こころばへ【心延へ】〔名〕

   [599] こころばへ【心延へ】〔名〕

〈A〉 こころばへ【心延へ】
「延へ」は草木が「生える」にも通じ、生まれながらの特性として外の世界に延びて行きたがる性質を表わすので、「心延へ」には「生得的特質」の感覚が強い。一方、「心馳せ」人為的な「心の用い方」だが、「心延へ」もこの語義で用いられる場合もある。》
〔名〕
  (1) 〈(人やそれ以外の生き物の)本源的な特質。〉 性質。気質。気性。性格。性分。気立て。   (2) 〈(人物・出来事への対応に於ける)心の用い方。〉 心遣い。気遣い。気配り。気を回すこと。機転。機知。見事な対応。   (3) 〈(事物が、自然に、または、人為的に)発する雰囲気。〉 風情。趣向。趣。情感。独特な感じ。凝った作り。工夫。技巧。   (4) 〈(発言などの)意味。〉 主旨。趣意。真義。言わんとするところ。
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心【はゆ】のか【ははす】のか
 【心延へ】と【心延せ】はどう違うか? ― この種の質問にスパッと答えられるようになるのが語学の良いところである。
 「延へ」と「延せ」は、ともに「連用形語尾」であり、「連用形にすれば名詞扱い」というのも古今変わらぬ日本語の特性(例:「酒を飲む」→「酒飲み」)。同じ動詞の根を持つならば、意味の違いを生むのは語尾の違いである。「生ゆ(はゆ)→はえ」と「延はす(ははす)→ははせ」の相違としてみれば、両者の相違は一目瞭然であろう。
 ということで、「はゆ」から生じた「こころばへ」は、心の中から自然に湧き出る感じの「生得的性質」に言及するのに対し、「ははす」から延びた「こころばせ」は、相手や状況を踏まえつつ、どのように振る舞うべきかを頭の中で考えた上での「意識的な態度・立ち居振る舞い」ということになる。
 両者の相違をより本源的次元に還元してみれば、「ゆ」vs.「す」の相違となる。もう少しレッテルを補えば、「ゆ/らゆ」vs.「す/さす」の対立構図である。「ゆ/らゆ」は上代(奈良時代)の助動詞なので、平安時代の脈絡に置き換えるならば、「る/らる」vs.「す/さす」であり、文法用語で換言すれば「自発」vs.「使役」であり、用法的に言えば「無作為」vs.「作為」であり、具体的動詞をもって象徴的に言い換えれば「なる(成る)」vs.「なす(為す)」の構図である。
 いかがであろう・・・古語の「心(=本源的意味)」をあれこれと「延はす(=拡大発展的に解釈する)」営みは、楽しいものであろう?・・・そうした営為が、意識するまでもなく「生ゆ(=自然発露的に脳裏に浮かぶ)」ほどの自然な営みにまで発展すれば、あなたも立派な語学の達人であり、知識人、ということになる。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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