかろうぞ」の意識が根底にあったことに疑念の余地はない(類例の多さからして・・・「Grammar is based on usage.」文法的考察は、実例の多さに依拠して行なうべきもの、なのである)。同様の「へりくだり?もちあげ?」の錯乱現象は「まおす(申す)」なる「謙譲語」を「我が主が申しますには」的な「丁寧語」とも「尊敬語」ともつかぬヘンテコな形で用いる例(「時代劇中の」サムライことば)にも現われている。こうした横滑りばかり繰り返す日本語では、古語のうち、時代を経てもなおその原初用法をきちんと留めているものは(絶望的なまでの)少数派なのである・・・。
が、何よりも根の深い問題は次のことであろう ― この種の日本語の安直なる非論理体質をきちんと指摘する人間を、この筆者は、自分自身以外に一人も知らない ― 即ち、「自分は日本人である」→「日本語は自分の母国語である」→「日本語を悪く言う者は自分を悪く言うも同じである」→「日本語、即ち、この自分を悪く言う者は、許さない」&「他の日本人を悪く言うことでその怒りの矛先を自分自身に向ける行為は、できない」という心理学的すり替えにコロリとはまってしまう知的短絡体質と、姑息なる社会学的逃避体質とが、古来、この日本国には蔓延している、ということである。・・・これでは、言葉も、社会も、改善の余地がない!
露骨に感情的&感傷的な身びいきは何の渋面もなしに罷り通るこのダメな日本国に対し、この筆者は当然辟易してはいるが、それでもなおかつこの国の恥部をあげつらうことをやめるつもりがないのは、醜悪さから目を逸らさぬことが、美しく変わるための唯一の道だと信じるからこそであり、どうでもいいやつならともかく、愛する母国(&その同朋たち)にはやはり美しくあってほしいと願うからこそである・・・もっとも、この国にはそうした献身的批判はまるで流行らないようで、筆者のこの哲学を代弁してくれる次の台詞も、(同じ島国とは言いながら日本とはまるで異質の)英国の小説家John Boynton Priestley(1894-1984)のものであるのが、少々残念なところだが・・・ともあれ、ダメ国家日本に平然と安住している困った面々には、一読を勧めたい:
We should behave toward our country as women behave toward the men they love. A loving wife will do anything for her husband except to stop criticising and trying to improve him.
我々の母国に対する態度は、愛する男に対する女性の態度と同じであるべきだ。夫を心底愛する妻ならば、彼のためなら何でもするものだ ― 彼女が唯一しないのは、「批判を通して彼を改善するための努力を放棄すること」のみである。
・・・もっとも、「相手が批判を聞く耳を持たない」&「相手に改善の余地がない」ということを確信させられてしまった場合、残された道は唯一、「離婚」しかないことにはなるが・・・。
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▼ | ▲[45]古語の【ためらひ】は案外積極的 単語集へ [テスト] 現代語では「行動に出られず、弱気に立ち止まる」=「専守防衛」の雰囲気がある「ためらふ」だが、古語ではこれ以外に「興奮状態にある気持ちを落ち着かせる」とか「病状が快復に向かう(・・・ようにするため、静養する)」といった「守り」と「攻め」の中間的色彩の語義がある。
「ためらふ」の語源は「矯む(=人為的曲げ伸ばし)+ふ(反復)」であるから、上記の意外性ある語義は、「敵(=取り乱した精神/乱れた体調)と自分との間に、タメを作る」と考えればよいであろう。ボクシングで言えば、殴りかかってくる相手に対してただガードを固めてじっと耐えているのではなく、身体を前後左右に揺らしたり(スゥェイバック)、フットワークを使って相手のパンチをかわしてみたり、時には軽くこちらからフェイント攻撃を仕掛けてみたりして、こちらの間合いへと持ち込んで行く作戦、というわけである。自分も相手も、お互いそうした「自分の間合い」へと敵を引きずり込もうとして競い合うスポーツを身体で知っている人ならば、「無闇に突っ込まず、受け太刀一方にもならず、上手に'タメを作る'」の感覚でこの「ためらふ」を捕捉することができるはずである。
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▼ | ▲[46]【ゆ】【らゆ】~【らる】【る】-中古の「る」・「らる」/上代の「ゆ」・「らゆ」-
「自発」の助動詞「る」・「らる」は中古以降の成立で、上代には「ゆ」・「らゆ」であった。その用法は「自発」のみにとどまらず、「受身」と「可能」の意味をも表わした;が、「る」・「らる」とは異なり、「ゆ」・「らゆ」には「尊敬」の意味はなかった(これは「す」の担当であった)。
「ゆ」・「らゆ」(並びに中古以降の「る」・「らる」)の最も根源的用法は「自然にそうした事態が発生する=自発」であるが、そうした自然発露的事態を「受動的立場で受け入れる=受身」の行動様態が奈良時代に於ける自然と日本人との関係の基本線であったのか、などと感じると何とものどかな話になる。
一方で、そうして自然発生的に生じた「事態の展開に恵まれ、首尾良く事が成立した=可能」という展開になると、古来(21世紀初頭の現代に至るまで)引き継がれてきた日本人の「能力というものに対する意識・主体性の薄さ、他力本願・手柄横取り体質」に思いを致さざるを得ない。「事」は「自発」的に「成る」ものであり、人間は自分の周囲に好都合に展開する「出来事」に恵まれることであれやこれやの「事」が「可能」になるのであって、個人的な意志と努力に支えられた能力の発揮によって「事」を「為す」という主体性行動原理は、古今、日本人には極めて(西欧的基準からすれば'異常'なほどに)希薄なのだ。
-上代・中古=「不可能or不成立」/「可能」となるのは中世以降-
その証拠に、「ゆ」・「らゆ」・「らる」・「る」は「可能=能力・可能性の高さから見て'為せる'」の意味を表わさない;否定専用語なのである。「る」・「らる」が肯定形で用いられて「可能」の意味を表わすようになるのは鎌倉時代(西暦1200年前後)になってからの話(この時代には上代助動詞の「ゆ」・「らゆ」は既に消滅済)であって、平安時代全般を通じてのその意味は「不可能=事態の自然的展開に恵まれることなく、結局事は'成らなかった'」という「現象面から見た'出来事'の'不出来'」のみであった。「事態の不成立」を遺憾な事として渋い顔をする受動的感性だけがあって、「行為遂行の失敗」を理知的に分析する眼力がまるでないわけである。「成らなかった!」と嘆くばかりで、「為すためにはどうすればよいか?」と原因面まで突き詰めて考える体質がないのである;「能力をもっと高める必要がある」とか「実現するための障害物を取り除く必要がある」とか「そもそも実現可能性が低すぎるのだから、現実的に達成不可能と見て、遂行努力そのものを放棄すべきである」とかの発想とは無縁なのが、この国古来の「和風ゆ・らゆ・らる・る型可能性思考法」なのだ・・・道理で、「実現できっこない約束」だの「無益な努力やそれを強制する無能な学校・上司・社会構造」だのが平然と横行するお国柄なわけだ。
幕末に於ける「尊皇攘夷!」の空念仏や、第二次大戦期の「鬼畜米英撃退!(それも、竹槍でB29を落とす、的なアホ丸出しの精神論で・・・)」を見ただけでも、「feasibility study:実現可能性の考察」というものがいかに「非日本的」であるかが、嫌というほどよくわかるであろう。「為せるか否か」など論外であって「成るか成らぬか」こそが和風命題 ― 事をこの議論に持ち込んでしまえばあとはもう「成る!成るに決まってる!(・・・だって、ここは神国日本なのだからっ!)(・・・だって、自分はそう信じてるからっ! キサマは信じぬのかッ?!・・・この非国民め/獅子身中の虫め/空気読めないヤツめ/仲間はずれ野郎め!)」の盲信的猛進展開(レミング倭人赤信号みんなで渡ればコワくないっ・・・ドッカーン集団玉砕劇場!)が待っているだけ ― 「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も」などと言いつつ、「為す」ことの真の意味がまるでわからぬまま闇雲に突っ走るばかり ・・・これは地獄への片道切符である・・・まぁ、そんなやり方ばかりで数千年来生きてきて、未だに絶滅せずにいること自体が、「天晴れ!神国ニッポン!」の驚嘆を誘う奇跡、と言えぬこともあるまいが・・・。
が、無論これは、過去形や完了形で語ってよい笑い話ではない。「戦争放棄!」を高らかに謳う憲法第九条の国体に「軍隊に非ざる自衛隊」が存在するのも、百害あって一利なしの「箱モノ行政」だの「整備新幹線」だのの企画倒れ行事が平然と「成る」のも、「可能性」の捉え方に根源的欠陥を抱え続ける倭国の病理現象なのだから、「今まで数千年来それで大丈夫だったから」といって「今後も'無手勝流'で'ゆらゆらるるる・・・'と漂っていれば日本国/日本人は自然に生きられる」とは、誰にも言えぬのだ・・・「奇跡」は、21世紀には似合わない。
-「ゆ」から生じた「えもいはれず」的表現-
文献学的に言えば、上代に於ける「不可能」の「らゆ」としては、「いのねらえぬ(寝の寝らえぬ=I simply cannot sleep)」の使用例のみが見つかっており、それ故に活用表も未然形「らえ」以外は軒並み「○」のオンパレードである。
一方、「ゆ」の方は(命令形を除く)全活用形を具備している({え・え・ゆ・ゆる・ゆれ・○})。特に注目すべきはその連用形「え」であり、これは「得」に通じる意味を表わすものとして、例の「え・・・ず=・・・する、という事態を得る事が'不可能'=到底・・・できない」という形の相関構文の構成要素となるものであった。
一般の受験生・古文学習者にとっては「上代=奈良時代」はノーマークでOKな時代ではあるが、「え」にまつわるこの種の事情は覚えておいたほうがよい;試験には出ないが、脳裏には良い味の知的スパイスとなる話なら、ガツガツ食らい込むに越したことはないのだから。
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▼ | ▲[47]【もっていく】?どこへ?'come to...'・'get to ...'where? 「もて行く」は、「もていく」とも「もてゆく」とも読まれる連語。動詞連用形に付いて「補助動詞」として用いられるその性質は、英語に於ける「come to ... / get to ... / learn to ... = 次第に・・・的展開になって行く」と、意味・用法に於いても、使われる動詞(come, get = 行く,到る)も、実によく似ている。
こういう打って付けの展開を学習に生かさぬ手はない;語学は、関連性の学問なのだ。英語大好き古文学習者ばかりでもあるまいが、こうした好都合な展開を自らの知的栄養素として取り込むうちに、語学的体力はすくすく増進するものであるし、体力が付くほどにまた語学は上達する(みちのあるじになりもていく)ものだ。
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▼ | ▲[48]朝も早ぅから【つと】める人たち 単語集へ [テスト] 現代語の「つとに」は、「あなたの御高名はつとに伺っておりました」のような「以前から」の文語として用いられ、「現在と対比して、より早い段階で」の意味となる。古語の「つと」にもこの種の「早期」の意味はあるが、それはむしろ後発型語義であり、原義的には「一日のうちの、早い時間帯=早朝」の意味で用いられた。
この語感は、副詞の「つとに」よりも名詞「つとめて=(翌)朝」に絡めて覚えるほうが得策であろう。
動詞的には「つとむ(勤む)」もまた「早朝出勤・・・して職務に勤しむ朝廷の役人」の連想を生む語である。
副詞に話を戻せば、「つっと」なる「動きの速さ」もまた、その根底に「つと=早い」の響きを感じさせないでもない・・・が、このあたりになるともう多分に恣意的感覚が入ってしまう(副詞なんてのはそんなものだ)から、「'朝'も'はょぅ'から'よくつとめて(翌朝・早朝/勤めて)'働く」の語呂合わせでもってせっせと暗記にいそしむとよろしかろう。
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▼ | ▲[49]【馴る】うちに【萎る】のが衣類・・・&人類? 単語集へ [テスト] 「慣る・馴る」は「習熟」の意を表わすものと見れば誉め言葉ながら、「馴れ合い」と捉えれば貶し文句となる。勝手知ったる学問の道も、極める過程で「熟達」するのはよいけれど、自分の物知り度に自信を増すにつれて、知的向上心がその鮮度を失い、「熟成」の末に「爛熟」に至って惰性的な思い上がりが退廃的悪臭を放つようになると、その人は「知識人」としては(&「人間」としても)もうおしまいである。
事を「教師」に置き換えても同じことが言える。不慣れな新米教師は指導者としては頼りないが、老練な教師の教え方にも「手練れの業」ならぬ「馴れ合い芸」の淀んだ空気が漂うようになれば、学習者の倦怠を誘うばかりである。知的尖鋭感(intellectual edge)を失わぬためには、「その道の達人」としてのゴールに行き着くことばかり見据えずに、「未知なる道」を旅するプロセス&新発見に接しての子供っぽい喜びと興奮を、常に追い求める永遠の旅人でなければならぬ・・・「馴れたらおしまい」、それが「学習」であり、広義には「人生」もまた然り、であろう。
「なる」はまた「萎る・褻る」とも書き、これは「(衣類や道具類が)長期間の使用によって使う者の身体の一部のごとく馴染む」の肯定的意味と同時に、「経年変化で摩滅・劣化する」の残念な様態をも表わす。「ごわごわ」感が薄らぎ、「しっくり」くる頃合いを過ぎれば、やがて「よれよれ」になるのが衣類の宿命である;が、「知的道具」としての「頭脳」や「感性」は、使用者が意志的に磨きをかけることで、永遠の鋭角を保つことが出来るのだ。常に新たな知的地平に挑み、「こわごわ」とした探索をやめぬ挑戦意欲を失うことなく「習いつつ、馴れぬ」生き様を貫きたいものである。
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▼ | ▲[50]【同じ】の連体形は「同じき」?「同じ」? 古語の「同じ」の連体形は「同じき」が基本である。が、この「おなじき」は中古に於いては漢文訓読調御用達活用形であって、和文(=女性の書く「かながき文章」)にあっては「おなじ」の連体形が愛好された。
同じ「おなじ」の連体形ながら、「同じき」の男性的硬質感と「同じ」の女性的柔和性は、現代日本語にも何となく引き継がれているから面白いものである・・・東京は新宿にほど近い「都の西北」あたりでよく歌われる次の歌詞にもその感じは現われている:
『あれ見よかしこの常磐の杜は心の古里我等が母校。集まり散じて人は変われど、仰ぐは「おなじき」理想の光・・・』(早稲田大学校歌)
・・・<仰ぐは「おんなじ」理想の光>で歌ってみれば、どういうことになるものか・・・「同じき」は男字/「おんなじ」は女字、この事情は千年昔も2000年代の今も、全く「同じ(き)」こと(事/言)なのだ。
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▼ | ▲[51]「ひごろ」って、いつごろ? 単語集へ [テスト]-時間意識の今・昔-
「Time and tide wait for no man.:時間の流れと時代の風潮は、人間的思惑など無視してズンズン流れる無慈悲なるもの」という意識を根底に持ち、「running against time:時間との取っ組み合いの喧嘩を演じている」西欧人に比すれば、日本人の「時間」に対する感覚は、今も昔も実に悠長なものである。古典時代に遡れば、そのtimeless(時の概念が希薄)な感じはさらに増幅されることになる・・・と思われる、であろう・・・が、現実は必ずしも然ならずなのである。
「日頃(古語では、日比、とも書く)」という言葉は現代日本語にもなお残るが、古典時代に乱用された「月頃・月比=ここ数ヶ月来」はもはや死語、ましてや「年頃・年比」ともなれば現代では「お年頃=(主に女性が)恋愛適齢期」の意味でのみ用いられ、「数年来」とか「長年」とかの意味には用いない。
物事の展開を把握する時系列的計測単位(time-span)を、「yearly:年単位」や「monthly:月単位」で捉えるような長い目で物事を見る余裕が現代日本人にはもはやなくなったからこその「日頃:daily=その日暮らし」以外全滅現象・・・というような論調に持って行きたい話の流れ・・・だが、実はこの「日頃」、現代日本人の場合は「常日頃=特定の日にちに限定せず、漠然とした'毎度'」という時系列的流れの枠外語として用いており、その意味に於いては、「数日来」だの「けっこう多くの日数」だのといった具体性ある計時語として「日頃・日比」を用いていた古典時代人よりも更に「時間的感覚が希薄」になっているのが現代日本人、という論じ方も可能なのだから、面白い話であろう?
「頃・比」を用いるコロコロ古語には、次のようなものもある:
1)「さいつころ」
・・・サイコロふたつコロがして丁半バクチしてるみたいな響きだが、「先つ頃(さきつころ)」のイ音便で「つい先だって(recently, lately, of late)」の意である。
2)「なかごろ」
・・・現代では「五月の'中頃'は、春でもなく夏でもなく、暖房も冷房もいらない、いい季節」みたいに「ある特定の期間内の中間期」の意味でのみ用いる語だが、古語の「なかごろ」は「先頃」と「昔(むかし)or古(いにしへ=往にし方)」との中間あたりに位置する「そう遠くない昔」の意味である。
現代日本語でこれらに相当する語は「この頃」・「近頃」・「先頃」あたりであろうが、時系列的区分意識は決して明確化の道を辿ってはおらず、進化よりむしろ退行している感さえある(「中頃」相当語の消滅がそのいい例である)。
こうして見ると、time-spanそのものの悠長な長さはさて置き、時間的区切り語の品揃えに関しては、現代日本語よりむしろ古語の方が豊富であり、時間的意識も逆に明敏だったのではないかと思えるのが興味深いところである。それでも無論、西欧言語の時系列語の圧倒的豊富さ・緻密さには比すべくもないが、時間の区切りというものが「時計的単位(年・月・日・時・分・秒)」の顕微鏡的(micro)&機械的(mechanical)視点にのみ偏りがちで、「時系列単位(daily, weekly, monthly, bimonthly, quarterly, yearly, decade, century, millennium)」的な巨視的(macro)&感覚的(emotive)視座を持たぬかのような現代日本語&日本人の特性は、英語に照らしても古語と比較しても、やはり一考を要するところであろう。
時の流れの中で自分がどの位置にいるのかを俯瞰的に見定められぬ者は、無慈悲な時流に無自覚に流された末に溺死するのが必然の定め ― 極めて西欧的発想ながら、好むと好まざるとにかかわらず、21世紀初頭の世界はそうして流れて行くもの ― であるから、「自分を中心とした'現在'・'現状'」しか見えず、自らの姿を客観視する能力に欠ける日本人の言語学的&社会学的生存様態は、致命的危うさを宿したものと言わざるを得ないのである。「流行の最先端を行く」つもりで「時流の波頭で踊らされた末に泡のごとく消えて行く」ばかりの物事や人物たちを、もうこの国の人間たちは、過去数十年に渡って十分すぎるほど沢山見てきたであろうに・・・。目先しか見えぬ日本人には、十年前も千年前も「歴史の教科書に書いてあるみたいな古い(=今を生きる自分とは別世界の)事」であり、「歴史を教科書(=今を生きる指標)とする芸当」など、夢のまた夢、なのである。
-腐れ「decade」の意味するもの-
そもそも、現代日本語にはいまだに英単語「decade(キリスト紀元に於ける100年=centuryを更に10年単位に区切ったもの)」に相当する和語がない。そもそもの時間意識が希薄なのだから無理もない話ながら、その「decade」を「ディケイド」と読んで「仮面ライダー・ディケイド(!)」などと銘打って一連の変身ヒーローものの'10周年or10作目記念作品'のタイトルにしてしまうあたりを見ると、「DECAYED・・・あぁ、ライダー・シリーズも、本郷猛・一文字隼人(精一杯オマケして風見志郎)の頃までが華・・・もぅ、玩具メーカー&芸能プロダクションの金儲け手段へと'腐敗堕落=decay'した(ed)んだなぁ・・・」の感を催させる掛詞となっている点が何ともシブいというかニガいというかイタいというか・・・さすがは日本語、といった感じ、原典無視もここまで来ると完全に(笑えない)「和風漫才芸」である。
本当の「decade」は「デッケィド」であって、この「デッカ」は「(1962年1月1日に、あの不世出の大グループThe Beatlesをオーディションでみすみす落第させて大損失を招いた)Decca Records:デッカ・レコード」や、ルネッサンス文芸の代表的一作&近代小説の開祖として受験生が棒暗記させられる「Decameron:デカメロン(・・・オッパイがメロン並みにデカい、の意味じゃぁない;まぁ、エロいユーモア満載の大人の小説なんだけど、'十日物語'なる時系列性に由来する標題で、全100話の短編集)」(ボッカチオ=Boccaccio:1313-1375作)に絡めてしまえば<「ディケ」ちゃうで、「デカ」やで>いうこってすんなり「ぁあ、そうでっか」と納得できそうなものを・・・時系列意識のなさもさることながら、語学的関連性に思いが至らぬ倭人が横文字使う時の横滑り語感のクサれ具合は、何とも残念なことと言わざるを得ない。
-「クサレ」と「おサレ」の境界線-
もっとも、このあたりの滅茶苦茶さかげんは、一応(地理上の)同朋人たる筆者だからこそ「残念!」と言いたくなるものであって、ゲスト格たるガイジンさんの目から見れば、そのハチャメチャな乱れ具合はまるで「しのぶもぢずり」、秩序もへったくれもないanarchy(アナーキー=無秩序・無法状態・・・和風に言えば「ルール?あるっちゃぁあるけど、ザルみたいなもんで、至る所に'穴開きぃー'みたいな?んなボロボロな感じー」)がいかにも「不思議の国ニッポン」らしくて「クサレ」ならぬ「おサレ!('オシャレ・お洒落'を21世紀ワカモノ言葉風に言うと、こーなる)」な魅力にもなるらしい。
なんのかんのと長々嘆いてみせたが、最後にひとつ、日本滞在歴がそこそこある外国人の多くが「これはいかにも和風で、実に便利!」と太鼓判を押す「時系列的みたいでー、その実、何の具体的時間も指していないけどー、それでいてこぃつを使えば対人関係は丸く収まっちゃう魔法の挨拶コトバ、みたいなー」やつを紹介して、timelessな和語の特性への泣き言を延々と繰り広げたこの一節の結びとしよう・・・曰く・・・「ぁあ、その節はどうも」・・・'その節'って'どの節'?などと問う者は日本人ではない:直視せず、何となく受け流してこそ、時間も言葉も流れ行く・・・それがニッポン、不思議の国でありんす。
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▼ | ▲[52]【をとめ】は永遠?不老不死? 単語集へ [テスト] 現代では「乙女座(Virgo・・・処女宮)」や「乙女チック・・・少女趣味」あたりの定型句の中ぐらいでしかお目にかからぬ「をとめ」だが、この語の冒頭部「をと」に「甲・乙・丙」の中位に当たる「乙」を宛てたのでは、何だか「20~30代女性」みたいで「おとめちっく」じゃない響きに化けてしまう・・・恐らくこの宛字の背景には「男=甲」/「女=乙」(・・・オカマ&オナベ=丙?)的な意識でもあったのだろうが、そんな適当極まる後代の横滑り漢字(or感じ)事情は知的考察の対象としては論外なので、ここでは純然たる語源学的事情から「乙女」を考察することにしよう。
-「をつ」=(×)「落つ」 (○)「戻る」-
「をとめ」は「をとこ」の対義語である。これらの語頭にある「をと」は、元来「をつ=復つ・変若つ」であり、その語義は実に「若々しいエネルギーが再び満ち溢れること」、英語で言えば「revitalize=再生・復活」である。キリスト様じゃあるまいし、一度死んだらそれっきりになる「mortal:死すべき運命」の人間に使うにはいささかオカルトめいた話になるが、万葉の時代には結構この「をつ」 ― 多分に「祈りをこめて」だが ― 次のような感じで使われていたものらしい:
「いにしへゆ人の言ひ来る老人のをつとふ水そ名に負ふ滝の瀬」(『万葉集』一〇三四・大伴東人)
「遠い昔より、'老人がこの滝の水を浴びたら若返った'と言い伝えられて来た、そんな奇跡的事例を名として持つこの滝の流れであることよ」
・・・「若返りの滝」を自らの名として持つこの滝とは、何の滝か?答えは「養老の滝」なのだそうな・・・どうも、「老いた親に孝養を尽くす息子が水を汲もうとしたところ、酒に化けた」という伝説とは別ヴァージョンの話らしい。場面的には、近鉄養老線の「養老」駅が最寄りとなる実在の滝のこと(らしいん)だが、関東もんの筆者の無粋な想像はどうしても「二次会で繰り出す比較的安上がりな酒場(チェーン)の名」へと結び付き、若さを「取り戻す」より、安酒&消化の悪い食い物を「モドす」的なゲロゲロ展開へともつれこみがち・・・どうせ実在せぬ「若返りの泉」より、青春時代の実存的体験の数々への回帰現象を示すのが人間精神の性なのであろうか・・・まぁ、そういう「おェっ!」的なコキタない話はキレイさっぱり忘れてもらうとして、話を「をつ」に戻せば、「<をと>こ=男」も「<をと>め=女」も、その語頭の「若さの泉」的性質からして、「若い男・女」限定であることが了解いただけたことであろう。
-「をのこ」は「をとこ」ならず/「めのこ」は「をとめ」にあらず-
この「をと」、単に「若さ」を表わすのみならず、古語に於いては別種の機能をも果たしている、という現象をも指摘しておく必要があろう。
「をとこ」によく似た古語として、「をのこ」というのがある。が、その語頭にある「を」は「をつ=若返り」の意味ではなく、「雄・オス・♂」という動物的な性別を表わすものでしかない。その語感は軽蔑調であって、少なくとも「貴人の女性の目から見て、結婚相手としては意識されない存在」なのだ。「下男」だの「兵卒」だのといった「下々の、使い潰されるだけの手駒」というその感じは、英語の「men=手下・歩兵・(将棋の)ト」に近い・・・トホホの展開で、何とも「男の子はつらいよ」といった感じであるが、「オス」に関してこの種の展開がある以上、「メス・雌・♀」に近い動物的語感で用いられた「女」の古語=「めのこ(女の子)」もまたあるわけで、その響きにはやはり「をとめ(乙女・少女)」よりも一段低いものがある。
かくて、「を(オス・雄)」由来の接頭語「を」が「下等な響き」を帯びたせいで、相対的に押し上げられる形で「上等な響き」を持つに到ったのが「をつ(復つ・変若つ)」由来の「を」、というわけである。「をつ」自体には本源的に「上流階層」の意味合いなど全くないにもかかわらず、こういうことになるのが日本語の面白い(&毎度お馴染みの)展開というものである。
-差別用語をもうひとくさり-
「め」は「メス」に通じるから「下々専用語・・・上流階層に使ってはダメ!」というルールは、「妻」と書いてあっても、それが「受領(じゅりょう・ずりょう・ずらう)の妻女」以上の階層に属する女性なら「つま」/それ以下なら「め」と蔑んで読まれた、という差別規程にもつながっている。
ちなみに、下層階級の「妻=め」とペアになる「夫」の読み方は「をひと」である。一方、上流階層では「夫」と書いても「つま」と読んだり(古典時代の「つま」は'雌雄同体'の無性別語だったのである)、「せ」と読んだりした。もっとも、男性の「せ(背・兄・夫)」に対する女性語は「め(妻・女)」よりも「いも(妹)」の語感が強かったが。
言葉の次元での差別は、いつの時代にも、どこの国にもあるものである・・・差別という行為の根源的無根拠性やその醜悪なる愚かしさを知る上で、こうした語源学的考察は大きな意味を持つことであろう・・・ということで、最後にもひとつオマケの罵倒語を紹介して、この一節の結びとしよう:
「けっ!ゲロゲロだのオスメスだのと、ケッタクソ悪いことばっか書きやがってこの言葉ヲタク"め"がっ!」・・・この「め」が「雌」であることは言うまでもあるめぇ・・・ってゃんでぇ、何のこたぁねぇ、「このアマぁ!」あたりの言い草と変わりゃぁしねぇじゃんかよ。・・・するってぇと何かい、「メス(女)=男に比べて一段低い、蔑まれるべき生き物」ってぇことかい?ケッ!冗談じゃねーゃ、こちとら江戸っ子でぇい、もとい、21世紀人でぇい、女のぉーが男なんぞよりずっとえばってる御時世だってんでぇーぃ。ぁーッムカつくーっ!こうなりゃアッタマきちゃったからこの女を虐げる前時代的な罵り文句、思いっきり性転換したげるから見てなさいよっ! ― 「何'をーっ'!?」 ― どぉーっ、これ?・・・え?「バカ'めっ'」?・・・キィーッ!もぉーっ、男尊女卑もいいかげんにしなさいよをーっ!(・・・おあとがよろしいようで・・・)
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▼ | ▲[53]「きみ【ら】」は「ぼく【たち】」より格下なんだよねー 人為的に区切られた階層だの分際だのが社会の中にあれこれややこしく林立するように、言葉の適正使用対象もあれこれ細分化されていたりするのが古語の面倒なところであるが、「同類複数」を表わす接尾語にもやはり「上流」・「下層」の相違があった:
1)「たち(達)」
・・・これは「尊敬」を含む複数語尾。「きんだち(公達・君達)=貴族の子弟、平家の子息」や「せんだち(先達)=その道の先人、指導者(せんだつ、とも読む)」などに絡めて覚えるべし。
2)「ら(等)」
3)「ども(共)」
4)「など(等)」
・・・これらには「格下」の響きがある。「君ら」(高いところから見下した感じ)と「君たち」(客観中立の語感)の違いは現代日本語にも通じるものがあるから面白い。「私ども」などとなると現代語では偽善的響きさえ帯びた謙譲語となる。「など」に関しては、「日本人'など'モンゴロイド系人種には、アルコール分解酵素(アセトアルデヒド脱水素酵素)の働きが弱い人(AG型)が45%、全然ない人(AA型=完全な下戸)が5%もいる」と書けば中立的に聞こえるが、「所詮日本人'など'、酒を飲むべき人種ではないのかもしれない(・・・だって、ヨーロッパ・アフリカ・オーストラリア人種は100%GG=上戸なんだぜーっ!敵うわけないじゃん!)」のような表現では、「など」が「日本人なんて/日本人なんぞ/日本人なんざ/日本人なんちゅーもんは」的なげやりさで機能している。
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▼ | ▲[54]【あざる】→【ざる】→【おサレ】 単語集へ [テスト] きっちりした秩序・規律から少々外れて立ち回る「あざる=ふざける、たわむれる」は、語頭の「あ」が取れると「ざる」となる。
動詞はすべからく「連用形にすれば名詞化する」ので、「ざれ(戯れ)」は「おフザけ」の名詞となる。この語は「ざれこと=戯れ言(軽口・冗談)/戯れ事(お遊び・いい加減な振る舞い)」のような語句に用いられて古文には頻出するので、真面目な受験生にはお馴染みの語であるが、その響きに「不真面目を責める」のか「軽妙さを誉める」のかわからぬ微妙なところがあるのは、現代冗談事情にも通じるものがある。
話を文芸世界に転じると、和歌の世界では、「真面目な短歌」とは一線を画す「面白味(=俳諧趣味)を狙ったお遊び芸としての連歌」に初めて独立した部立を割いた第五代勅撰和歌集『金葉集』(1126年・源俊頼撰)に対し、第七代勅撰集『千載集』(1188年)編者の藤原俊成がその「戯れの様(ざれのさま)」の甚だしさを非難する、といった事例があった。この場合の「戯る=(あ)ざる」は、和歌を真剣な文芸として大まじめに追求しようとした俊成にとっては、「あらザルべきこと」&「文芸的なヒトならやるわけのないサル芸」だったわけである。
事程左様に、「ざれ」は「ダジャレ(駄洒落)」にも「オシャレ(お洒落)」にも通じるものの、安易に走ればたちまち「クサレ(腐れ)」に直結するものである。きっちりとした秩序・権威の存在を前提としつつ、そうした正道から一歩(否、半歩)外れたところで踏み外す微妙な味がその生命線だけに、「何が正しいか」を見据えもせずにただ踏み外すばかりの「あざれ」は、どう転んでもただの「腐れ」にしかならない・・・「ざれ」だの「シャレ」だの「ナンセンス」だのを見事に決めようと思う者は、他の誰よりもまず「常識人」でなければならぬのであり、「オシャレ」のつもりで「オサレ」などと口走る者は、乙にすました「お洒落」なるお上品コトバの存在を、誰よりも強く必要としているわけである。そうした自覚があるかないかはともかくとして、既定上品路線との微妙な対比の濃淡に応じて、その者のジョークの質の程度は確実に変わってくるのだ。
現代日本のような「秩序もルールもへったくれもありゃしない」世界では、「正道不在」という構造ゆえに、「踏み外す」という行為自体が(往々にして)論理的に不成立・・・そんなところで「オサレ」気取る連中が乱痴気騒ぎを演じれば、「クサレ」社会に堕するのは当然・・・今の日本には「マジメからのふとした息抜きの笑い」はほとんど存在せず、「他者を殊更下劣な立場へと叩き落として笑い飛ばすばかりの下卑たイジメ笑い」ばかりが醜く横行しているが、これは「戯れの本質」を知る者から見れば必然的な堕落現象。「誰もが誰かを小馬鹿にしてばっかでみんなが不機嫌・不愉快になるしかない」今のダメ日本に於いて、「ざれ」が「精神の清涼剤」として復活するためには、「まめ(実・忠実・誠実)」の復活こそが社会構造上の前提条件となるのである。
・・・とまぁ、こうした「まめまめしき(=あまりにも実直な正論すぎて面白味も何もない)話」を理解できる程度の心理学的素養が「現代ニホン戯れザル人種」にあるとも思われぬので、「ゲビザレ笑いは、1990年代初頭のバブル崩壊期から数十年間の、秩序が崩壊した日本国を象徴する社会病理現象であった」との記述が後の世の回想録に記載されるのは間違いないことであろう・・・・・・・・・なぁーんちゃって、ね・・・ぇ?本気にした?・・・ぁはは、ばァーか、冗談よ、じょーだん。「ざ・れ・ご・と」、そーゆーこと!(けけけ、そーいって笑い飛ばしちまえば誰も何も文句は言えないもんねー・・・あぁー、「笑い」って、楽だわ・・・ま、楽しくはないけどな・・・)
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▼ | ▲[55]【身】は「me」で覚えてみぃー 単語集へ [テスト] ベタな駄洒落ほど脱力剤として強力なものはないので、肩の凝るマジメな古文学習には積極的に取り入れるべきであろう・・・古語の「身」が人称代名詞「私」の意味になる例を、英単語「me」に絡めて覚え込むなど、その最たるものであろう。「身はまねびの上手にて」=「ME am good at remembering things!」とやっちまえば、「シェーっ!なんざんしょ、このダジャレのセンス!ミーにはとても理解できないザンス!」と出っ歯のイヤミも驚く御粗末くんな展開・・・ぁ、赤塚不二夫のマンガに詳しくないみんな、ゆーるせ、ニャロメーッ!
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▼ | ▲[56]【低し】=「ひきし」は微妙な古語 現代日本語の感覚からすれば「ひくし」であるべき「低し」だが、「ひくし」の読み方が成立するのは室町時代に入ってからであり、それ以前の読みは「ひきし」であった。
もっとも、平安時代には、ク活用形容詞「低し(ひきし)」の代わりに、漢文脈では形容動詞ナリ活用の「低なり(ひきなり)」が用いられており、鎌倉期に入って『平家物語』あたりに「かほおほきに、せい'ひきかり'けり(=デカ顔のチビすけであった)」のような形で使われるようにはなったが、中古の和文には「低し(ひきし)」の確実な文献はないと言われる。
その意味で、「丈低からぬ(たけひきからぬ)」の記述を内包する『扶桑語り』第一作「ゆめにねぶるむすめ」は、文献学的には「鎌倉時代の、漢文訓読の流れを引く文物」ということになろう(・・・実際には西洋紀元2000年代に書かれた擬古文なのであるが)。
それでは、平安時代には「低し(ひきし)」の意味をどうやって表わしていたか、と言えば:
1)「背丈が低い」の意味は「短し」で表わす。
2)「身分が低い」の意味は「浅し」で表わす。
ということだったようである。
ちなみに、「身分の低さ」は「背丈の低さ」よりも後発の語義らしく、「声・音声」の「低音」もやはり後発語らしい。「低音の歌声」は「声を'引き'」の感じ(高音だと声を'張り'の感じ)なので、もしかしたら「低し(ひき+し)」と「引き(ひき)」とは関係あるのかも・・・「他人or平均orその他の水準」から「-(引き算)」した分だけ「ひきし(低し)」なのかな・・・的な想像も出来ぬでもないが、文献学的裏付けに乏しい話だけに、ここらで幕引きにしておくほうがよさそうである。
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▼ | ▲[57]【かぐやひめ】は「光り輝く女性」 竹の中から光を放っていたことで養い親の竹取の翁に見出され、数々の貴公子に求婚されるまでの美女に育ち、帝の求愛までも退けた挙げ句、最後には故郷である月世界へと昇天して行く「かぐやひめ」であるが、その「かぐ」は「かがやく」に通じるもの(ワンコみたいに臭いをくんくん「嗅ぐ」や、「ィヤー!なぁーにこの悪臭!?クッセー男ってきらい!」みたいな癖ある女性(嗅ぐ嫌ひめ)を意味するものではない)。
いわば「光の国」の住人である「かぐや姫」は、やはりその筋(正確にはM78星雲あたり)からやって来たウルトラマンやウルトラセブンの親戚筋みたいな存在、とも言えるかもしれない・・・体長や性別こそ違うが、「平安時代に書かれた日本空想科学物語の草分け」である点に於いて、映画「ゴジラ」シリーズ&TV「ウルトラQ」に続く円谷プロ製作の空想特撮モノとの間の共通性を指摘するのも、あながち「あやなし=無茶苦茶だ」とは言えぬ「えせふがたり(SF風似非物語)」であることは確かである。
とまぁ、いささかヲタク談義的な戯れ言はこれくらいにして、「かぐやひめ」の「かぐ」的な響きを放つ「光り輝く古語」を列挙してみると、次のような感じになる:
1)「かかやく」=現代語では「かがやく(輝く)」だが、近世までは清音。
・・・ウルトラマンも「100万ワットの輝き」を放つフラッシュビームを(ハヤタ隊員が)焚くことで登場する(・・・そして3分以内に戦い終えて「シュワッチ!」と去って行く)。
2)「かがみ」=「鏡」
・・・この「かが」は、「かげ(影)=実体とは異なるが、光を浴びて映し出された実体相当の何か」であり、「影+見」装置が「かがみ=mirror」というわけである。「帰ってきたウルトラマン」の直後に円谷プロが世に出した作品もまた「ミラーマン」(主人公鏡京太郎は'光り輝くもの'に飛び込んで変身する二次元世界人と三次元人間のハーフ)であった。
3)「かぎろひ」=「陽炎(かげろう)」
・・・「朝焼けの光」だったり、「炎」だったり、「炎に見える水蒸気」だったりするこの語もまた(お月様よりは太陽光と縁が深いものの)「かぐや姫」ゆかりの語であると言えよう。
4)「かげ」=「陰・影・蔭」
・・・現代語では「光が当たらず、暗い部分」であるが、古語では「光」そのものも、「光を受けて結んだ像」をも指す語。
かくも多くの「光」系の語と縁が深い「かぐや姫」が「実は宇宙人だった!」という設定で、円谷プロが『竹取物語』を映画化している(1987年。かぐや姫=沢口靖子、竹取の翁=三船敏郎、帝=石坂浩二、監督=市川崑、製作総指揮=田中友幸)という事実は、古文読み&SFファンなら踏まえておくべきであろう。
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▼ | ▲[58]中に入れちゃい【や】・・・【か】な?-「疑問文」は「連体形」で締める。-
古文の疑問文は、<疑問詞+活用語連体形>の形となる。疑問詞が「Where / How / When / Why / Who / Whom / Whose / What / Which」に限定される英語と異なり、日本語の場合はまるで一定しないから厄介と言えば厄介だが、とにかく「疑問の意を表わす語と呼応する活用語は連体形で締める」という原則を覚えておくことだ。
こうした「疑問文末尾の連体形」もまた「係り結び」である。受験生の多くは「ぞ・なむ+連体形」/「こそ+已然形」のみが「係り結び」だと思っているが、それでは現実の古文の係り結びのかなりの部分を見落とすことになる(何たって疑問文は全部捨てちゃうわけだから)。
-「疑問」の係助詞「や」・「か」-
一方、古語に於ける「疑問詞」に近い位置付けの語と言えるのが、係助詞「や」・「か」である:
係助詞「や」疑問文の例)姫<や>寝ぬる。(Has the princess gone asleep?)
係助詞「か」疑問文の例)誰<か>在る。(Is there anyone here?)
・・・末尾は「連体形」でなければならないから、次のような「終止形結び」は間違いである:
(×)姫や寝ぬ。
(×)誰か在り。
-終助詞としての「や」・「か」-
しかし、こうした係助詞文中介在型疑問文は、現代では残っていない。現代に残るのは、「や」・「か」を末尾に置いた次のような形である:
終助詞「や」疑問文の例)君知る<や>。
・・・かなりの文語だが、詩文などでならこの形で現代日本語にも通じる。
終助詞「か」疑問文の例)誰在る<か>。
・・・「誰<が>」等の格助詞抜きだと少々ヘンテコな感じだが、末尾に<か?>を添えて疑問文を形成するのは現代日本語疑問文の最も一般的な形である。
-係助詞文中型疑問文の衰退=連体形と終止形の区分の消滅-
文中に「や」・「か」を置き文末を連体形で締める形の疑問文は、しかし、中世末期頃から次第に衰退して行くことになる。理由としては次のような事情が考えられる。
<疑問詞・係助詞「や」・「か」・「ぞ」・「なむ」>と呼応する「連体形係り結び」が多用されるにつれ、文末の「連体形」が実質的に「終止形」のような感覚となり、遂には「連体形の終止形化現象」につながることになる:「あり」だったはずの終止形が、「ある」という(かつての連体形の)形へと変容を遂げてしまったわけだ。こうなると、「連体形で締めてこそ疑問文」という原則も当然揺らぐことになる:「疑問文以外もみんな連体形で締める」のだから、これでは疑問文であることが形態の上から判然とせぬ事態となってしまう。「あり=終止形/ある=連体形」の区分がきっちりしていた当時は、「誰か<あり>」なら「誰かさんがいる」の意/「誰か<ある>」なら「誰かいるか?」の意、という区分が可能だが、終止形が「あり」ではなく「ある」へと変わってしまった時代には「誰か<ある>」とあってもそれが「誰かいる。/誰かいる?」のどちらかはまるで識別不可能なのだ。この形は現代日本語にもそのまま通じるが、しゃべくり言葉でなら語調変化(末尾を下降調で読めば平叙文/尻上げ口調なら疑問文)で意味の判別も可能ながら、ややこしさを避けるためには「誰かいる。/誰かいる<か>?」のように、疑問文の場合は末尾に<か>を添えるのが正当な作法となる。
こうして、文末に「や」・「か」を置くことで「これは疑問文なのだ」ということを示す作法が、連体形の終止形化現象に後押しされる形で、中世後期以降一般化することとなったわけである。
-日本語は後出しジャンケン型言語-
そもそも、「疑問文」以外でも、「否定文」もまた「文末に置かれた語句」によって示すのが日本語の(古今変わらぬ)作法であることは覚えておくべきであろう:
現代日本語否定文)誰も知ら<ない>。
中古否定文)誰も知ら<ず>。
この種の「文末に置かれた語句」によってその文章全体の方向性を確定する、という日本語の特性は、次のような否定命令文の比較対照からも明らかである:
上代否定命令文)然ること<な>言ひ。
・・・このように、奈良時代の日本語では、「・・・するな」という否定命令文は、否定副詞「な」を動詞直前に置き、直後の動詞を連用形とすることで表わした。
・・・これは、「否定の意を表わす語句は、動詞よりも前に置き、その文章が否定の流れであることをいち早く告知する」という西欧言語の構造とよく似ている:
英語例)Do <not> say such things.
・・・このように、英語を初めとするインド・ヨーロッパ系語族は「文章の方向性を決める語句」を可能な限り早く出したがる体質を持っている。それと同じ構造が、日本語にも、奈良時代の初期にはあったというのが興味深い。
ところが、中古に近くなる頃から既にもう、上のような「さること<な>言ひ」形では物足りなくなるのである。末尾に何か添えてやらないことにはどうにも尻切れトンボの未完結感が伴ったのであろう、強調の終助詞(or係助詞文末用法)「そ」を添えて、受験生にはお馴染みの次のような否定命令文が発生することになる:
中古以降の否定命令文)然ること<な>言ひ<そ>。
・・・末尾の<そ>自体に本源的な意味はない;否定の意味を担うのはあくまで文中の<な>の方である。にもかかわらず、このような語を添えねば気が済まなかったという事実に、「日本語では、文末の形が、文章全体の流れを決める手掛かりとなる」という構造的特質が現われていると言えるであろう。
現代日本語では、次のような形となる:
現代版否定命令文)そんなことを言う<な>。
・・・既述のごとく、かつての「連体形」が「終止形」へと取って代わられてしまう現象が室町時代以降の日本語には見られたので、「言う+な」は「終止形+な」に見えるが、本源的には「連体形+な」である。「言う。」で終止したのではそれは「肯定」で終わってしまうわけであるから、「言う+事+なかれ」の意味を表わすものとして捉えて「連体形+な」と見るのが文法的に妥当な形なのだ。
とにもかくにも、このように「文末に何が来るか」で、その文章全体の色彩が決定するのが日本語の特性であり、「最後の大トリ」の鶴の一声で万事が決するのが日本的姿勢であることは覚えておくべきだろう。
社会学的に言い換えれば、議論の限りを尽くした会議の最後に、社長なり何なりの正反対の意見で「白」が「黒」に覆る(民主的で論理的な人間集団には構造的にあり得ない)大どんでん返しは昔も今も日本の御家芸だが、そんな不思議な体質の言語学的背景事情として、「肯定文だとばかり思って読んでいたら、最後の最後に裏切られた!」と(西欧言語学的感性からは)感じられる「末尾語句が全ての流れを決める」後出しジャンケン体質がある、との見立てが成り立つのである。最後にモノ言う偉い人の一言を首を長くして待つ「自己主張皆無/首長屈従体質」だの、内容そのものを読まずに、要約文やら解説者のコメントやら世論やらを自らの意見へと代替する「手抜き思考/代弁者希求体質」だのが常態化している大方の日本人にとって、上述の展開は、自戒すべき言語学的事実であると言うべきだろう・・・と言っても、そんな体質が常態化してしまった倭人は、自らにとって不都合な真実を認めることなど到底できもせぬであろうから、上の陳述もよくて馬耳東風、ようせずは豚に真珠(Do not cast pearls before swine, lest they trample them under their feet, and turn and tear you in pieces.:野生の豚の眼前に真珠を投げるな、価値もわからず真珠を踏みにじった末に、攻撃されたと勘違いして投げた人間をズタズタに引き裂くまで荒れ狂うのがオチだから)ということになりかねまいが(・・・ま、そこまでのブタさんなら、ここまで律儀に読み進んでもおるまいが、こうした綿密な論理展開の文章を薄っぺらなトンカツみたいな形に要約してブタ同然の短慮の主の眼前にチラつかせれば、連中は必ず「自分をケナされた!」と息巻くこと必定・・・なので、「本講座の内容を軽々しく外界に持ち出すべからず」という禁則を受講者には課す次第・・・理の通じぬ相手/理解しようともせぬブタには、それ相応の対し方がある、ということを、人間は、弁えねばならぬのだ)。
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▼ | ▲[59]【まばゆい】対象は何? 単語集へ [テスト] 古語と現代語とでは、対象違いによる錯誤がよく生じる。「まばゆし」もそうした古語の一つで、現代では「自分以外の何か」が「まぶしくて直視できぬほど光り輝いて見える」であるが、古語にはこの語義に加えて「自分自身」が「気恥ずかしさで他人と顔をまともに見合わせられない感じだ」の意味もある。
同様の「対象違い」が錯覚を生む古語としては、「かはゆし」がある:現代では「相手がカワユイ!」わけだが、古語には「自分の顔が赤らむほど恥ずかしい」の語義もあるのだ。
ややこしいようだが、着眼点一つ修正すればこうした古語の意味の把握はさほど難しくない。
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▼ | ▲[60]【け】=「なんとなく・・・」な感じぃ、みたいなー 単語集へ [テスト] 日本語は(英語などに比すれば歴然と)論理性に欠ける言語であるが、その分、感覚的表現には富んでいる(ブッ飛んでるやつも少なくはないが)。接頭語としての「け=気」や「ほの=仄」、「なま=生」、「もの=物」あたりが表わす「はっきりしないけど、何となく・・・っぽい」の感覚は覚えておいて損はないであろう。これらは何も「根拠・正体不明の曖昧さ」のみを表わすわけではないが、以下のような語に於ける語感は(現代日本人の感覚的表現を借りれば)「ナニゲに・・・っポ(例:そのハナシぃ、ナニゲにウソっポくね?)」である:
◆「けうとし」=何となくウザったぃ
◆「ほのしらる」=チョイわかった気がする
◆「なまわろなり」=ビミョーにブザマっちぃ
◆「ものはかなし」=ナニゲにショボくねー?
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▼ | ▲[61]古典時代に「名」を【言ふ】ということは・・・ 単語集へ [テスト] 大方は現代語と同じ意味であるが、古語の「言ふ」には決定的に「古典時代らしい」語義がもう一つある ― 「男が、女に、言い寄る」求愛(求婚)系の語義である。
古典時代の「言ふ」が、そうした重みを持つに至った背景は以下の通りである:
1)「言ふ」の名詞「言(こと)」は、上代までは「事」と不可分の関係にあり、中古以降もなお「もの言ふ」とは即ちその「こと(言)」に宿った「こと(事)」の魂に呼び掛け、事の実現を招くことになるという「言霊(ことだま)思想」が生きていた。
2)愛する相手に「言ふ=言い寄る」ためには「相手の名」を知らねばならない。古典時代の女性は基本的に肉親以外に自らの名を知られたりしない。「言霊思想」が力を持っていた時代には、「自分の名を呼ばせること」=「その名に宿る魂を相手に掴まれること」であるから、よほど心を許した相手以外には自らの「名」を通して「魂」を掴ませるような真似はしなかったのである。この意味で、女性の「名」を「言ふ」及び「呼ばふ(繰り返し呼ぶ)」ことができる男性は、彼女の心を掴むことを当人から許された存在、ということになる。
-「名前未詳」の'有名'女流作家-
実際、古典時代の女性は、その「通り名」が知られているのみであって「本名」は不明、という例がほとんどである。古典時代の女性としては最も'著名'であるはずの『源氏物語』著者「紫式部」もその一人であって、彼女の本名は謎のままである(「藤原香子(ふぢはらのかをるこ/かうし)」説などがあるが、単なる類推に基づく仮説であって実証されてはいない)。彼女の通り名の「式部」(宮中出仕当初の名は「藤式部」)とは父(または兄)の官名であり、「藤」は「藤原」、「紫」に至っては彼女自身の筆になる物語の中で「光源氏」に愛された正妻「紫の上」の名のベタな流用である。平安期の女性のほとんどはこのように「身内(多くは父か夫)の官位+実家の名の一部」を通り名としているのみであって、実名は(その近親者以外は)誰も知らないのである。
-「名のある女性」は官位付き-
が、面白いことに、「紫式部」の一人娘の「大弐三位(だいにのさんみ:999-1082)」は、その本名まで「藤原堅子(ふぢはらのかたいこ/けんし)」と知られている。何故かと言えば、彼女は、藤原道長の娘の嬉子(きし)が産んだ親仁親王(ちかひとしんのう=後の後冷泉天皇)の「乳母(めのと)」として、朝廷から正式の官位(三位)を賜わっているからである。朝廷の公式記録にその名が記載される場合は、当然「本名」が明らかになるわけで、皇室に「妻女」として嫁いだ女性たちの本名が「藤原*子」といった形で後代まで一般に知られているのはそのためである。
-今なお残る「名ぞ謎ゲーム」-
何ともおかしな話に聞こえるであろうか?しかし、この種の「相手に容易に魂をつかませぬための名伏せ」は、現代に至るまで、日本人には連綿と引き継がれているのである。
「名字:last name or family name」こそ明治維新直後に続々生まれて以降は(外国人が日本に帰化する場合などの少数の例外を除いては)もはや新たに生まれることもなくなったが、親が思い思いに付ける「名前:first name」の方は日々新たに生まれ続けている・・・その名付けには(例によって!)西欧圏に於けるような「法則性」はほとんど全く存在しない。西欧人の名前(first name)は「聖書」にある「人名列伝」のいずれかに必ず属するものであるから、そこに「どう読むかわからぬ謎の名前」など成立する道理がないのである(last nameの方は必ずしもそうではないが)。しかし日本人の名前の命名に関しては、如何様に付けようとも名付け親の自由自在・・・そして、その自由度の高さを行使する際に、「他人には、読み方を教えてやらない限り、そう簡単には読まれぬナゾナゾ・ネーミング」をする親たちが、21世紀に入った今もなお、かなりの数に上るのだ・・・「言霊思想」は不滅なり、ということであろう。
論理性が怪しい分、何とも怪しげなオカルト(呪術・魔術)的謎かけ遊びが横行し易い言語学的体質は、日本語/日本人とは切っても切れない間柄、というわけである。
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▼ | ▲[62]【のみ】の多くは強調のみ 「・・・のみ」は現代語では必ず「・・・だけ。それ以外は何もなし」の限定性を表わすが、古語の「のみ」にはこの種の限定性以外にも「強調・力説」の意味がある・・・'意味がある'というのも皮肉な言い方で、'何の意味もないけど、とりあえず景気付けに付けてるだけ'という「のみ」である。
例えば「爆睡する」の意味を表わすのに、次のようにやるのが'強調'「のみ」である:
古文)日ひとひ、寝をのみ寝暮らしたり。
英文)I slept and slept all day.
現代日本語訳)一日中、ひたすら眠りに眠った。
上では「ひたすら」などと訳してみたが、とにかく「超~~!」って感じの「感覚語'のみ'」なので、訳し方は自由自在・・・「限定性=他のものを除外して、最後に残る唯一のもの=the only one」の意味がなければ、それは景気付けに付けてる「のみ」と思えばそれでよく、訳出にあれこれ気をつかうまでもない語である。
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▼ | ▲[63]【事割り】と【断わり】 単語集へ [テスト]-切り分けるには、基準が必要-
現代日本語では多く「拒絶」の意味(例:「押し売りお断わり!」)で用いられ、「道理」の意味では滅多に用いられぬ「ことわり」であるが、元来の組成は「事+割る」であるから、「物事を切り分けること」が原義であり、割り切るための基準としての「論理・道理・正しい考え方」がその基本的意味である。
円形の大きなケーキの塊を、じぃーっと見つめる複数の子供達の全員に平等に行き渡るよう切り分ける作業に従事したことのある人ならわかるであろう ― 「あぁーっ!ズルい、**ちゃんの分だけ大きいっ!ひいきしてるー、ちゃんと分けてよー!」 ― よほど「正確に割る」ことをしないと子供は納得しない。虎視眈々と目を光らせる「ひいき監視員」の子供たちを納得させるには、「割り切る基準をしっかり説明しつつ、正しく切り分ける」律儀さが必要なのだ(・・・わざと大きめに切ったやつを'これ、あげる'と言って黙らせる手もあるけどね)。
-「YES」に理由はいらない/理由説明が必要なのは「NO」だけ-
人と人とのコミュニケーションに関しては、次のような原則を覚えておく必要がある:
A)他者からの働きかけに対し、「NO!」としてこれを拒絶する場合には、単なる拒絶の意思表示のみならず、拒絶する理由をも添えて出さねば、相手は納得して引き下がってはくれぬもの。
フラれ男が「俺のどこがキライなわけ?」などとして食い下がる図は、女性から見て何とも醜いばかりでますますキライ、ということになるのが現実ながら、心理学的に言えばこの「理由を求める」行動はもっともなことである。何故なら、人間であろうと動物であろうと植物であろうと、全ての生き物の行動原理は次の通りだから、である:
B)生き物はみな、特別な理由がない限り、行動を停止しないもの;であるから、行動を停止するためには、何らかの理由付けが必要なもの。特別な理由付けを与えられて停止させられない限り、生き物はみな(何の理由もなくとも)惰性的に行動し続けるもの。即ち、生き物の営みはみな「YES」が基本/「NO」は例外。基本的行動たる「YES」には理由説明など何もいらない(ほうっておけば万物は行動し続け、生き続けようとするのが自然なこと);対照的に、行動の停止という意志的営みである「NO」は然るべき理由がなければ遂行不可能。
かくて、'事を割り切る'「ことわり=道理」は、それを最も必要とする'行動の停止命令'「断り=拒絶」の語義へと自然に転じて行くこととなったわけである。無論、「停止」から「始動」への行動様態の変化を促すための「ことわり=・・・だから、ね、~しましょうよ!:Let's begin because ...」という説得の「理」もまたある訳だが、何かを「始める」ことよりも、「やめる」ことの方が遥かに困難(=はっきりと納得できる「ことわり」が必要なもの)なのだ。
・・・というわけで、女性のみなさん、男をフる時には、それなりの理由を与えてやるのが慈悲(&保身の得策)というものです。「わたし、他に好きな人がいるの」とか、嘘でもいいから言ってあげてくださいな:「それって、誰?」とか聞いて来るほどアホな男なら、その時こそ例の一言「ごめんなさい・・・」の出番です。最初から「ごめんなさい」の「断わり」一点張りではダメ(ストーカーを生むばかりですよ);「あなた以外の男性が好きだから」とかの「理」付きで突き放してこそ、「NO」へと相手を動かすことができるんですから。
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▼ | ▲[64]【す】【さす】の「使役」が「尊敬」に転じる理由-他者を「使役」する立場の者=上位者、という原理-
元来「使役」の助動詞である「す」・「さす」が「尊敬」に転じる理由は明快である:「自分自身では事を為さず、他者を使役して・・・させる」のが古典時代の貴人の行動の基本線だから、である。
元来「自発」の助動詞「る」・「らる」が「尊敬」を表わす原理は、「自分があれこれするまでもなく、周囲が御膳立てして自然に事態が成立してしまう」というものであったが、「す」・「さす」はそれよりも「上位者が手下をコキ使う」感じの身分差別を伴う分、「尊敬」助動詞としての敬意は強いことになる(そうした「エラそうに上から下へ命令してる」感じが嫌われて、現代日本語の敬語には「る・らる」のみが生き残り、「す・さす」は消えてしまったわけだ)。
-「尊敬」なのに「謙譲」?-
文法的厳密性に欠ける日本語の中でも、特に滅茶苦茶なのが「敬語」の世界であって、元来自然性に欠ける人為的差別語でしかないその取って付け(古語で言えば「打ち付け」)の特性を実証するものとして、この「す」・「さす」に関しても次のような横滑り錯誤語義が平然と用いられたことを指摘しておこう:
1)元来「エラい人」が「下々の者」に「・・・させる(使役)」という行動様態を捉えて「尊敬」の意としたのが「す」・「さす」である。
2)が、上下の身分の差があるところ、しばしばそこに「す」・「さす」あり、という現象面のみ捉えた言語学的短絡の結果として、次のような主客転倒現象が発生した:
A)「エラい人」が「ごらんになる」の「尊敬」を表わす「御覧ず」に、更に「尊敬(のつもり)」の「さす」を付けて、「御覧ぜさす」などと、「下位者」の分際で「エラい人」を「御覧ず」状態へと「使役(・・・させる)」ことになってしまうインチキ敬語を作ってしまった。
・・・無理矢理強弁して<(エラい人が)「御覧ず」方向へと(エラい人の周囲の人々に働きかけて)「さす」(根回しをした)>という理屈を振り回すセンセもいるが、現実は何のことはない、<「す・さす」って「敬語」じゃん!>というバカっちい錯誤ゆえに、「尊敬」のつもりで上位者を「使役」する羽目に陥った、というテイタラク以外の何物でもないのである。日本語・日本人の論理性など、今も昔も所詮その程度のものでしかないのだ(類例の豊富さは、本講座をきちんと読めば、イヤになるほど実感できるはず)。
B)「エラい人」の「耳に入る」よう根回しする(=その時点ですでに十分に作為的な)「聞こゆ」に、更に「尊敬(のつもり)」の「さす」を付けて、「聞こえさす」などと、「下位者」の分際で「エラい人」を「聞く」状態へと「使役(・・・させる)」ことになってしまうインチキ敬語を作ってしまった。
・・・上述の如く、「聞こゆ」自体に既にもう「相手の耳に自然と入るような状況設定をする」という「人為性」が含まれているのであるから、そこに更に「さす」(使役)を加えて「作為の二重性」を演出する必要は全くない。この種の二重性で相手への「敬意」を高める効果が生じるのは「敬語の二重化」の場合のみであって、「使役の二重化」ではないのだ。これ即ち、この「聞こえさす」なるインチキ敬語の作者の薄ぼんやりした意識の中では、「さす」は「使役」ではなく「尊敬」の意味と誤解されていた ― より正確に言えば、「使役」が何故「尊敬」と化すかの根源的理由も知らずに、「使役」のままの「す・さす」を愚かにも「尊敬」のつもりで用いてしまった ― という動かぬ証拠である。「原理」を知らずに「現象面」の上っ面で軽薄ダンス踊るばっかだから、こういうバカみたいなコケ方をするわけである。
日本人と日本語は、古来、こんなことばかり繰り返して来たわけである。この種の「誤解に基づく横滑り」から生じる論理性の著しい欠如は、日本語全般に関して概括的に指摘し得る現象ではあるが、特に「敬語」なる不自然話法に於けるそのヒドさは、言語に絶する壮絶さである・・・こんな度し難い代物を恭しく振りかざす営みが、どれほど醜悪な行動であるか、理知的に理解できもせぬ相手に対しては、「敬語など使うに値せぬ」こと、言ふべきにもあらず、であろう。愚者のグシャグシャ話法を面白がってからかう場面以外では、「敬語」など、口にすべきにもあらず、なのである(・・・おわかりか、この種の愚挙とは無縁の英語あたりも御存知なき倭国のかしこきわたりの御歴々?)。
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▼ | ▲[65]【たまふ】?【たまふる】? 単語集へ [テスト] 「尊敬」が「謙譲」に化けたり、「使役」を「尊敬」のつもりで使ったり、といった古語の敬語のややこしさはここまでにも幾度か指摘してきたが、そうした事例の中で最も有名なものは、次の例であろう:
1)四段活用「たまふ」は「尊敬」の意味の補助動詞である。
2)下二段活用「たまふ」を動詞連用形に続けると「謙譲」の意味になる。
-下二段「たまふ」は「謙譲の補助動詞」?-
より正確に言えば、「たまふ」を下二段活用して動詞連用形にくっつければそれで「謙譲」の意味になる、というわけではない。「見たまふ」・「聞きたまふ」・「思ひたまふ」・「知りたまふ」あたりの形でのみ使う定型句なのであって、「下二段たまふ=謙譲の補助動詞」というわけではないのだ。
更に語源学的事情について言えば、「謙譲」の「下二段動詞」としての「たまふ」は、上代に於いて「受く」・「もらふ」・「食ふ」・「飲む」の謙譲語として用いられていた、という事情があり、その根底には「魂(たま)+合ふ=たまあふ・・・'ほしい'という目下の思惑と'やろう'という目上の思惑がうまく'合致'する」の語感があった。
このように、最初から「下二段で謙譲語(となる例が一部見られる)」という来歴を持っていた「たまふ」であるから、他の幾多の類例に見られるような「尊敬・使役・謙譲等々のごちゃ混ぜ現象」とは一線を画す必要はあるが、日本語の敬語の根源的曖昧さを示すものであることは間違いあるまい。
-下二段「たまふ」の「謙譲」演出作法-
上で指摘した通り、下二段で謙譲を表わす「たまふ」が付くのは<話者の「見聞」及び「思考」内容を他者に伝える場合>のみに限定される。この種の「ワタシ的にゎー、・・・なワケよ」の自己主張を、日本人は(21世紀の現代に至るまで)あまりあけすけには行ないたがらぬものである。このことは、英語を学べば(かなりの初学者でも)痛感することである:「I think / I believe / I have no doubt / I'm of the opinion that / etc, etc.」といった英語表現を訳すのに、「私は思う/私は信じる/私には何の疑念もない/私としては次の意見である」といった直訳がいかに日本語にしっくり来ない「アクの強さ」を持っていることか、感じぬ日本人がいるとしたら、その人はよほど鈍感な人(or日本語をロクに知らぬうちに英語学習させられてしまった可哀想な言語学的identity喪失者)であろう。これらの表現は、「自分としてはこう思うのであり、自分はこの発言を行なうに際し、それなりの覚悟を込めている」という不退転の心的態度を伴う:英語では「commitment」という適語のある概念だが、日本語には(当然、というべきか)適当な訳語はない:説明的に訳出すれば「入れ込み」あたりになろうが、それもそぐわぬ感じなので、この語を使う日本人は大方「コミットする」などとわかったようなわからぬような例の調子の無国籍語の煙に巻いて無意味な使い散らし方に終始しているが、この種の「コミットメント=自分の発言・行動として、逃げも隠れもせず、はっきり言わせて・やらせてもらってる」という態度を、多少のてらいを込めて和らげる表現として、古典時代の日本人が考えついたのが「下二段としての'たまふ'」ということであろう。
「こんなこと、はっきり言わせてもらっちゃったりなんかして・・・ゴメンね」的な照れ隠しとして、「下二段たまふ」にはまた、係助詞と絡んだ「係り結び」(「ぞ」・「なむ」と対応すれば「連体形」/「こそ」と呼応すれば「已然形」)で用いる例が多い、という特性もあったことを付け加えておくべきであろう。
◆素のままの「下二段たまふ」例)我、かく<見・聞き・思ひ・知り>たまふ。
◆連体形係り結び「下二段たまふ」例)我、かくぞ/なむ<見・聞き・思ひ・知り>たまふる。
◆已然形係り結び「下二段たまふ」例)我、かくこそ<見・聞き・思ひ・知り>たまふれ。
・・・四段(=尊敬)も下二段(=謙譲)も、「たまふ」の終止形は「たまふ」であってまるで区別が付かぬのだから、活用形の区別が付けられるようにする、という効用も、「連体形(たまふる)」で結ぶための「ぞ」・「なむ」や、「已然形(たまふれ)」で結ぶための「こそ」との呼応には、あったわけである。
-会話&手紙限定の「謙譲たまふ」-
いずれにせよ、「謙譲の下二段動詞」としての「たまふ」が用いられるのは、あくまでも「会話文」や「手紙文」の中だけであったから、「相手に対して、へりくだっている」という事実は、「会話&手紙の相手」にとっては最初から自明のこと。それを殊更試験場で取り上げて「この'たまふ'って、尊敬じゃなくって謙譲なのだけれど、キミ、わかるかな?」的な意地悪クイズに仕立てたりする古文のセンセって、なんぼのもん?みたいな尊敬のかけらもない事なむ(orぞ)思う給ふる我なるよ。
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▼ | ▲[66]素のままでは使わず、必ず他の敬語にブッ刺す形で使う「尊敬」の【す】・【さす】 単語集へ [テスト]-「尊敬表現」に添えて二重に敬意を高める「す」・「さす」-
元来「使役」の助動詞「す」・「さす」は、「自らは事を為さず、他者を使役して事を為さしむる」という貴人の行動様態を表わすのに相応しいという原理から、「尊敬」の意味をも表わした。
が、この作為性の強い「尊敬」の「す」・「さす」は、全ての動詞に(「る」・「らる」のように)自然にくっついて「尊敬」の意を表わす助動詞ではない;引っ付く先は「尊敬語」と決まっていて、以下のような定型句の構成成分に過ぎぬものなのだから、その意味で「尊敬の助動詞」と呼ぶのには少々難があるとさえ言えるものである:
◆「・・・せ給ふ」・「・・・させ給ふ」
◆「・・・せおはします」・「・・・させおはします」
◆「・・・せまします」・「・・・させまします」
-「す」・「さす」が本来の「使役」の意味にとどまる場合-
上のような「二重敬語」の形で相手への敬意を強める言い回しとしては、「す」・「さす」を独立して解釈せずに「定型句として棒暗記」して乗り切ってしまえばよい、ということになる・・・これだけなら実に楽な展開である;が、困ったことに、これらの表現に於ける「す・さす」が「尊敬」ではなく「使役=・・・させる」の原義を相変わらず保ち続けている場合もあって、そうした場合は当然「・・・であらせられる」ではなく「・・・させなさる」と訳さねばならない。外形からの区分は付けられないから、脈絡上「誰かを使って何かをさせる」意味に取り得る場面か否かをじっくり見極める必要があるわけで、これまた出題者による受験生イジメには格好のネタ、ということになる。
ちなみに、「二重敬語」と言うといかにも「とてつもなくエラい誰かさん(天皇とか皇后とか)」だけが尊敬対象になりそうな感じだが、会話や書簡文の中では、さほど敬うべきとも思われぬ相手に対して「せたまふ」などと平然と用いられていた・・・「敬語なんて言っても、所詮はリップサービス」というわけで、このあたりの偽善的事情は、千年たっても何一つ変わらぬ「敬語という名の美辞麗句にまつわる醜悪なる真実」というわけである。
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▼ | ▲[67]別に「あたらし」くもない「あらたし」きこと 単語集へ [テスト] 古語の「あたらし」は、現代人を混乱させる語の一つである。その語源は「本来、高い価値を持つものなのに、不当に低評価を受けており、応分の価値に当たるものとしては扱われていない」ことを「残念だ・・・本来の価値に当たるようにしたい」と嘆くもの。この「・・・したい」の意味を表わす形容詞語尾「・・・し」は、「ゆかし=素晴らしいものなので、その内容をもっと深く探求すべく奥底まで'行きたい'」と同種のものである。
そんな「あたらし【惜し】=惜しいなぁ、残念だなぁ、本当はもっと高く評価されて当然なのになぁ」が、いつの間にやら「あらたし【新し】=目新しい、今までにないものだ」との音調的錯誤から、「新しい」の語義一色へと塗りつぶされて、もはや「惜しい」の意味を表わさなくなってしまった現象は、古来幾度となく繰り返され続けてきた日本語の音化け・意味化け現象の∞分の1の事例・・・「新しい」ことでも何でもない、古くて残念な、和語の伝統芸、である。
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▼ | ▲[68]【眺め】と【長雨】の短めの解題 「遠くを見る目」は、今も昔も「ぼぉーっと放心状態」であって、「長+目→眺め」は「一点に焦点を定めることなく全体を見渡すパノラマ的展望」と同時に「意識の焦点の定まらぬ漫然たる物思い」につながる語である。「長+息→ながいき→なげき→嘆き」の「長ーく尾を引く感じ」に似ているが、この「長々・延々」の感じは、「ながめ」と同音の「長雨(ながあめ)」にもある;ので、古来、和歌の中では「ながめ・・・降り続く長い雨に降り込められて、部屋の中で一人、模様眺め・・・焦点も定まらぬ視線ととりとめもない物思いにご機嫌斜め・・・それにしてもよく降る雨・・・延々といつまで続くのかしら・・・この私の憂鬱も(ぇーん、ぇーん)・・・」といった感じの「長雨/眺め」の掛詞的展開がよく見られた。
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▼ | ▲[69]否定の【な】は文末で使うもの? 単語集へ [テスト]-「・・・な」は強圧的否定-
現代日本語で否定文を作る場合、「・・・する<な>」として文末に「な」を置くのは、教科書的にはアリだが、現実生活では少々キツすぎていただけない禁止命令となる。「気が散るから、後ろから覗き見<しない>でくれる?」あたりの「否定語中出し表現」が妥当な形であって、「俺の後ろに立つ<な>」のようなとどめの一撃としての<な>はゴルゴ13あたりにお似合いのコワモテ(コワぃくせに女にモテる、ではなくて、コワオモテ=強面=ゴワゴワ系フェイス)の台詞になってしまう。
-「な+動詞連用形+そ」の中古否定文-
中古の和語での否定表現の定型「な・・・そ」にもやはり、そうした否定詞文末型コワモテ否定文<・・・「な」>回避の心情が働いていた、と見ることができるだろう。ところが、面白いもので、文末を「な!」で言い切る強圧的否定文はイヤなくせに、それでもなおかつ文末には何か置かねば気が済まぬ心情もまた作用していた、と見えるフシがあるのだ。
-「な+動詞連用形」のみの上代否定文-
そもそも「な・・・そ」の平安調否定文の元になった奈良時代の否定表現は、「な+動詞連用形」であって、文末に「そ」を伴うものではなかった。この上代語形は、<「否定詞」が「動詞」に先行する>という、日本語の否定文としてはかなり希有なるものであって、英語などの西欧言語の否定文に構造的に近いものであった:
上代「な+動詞連用形」否定文)我<な>「忘れ」。
英語否定文)Do <not> 「forget」 me.
現代日本語訳)私を「忘れる」<な>。
・・・英語でも古式否定文だと次のようになる:
古式英語否定文)「Forget」 me <not>.
・・・が、このように「動詞」より<否定詞>を後置するのは「古語・雅語」として英詩の中で用いるぐらいの例外的語法であって、英語(を初めとする西欧言語)では、「この文章は否定的内容である」というメッセージは「動詞よりも前にはっきりと宣言しておく」のが約束事である。
・・・それに対し、日本語の場合、「その文章が否定的内容」であることを表わす語は、文末に置いてこそ意味を為す感覚が極めて強い。上例の冒頭にあった「我<な>忘れ。」の尻切れトンボ語感は、現代日本人なら誰もが感じることであろう:「文末に、'否定'であることを示す語が何もない」のが、何とも物足りないからである。
-日本語は「後から否定」言語-
逆に言えば、日本人は「文末の形を見て、それが'否定文'である、ということを認識する」のである。英語のように「これから述べる内容は'否定文'です;から、最初から-(マイナス)記号付きで解釈してください」という意識の流れでは展開しないので、文末の最後の締めくくりで「ここまでに述べた内容・・・あれ実は'否定'だったんです;ので、改めて-(マイナス)記号付きということでお願いしますね」というのが日本人の意識なのであって、この点、西欧人とは正反対の感覚(&語順)となるわけだ。
そうした日本語にあって、上代式の「西欧風'な先出し'否定文」の「我<な>忘れ」の違和感を払拭するための工夫として、文末に添える記号に用いられたのが「強調の係助詞'そ'」だった、というわけである:
中古型否定文例)我<な>忘れ<そ>。
・・・この「そ」は、中古には例の「ぞ」に化けることになる係助詞であるが、「な・・・そ」の否定構文構成記号としてはずっと清音「そ」のままで、最後まで濁音化することがなかった。
-「カ変・サ変」は「未然形」-
なお、「な+動詞連用形+そ」の基本形から外れるものとして、「カ変動詞(=来:く)」及び「サ変動詞(=為:す)」の場合だけは、「未然形」接続である点もおさえておこう:
カ変の例)今はな「来(こ)・・・(×)き」そ。
英訳)Don't come to see me any more.
現代語訳)もう私のところに来ないで。
サ変の例)腹悪しき事な「為(せ)・・・(×)し」そ。
英訳)Don't do nasty things.
現代語訳)意地悪しないで。
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▼ | ▲[70]もやもや漠然推量【さもや】 単語集へ [テスト] 入試でも、古文そのものにも、実によく出てくる表現である ― 「さもや」 ― よもや「知らない」とは言うまいねー?ぇ、自信ない?・・・まぁそういうこともあるかもね、ということで備忘録代わりに読んでもらう記事だから、以下軽く解説をば。
この「さ」は「然」であるから、文脈上明瞭(なはず)の既出の何か(便宜上'A'とする)を指して:
1)「さもや」の後にちゃんと(連体形終止の)疑問・推量の文章を伴って、「A・・・なのだろうか?」とか「A・・・なんじゃなかろうか」とかの意味を表わす。
2)「さもや」で文章をぶった切ってしまいながらも、直後に[あらむ?]という連体形終止の内容を補って読みつつ「A・・・なんじゃなかろうか」との意味を表わす。
いずれにせよ、「さ(然)」は文脈の中の何かを指し、「や」は疑問・推量の記号として機能するが、間に入る「も」が何とも言えない「もゃもゃ感」を出しているので、「自信なく疑問符が付く感じの推量」の意味になる連語である。
-かなり便利な「さもありなん」-
この漠然としてもにゃもにゃした感じの「さもやあらむ」は、似たような形ながら「断定的に納得」する正反対の意味を持つ「然もありなむ」なる連語と対にして把握すると良いだろう。この表現、現代日本語に於いても、「あの人、やっぱり落第したんだってさー」・「はは、さもありなん、って感じだよねー、勉強してるとこ見たことなかったもん」みたいな感じで生きているので、「然もやあらむ」の理解を明確にするための名脇役としても使える上に、次のような形で連語&終助詞「なむ」の意味の再確認にも使えるのだから、大した役者である:
終助詞「なむ」の例)然も<あら>なむ。(そうであってほしいものだ)
・・・未然形接続(あら)+なむ=他者に対する願望を表わす終助詞。
連語「なむ」の例)然も<あり>なむ。(あぁ、そりゃそうだろうねぇ)
・・・連用形接続(あり)+確述助動詞(な)+推量助動詞(む)=確実にそうであろうとの推量を表わす連語
・・・この連語と同じ意味は、「あり」+「てむ」/「ぬべし」/「つべし」でも表わせる。いずれも「確述助動詞+推量助動詞」の組み合わせである点を踏まえれば、こうした類例での換言可能性の検討作業が「言語学的検算」になる、という理屈も覚えておくべきであろう。
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▼ | ▲[71]【驚く】=「alarm:アラーム・目覚まし時計」 単語集へ [テスト] 古文業界ではあまりにも有名すぎて今更「言ふべきにもあらず」の感さえあるのが、古語「おどろく」の「不意に目を覚ます」の語義である。現代的な「びっくり仰天」の意味もないではないが、入試ではそんな当たり前の語義はまず出ないし、この種の「現代語と変わらぬ語義」は意識せずとも自然に頭に浮かんでくるのだから、学習者として身構えてかかる必然性はゼロであろう。
やはり、「現代人感覚からすれば意外性あり」&「万一うまく意識に浮かばぬとヤバい」語義こそ警戒してかかる必要があるわけで、「はっ、と目を覚ます」や「不意に気付く」の語義こそが主役なのが「おどろく」・・・その語感は、うつらうつらのまどろみの世界に出し抜けに鳴り響く「目覚まし時計」のそれに近いから、「alarmに驚く」あたりのフレーズで覚えておくとよいだろう。
古文単語の暗記には、語呂合わせにこだわって「オードロぼうキてびっくり目が覚める(ぃゃーぁ、おはよぅリーサちゃん、俺ルパンⅢ世)」のような苦しい展開に持ち込むよりも、英単語の助けなど借りて短いフレーズにまとめちゃう方が得策の場合も多いのだ。
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▼ | ▲[72]【如何様】必ずしも「イカサマ」ならず 単語集へ [テスト] 「いかさま」は、現代語では「インチキ」の意味でのみ用いる。が、これは近世以降の後発語義であって、それ以前の時代の「如何様」にこの語義はない。
「インチキ・詐欺・ペテン・やらせ・くわせもの」の意味の「いかさま」は、「本物も、まぁ大体こんな風な感じ」=「いかにも本物っぽい・・・けど実は真っ赤な偽物」というところから生じたものであって、このあたりがいかにも近世の語という感じである。
「本物」を意識して「まぁ、こんな感じに似せて作れば、バカなカモは引っかかるかもね」という詐欺行為が成立するための前提条件としては、「大勢の人間が'うろ覚えの噂'を通して知っている(が本物のことはよく知らない)羨望の的」となる何かが存在せねばならない。そうした「今、巷で噂の、これが例の***だよーっ!さぁさ、買ったり、買ったり!」と煽る商売が成り立つのは、「比較的広域の消費経済圏」が成立し、自分の知らぬ土地からもいろんな品物や情報が舞い込んでくる社会背景あればこそ、である。
狭い京都の御公家さんたちの閉鎖的社会の中で展開する中古の物語の中では、他者の動向については誰もが(異常なまでに細かく)熟知しているのだから、「うろ覚えの羨望心理を突いたイカサマ商売」など成り立たない・・・こうしたペテンにかかってくれるのは、「京都のキレイな舞妓はんや大阪のド派手な姐ゃんたちの間で今大流行、上方じゃぁ女の子は誰もがみんなこれを付けている、ってーぐらいの、さぁさ、よーっく見ておくれ ― これがその'ネコミミ'だよっ!お尻の形に自信のあるお嬢さんなら、ついでにこちらの'ミケシッポ'もどーだいっ?四つ足ついてすり寄って'ニャオ'って迫れば、どんな男もイチコロだよーっ!」的な古典的誘い文句にコテンと引っかかる「お江戸の純朴な町娘たち」あたりであろう。
自分自身がロクに知らぬ世界へと、知らぬがゆえの羨望のヨダレ垂らして、背伸びして入り込もうとするからこそ、ペテン師どもの餌食になるのであって、誰もが何でも知っている閉鎖系の社会や、知らぬ事にはきちんとした理知的警戒心を発揮する知識人が主役の世界では、この種の地に足がついてない連中相手のイカサマ話など不成立、という理屈である。
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▼ | ▲[73]【まなこ】ってどんな子? 「真奈子」さんというような名前の人がいたらゴメンなさい、な話だが、「眼」を意味する「まなこ」は、組成的には「ま(目)+な+こ(子)」であり、この「な」は「場所」を表わす上代の格助詞であるから、「目の中に存在するちっちゃな子」がその文字通りの意味となる。「目玉の中に子供」とは何ともイタい話であるが、目玉そのものが「親分」、その中にある黒目が「子分」という感じの語であろう。
この「まなこ」に相当する英語表現に、「the apple of the eye:目ん玉の中のリンゴ」というのがある。「まなこ」の「子」は「ビー玉」ぐらいの感じだが、それが「リンゴ」なんだから、さすがに西欧人の目はデカい(少女漫画によく出てくる顔面の半分ぐらいが目のヒトたち的な感じ)というべきか・・・ちなみにこの表現、「He is the apple of my eye.」などとすれば「彼は私の目の中に入れても痛くないほど可愛い坊や」的な感じで「愛児へのデレデレ猫っかわいがり表現」となる。直訳して「僕の目玉がボトリと落ちて、一人歩きするようになったもの、それが彼さ」などと『ゲゲゲの鬼太郎』の「目玉のおやじ」的連想はしないように。
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▼ | ▲[74]【陽炎】・【蜻蛉】・【かげろふ】 日本語は横滑り言語だから、同じ字面で、原義からどんどん外れた無関係な語義が生じる場合は数えきれぬほどあるが、「かげろふ」もやはりその一例である。
-「かげろふ」の最初の閃き-
この語は元々「かぎろひ」であり、「明け方のまだ暗い空に、ちらほらと射す朝の光」の意味であった。そこからもわかるであろうが、この「かげ」は「影」であり、それは「光そのもの」を指すとも「光が当たらず暗い部分」に言及するとも取れるもの。「ふ」は反復性の意味を添えるので、「真っ暗な空に、チラ、チラと、光が差したりまた見えなくなったり」の曙光の形容が「かぎろい=夜の陰影の移ろい」なのである。
-その後の「かげろふ」の揺らめき-
やがてこの語義が、「夜明け時の暗闇にかすかに光る陽光」という原義から大幅にズレて、「春の晴天の日中、地面から立ち上った水蒸気が、太陽光を浴びて乱反射し、まるで炎のようにゆらめいて見える現象」へと横滑りして行くことになる・・・まぁ、こうした「陽炎」も、「上下左右にユラユラ揺れる」その様態が「反復性の'ふ'」の語感には符合するし、「影」は原義の「光」だの「暗部」だのからはズレても「実体とは異なる実体めいた何か」の意味で「蜃気楼」を表わすのもまた自然かな、とは思える話なので、無法状態に近い日本語の転義現象の中では、まずまず妥当な部類に入るであろう。
-「かげろふ」の動詞デビュー-
こうした二つの「かげろふ」を受けて、「光がちらちら明滅する」&「明るかったものに陰りが差す」の意味を表わす動詞の意味が生じたのもまた自然な現象だったと言える。
-虫になって羽ばたいた「かげろふ」-
しかしながら、この「かげろふ」が、「トンボ」を意味するあたりになると、いささか首をひねらざるを得ない。「陰影」とは無縁の生き物(非夜行性)であるし、ホタルじゃないんだから「明滅」もしない・・・「半透明の羽」(辛うじて「かげ」のイメージ?)をせわしなく羽ばたかせて空中の一箇所に停留(hovering:ホバリング)するその様子が「反復性の'ふ'」にも絡んで「カゲがセッセと動いてお日様の光を受けてキーラキラ」なのか・・・どうにもこうにも、トンボは「枝葉や洗濯ロープに止まってるやつの目をグルグル回して指ではさむもの」という子供時代のイメージから離れられぬ筆者には、なぜ「トンボ=かげろふ」なのか、さっぱり理解できないのである・・・。
-「ウスバカゲロウ(×)薄馬鹿下郎 (○)薄葉蜻蛉」も登場・・・数日で死んじゃうけどね-
更にもう一つややこしい「かげろふ」が「ウスバカゲロウ」という虫である。これはトンボに似ているが、その飛びっぷりは何とも頼りなげでトンボみたいな躍動感はなく、薄黒く冴えない色合いと小さくていかにも薄っぺらい葉っぱみたいな羽をしているから子供たちにも人気はなく、成虫になってすぐ死んでしまうので、古文の世界では「はかないもの」の代名詞みたいな存在。
-そして真打ち登場!『蜻蛉日記』(西暦974以降)-
だが、この「蜻蛉」、古文業界ではもう一つ、はかない虫とは関係ない次元で大変な有名どころなのだ ― 『蜻蛉日記』という名の(藤原道綱母の手になる)「女流日記文学の走り」を通して。「かげろう」の醸し出す儚い雰囲気とは、しかし、全く正反対のドロドロ濃密な作品であって、浮気者の夫「ミスター前渡り」こと藤原兼家(あの道長のお父さん・・・生ませた相手の母親は『蜻蛉日記』作者のライバルたる藤原時姫といういかにも時めきそうな名前のお姫さま)への恨み辛みを、日記文特有の省略多用の粘着質な文章でみっちり綴った難解なやつ・・・一体何人の受験生がこの作品に泣かされたことか。
この作品のとーってもわかりにくい書き方が、その後の『源氏物語』や『栄花物語』といった中古女流文学の難読文体へと直結的影響力を及ぼしているのだから、大方の受験生にとっては何とも困ったやつ、ということになる。
全くの私的憤激だのたわいもない日常の出来事にまつわる個人的感慨だのを書き綴っただけの文章なのに、「本は貴重品=読むべき物語自体あまり多く存在しなかった」という時代背景ゆえに、「誰もが読むべき必読作品」ということになり、「文学者ならこういうやつを書くべき見本の作品」ということにまでいつの間にやら横滑りした結果として、中古~中世~近世~近代~現代(少なくとも20世紀末)まで続く「純文学=私小説・・・要するに'日記文学'」という「独り善がりの書き散らしこそが最高の文学ジャンル」というアホっちく非文芸的な日本'文学界'の度し難き潮流を(千年も昔に!)決定付けた作品なのだから・・・やれやれ、その呪縛の濃密にして永続的なること、とてもとても短命な「蜻蛉」には例えるべくもあらず・・・むしろ成虫になる前のウスバカゲロウ(の大部分)が幼虫段階で演じるあの恐るべき「アリジゴク!」の方が、『蜻蛉日記』には(&その筆者にも)似合いのメタファー(metaphor:隠喩)というべきであろう。
千年経ってもなお「藤原兼家って、こんなにもヒドい男なのよっ!」とばかり世間に訴え続けるその怨念の深さもまた、「一度ハマれば絶対逃げられない」蟻地獄の感あり・・・もっとも、カネイエさんというのがこれまたスゴいヒトだったから、千年コロされ続けても万年生き返って強引にあれこれやっちゃいそうな感じなんだけど・・・まぁ、細かい話はともかくとして、『蜻蛉日記』ほどに実質と標題がズレてる作品をこの筆者は他に二つと知りません。
ついでに言うと、この「かげろふ」、俳句の季語としては「秋」だったりする・・・「トンボ」さんといえば、夏休みにさんざんお世話になった生き物たちだけに、この季節感のズレもまた、この筆者にとっては謎の残る展開・・・。
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▼ | ▲[75]この【な】はなーに? 単語集へ [テスト] 古典時代の格助詞には、定型句の中でしか用いられなくなってしまった上代語が結構多くある。「朝な夕な」に於ける「な」もその一つで、その語義は「時間帯」・・・現代にまで残る格助詞「に」に相当する語である。
この「時間帯の'な'」を含む語には、「朝な夕な」の他に「夜な夜な(よなよな)」があり、これは現代語にもそのまま残っている。逆に「毎朝」の意味なら「朝な朝な」となるが、その読み方は「あさなあさな」ではなく「あさなぁさな→あさなさな」である(カマずにきっちり30回連続して言えたらアメ玉あげる)。
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▼ | ▲[76]あり「も」せずと「も」平気だ「も」ん 単語集へ [テスト] 古典係助詞「も」には、無意味な使われ方が多い。「ありもつかず」の「も」もまたその一例であって、これは「ありつく」の否定形「ありつかず」と何一つ意味は変わらぬ語で、「も」が単なる整調語としてのみ機能している例である。
同様の例は、「うらなし【心無し】→うらもなし」、「ことなし【事無し】→こともなし」、「なにとなし【何と無し】→なにともなし」等にも見られる。
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▼ | ▲[77]古語の【物思ひ】の大部分は「恋煩い」 「物思い」は現代語にも残るが、「憂愁」全般を表わす概括的な現代の「物思い」に対して、古典時代の人が「物思ふ」場合の主題は「恋愛関係の悩み事」が多い。無論、「恋愛以外」の事柄に思い悩む語義が「ものおもふ」にないわけではない。ただ単に、物語の中での登場人物の「物思い」の主題は、古今東西「恋の悩み」が多いという虚構文学作品の構造的特性がそのまま反映されているだけの話である。
特に古典時代(現代、とは言わぬが)の日本には、一大文学ジャンルとしての「短歌」がある・・・「歌」に於ける「恋愛」テーマの比重は、今も昔も、他の一切の主題の追随を許さない・・・「ものおもふ」は五音にも七音にも乗せやすい・・・かくて、「物思ひ」≒「恋煩い」なる古典文学の図式が成立したわけであって、何も、昔の日本人は恋愛にばかりうつつを抜かす遊民揃いだった、というわけではないのである。
このあたりの図式は、単なる「読者」として受動的に文学に関わるばかりの人間には存外知られていない真実である。自ら作品世界を構築する「創造者」となった場合に、その世界に吹き込むべき本源的生命力が自らの内面から沸いて来ぬ場合や、その世界に彩りを添えるための工夫に行き詰まった時、大方の作者の凡庸にして無責任なる想像が安直に取りすがる先が、「love & war:愛と戦争」である、という失笑(or唾棄)すべき真実を悟るのだ・・・。
上、何ということもない文物にまつわる古今不変の原則の指摘だが、とかく人間というやつは、自分以外の「世間がもてはやす事柄」=「みんなが信じている素晴らしい事柄」と信じ込み易い単純な特性を有した生き物である。一匹一匹では無力なサルの成れの果てが人類なのだから、群れなして行動し、周囲の個体と動きを合わせて一気に襲いかかり、数の暴力で外界に自らの生存権を強圧的に誇示することで、この地球上に現在のような覇権を構築してきた生き物たち・・・その名残りが今なお精神的シッポの如く人間には付いて回り、「良かれ悪しかれ、真実であれ虚偽であれ、現実であれ幻想であれ、とにかく周りの連中が従っていること」には本能的に従ってしまうのが、「ヒトという名の非力なる二足歩行ザル」の力強くも哀しき性なのだ。一匹単位でそれなりの力を持つライオン型の単体狩猟生物種は、この種の共同幻想からは極めて自由である(・・・独立独歩の猫たちの気ままさを見るがよい)。まぁ、人間の分際で彼らの偉大なる孤独さに倣ってみたとて、所詮哀しきサルマネにしかなるまいが、外界をよくよく見渡して、見習うべきところは見習い、見直すべきところは見直す、それがサルならぬ本物の人間のあるべき姿ではあろう。
文学だの、歌だの、漫画だの、テレビだの、友人達の噂話だの、そうした外界が「それさえ話題に乗せておけば取りあえず場がもつから」というだけの理由で語りぐさにしているに過ぎぬものに、過度の敬意を払うことは、あまりせぬほうがよい・・・もっとも、そうした「場の勢い」という虚勢でも張らねば異性に言い寄る元気もないほどの「か弱いサル型生物種」から、この種のオメデタイ幻想のブースターを取り上げてしまうのも、些か酷な気のする話ではあるが・・・。
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▼ | ▲[78]【呼ばふ】と【夜這ふ】の時代背景 単語集へ [テスト]-「言霊思想」と「名」の関係-
既に「言ふ」の箇所で書いたことだが、古典時代の女性は自分の「本名」を滅多なことでは(肉親以外には)知らせたりしない。「名」を呼ぶことは、その名に宿る「霊」に呼び掛けることであり、そうした言葉に宿る霊威(=言霊:ことだま)への畏怖の念が残っていた中古の女性が、自らの「名」を呼ぶことを許す相手とは、即ち自らの「心」(&身体)をも許す相手、ということになる・・・古語の「言ふ」に「求愛・求婚」という濃密なる意味が宿った所以である。
-「呼ばふ」の反復性の意味するもの-
同様の事情から、「呼ばふ」=「相手の名を幾度も呼ぶ」もまた、女性への男性からの求愛行動を意味するのが古典時代の特性である。こちらの語には、その「反復性=ふ」によって「求婚」の色彩が更に濃密になる、という特性がある。
平安時代までの日本は、現代のような「一夫一婦制」ではなく、「一夫多妻制」であった。男性は、結婚相手の女性を一人だけに限定せず、複数の女性を妻とした。そして、妻となった女性と、夫は同居することもなかった。夜だけ、愛の営みを交わすためにのみ、男は女のもとへと通ったのである。それが「妻問婚(つまどいこん)」と呼ばれる古典時代の結婚生活の形態であった。女はただひたすら、男の訪問を待つだけの受動的立場であり、授かった子種をこの世に産み落とすまでは自分の仕事だが、我が子を育てる役割は「乳母(めのと)」に委ねることが多かったし、最初の頃に通ってきてくれたきりで、以後すっかり御無沙汰になってしまう夫も、世の中には多かった・・・なにせ、「妻」は、彼女一人だけとは限らないのだから・・・古典的文物に「待つ身の女の辛さ」を嘆くものが多いのも、むべなるかな、である。
実に何とも一方的に男性側にとってのみ都合のよい社会制度に思われるであろう;が、この種の制度が一方の当事者(夫)側にとってのみ一方的に有利に機能するものでしかないなら、永続する道理もない。妻となる女性側(否、正確に言えば、妻の実家の側)にとってもそれなりの効用はあったからこそ、平安時代全般を通じてこの制度は続いたのである。整理すれば、次のような損得勘定の上に成立していた互恵的関係が、平安時代の「妻問婚」だったのである:
A)女性の家・・・「夫」との間に「男子」が生まれたら、その子の社会的地位(官位等)は、夫の社会的勢力の七光りの形で引き継ぎ、家門の繁栄を図る。
B)男性個人・・・「妻」の実家の経済力を、自分達夫婦の結婚生活の財務基盤とするとともに、自らの社会的活動の支持基盤としても使わせてもらう。
こうした「give & take:取ったり与えたり」のバランスの上に初めて成り立つ「妻問婚」であるから、「財務基盤の弱い家の女」や、「社会的地位の低い男」は、当然、アブれることになる。まぁ、それでも「恋愛」を禁じられるというわけではないし、愛し合った結果として「子供」ができることも当然あったろう・・・が、なにせ「一夫多妻制」であるから、一人の女性と結ばれたからといって男が彼女のみに誠意を尽くすとは限らなかったし、逆に女性側もまた、一人の男性に操を立てる義理などなく、より社会的地位の高い男との縁が望めれば当然これに乗り換えてしまった「競争的恋愛」の時代だったのである・・・恋愛自由度の高さは、悲恋発生率の高さと、当然の相関関係を成していたわけだ。
-男と女はいつ夫婦になるの?-
そうした時代にあって、男性と女性との婚儀は、「子供の誕生」というようなわかりやすい形で明らかになる場合もあったが、形式的には「妊娠・出産」まで悠長に待っているわけにも行かなかったから、便宜上、次のような形を満たせば「婚儀成立」となったらしい:
◆同じ女性のもとに、続けて三晩、男が通えば、結婚の意思あり、とみなして目出度く夫婦関係成立。
必ずしも「三日連続」というわけではなく、散発的でない連続的訪問が一定の律儀さで続けば、という感じだったらしい。また、社会的階層が下になると、逢瀬の定期性などという統計学的証拠に拠らずとも「私達はもう夫婦」ということになった、とも言われている。
そんな訳で、男が女の名を「呼ぶ」ならぬ反復性の「呼ばふ」は、その逢瀬の頻度を物語る性質が「求婚」へと結び付くわけである。
-「名」なんて知られて当たり前、の時代には-
こうした平安時代までの事情とはまるで異なるのが、近世(江戸時代あたり)の「よばひ」である。整理すれば:
1)「言霊思想」の霊威は失われた。
・・・ので、女性の「名」はもはや秘密でも何でもなくなり、誰もに知られ、平然と口に出されることとなった。つまり、女の名を「言ふ」だの「呼ぶ」だのは、特別な立場にある男性だけの特権でも何でもなくなり、その艶っぽい意味合いも色褪せたわけである。
2)「一夫多妻制」も「妻問婚」も消え失せて、「一夫一婦制」で「夫婦同居」の時代となった。
・・・妻に向かって何度も何度もその名を「呼ばふ」など、新婚当初以外はまずあり得ない、というのが21世紀の現代に至るまでの夫婦同居生活の現実というもの。大方の夫婦は、「おーぃ」と「なにょ」ぐらいの「阿吽の呼吸」で「名を呼ぶ」こともなしに生活できてしまったりするのだから、「呼ばふ」も何もあったものではない。
3)徳川幕藩体制下では、確立された社会秩序を安定的に維持するため、「儒教道徳」が下々に至るまで徹底され、「浮気」は厳しく戒められた。
・・・夫婦間の不実であれ、家臣から主君への忠義の欠落であれ、とにかく「約束を交わした相手への裏切り」は絶対悪、という時代である。こんな時代に「愛しい相手の名を何度も呼ぶ」とか「ちょくちょくその相手のいる場所を訪問する」とかの場面は、当然、「妻ならぬ女性」との道ならぬ恋愛場面に傾くわけである。こうした不倫は、白昼堂々と行なわれる筋合いのものではなかったから、人目を盗んで男が女のもとに密かに通って愛の営みを交わす(近世的には)禁断の訪問の様態を表わすのに、江戸時代の人々は「呼ばふ」ならぬ「夜這ふ」の宛字を用いたわけである。例によって横滑り語ではあるが、これはこれでなかなかに洒脱な言葉遊びとして評価してもよい語であろう(・・・社会学的にはともかく、言語学的には、である)。
儒教道徳もへったくれもない21世紀の現代に至るまで、「よばい」と言えばこのお江戸言葉の「夜這い」であり、そこには妙な後ろ暗さに満ちた淫猥な印象が付きまとうが、古典時代の「呼ばひ」にはその種の気配はないことを、古文読みとしては銘記しておく必要がある。
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▼ | ▲[79]【とん】から【とに】経て【とみ】になり 単語集へ [テスト] 現代語でも「近頃とみに有名になった***」などとして「にわかに・急に・いきなり」の意味で用いる「とみに」であるが、これは元来漢語「頓」の「トン」から生じた外来語。ただ、撥音文字「ん」は中古末期までの日本語には存在しなかったため、代替文字として「に」を用いて「とに」と表記して「トン」と読んでいた・・・現代人の感覚にはストンと腑に落ちる話ではないが、とにかくそういう状態で推移するうちに、いつの間にか(そう急に、ではなかったようだが)この「とに」が「とみ」への変態を遂げ、中古以降「ん」文字が登場したにもかかわらず「とん」に戻ることもなく「とみ」のまま定着してしまったものだという。
古語としての「頓に」は、現代語のように「とみに・・・する」のような肯定形ではなく「とみには・・・ず」の否定形での使用が多いことも覚えておこう。
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▼ | ▲[80]「いたいけ」自衛法 単語集へ [テスト] 「'いたいけ'な幼児」とは現代もなお使われる文語だが、これは元来「痛い気」。ちびっ子は、見るからに、小さく、か弱く、危なっかしくて、「わーっ!」とかいいながら走り回っては「ドタッ!」とコケるその姿を見ると、周りの大人はまるで我がことのように「ぁイタっ!」とか声を上げてしまうほど、放っておけない、思わず手を差し伸べて守ってあげたい気にさせられる・・・それが「イタい気」なる子供の発するオーラ(aura:雰囲気)である。
「いたいけなり」=「思わず手を差し伸べてあげたくなるかわいらしさ」・・・自分で自分の身を守る手段に乏しい弱小なる存在は、強大なる何か/誰かの庇護本能にキュンと訴えかけることでその生存適性を高めるもの、という最高の一例であろう。人の子ならずとも、子猫も子犬もカエルの子も、カワイクないちびっ子なんて、自然界に存在しない・・・逆に言えば、幼少段階でかわいくなかったチビすけたちは、強い連中に守ってもらえずに、みな絶滅してしまって既にこの世にない、ということかもしれないが。
生き残りたければ、他者の攻撃を無力化する圧倒的強さを身に付けるか、他者の攻撃心そのものを無力化する圧倒的モロさを見せつけるか・・・獅子の王道を歩むか、猫撫で声出してお腹出してコロンと横たわって「もー、好きにしてー」と強者の慈愛に訴えかけるか・・・後者の方が楽には見えるが、慈悲にすがって生きてる弱者のくせに、多少なりとも強がってみせたが最後、惨めに踏み潰されておしまい、というのが「思い上がった弱者」の末路である。筆者の知る限り、「守られてる」くせに「いばってる」弱者で、それでも強者が「喜んでかわいがってる」生き物は、「猫」ぐらいである・・・「いたいけ自衛法」の道はけっこう険しいものなのだ。
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▼ | ▲[81]【歌】・・・うたた・・・うたて・・・ 「歌」と言えば、昔=「短歌」、今=「カラオケ」と、今も昔も妙に日本人には馴染みの深い芸当であるが、「歌ふ(うたふ)」という行為が、その語源に於いて「訴ふ(うたふ・・・うったふ)」と同値であることは、重度のカラオケ中毒症患者(&被害者)がわんさかひしめく現代日本に於いては把握しておくべき必須知識と言えるであろう。
他者に何かを「訴ふる」場合、その内容は昔も今も「我が身のみには背負いきれぬ悲惨な状況」である。裁判所に訴え出て「ひどい誰かの行為を断罪&あわれな自分の損害を回復」せんとする原告の必死の自己主張も、お医者様に「先生、私、この頃とっても***なんです」と病状を懇々と訴える患者の泣き言も、はたで聞かされてあまり気分の良いものではない(・・・だからこそ'迷惑料'としての医療・司法関係者の報酬は、法外なまでに高額なのかもしれない)。
この種の「訴ふ」と同列に連なるのが「歌ふ」である。胸中に溜まった心情を吐き出すために「歌ふ」人は、本筋の歌人以外にはほとんど存在しない(&本物の歌人など実は圧倒的少数派でしかない)というのが古今変わらぬ実情ではあるが、嘘っぽい思いでも安っぽい恋情でも何でもかんでもとにかく「声に乗せて息を吐き出す営みを他人の前で演じること」は、不思議なストレス発散効果を持つものであること、カラオケ・ジャンキーだらけの現代日本に於いては言ふべきにもあらざる真理であろう。それだけに、当人としてはひたすら気持ち良く「歌ふ」わけであるが、聞かされてる方が必ずしも当人ほどに良い気持ちであるわけもない。大方は、「自分も歌って気分良くなるつもり・・・だから、こいつのつまらん歌も聞き流してやろう」の我慢リスナーでしかない。
そんな他人の気持ちをまるで無視して、ただひたすら当人が気持ち良くなるためだけの営みを延々・ズンズン続けてしまえば、どうなるか・・・古語では、この種の状態を「うたた」と形容する。漢字表記すれば「転」である:一旦転がり出した事態が加速度を付けて延々続くさま・・・こうした「ァタタ」的にイタい展開に対する周囲の人間の心理は「うたて」・・・「歌って!」ではなく「やめて!」・「もぅいい加減にしたってゃ!」の感じである。「うたた」は状況描写語/「うたて」は心理語であるが、いずれも「うた・うた・うた・うた・・・」の「誰かさんの個人的思惑を好き放題垂れ流してるばかりのエンドレス・エスカレーション状況」への嫌気から生じたものである。
博奕の鉄火場では、勝ち誇って能書き垂れるヤツに向かって「ウタうなょ(=偉そうにベラベラ解説するなよ)」と釘を刺す場面が今でも見られるが、同様の訓戒はカラオケ場にも必要なもののような気がする(・・・と、この筆者の「うたいぶり」もなかなかに「うたた」・「うたて」・「うたてし」・「うたてあり」・「うたてなり」の感とともに受け止められているかもしれないが・・・ん?そう感じてる人達はもはや受け止めもせずに逃げ出してるから、関係ないか・・・ぁはは、んならこれからも好き放題解説垂れちまうことにしようかな)。
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▼ | ▲[82]「神聖」と「不浄」の両極端のimageで突き抜けちゃった【いみじ】 単語集へ [テスト] 論理よりも感覚に走ることの多い日本語の中でも、極めて日本語らしい展開を経て「超~~**!」の突き抜け言辞として古文で乱発されたのが「いみじ」(形容詞)&「いみじう」(副詞)である。
語源的には「いみじ」はまず「忌み(いみ)」に発する。「忌引き(きびき (×)いびき)」の形でその宗教的色彩は現代にもなお残る語であるが、それは亡くなった誰かの「死の穢れを忌避」するのが目的で当面の社交活動を自粛する行為であって、「死者の霊を慰める」ことが目的ではない。
この「忌み」とは正反対に、「神聖にして超絶的なるもの」を前にして「恐れ多くて触れられない」という敬遠の心情を意味する「斎み(いみ)」もまた、「いみじ」の中には含まれている。
こうした「不浄/清浄」双方の「忌み/斎み」を意味する「いみじ」は、それゆえに、「ひどく悪い」&「大変素晴らしい」の両極端を行き来する語となったわけである。受験生としては、脈絡を頼りに「ケナシ」か「ホメ」かを見極めねばならぬ厄介な(できれば「忌避」したい)古語というわけだ。
そうして、この「最低!」と「最高!」が、一切の論理的判断を度外視した感情的叫びとして用いられる性質は、昔も今も同じである・・・そこから、「いみじ」の連用形「いみじく」やそのウ音便「いみじう」が、「そりゃあもう***ったらないのさ!」(Absolutely, Totally, Simply, etc, etc.)なる副詞として用いられることにもなったわけである。
ちなみに、現代日本語に於いて辛うじて残る「いみじ」の末裔は、副詞形の「いみじくも」のみであり、その意味は「実に見事な表現で描写したことには」である。誉め言葉であるから「斎み」系とは言えるが、原初の宗教的畏怖はどこかに消し飛んだ感じのこの表現、筆者なら、その絵画的描写力のもにゃもにゃした巧みさに敬意を表して「image(イミッジ)雲」あたりのイメージ当て字で表現したいところである・・・え?それって横文字じゃん/仮名漢字変換入ってるじゃん、って?・・・いいじゃん、意味は通じるし、どうせ感覚語なんだし、日本語なんて所詮えぇ加減な横滑り言語なんだからさー。
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▼ | ▲[83]【おはします】は丁寧語以前に「在り・居り・行く・来」で【御座います】 単語集へ [テスト] 「御座」の当て字をすればわかるであろうが、「おはします【御座します】」の原初的意味は「ある場所に動かずじっとしている」であり、「在り」・「居り」の尊敬語である(ある場所に存在するための移動動作としての「行く」・「来(く)」の尊敬語にも転用された)。
やがてこの「おはします」は、「動詞連用形+おはします」あるいは「動詞連用形+て+おはします」の形で「尊敬の補助動詞」にも転じることとなり、巡り巡って現代標準語の「・・・(で・に)ございます」なる丁寧語(というにはやや慇懃無礼に近い大袈裟な表現)や、関西ローカルの「・・・でおます」にその名残を留めている。
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▼ | ▲[84]昔の【あからさま】は「露骨」じゃなくって「ちょびっと」 単語集へ [テスト] 現代では「露骨、見え見え、おおっぴら」の意味で使う「あからさま」だが、これは「あから」の音を「明ら」に結び付けて「明ら様=明るいさま=明瞭」と捉えた近世以降の錯覚語義で、古語とは無縁の代物。
古語の「あからさま」の根底にある「あから」は「あかる=離る」であって、本来存在する定位置から「一時的に離れるさま」であるから、「ほんの少し」が古典時代の「あからさま」の語義である。実際には「あからさまにも・・・ず」として「ほんのかりそめにも・・・しない」という強調的否定表現(英語で言えば「not a bit ...」)を形成することが多い。
本来の場所から一時的に離れるというその語感から言えば、「あからさま」は「あくがる」にも近い。「あくがる」の「かる」は「離る」であるから「あかる」と同じであるし、「あく」は「幄=小屋・・・いつも身を置く居住区画」であるから、「おうちからふらふら外にさまよい出る」の意味で「ふらつき歩く」になったり、「いつものお相手(の男・女)以外へと気持ちがヨロメく」なる艶っぽい浮気語になったりする。
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▼ | ▲[85]「勝利」ばかりが【勝る】じゃない 単語集へ [テスト] 「勝る」と書けば「やったー!勝利だー!」へと安直に結び付きそうな「まさる」だが、「増さる」と書けば「相対的増加傾向」を表わす(補助動詞的な)語感がわかるであろう。現代文語にも残る「益々御健勝のこととお慶び申し上げます」なる挨拶は、「益々=増増」と「御健勝=御健康が'勝る'='増さる'」の部分に於いて「増」が冗長(redundant:ダブってる)表現であり、英語で言えば「I'm glad that you are more and more increasingly growing up in your health.」的なヘンテコ言辞ということになるが、「増増」であって「減減」ではないのだから、まぁこういうオメデタイしつこさは悪いことではないであろう。
付言しておけば、「まさる」の対義語は「おとる」であり、<事前の思い(心)に対し、「こころまさり(心勝り)=予想以上に素晴らしい」/「こころおとり(心劣り)=期待外れの低水準」>のように対照的に用いた。
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▼ | ▲[86]【背く】は「背+向く」 単語集へ [テスト] 日本語というやつは、その構成要素を漢字に換言して捉えてみればその感じが分かることが多い便利な言語であり、「そむく」のままではピンと来ないこの語も、「背+向く」とすれば「対象に背を向ける」語感がきっちりわかって便利である。
ついでに言えば、「背中」を向けるのとは逆に「顔」を向ければ、「面(おも)+向く」=「おもむく(赴く)」となる。「赴く」の漢字の感じに縛られている限りは「A地点におもむく(=出向く)」の意味しか浮かんで来ないが、「面向く」へと視点を切り替えれば、「元来乗り気でなかった人物の顔(=面)を、ある方向へと向かせる=うまいこと説得する・服従させる」という(現代では死語と化した)古語の語義を把握するのに役立つ。
漢字は、日本語の横滑りを演出する困った滑脱記号としての負の側面をも持つが、意味の円滑な把握を助ける潤滑油としてもしばしば大活躍するのだから、学習者としてはこれを存分に活用するのが当然であろう・・・その意味でも、昨今の日本の白ち的なる漢字隠ぺい工作の愚まい性ははなはだ遺かんなことであり、こんなことを続けていたらただでさえだ弱な現代日本人の言語能力はいよいよち命的にたい廃してしまうのではと危ぐされるところである。
とまぁ、かんじのないじがどんなかんじかであそんでしまったあとで、気を取り直して最後にもう一つだけ古語のお勉強:「背く」の対象として「世」に背を向ける「世をそむく」は、「世間に逆らう反社会的人物」を想定させる響きがあるが、実際にはこの「世」は「世俗・俗世」の意味であって、「寺・仏界・宗教界」の対義語として用いられており、「よをそむく」=「世俗を捨てて、仏道修行の生活に入る」、即ち「出家する」の意味となる。現代日本人の生活感覚からは全く縁遠い語だが、古典時代にはやたらめったら出てくる行為が「出家」なので、しっかり向き合って覚えておくように。
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▼ | ▲[87]【・・・のお方】が妙にお堅い敬意を表わす理由 単語集へ [テスト] 「言霊思想」については幾つかの記事の中で既に触れているが、上代(から中古あたりまで)には、「全ての言葉(こと:言)には霊魂が宿っており、その言葉を口にするということは、その言葉の霊魂(=言霊)を通して、言(こと)が表わす事(こと)に呼び掛け、その事を現実世界に呼び出すことにつながる」という考え方があったので、滅多なことでは口に出してはいけない言葉(=忌み言葉)というものが(古典時代には)沢山あったのである。
「死」につながる言葉などはその最たるものであったが、「人の固有名称」もまた忌み詞であって、自分の名を相手に呼ばれるということは、相手が自分の魂魄をその手に掴み、自由自在に操ることにも通じる。それ故に、人の名に直接的に言及することは、禁忌に触れることであり、女性などは(家族以外には)その本名は決して明かさなかったので、「**さんのうちの娘さん」(菅原孝標女:すがわらのたかすえのむすめ)だの「**くんのお母さん」(藤原道綱母:ふじわらのみちつなのはは)だのといった通り名が世に知られるばかりなのであった。
古典時代の人間の本名が後代に知られている例というのは、その人物の名称が朝廷の公式記録に残っている場合などにほぼ限定されている。この場合はさすがに「紫式部女(むらさきしきぶのむすめ)」だの「越後弁(えちごのべん)」(祖父の任国+官名)だの「弁乳母(べんのめのと)」(後冷泉天皇の養育係)だのといった通り名を記載するわけにも行かぬから「藤原堅子(ふぢはらのかたいこ/けんし)」という実名が(女性としては極めて例外的に)知られることとなるわけだが、それでもこの(ミョーに硬質な)本名よりは「藤三位(とうのさんみ)」(糖の酸味、みたいな矛盾した響きだが、実際の意味はもちろん'藤原'姓で官位は'三位')だの「大弐三位(だいにのさんみ)」(第二の酸味・・・第三のビール的な響きだが、その意味は、夫の役職が'太宰大弐=太宰府の副長官'で自分の官位が'三位')の通り名の方で語られる場合の方が多い。
このように、日本語には古来「人物の名への直接的言及」を憚る傾向が極めて強い。この体質は現代日本語にもそのまま引き継がれており、西欧人種のように素直には「Hey, MAHO:やぁマホちゃん」だの「Come on, KATAHO:おぃおぃそりゃないぜ、カタホくん」だのの「first-name basis:ファースト・ネーム上で推移する」表現には馴染めない日本人が多いわけである。
そうした日本語の「固有名称は呼ばずに済ます」特性から生まれたものとして、「人物名称の代用呼称としての'場'への言及」がある。以下にその一例を紹介しよう:
◆「かけまくもかしこき=口に乗せて語るのも畏れ多い」'天皇'への直接言及を避けて、その住居(皇居)の「立派な御門」を引き合いに出して「御(み)+門(かど)=みかど(帝)」とした。
◆一族を束ねる頭目を呼び捨てには出来ぬから、その居住区画(館)を敬って「御+館」とし、「みたち」だの「おやかた(さま)」だのと読(呼)んだ・・・「親方(様)」は後代の横滑り語。
◆「藤原道長」などと実名入りで言及するのは朝廷の公式記録の中だけのことで、通例はその(源氏最大の権勢家からもらった姉さん女房=倫子(りんし)さんの実家から引き継いだ)広大なる御殿の名を取って「土御門殿(つちみかどどの)」とか、晩年に建立した法成寺(ほうしょうじ=通称<京極御堂:きょうごくみどう>)に因んで「御堂関白:みどうかんぱく」と呼称した(・・・実際の道長は「関白」位に就任したことはないけど)。
上はいずれも「固有名称」回避の方便としての「関連場所」への言及例だが、日本語ではまた「人称代名詞」の代用表現としての「地理的位置付け語」の使用例も実に多い。「そちらのおかた」なる表現などはその代表例であって、「そっちの方(in that direction)」という多少離れた場所を遠巻きに言うことで、相手と自分との間にそれ相応の距離を置き(古語で言えば「所(を)置き」)、その遠慮が「心理的敬遠感覚」を演出することになるから、「そこそこの敬意を込めた、貴人の呼称」という性格を有することになる。
「あなた」・「そなた」・「そち」・「そこもと」などの「座標系」人称代名詞代用語の「丁寧度」は、その指し示す場所が話者からどの程度の距離にあるかを手掛かりに推測すればよい。あまりに近すぎる座標を代用呼称とする相手は、「自分と同等か自分より格下」とみなされているわけである。「こやつ(此奴)」(こいつ)が現代に至るまで罵倒語である理由もこれでわかるであろう:「ここ」は自分の立ち位置と全く同一であり、足で踏み付けにされるような地点へと心理的に追いやられているからこそ、「かのひと(彼の人)」や「あのひと(彼の人)」よりも貶されている感じになるわけである。
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▼ | ▲[88]【しかすが】が【さすが】に化けて【流石】 単語集へ [テスト] 現代では「さすがはカタホくん、考えることが違うわ!」などとして「期待通り、見事にやってくれた!」の讃辞を表わし、どういうわけか「流石」なるヘンテコ当て字まで宛がわれているのが「さすが」だが、この語の源流は「然すがに」であり、その読み方は中古では「さすがに」だが、上代には「しかすがに」であった。
「鹿+酢+蟹」などと書けば野趣溢れる古代の宴席料理みたいだが、真面目な語源学的組成は「然(そういう)+す(在り)+が(処=場所)+に(地点)」で、「そういう所に身を置いている」である。従って元来は順接:「そういう次第でありますから(such being the case)」であったこの表現が、やがて逆接:「そういう状態ではあるものの(be that as it may)」に転じ、中古にはその読みも「しか→さ」に変化して「さすがに=そうは言ってもやっぱり・・・だ」となったものである。
やがて、「何のかんの言っても、やっぱり***、大したもんだねぇ」(例:一頃の勢いはないとはいえ、'さすが'は日本人、ゴールデンウィークの海外での散財ぶりはまぁ見事だねぇ)という「全般的には否定的な陳述の中で、それにもめげずに光る肯定的な何か」を持ち上げる言い回しとしての「さすが」が派生的に(鎌倉期あたりに)生じたが、その非本源的語義こそ今や主流の「流石」とは、さすがは日本語、時代の流れの中でゴロゴロ横滑りを繰り返すその飽くなき石、もとい、意志には(毎度のことながら)「いょっ、流石(ナガレイシッ)!」の賛嘆(or惨憺)の囃し声を禁じ得ぬものがあるではないか。
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▼ | ▲[89]【いたはし】で「イタ」いのは、「ワシ」?誰? 単語集へ [テスト] 古語の「いと」だの「いた」だのには「痛」由来のものが結構多いが、「いたはし」もやはりそうで、「痛はし」が元の形であり、「労はし」は後発の当て字である。その「痛い」が「身体的痛覚(含 脳味噌内苦悩)」である場合は、当然その「イタ」い人物は「ワシ」であって、「キミの気持ちはイタいほどわかるよ」などと言っても、所詮他人の痛みは実感できっこないのが人間なのだから、「他者」が対象となる「いたはし」の「イタ」は、「肉体的苦痛」ではなく「心痛」であって、「(あまりに悲惨なので、見ていて)気の毒でしょうがない」とか、「(あまりに弱々しいので、ただ見ているだけではなく、手を差し伸べて)大事にしてやりたい気分」になったりするのが「対外的いたはし」である。前者は現代語では「痛ましい」、後者は「いとおしい」あるいは「いたいけだ」へと形を変えて引き継がれている。
一方、肉体的な「イタ」ではないが、対外的な「イタ」でもないという、「自分自身、あれこれ身体や頭をコキ使って、骨が折れて、ったく大変だ」という「いたはし」もある。苦労の合間にボヤいてる感じの強い語であるから、現代語に於けるその末裔は「いたはし」ならぬ「厭わしい」あるいは「鬱陶しい」あたりと言えるだろう。
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▼ | ▲[90]【うつつ】は【ゆめ】か? 単語集へ [テスト]-「現実」は「世界」の一部、という考え方-
名詞「うつつ(現)」は、形容詞「うつし(現し)」の語幹を重ねた「うつうつ(現現)」の詰まった語である。その「うつし」は、「映す・写す・移す」と同根で、「物事の形象や内容をそっくりそのまま別の場所に移す」を原義とする。古代ギリシア哲学者プラトン(Plato)が唱えたイデア論(ideology)みたいな話ながら、古典時代の日本人は、現実世界の姿というものを「本源的には不可視な存在」と捉えていたフシがあり、目に見えぬその世界を手探りで生きるのが人生、という感覚もあったらしい。そうして全部が見えるわけではない世の姿を、目に見える形へと「写し・映し・移し」替えて捉えた姿、それが「うつうつ=うつつ=現」であり、そうした形で人間世界に現実的に存在することが「うつし=現存する」であり、そうした認識能力を確かに備えることが「うつし=理性・正気を保っている」であった。
-もう一つの現実(alternate reality)としての「夢」-
そんな古代人にとって、「夢」という世界が「現」とは異なるもう一つの世界としての確たる実在感を伴っていたのは当然のことであろう。昼間、目覚めた目で捉える世界は「世の全体像の中の一部を'うつし'て捉えた'うつつ(現)'」ではあるが、そうした日常的理性のフィルター越しには見えない非日常的な(しかし別の意味での現実には間違いない)世界として、不思議な実体験感覚を伴うメッセージの形で、夜のとばりの向こうから人間の眼前へと送り出されてくる「夢」は、現代人が「夢物語」として嘲笑ったり軽くあしらったりするような態度とは比べものにならぬ真剣さで捉えられており、「夢解き(ゆめとき)」や「夢占(ゆめうら)」は、現代の血液型人間診断だの星占いだのと同列に扱ってよいような軽い娯楽ではなかったのだ。
-「夢」か「うつつ」か-
そんな二つの異なる現実とも言うべき「夢・うつつ」は、和歌の中などではしばしば並立的に用いられた。古代人の感覚では、これら二つの世界はともに実体感を伴って存在し、その境界線もまた微妙なものだったろうから、こうして並び称されるのも自然なことではあったろう。
ところが、この「ゆめうつつ」の対比表現が、時代を追うごとに、「夢のようなうつつ」の意味へと横滑りして行くのである。そうして「ゆめうつつ」=「夢見心地の薄ぼんやりした精神状態」の錯覚が生じると、やがて(「夢」からは切り離された状態の)「うつつ」単独形で「意識朦朧」の意味を表わす、というトンデモ語義が生じてしまうことになった・・・この事実誤認はどう考えても「うつつ(=マトモな理性のある状態)」の仕業ではないのだが、日本語世界に存在する膨大なる横滑り語の類例から見れば、これもまた日本語の否定すべからざる現実(うつつ)の姿・・・夢というより悪夢に近い展開ながら、「言語学は実例に基づく:linguistics is based on usage」ものであるから、受け入れるよりほか仕方あるまい。
ついでに、「うつつ」がそうした「非現実的なぼわぁーっとした感じ」の語義へと横滑りする過程で、「うつらうつら」なる畳語がまた「寝てるんだか起きてるんだかわからない状態」の表現として(近世以降)定着して現代に至ってもいるわけだが、この「空ら空ら」の元来の上代語の意味は「現実の姿として、まざまざと」であり、その表記も「現ら現ら」であったことは言うまでもない・・・というのが、嘘(夢)みたいな本当(現)の話。
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▼ | ▲[91]「たまらねー」のが【かなしー】の 単語集へ [テスト] 現代ではひたすら「悲しい」ばかりだが、古典時代には「かわいー!」や「すばらしー!」の感慨をも表わした「かなし」は、語源的には「かぬ」につながる語。「耐え<かぬ>=我慢できないーっ!」と考えれば、耐え難いほどの「悲しさ」にも、たまらんほどの「かわいさ」にも、感に堪えぬ「趣深さ」にも通じるその本質がわかるであろう。
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▼ | ▲[92]【然在らぬ】と【避らぬ】 古文(の試験)でよく問題になるややこし古語に「さらず(さらぬ)」がある。もっとも、ややこしく感じるのは仮名書きで出て来た時だけで、【然らぬ】/【避らぬ】の漢字表記なら誰も間違いようはない・・・錯誤防止にはそうしてきちんと漢字にしてもらえれば問題ないのだが・・・残念ながらそうした律儀さを日本人全般に期待すべくもないのは、21世紀の今書き散らされる彼らの文章を見れば一目瞭然であるし、事が中古の和文ともなれば、別名「女流かな文学」とも呼ばれるその文章内に「然らぬ」や「避らぬ」を期待する方が間違いである。
ともあれ、付言しておけば、「然らぬ」は更に「然(そのように)+在ら+ぬ(not being so)」という根源的組成にまで分解してしまえれば、「避らぬ=回避不可能=避り敢へぬ(さりあへぬ:unavoidable)」との意味の相違は ― たとえ「さらぬ」のひらなががきでも ― 難なく見分けが付くであろう。
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▼ | ▲[93]【さらしな日記】って公開ブログ? 単語集へ [テスト]-「私ってこんなヒトなのよー」的な公開録としての中古日記文学-
「さらし(ちゃいな)にっき」=大勢の人に読んでもらえるようにブログやツイッター上で書き散らしちゃった私的なつぶやき、みたいなベタな連想に結び付きそうな名前の『更級日記』であるが、実際、この作品にはそうした「大勢の人々に読んでもらうために書かれたもの」としての性質が色濃かったことは(シャレでなく)覚えておくべきであろう。
作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)がこの作品を書いたのは西暦1020年から1059年にかけてのこと。年齢的には作者がまだ13歳の少女だった頃から52歳頃までの日記である・・・が、「日記」の体裁を取ってはいるものの、必ずしも40年間毎日こつこつ書きためた純然たる日記ではなく、回想録的にまとめて書き下ろされたものであろう、というのが全体的な文体判断等から出されている定説である。
この1020~1059年というのは、あの平安女流文学最盛期の一条朝(紀元1000年頃)の2~3世代後にあたり、作中には(1008年に初めて世に出た)『源氏物語』が読みたくて読みたくて仕方がなかった幼年期の話が書いてあったりするから、この作者がかなりの文学少女だったことがわかる。血統で物事を割り切った気になる日本人の悪癖を刺激するようで嫌なのだが、一応紹介しておくと、彼女の父親菅原孝標は、あの「学問の神様・天神様」の菅原道真(すがわらのみちざね)の5代後の孫にあたり、彼女のお母さんのお姉さん(異母姉だが)に当たる人(つまり、作者のおばさん)は、あのドロドロ濃密な『蜻蛉日記』の中で不実な夫の藤原兼家との幸福とは言えぬ結婚生活の記録(954~974)を赤裸々に綴って世の中にぶちまけた女性なのである。その『蜻蛉日記』によって「中古女流日記文学」なるものが大ブレークし、大勢の人々に読まれ、類似作品が山ほど書かれ、そうした中から、日記文特有の省略多用&自己完結的で難解極まる文体を模した作品として、例の『源氏物語』や『栄花物語』などが生まれたわけであり、そうした作品の作り手としての文才を認められたからこそ、紫式部のような決して社会的身分の高くなかった「受領の娘(ずらうのむすめ)」達が世に出ることができたわけである。
そうした「文才を認められての出世物語」を、「学才で出世した日本史上最高の知的エリート菅原道真」の子孫が、「女流文学者の草分けたるオバさま(・・・ちょっとコワそうな感じだけど)」の日記文学に触発されて、自らも夢見て書いたのが『更級日記』・・・であれば、最初からそれは「天下の読者に広く読まれること&それによって出世することを意識した作品」であるのは当然のことだったのだ。これは何も彼女の作品のみに限ったことではなく、あの時代の「日記」なるものに、「自らの才能を世間に見せつけるための意欲作」としての自己顕示欲が付きまとうのは社会学的必然の構図だったのである・・・もっとも、その草分けたる『蜻蛉日記』だけは、藤原兼家に対する純粋な私的怨恨のみを原動力として書かれたものであったようだが。
-んで、結局「さらしな」って、何なわけ?-
・・・などと、「更なり」とはあまり関係のない話に絡めて、「さらしちゃいなよ、この日記」的展開で『更級日記』つながりの中古女流(日記)文学の自己顕示欲事情をちゃっかり紹介してしまったが、そもそもがあの作品の標題の「さらしな」そのものからして、現実の地名の「更級」とはほとんど何の関係もないのだから、この程度の類推による横滑り文章展開もまた、許してもらえることだろう。
一応紹介しておくと、あの作品に「さらしな」の名が付いたのは、作中に詠まれた次の歌に絡めてのことである:
「月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ」・・・月も出ていないから空は真っ暗闇。その暗黒の空に似て、私の心も真っ暗け。あぁ、一体何でこんな夜に、こんな姥捨山くんだりまで、私ははるばるやって来てしまったのだろう・・・ばっかみたい。
・・・暗い落胆の歌である。文学少女らしい夢をあれこれ抱えていた作者が、成長するにつれて、現実は全然私の理想とは遠いもの、という辛い体験を山ほど重ねて行くさまを書いてあるのがこの日記文学の特徴なので、その意味では全作品の象徴詩的な歌と言えるだろう。
「姨捨山(をばすてやま)」とは、長野県更級郡にある月見の名所であるが、実際には作者はこの更級の地を訪ねたわけではないし、「更級」の文字自体、『更級日記』には一度として登場すらしない。にもかかわらず「姨捨山」と言えば古来「更級」ということで、この歌一つに因んで『更級日記』というわけだ・・・上記の歌が作品内容全体を暗示する象徴的なものであるのは確かだが、行ってもいない「更科」の名まで標題に引くのは如何なものか・・・それも「更科日記」なのだから、「長野県更級郡での生活を綴った日記文学」の誤解を招くのは必定であろうに・・・今も昔も、日本人の「名付け」行動は実に軽挙妄動、西欧人的感覚からは信じ難いまでのその軽ーい態度が、よーくわかる無数の事例のうちの一つである。
-「歌枕」の見えざる手-
ちなみに、「姨捨山」と「月」と言えば「暗くてどうしようもなく沈んだ心を持て余している」という連想(文芸用語で言うところの「歌枕」=ある歌に関連して即座に浮かんでくる土地・名称・イメージ・心情等)は、そもそもが次の『古今集』収蔵(よみ人しれず)の歌に由来するものである:
「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」・・・長野県は更級郡にある姨捨山と言えば、月見をするには格好の場所。そんな場所で、闇夜を照らす見事な月を見ているところなのだから、私の心も明るくなって当然だろうに、深い悩みを抱えて暗く思い沈む私の心は、あの月を見てもなお慰められることもない。
明月と暗い心のベタな対照の図式の歌だが、とにかくこの歌を下敷きとして、「姨捨」と言えば「月は明るい/私はクラい」のコントラストを示唆する「歌枕」が成立し、その勢いで「更級」なんて記述は更々ない日記文学(というのも少々難がある書き下ろし作品)の題名が『さらしなにっき』となったのだから、歌枕の力、恐るべし、である。
-「さら」の「しな」とはこれいかに?-
さて、ここでようやく「さらしな」そのものの話に入る。「更級」とも「更科」とも書くこの呼び名のうち、「しな(級・科)」は「等級・科目」の意味である:英語で「grade:グレード・段階・レベル」と言った方が現代日本人には分かり易いかもしれない。地形的には、地図上の「等高線のシワシワで区分されてる高低差」と言えばイメージが浮かんで来るであろう。そこに「さら(更)」が付くわけであるが、この「さら」には次の二つの意味があり得る:
1)既にあるものの上に、「更に」別の何かを追加する。
・・・この場合の「長野県更級郡」のイメージは、「山だらけの土地に更にまた山を加える」となろう。
2)今までとは趣を変えて、全く新たに「真っ新」なものとしてやり直す。
・・・この場合、「山また山」の土地の中で、「平坦な更地」のイメージが「姨捨山」の近辺、ということになるであろう。
現実のこの土地がどういう形状であるかは(現地の人々には失礼ながら)、この種の名称について考察する上ではさしたる意味を持たない:日本語の名付けのいい加減さはこれまでにも幾度となく指摘してきた通りなのだから、現実の土地が「山だらけ・・・これじゃ蕎麦も作れやしない・・・せめて更地に恵まれてたらなぁ・・・」のないものねだりから「起伏(=級・科)がない平坦(=更)な土地」の名に結び付くことも十分あるわけで、そうしてかなり適当な理由から付けられてしまった名前に、後からさらにテキトーな言い訳こじつけてる例が山ほどあるのがこの国の各種の名前の一大特徴なのだから。
・・・などと、日本的なるものの本質を見据えることをせずにひたすら「素晴らしい」と信じ込みたがっている日本人の感情を更に(またしても・again)逆撫でする文章を加えてしまったわけだが、今更(この段階に於いてなお・even now)こうした和風名称の杜撰さについて重ね重ね指摘するのも[言へばor言ふも]さらなり(蛇足というもの・needless to say)という気がせんでもない・・・が、いずれにせよとにかく(一部の日本人の感情的反発など度外視して)上記の考察に際し、心に一点の「姨捨」的曇りもない筆者としては、これを修正するつもりなど更に(全然・ちっとも・さらさら・not at all)ないのである。
・・・あ、ごめん、一部加筆修正だ、「さら」の用法、更にもひとつ追加:
3)「更に・・・ず」の形で用いて、「・・・なんてさらさらない」として否定の意味を強調する。
(おしまいっ)
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▼ | ▲[94]【じ】の三態 助動詞としての意味はあまり多くはないが、それでも受験生を悩ませるものの一つが「じ」である。打消推量と呼ばれるその用法は、英語の「will not」に相当し、単純な推量の「・・・するまい」なのか、それとも意志含みの「・・・するつもりはない」なのか、という点の判断を迫られる点でも全く同じである。
そうした「意志が入るか、入らぬか」は、結局脈絡を頼りに割り出すよりほか仕方がないのであるが、英語に比較すれば日本の古文(否、現代文の多くも)は、作中人物の心的態度に明瞭な決着を付けてくれぬ場合が多いので、結局最後の判断は「運任せ」に頼らざるを得ぬ場合も少なくないのが現実なのである。
が、そうした用法とはまた別に、ここにもう一つの(かなりヘンテコな)「じ」の用法がある:
◆自分自身以外の他者に対し、直接に呼び掛ける形で、「・・・するのはよくないですよ」とたしなめる;あるいは「・・・しないでくださいよ」と軽く命令する。
これまた実に日本の古語らしい展開であって、本当は「・・・するな!」と命じたい場面でも、話法上は「・・・する、ということはないでしょう;だって、・・・するなんて普通ありえないことだもの。ね、そうでしょう?あなただったら・・・するはずもないでしょう?しませんよねー、・・・だなんて」という形で「打消推量」を、相手の眼前で、してみせることで「しないでね」と釘を刺すわけである。
が、こうした持って回った否定命令文は、いかに慎み深い平安時代人にとってもさすがに迂遠すぎて非現実的な言い回しだったらしく、この種の「・・・じ」が用いられる場面は滅多になかったようである。
ちなみに、この否定版もにゃもにゃ命令文「・・・するな」の「・・・じ」の裏返しは、「・・・む」(・・・しておくれ)であったが、これまた用例は(わざとらしい古式文体の中以外では)滅多に見られない。
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▼ | ▲[95]【ゆかし】ってどこに行きたいの? 単語集へ [テスト] 現代日本語の「おくゆかしい」は「遠慮がち」の意味であり、その語感は「出来れば表舞台に立たずに、奥の方に引っ込んで行きたい」という引っ込み思案なものであるが、古語の「ゆかし」の方向性は全く逆である。
「ゆかし」は文字通り「行きたい」であるが、どこへ行きたいかと言えば、「対象の奥深くまでぐぐっと分け入って行きたい」のであり、それは「対象があまりに素晴らしく、このまま素通りするには惜しいほどに強い興味を引かれたから」であるから、「積極的に前方に乗り出して行く」表現であって、「消極的に後ずさりする」ものではない。
この種の「・・・したい」の末尾を持つ語には、「現時点では・・・していない」の意味が必然的に伴うものである。例えば「あたらし(惜し)」の場合、「素晴らしいものであるのに、その価値に相応の高い評価の光を当てられていない・・・だから、そうした高い評価に'当たる'ようにしたい」というところから「おしい、残念だ、もったいない」の意味が生じる。「もとむ(求む)」を根に持ち、「足りない・・・から、'求め'たい」の気持ちが「窮乏している」の意味になるのが「ともし(乏し・・・現代語なら'とぼしい')」である。このあたり、英語の次の表現にも似ていて、その原理を弁えないと、「窮乏」という現象面を表わす言い回しを、「欲求」という心理面を指すものと取り違えての誤訳に陥ることになる:
英文例)He sheerly wants experience.
和訳)彼は全くの経験不足である。
誤訳)彼は経験を切実に求めている。
・・・この「want」は、「be wanting in / be lacking in / be destitute of / be devoid of」の「欠乏状態」を表わすものであって、「・・・が欲しい」という「心理的渇望」を表わすと解釈するのは間違いである。
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▼ | ▲[96]【ぬべし】って否定? 単語集へ [テスト] 初学者が陥りがちな誤りに、完了助動詞の「ぬ」を否定助動詞「ぬ(=ず連体形)」と勘違いする、というものがある。
この「ぬべし」もまた、古文初心者はほぼ確実に「・・・ない+に違いない」と訳すに違いない、というもの。だが、助動詞「べし」は否定の「ぬ」に付くことは決してない;「ざる+べし」の形にしかならぬのである・・・まぁ、そこまでわかっているような古文読みなら、「ぬべし=・・・ないに違いない」のような誤訳には陥らないに違いないから、上は無意味な解説には違いないのだが。
結局この「ぬ」、完了助動詞なのであるが、その「完了」の呼び名がこの種の誤解を生むのである。「完了」なら「既にもう終わっている事柄」を指す、というのが現代日本人の感覚であるから、そこに推量の助動詞、即ち「これから・・・になるだろう」を意味するはずの「べし」が付く、というのは(過去と未来のチャンポンで)感覚的におかしい、ということになり、その解釈から弾き出されるようにして、「否定+推量=・・・ないに違いない」なる意味に違いない、という落とし穴にはまりこむ、という仕掛け・・・実によく出来ている、もとい、困った誤読の図式ではある。要は、「完了」という呼び名が悪いのであって、「確述」という名称で把握しておれば、こんな誤読に陥る者の数は激減するはずである。
「確述」の「ぬ」を「完了」と取り違える典型例としては、次の一節を引き合いに出すのがよいだろう:
「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ」
言わずと知れた「いろは歌」の出だしである。総かな表記では訳が分からぬ人のために、漢字仮名交じり文(+濁音記号・句読点・疑問符&被省略主語つき)に書き換えれば次のようになる:
「[花の]色は匂へど、散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ?」
現代語訳)今は美しく咲き誇っている桜花も、その色彩は鮮やかに映るけれども、やがては必ず散るものだ・・・というのに、我が世の春を永遠に謳歌できる者など、この無常の世のどこにいるというのか、そんな者は誰一人いないのだ。
「にほふ」は、現代では「嗅覚」専用語(臭う)だが、上代~中古に於いては「色彩語」(仁+秀+ふ)の色合いが濃い。ここでも「花の盛り」に合わせて「色鮮やかに咲き誇る」の意味が正解で、「ツーンと鼻を突く芳香が漂う」とするのは古文をろくに知らぬ現代人の誤読の典型である。
しかし、「匂い」と「色合い」の取り違えは、この古文の解釈に致命傷を負わせるものではない。救いようのない誤読が生じるのは「散りぬるを」の箇所である・・・「既にもう散ってしまったというのに」と誤解する人が、また、実に多いのだ。よくよく考えて見れば、「既に散った花」であれば「にほふ」道理もない:「色合い鮮やか」でもなければ「鼻を突く匂い」ももうとっくの昔に消え失せている筈である・・・まぁ、モノが銀杏あたりなら、散り敷いた実を足で踏ん付けた結果として周囲にプンプンその悪臭が漂っている、的な展開もあり得るであろうが、ここは「花」の話であって「実」の話ではないのだから、そうした解釈も成り立つまい。結局これも、「ぬ」の「確述」がいかに誤読に結び付き易いかを示す事例と言えるのだ。
そうした誤読可能性の高さは、古典時代人も承知していたのであろう、この種の確述の「ぬ」は、単独で用いられる例(「日も暮れぬ」=「きっと日暮れになってしまうだろう」)はあまり多くなく、その他の推量助動詞との抱き合わせ形で、その推量の確かさを強調する意味合いを込めて添えられる使用例が圧倒的に多いのである。「ぬべし」・「なむ」・「ぬらむ」・「なまし」等はそうした事情を持つ連語なのだ。
ちなみに、「ぬ」と同様「確述」の意を持つ助動詞「つ」もまた、「つべし」・「てむ」・「つらむ」・「てまし」等々、確実な推量を表わす連語に引っ張りだこである。この種の連語の「ぬ」・「な」・「つ」・「て」の正体に迷ったら、思い切ってそれを外してみて意味が通じるかどうか確かめるとよい:「強調」のために添えられているだけなのだから、なくても意味は通じる理屈である。また、「ぬ」と「つ」を交換してみても意味はほぼ同じであるから、その互換性に着目する検算方法も覚えておくとよい。
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▼ | ▲[97]【いさ】って、「いいさ」?いや、だめさ 単語集へ [テスト]「人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香に匂ひける」(紀貫之)・・・宿の住人の心のほうは、さて、どうだかわかりませんけれど、宿に咲いている花だけは、昔のままの変わらぬ香りを放ちつつ、今も咲いていることですねぇ。
この有名な歌にある「いさ」は、「さぁて、どうでしょうかね」として相手をはぐらかす語である。現代語では「いざ知らず」と濁音化して残っているので、「いざ、勝負!」的な勢い込んだ掛け声と勘違いする人も多そうであるが、この「いさ」の上代表記は「不知」、英語で書けば「I don't know [whether ...]:[...か否か]よくわからん」であって、動詞「いさむ(諫む)」(=行動しようとする相手に対し、やめておけ、と制止する)にも結び付くその語感は「No.:さぁ・・・やめときましょかね」であって「Yes, let's!:さぁ、やろうぜっ!」ではない。
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▼ | ▲[98]中古の女性の【世】って何よ? 単語集へ [テスト]-女の世界は「愛こそはすべて」?-
「世」や「世の中」、さらには「世界」・・・なんとも広大な響きの語だが、中古女流文学にかかるとこれらは大方「彼との間の恋模様」なる純私的な語義に化ける、ということは、古典読みなら確実に押さえておかねばならぬ必須知識である。
意地悪な想像を巡らせば、「中古は妻問婚だから、女はひたすら男の慈悲にすがるしかなかったので、男から自分への愛情がそれほどの重大事だったのさ」とか、「所詮、女にとっては自分を取り巻く個人的な枠組みだけが全世界。身の幅一杯でしか生きられぬ小さな生き物でしかないのさ」ということになりそうだが、そうした論調で事を片付ける前に、「世」を巡る古語事情として、次の事実をも踏まえてからものを言うべきであろう(・・・特に、女性の前で言う時には)。
-「よ」=「世」&「節」の節目感覚-
「よ」の音を持つ古語は実に多いが、「世」と最も密接に結び付くのは「節」である。これは現代では「せつ」や「ふし」であるが、古語では「よ」の音が優勢であり、「竹」や「芦・葦・蘆(あし)」のような「節目」を持つ植物の、「節目ごとに刻まれた空間的分け目」が「節」ならば、「幾つかの出来事ごとに刻まれた時間的分け目」が「世」なのであった。ある特定の「天皇が統治する時代」として捉えれば、この「世」は「代」(御代)となる。音も同じなら、その区分感覚もまるで同じ古語が「よ=節&世・代」なのである。
そのような「画期的な何か」によって節目ごとに分けられた時間の集合体として人生を捉えた場合、「ある特定の男性との出会い~別れ」というtime-span(タイム・スパン:計時単位)で、「Aくん時代」・「Bさん時代」・「C殿時代」・・・という風に人生を区切る人生観は、中古の女性のみの態度ではあるまい。現代女性だってこうした意識で物事を捉える体質は確実に引き継いでいるし、この感覚は男にとっても決して無縁なものではない。「プロジェクトA時代」・「キャンペーンB時代」・・・などと「出来事」系のタグ(tag:表札)付けで人生を区切る体質が濃密な男といえども、その出来事の折々に関わった人々との個人的思い出が彩ってくれぬ限りは、男の人生もやはり味気ないもの。「A子ちゃん時代」や「B子さん時代」といった区切りで「'節'という名の'世'」と向き合う体質は「自分にはない!俺は男だ!」などと言い張る御仁は、「御立派」というよりは「オメデタイ」というか「おかわいそうに」といった感じでしかあるまい(・・・まぁ、人生の思い出が異性ばかりに偏るような男は少々薄っぺらであることは確かだが)。
そういう次第であるから、一夫多妻制&妻問婚で、女性も男性も特定の異性とだけ一生添い遂げるわけでもなかった平安時代に於いては、人生の画期的出来事としての「ある特定の男性(or女性)との関係を中心に回っていたあの頃」という形での「世」が、今より遥かに自然な妥当性を有していた、という事実だけは踏まえた上で、古典的「世・世界・世の中」の回り方に対しては、小馬鹿にするなり、納得して我が身を振り返るなりの態度を、各人各様に定めていただきたいと思う。
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