いたはし【労し】〔形シク〕

   [149] いたはし【労し】〔形シク〕

〈A〉 いたはし【労し】
《「」=「(自分が)苦しい状況にある」系の「(病気や怪我で)苦しい」・「(心労・尽力で)骨が折れる」の語義と、苦境にある誰かに対し同情し手を差し伸べたい系統の「気の毒だ」・「いたわってやりたい」の語義に大別される。》
〔形シク〕 {しから・しく/しかり・し・しき/しかる・しけれ・しかれ}
  (1) 〈(自分自身が、病気や怪我で)苦痛を感じる。〉 苦しい。痛い。苦痛である。   (2) 〈(自分自身が、心遣い・尽力して)苦労する。〉 骨が折れる。一苦労である。心労が多い。気苦労が絶えない。楽じゃない。しんどい。きつい。辛い。   (3) 〈(病気の者や弱小な者に対して)大事にしたい気持ちになる。〉 大切にしたい。いたわりたい。いとおしい。世話してやりたい。守ってあげたい。   (4) 〈(苦境にあえぐ他人に同情して)心が痛む。〉 気の毒だ。痛ましい。辛い。可哀想だ。哀れだ。不憫だ。見ちゃいられない。
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【いたはし】で「イタ」いのは、「ワシ」?誰?
 古語の「いと」だの「いた」だのには「痛」由来のものが結構多いが、「いたはし」もやはりそうで、「痛はし」が元の形であり、「労はし」は後発の当て字である。その「痛い」が「身体的痛覚(含 脳味噌内苦悩)」である場合は、当然その「イタ」い人物は「ワシ」であって、「キミの気持ちはイタいほどわかるよ」などと言っても、所詮他人の痛みは実感できっこないのが人間なのだから、「他者」が対象となる「いたはし」の「イタ」は、「肉体的苦痛」ではなく「心痛」であって、「(あまりに悲惨なので、見ていて)気の毒でしょうがない」とか、「(あまりに弱々しいので、ただ見ているだけではなく、手を差し伸べて)大事にしてやりたい気分」になったりするのが「対外的いたはし」である。前者は現代語では「痛ましい」、後者は「いとおしい」あるいは「いたいけだ」へと形を変えて引き継がれている。
 一方、肉体的な「イタ」ではないが、対外的な「イタ」でもないという、「自分自身、あれこれ身体や頭をコキ使って、骨が折れて、ったく大変だ」という「いたはし」もある。苦労の合間にボヤいてる感じの強い語であるから、現代語に於けるその末裔は「いたはし」ならぬ「わしい」あるいは「鬱陶しい」あたりと言えるだろう。

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コメント (1件)

  1. the teacher
    ・・・当講座に「man-to-man指導」はありませんが、「コメント欄」を通しての質疑応答ができます(サンプル版ではコメントは無効です)

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